「あの男は、あたしみたいな美女の隣が相応しいってのに……! お姉さまにはもったいなさ過ぎるわ」
平民だから夫にはしてやれないが、自分を取取り巻く男としては最高だ。
「そうだ。向こうの家は清須川家と繋がりがほしいから縁談を申し込んできたわけだし、お姉さまよりもあたしのほうが役に立つって教えればいいのよ」
その最高の隣にいるのが千代というのは気に食わないが、しかし今だけだ。
「ふふっ、絶対奪ってやるわ」
茜は好戦的な笑みを浮かべむくりと起き上がった。
「はぁ……でも、まずはこの苛立ちはちゃんと消化させないと。やっぱりこういう時は買い物が手っ取り早いのよね。勇一郎でも呼ぼうっと」
華族の坊ちゃんの財布なら、きっと自分を満足させてくれるだろう。
「わあっ、見て見て勇一郎さま。このカメオ素敵だわ」
通りに面したショーウィンドウに張り付いて、飾ってあるカメオや指輪を見て茜はきららかな声をあげた。勇一郎は「そうだね」と、一歩離れた場所で相槌を返していた。
勇一郎と買い物に出かけることにした茜は、すぐに連絡をとりその日の夜には目論見通り、勇一郎を連れて元町に来ていた。
日本人向けの店が多い伊勢佐木町とは違い、元町は外国人居留地の近くにあり、店が取り扱っている品も西洋の舶来品が多く、他では手に入らないようなものが揃う。
今の自分の気分を直してくれるのは、自分だけという特別感のあるものだけだと元町を選んだ。
それに、舶来品は値が張るものばかりで、この町で買い物ができるのは自分のような金持ちの家の物だけだ。平民など滅多に目にしない。
正直、今は一乗を思い出す平民など見たくないから、そこもちょうど良かった。
「ねえ、勇一郎さま。このカメオ、私に似合うと思いません? この間買っていただいたワンピースの胸元になんてぴったりだと思うんですよ」
肩越しに、一歩離れて後ろに立つ勇一郎に視線を投げる。
今日は屋敷で父の目があり、ワンピースに着替えることはできなかったから着物だ。着物も流行りの柄のものを父に買ってもらったりしているから不満はないのだが、やはり目立つと言えば洋装だった。
「それにこれでしたら、このショールにも合いますよ。こうして重ねて、カメオで留めるのが流行りなんですって」
「あ、ああ……茜によく似合うと思うよ」
「ですよね! あぁ、でも……これだけ素敵なんですもの。きっと私以外にも欲しがってる人はいるに決まってます。もしかしたら、明日にはもうないかも……」
茜は眉尻と視線を下げ、商品窓に張り付く。
しかし、いつもなら仕方ないなと言って買ってくれるはずなのに、今日はどうしたことか、勇一郎はちっとも店に入ろうとしなかった。
「そういった稀少な舶来品は記念日とかにしよう。そっちのほうが特別感もあるし、記憶にも残るから」
しゃらくさい男だ、と思ったものの表情にはおくびも出さず、茜は「それもそうですね」とにっこりと人好きのする笑みで悪態を隠した。
「勇一郎さま、私そろそろお腹が空いてきちゃいました」
場所柄的に、洋食店が多いのだ。
家では未だ和食ばかりだし、こういう父の目がない時にこそ洋食を食べたいのだが。
「そうだね、僕もそろそろ……。じゃあ、伊勢佐木の方に――」
「あ、ほらっ。あそこの『レストラン・ベリーニ』っていうお店なんですけど、すごく美味しいって友人に聞いたんです。なんでも、本物の外国人が料理人をやってるようで」
「あー……いや、僕はあまり洋食って気分じゃ……」
「お店に入ったら洋食の気分になりますからっ」
「いや、その……き、今日はそんなにお金を持ってきていなくて……」
勇一郎が何やらもごもご言っているようだったが、お構いなしに茜は彼のスーツの袖を掴んで、強引にレストランに連れて行こうと引っ張った。
