一乗家のかわいい花嫁  ~義妹の策略などよそに、日々旦那様からの溺愛されています~

「演技? 騙す? あの、仰っていることがわからないのですが」
「この期に及んで白を切るか。とんだ悪女だな。あいにく、僕はそんな不誠実な者を妻にしたいとは思わないんだよ。元より、君のことを一度たりとも愛しいと思ったことはないがね」
「ですから、先ほどからなんの話を――っん!」
 突然、卓に身を乗り出した勇一郎に、千代はグッと顎を掴まれた。引っ張られるように掴まれ、首が抜けそうだ。
「バレないと思ったのか、悪女め。どれだけの男に股を開いてきたんだ?」
 頭が真っ白になった。
 悪女? 股を開く? 誰が? 意味が何ひとつ理解できない。
「君との婚約はこの場をもって解消する。安心しろ、僕が清須川家に入るのは変わらない」
 立ち上がった彼は、閉じていた障子に手を掛ける。そうして障子を開けると、その向こうの廊下には妹の茜が佇んでいた。
「ただ、僕の相手は君ではなく、彼女だけどな」
 彼は自然に、まるで何十回とやってきたような動きで茜の肩を抱き寄せた。
 茜は勇一郎に身を寄せつつも、申し訳なさそうに視線も眉も下げている。
 千代と違い身に纏うのは、赤矢羽根に大きな白薔薇が描かれた流行りの着物。
 姉妹だというのに、茜の顔は綺麗に化粧が施され、髪もマガレイトと丁寧に結ってあり、少しも千代と似ていない。
 元より、半分しか血が繋がっていないのだから、当たり前かもしれないが。
(ああ、つまり勇一郎様は最初から茜と結婚したかったのね。そうよね……茜のほうが可愛いもの)
 なんの過失もない姉を差し置いて、妹と結婚するわけにはいかない。だから、こちらに罪があるかのように、悪女とか色々とよくわからないことを言っていたのだろう。
 茜と目が合った。
 ハッとしたように逸らされると一緒に、彼女は勇一郎の胸に顔を埋めていた。そして、華奢な肩をふるわせ、か細い声で「ごめんなさい」と言った。どうやら、茜も彼のことが好きなようだ。
「お姉さまに申し訳が立たないからって、私は何度も断ったんですけど、勇一郎さまからどうしてもって。それに、お父さまも……」
 勇一郎の胸から顔を上げた茜が、チラッと廊下の奥へと視線を向けた。
 ギッと廊下が軋み、障子の陰から父が姿を現す。
「お、お父様……何かの間違いでしょうか……」
「間違いではない。清須川家は茜と勇一郎君に任せる」
 氷塊を丸呑みしたように、胃の底が冷たくなった。
「し、しかし、茜は会社のことは――」
「口を閉じなさい。まったく……親の目を盗んで夜遊びとは。そのような醜聞のある娘に清須川の名を継がせるわけにはいかん」
 父は汚れた野良猫を見る時のような、嫌悪の目で自分を見下ろしていた。隣に立つ茜は目に憐憫を浮かべつつも、しっかりと勇一郎の手を握っている。
 もうすべて決まったことなのだと理解した。
 いきなり婚約者が訪ねてきて、理解できない理由で婚約破棄を言い渡され、その元婚約者は妹の夫になるという。
 あまりにもあっという間に変わった状況に、こちらとあちらで何か大きな齟齬があるように感じてはいたが、今の千代には冷静にその『何か』を考える余裕はなかった。
「姉よりも先に妹が結婚では外聞が悪い。本当なら、お前のような遊び人をほしがる者などいないはずだが、ちょうど一件縁談話が来ていたところだ。本当は茜に来たような話で、断るつもりだったが……ちょうどいい。千代、代わりにお前が嫁ぐんだ」
「でも、お父さま! あの縁談はいくらなんでも、お姉さまが可哀想です……っ!」
 茜が父の着物のを袖を掴んで、考え直すようにと訴えていた。いったい何をそんなに、と思っていれば、次の茜の言葉で、千代は息の仕方を忘れてしまった。
「いくら当主でも、病に伏せった老人の後妻だなんて!」
(老人の……後妻……)
 呆然とする千代の耳に、父や茜の会話が右から左に通り抜けていく。
 どうにか理解できた部分だけをつなぎ合わせると、相手は一乗家の当主で、彼は一年前に東京から横濱にやってきた実業家だった。しかし最近、年齢のこともあり体調を崩し伏せっていることが増え、人恋しくなり後妻を探していたのだろうという話だ。
 元は茜に来ていた縁談話で、父は断るつもりだったと言った。
 しかし父は、自分には茜を嫁がせられないと判断した家に嫁げと言う。
 わかっていた。
 自分が父に愛されていないことなど、とうの昔から気付いていた。
 膝の上で拳を握った。掌に食い込む詰めん痛みで、どうにか冷静を保つ。
「向こうは新参者で、この地や家のことなど詳しくは知りはしまい。どうせ、我が清須川との繋がりがほしがっている田舎者だ。千代でも問題なかろう」
「むしろ、平民風情が士族の娘を娶れるのですから大喜びでしょう。たとえ、男遊びがひどい娘でも」
 父と勇一郎は、クツクツと喉で嗤っていた。
 もう、男遊び云々という言葉の意味を聞く気すら起きない。
「お姉さま! いくら高額な結納金を用意してくださってるからって、このような不幸せになる縁談、絶対に受けてはいけませんわ!」
 その中で、茜だけが異を唱えてくれていた。
(高額な結納金……)
 どのみち拒否などできなかったが、妹の言葉が千代の背中を押した。
「茜、ありがとう。でも、私が家に残ってたんじゃ茜も結婚できないし、せっかくのご縁だから私、このお話を受けるわ」
「お姉さま……っ!」
 茜は瞳を潤ませ、ガバッと抱きついてきた。
 優しい妹だ。ヒクヒクと声を抑え、小さく背中を跳ねさせている。自分の代わりに泣いてくれているのだろうか。
「大丈夫よ、茜。心配してくれてありがとう」
 千代は良い香りのする茜の頭に頬を寄せ、背中を撫でた。
 きっとこの子なら、父と勇一郎と助け合いながら、この清須川家をなんとかしていってくれるだろう。

        ◆

 茜は、老旦那の後妻として嫁ぐと決めた姉に抱きつき、肩口に顔を乗せる。
 声を懸命に抑えようとすれば、身体がしゃっくりをした時のようにヒクヒクと痙攣した。
 茜は声を抑えていた。