運命の女

 私の父も祖父も麗子様一族のお世話になっていた。私の父は、服部家の執事だった。私は麗子様の父上のお御屋敷の片隅にある借家で暮らしていた。私が医師になれたのは麗子様の父上の援助があったからなのだ。

 私は開業医として働きながら、麗子様一家の主治医として仕えてきた。

 奥様が発病してからは、私は、医院を息子に任せて麗子様の執事のような役割を果たすようになったのである。

 私は麗子様の事が好きだった。気紛れで華やかで、時々、とても我侭なところも含めて、すべてを丸ごと敬愛している。

 それは、さやか様が亡くなった翌日だった。万が一、麗子様が警察に逮捕された時、私が殺したと言うつもりだった。その時に備えて別荘に置かれている物を整理しておこうと思って千葉まで出かけたのだ。海辺の別荘に着いた時には夜の十時を過ぎていた。

 君を初めて見た時、私はビックリした。精巧な蝋人形が横たわっているのかと思った。 

 君は、管理人が閉め忘れた裏戸から別荘に入り眠ってしまったらしい。
 
 あの日、なぜここにいたのかと問うと青いドレスを着たまま泣きながら、君は男に裏切られたのだと告げた。すがるような目付きで私に抱き着いた。

『悔しいの。あの男を困らせてやりたいの! あたしと結婚してくれるって言ったのに、嘘だったの。他の人と結婚するって言うのよ!』

 小悪魔のような台詞とは裏腹に瞳は濡れている。痛々しさを感じた私は君の頭を撫でてあげた。すると、君は、ちょっと驚いたように目線を上げた。美しいと思った。サラサラとした長い髪と人形のような整った面差しを見た時、ふと閃いた。

 さやか様と同じ年だ。背格好も顔も似ている。君が、服部さやかになりすますことは難しいことではなかった。 
 
 さやか様は、内向的な方でお友達も少なかった。家族といえば心を病んだ麗子様だけである。

『君に、新しい名前と人生をあげよう』 

 君の事を警察が捜し出す前に渡米させる事にした。さやかのパスポートの写真と君の顔立ちはよく似ている。美人というのは顔の雰囲気が同じになるものなのだね。

 しかし、別人だとバレないか成田空港でヒヤヒヤした事を昨日の事のように覚えている。

 逆に、アメリカに入国する時は気楽だった。アメリカ人は東洋人の子供の顔の細かい違いに気付かないと分かっていたからね。留学生が集う寮まで送り届けると私は日本に戻った。さやか様が、渡米することが以前から決まっていた。

 君は、さやかとして生きることを自分の意志で選んでくれた。

 これからは、思う存分、ピアノを習える事に感謝していた。

 私が、君を送り届けて帰国すると、テレビでは蓉子ちゃんが行方不明になったニュースで持ちきりになっていた。麗子様は、ニュースで話題になっている蓉子ちゃんを自分が殺したと何度も呟いた。その度に優しい看護師や実習生を仰天させていた。 

 麗子様の中に、さやか様を殺したという罪悪感が残っていたようだ。

 それにしても、君の母親には気の毒なことをしたね。

 しかし、あの母親の元では満足な教育を受けることなど出来なかっただろう。

 当時、スマホやパソコンが普及していなかったから、大胆な入れ替わりが成功したと言えるだろうね。

 これで良かったのだ。そう思いたい。

 麗子様の忠実な家政婦の樋口さんは麗子様が亡くなった翌年に亡くなっている。彼女も秘密を抱えて暮らすことに少し疲れていたように見える。いや、私もそうだった。いつも神経をすり減らしてきた、

 いつ、どんな形でバレるかハラハラしていた。

 残り少ない時間を癌に抗うつもりは毛頭ない。このまま静かに逝きたい。

 さやか……、いや、蓉子ちゃんと言った方がいいのかもしれないな。君は、ピアニストとしても女優としても世間から評価されている。今となっては思い残すことなど何もない。一つだけ心にひっかかることがある。それは、相沢という男が、芸能事務所に脅迫めいた手紙を書いてよこしてきたことだ。

『さやかの正体を俺は知っている。バラされたくなければ俺の望むものを出せ。オレは、あのアパートにいる』

 封を開けてみると、そんな内容の手紙だった。むろん、そのような手紙を君に見せたりはしない。しかし、あいつは、その翌日も、ロケ中、すっと邪な目で君を見ていた。

 ロケから帰り、サインをくれと言ってきた相沢に対して、君はサインは出来ませんと優しく微笑んで通り過ぎている。あの時、相沢は舌打ちしてながらも小さく囁いた。

『あんた、演じるのが上手いな』

 そう告げた相沢が、五日前、何者かによって殺された。ニュースを聞いて以来、私の中で奇妙なざわめきが起きていたのだ。相沢を殺めた犯人は果たして誰なのか。

 君は、相沢が殺された日の夜、私と一緒にいた。

 酒を飲みながらチェスを楽しんでいた。あの朝、私は、いつの間にか私はソファで眠っていた。目が覚めた時、君は台所に立ってコーヒーを淹れてくれた。

 潮風と朝の光を背景にして佇む君は、何かを成し得た様な満ち足りた表情を浮かべていた。おはようと囁いて微笑んでいた。君は、昨夜とは違う洋服を身につけていた。

 君は、本当の祖父に接するように私を労わってくれる。君は、こんなふうに言っていたね。