そうしてグイグイと引っ張ってきた勇一郎とレストラン前に到着した時、ちょうど店から食事を終えた男女の客が出てくるところだった。身体に合ったスーツを着こなした背の高い男が、ワンピースを纏った女の手に手を差し出していた。
「うわ……華族かな、どこの家だろう」と後ろで勇一郎が呟いているのが耳に入った。
自分の男(勇一郎)がよその女を褒めているのも腹立たしいし、その女は自分が着て来られなかった洋装姿というのがさらに苛つき、茜は口の中で舌打ちをする。
しかし次の瞬間、女の客と目が合った。
「え……」
互いに目を見開いて驚きを露わにする。
「お……姉、さま……」
「え、茜?」
千代が目当てのレストランから出てきた。隣で西洋絵画のように丁寧に彼女の手を引いているのは雪人だった。
◆
その日の昼下がり。
書斎で持ち帰りの仕事をしている雪人に、千代がお茶を届けた時。
『ちょうどよかった。千代、悪いけど保険制度の参考になるような本を探してくれないか』
『保険……お仕事関係ですか?』
『ああ』と雪人は、千代が淹れた薄緑色の茶に口をつけ頷いた。
『でしたら、海上保険のほうですよね。法制度でしょうか、それとも商品や実務的な部分でしょうか』
『実務で頼む。今うちは海運業をやっているが、ついでに金融にも手を広げたいと思っていてね』
雪人が代表を務めている会社である一乗汽船は、海運業を主業務としている。
東京から横濱に来たのも、海運という業態のため、東京よりも国際港がある横濱のほうが都合が良かったからという。
以前、チラと雪人からどのような仕事なのか教えてもらったのだが、実はまだ東京にも会社を置いているのだとか。今そちらの会社は、親族に任せているらしい。
てっきり東京の会社を畳んで横濱に来たと思っていたのだが、もしかすると、雪人の会社は千代や清須川家が思っていたよりも大きいのかもしれない。
『それでしたら……』
『うーん』と悩み声を漏らしながら、千代は壁一面に設えられた本棚に近付き本を眺める。
平民だから夫にはしてやれないが、自分を取取り巻く男としては最高だ。
「そうだ。向こうの家は清須川家と繋がりがほしいから縁談を申し込んできたわけだし、お姉さまよりもあたしのほうが役に立つって教えればいいのよ」
その最高の隣にいるのが千代というのは気に食わないが、しかし今だけだ。
「ふふっ、絶対奪ってやるわ」
茜は好戦的な笑みを浮かべむくりと起き上がった。
「はぁ……でも、まずはこの苛立ちはちゃんと消化させないと。やっぱりこういう時は買い物が手っ取り早いのよね。勇一郎でも呼ぼうっと」
華族の坊ちゃんの財布なら、きっと自分を満足させてくれるだろう。
「わあっ、見て見て勇一郎さま。このカメオ素敵だわ」
通りに面したショーウィンドウに張り付いて、飾ってあるカメオや指輪を見て茜はきららかな声をあげた。勇一郎は「そうだね」と、一歩離れた場所で相槌を返していた。
勇一郎と買い物に出かけることにした茜は、すぐに連絡をとりその日の夜には目論見通り、勇一郎を連れて元町に来ていた。
日本人向けの店が多い伊勢佐木町とは違い、元町は外国人居留地の近くにあり、店が取り扱っている品も西洋の舶来品が多く、他では手に入らないようなものが揃う。
今の自分の気分を直してくれるのは、自分だけという特別感のあるものだけだと元町を選んだ。
それに、舶来品は値が張るものばかりで、この町で買い物ができるのは自分のような金持ちの家の物だけだ。平民など滅多に目にしない。
正直、今は一乗を思い出す平民など見たくないから、そこもちょうど良かった。
「ねえ、勇一郎さま。このカメオ、私に似合うと思いません? この間買っていただいたワンピースの胸元になんてぴったりだと思うんですよ」
肩越しに、一歩離れて後ろに立つ勇一郎に視線を投げる。
