運命の女

 あたし、あの人を見ているとムカムカする。お嬢様ぶった喋り方も気に食わないわ。生理的に苦手。あの人、絶対に腹黒だわ。色々と裏がありそうな感じがするわ。きっと、監督やプロデューサーに媚びているのよ。 

 これって、ひがみ根性なのかなぁ~ それにしても、この人、遠い昔、どこかで見たような気がするんだけど……。 うーん。誰だっけ? 思い出せないなぁ。

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【看護師。井筒健太の日記】 

 7月7日。昨日、偶然、服部さやかのロケ現場を通りがかった。ラッキーだった。イケメン若手俳優と浜辺を歩くシーンを撮影していた。ライトを浴びた横顔は透き通るように白くて女神のように気高くて目が眩みそうになった。

 そういえば、僕は、彼女の義理の母親の服部麗子さんの看護をしたことがある。あの人の病状は悪化していた。言っていることがメチャクチャだった。軽井沢の別荘でさやかを殺して壁に埋めたと言った。認知症の患者さんに逆らってはいけないと言われていたので、そうですかと頷いたけど、あの時はマジで怖かった。

『赤い靴の乙女』で男を殺し、『運命の女』では我が子を殺す。難しい役柄を演じてて主演女優賞を二度も獲得した大女優である。その口ぶりが、すごくリアルでうっかり信じそうになった。痴呆老人に振り回されるようでは半人前だと、当時は大いに反省した。でも、今の僕は三十二歳の男として着実にキャリアを重ねている。それにしても、服部さやは美人だ。きっと、彼女は、今年の新人賞を総なめにするだろう。

 今後、とてつもなく素晴らしい女優になると確信している。楽しみである。

 あんな人と一度でいいからデートしてみたいな。

 いや、しかし、僕もいい年なんだからミーハーなことを言っていたらいけないな。妻の阿佐美に怒られるからやめておくとしよう。

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 婿養子の筒井健太の妻の実家は老舗のパン屋である。愛する妻と妻と筒井の両親パンを焼いている。パン屋の朝は早い。自然と筒井も早起きになる。筒井は人気のすくない岩だらけの海岸を愛犬のルルちゃんと散歩するのが好きだった。しかし、砂の上で倒れている上品な老人を発見したのだ。老人が死んでいることを確認すると警察に通報した。

「もしもし、たいへんです。岩場にもたれるようにして人が死んでいます!」

 すぐさま、風間警部が現場に急行した。

「浜辺で、遺体がみつかったぞ!」

 鑑識官が駆けつけて遺留品などを丹念に調べ始めた。遺体は解剖されることになった。

 その老人は夏だというのにスーツを身につけていた。イタリアの高級ブランドの革靴を履いていた。鑑識の男がビニール袋にスマホや財布などを個別に入れる様子を見下ろしながら風間が言った。

「御遺体は竹井俊三さんで間違いなさそうだな」

 彼は、劇薬の小瓶を握り締めたまま絶命していた。警察は他殺と自殺の両方の線を探ったが、他殺の可能性は極めて低い。なぜなら、竹井は死ぬ前に直筆の遺書を息子や弁護士に郵送していたからだ。 竹井の友人の囲碁仲間もこう証言している。

「竹井先生は末期の癌でした。あと数ヶ月の命だって事は知っています。抗癌剤を打ちたくないし、ホスピスに入るのさえも嫌だとおっしゃってましたよ。いえいえ、他殺なんてありえません。温厚で誠実な人です。トラブルなど何もありませんよ」

 老人は、自分の死場所をあらかじめ考えていたと思われる。そんな竹井の葬儀に女優の服部さやかも友人として訪れている。

 竹井は、すっかりボケてしまった大女優の服部麗子の後見人として財産を管理していたのである。養女の服部さやかが二十歳になってからも竹井が服部麗子の面倒を見ていた。

 しかし、三年前に服部麗子が死んだ。そこからは、医師会から身を引いた竹井が、さやかのマネージーのような事をするようになる。

 服部さやかは、亡くなった義理の母親以上のオーラを発しており美しかった。彼女は心から竹井の死を悼んでいる。

 まるで実の父親を慕う子供のように目を真っ赤にして泣いている。その悲しみが、葬儀に訪れた人々の胸を締めつけた。


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【老医師。死ぬ前の竹井俊三の独白】

 こんなにも長く生きてきたというのに、いざ振り返ってみるとあっという間の人生だった。私は、来月で満八十ニ歳になろうとしている。充分に生きたと言えるだろう。

 だが、この二十年間、何度も自分の中に隠してきた秘密に押し潰されそうになった。

 二十年前の夏。すでに麗子様は錯乱状態に陥っておられた。軽井沢の別荘地にある自宅の地下室で血まみれになって泣き崩れていた。

 麗子様の代表作となったサスペンススリラーの多重人格の殺人鬼の役が麗子様の脳裏にこびりついていたのかもしれない。

 ある日、突然、麗子様が、突発的に養女のさやかさまを刺し殺してしまった。

 麗子様は御病気のせいで心を病んでおられた。無垢な麗子様に罪はないのだ。興奮していた麗子様に睡眠薬を飲ませて眠らせる事にした。そして、私が、亡くなったさやか様の遺体を別荘の敷地に埋めたのだ。

 麗子様を殺人者として警察に突き出すことなど出来なかった。夏休みを終えても学校に現れなければ、児童の見守りに熱心な女性教諭がここまで見に来る事は目に見えている。

 どうすればいいのだろう。