今日は屋敷で父の目があり、ワンピースに着替えることはできなかったから着物だ。着物も流行りの柄のものを父に買ってもらったりしているから不満はないのだが、やはり目立つと言えば洋装だった。
「それにこれでしたら、このショールにも合いますよ。こうして重ねて、カメオで留めるのが流行りなんですって」
「あ、ああ……茜によく似合うと思うよ」
「ですよね! あぁ、でも……これだけ素敵なんですもの。きっと私以外にも欲しがってる人はいるに決まってます。もしかしたら、明日にはもうないかも……」
茜は眉尻と視線を下げ、商品窓に張り付く。
しかし、いつもなら仕方ないなと言って買ってくれるはずなのに、今日はどうしたことか、勇一郎はちっとも店に入ろうとしなかった。
「そういった稀少な舶来品は記念日とかにしよう。そっちのほうが特別感もあるし、記憶にも残るから」
しゃらくさい男だ、と思ったものの表情にはおくびも出さず、茜は「それもそうですね」とにっこりと人好きのする笑みで悪態を隠した。
「勇一郎さま、私そろそろお腹が空いてきちゃいました」
場所柄的に、洋食店が多いのだ。
家では未だ和食ばかりだし、こういう父の目がない時にこそ洋食を食べたいのだが。
「そうだね、僕もそろそろ……。じゃあ、伊勢佐木の方に――」
「あ、ほらっ。あそこの『レストラン・ベリーニ』っていうお店なんですけど、すごく美味しいって友人に聞いたんです。なんでも、本物の外国人が料理人をやってるようで」
「あー……いや、僕はあまり洋食って気分じゃ……」
「お店に入ったら洋食の気分になりますからっ」
「いや、その……き、今日はそんなにお金を持ってきていなくて……」
勇一郎が何やらもごもご言っているようだったが、お構いなしに茜は彼のスーツの袖を掴んで、強引にレストランに連れて行こうと引っ張った。
そうしてグイグイと引っ張ってきた勇一郎とレストラン前に到着した時、ちょうど店から食事を終えた男女の客が出てくるところだった。身体に合ったスーツを着こなした背の高い男が、ワンピースを纏った女の手に手を差し出していた。
「うわ……華族かな、どこの家だろう」と後ろで勇一郎が呟いているのが耳に入った。
自分の男(勇一郎)がよその女を褒めているのも腹立たしいし、その女は自分が着て来られなかった洋装姿というのがさらに苛つき、茜は口の中で舌打ちをする。
しかし次の瞬間、女の客と目が合った。
「え……」
互いに目を見開いて驚きを露わにする。
「お……姉、さま……」
「え、茜?」
千代が目当てのレストランから出てきた。隣で西洋絵画のように丁寧に彼女の手を引いているのは雪人だった。
◆
その日の昼下がり。
書斎で持ち帰りの仕事をしている雪人に、千代がお茶を届けた時。
『ちょうどよかった。千代、悪いけど保険制度の参考になるような本を探してくれないか』
『保険……お仕事関係ですか?』
『ああ』と雪人は、千代が淹れた薄緑色の茶に口をつけ頷いた。
『でしたら、海上保険のほうですよね。法制度でしょうか、それとも商品や実務的な部分でしょうか』
『実務で頼む。今うちは海運業をやっているが、ついでに金融にも手を広げたいと思っていてね』
雪人が代表を務めている会社である一乗汽船は、海運業を主業務としている。
東京から横濱に来たのも、海運という業態のため、東京よりも国際港がある横濱のほうが都合が良かったからという。
以前、チラと雪人からどのような仕事なのか教えてもらったのだが、実はまだ東京にも会社を置いているのだとか。今そちらの会社は、親族に任せているらしい。
てっきり東京の会社を畳んで横濱に来たと思っていたのだが、もしかすると、雪人の会社は千代や清須川家が思っていたよりも大きいのかもしれない。
『それでしたら……』
『うーん』と悩み声を漏らしながら、千代は壁一面に設えられた本棚に近付き本を眺める。


