運命の女

「ついに迷宮入りか……」

 風間警部は、深い溜め息をつきながら考え込む。それは、まるで、澱んだ水の底に沈んだボタンの欠片を探すような行為である。白髪混じりの薄い眉根を寄せながら、調書を読み返していると、苦い気持ちと共に記憶の断片が脳裏に蘇ってきた。

『あの男を捕まえてちょうだい! 警察は何をやっているの。うちの娘はどこにいるのよ』

 酒によって枯れた独特の低いしゃがれた声だった。いかにも水商売と分かる派手な幾何学模様のワンピースを着ていた。ハイカラな美人だったが、さすがに、その表情は不安に苛まれて憔悴していた。

 小学六年生の女の子が忽然と消えてしまったのだ。

 葉月蓉子ちゃんが行方不明になってから二十年の歳月が流れている。仮に、生きているとしたら三十二歳だ。可憐な顔つきも体型も変わっているに違いない。

 まず、それは被害者の母親の語りから始まる。

    ☆


【蓉子の母親、葉月晴海の証言】

 前にも言ったわよね。あたし、午後の四時半頃にアパートを出たのよ。スナックで出すお惣菜を作る為に業務スーパーに立ち寄って買物してから出勤したの。いつも、蓉子は一人で留守番をしていたわよ。まさか、留守の間、あの子が一人で外に出ているなんて知らなかったわよ。
                  
 あたしに似て美人なのよ。小学生だっていうのに背も高くてスタイルもいいのよ。あたしが縫ったノースリーブのワンピースが似合っていたの。

 こう見えて、若い頃は本気でデザイナーになろうって思っていたの。お裁縫が得意なのよ。でもね、生憎、才能がなくてね。そうこうしているうちに売れない役者に惚れて蓉子が生まれたって訳よ。 

 旦那は戦闘ヒーローの最終選考のオーディションに残るほどの男前だったわ。だけど、蓉子が三歳の時に新聞配達の途中でトラックに轢かれて死んじゃったの。舞台のオーディションに合格した事を後で知ったわ。夢半ばで死ぬなんて可哀想よね。

 旦那が死んだ直後は目ん玉が飛び出すぐらいに号泣したわよ。何で、あたしばっかり辛い目に遭うのかしら。蓉子のことだって心配で心配で胸が張り裂けそうよ。 

 幼稚園の頃、公園で変態の若い男に連れ去られそうになったことがあるの。ロリコンには反吐が出るわ。

 アパートの隣の部屋の男が怪しいと思うわ。あいつ、蓉子の下着を盗んだことが何回もあるのよ。電気の配線工事をしている独身の変態男よ。あいつが、うちの蓉子を連れ去ったのよ。

 相沢にはアリバイがあるですって! 

 何なのよ。それじゃ、誰が蓉子を連れ去ったのよ! 

 警察は何をやってんのよ。あれから一週間も経っているのよ。
   
        ☆

 当時、母親の葉月治美は三十三歳。治美は、付き合っていた男と喧嘩をしてムシャクシャしていたという。

帰宅した治美はアパートに戻ると娘がいない事に気付いて通報している。

 治美は、駅前で娘の顔写真入りのビラを撒いていたが、有力な手がかりを得る事は出来なかった。事件以後、治美は魂が抜けたようになり。酒の量が増えた。スナックで飲んで暴れるようになり愛人の小野田とも別れている。


   ☆

【同じアパートの主婦。千島清子の話】 

ええ、もちろん、あの事件のあった日のことなら覚えていますとも。

 蓉子ちゃんは、夕方の五頃、小さなボストンバッグを持って家から出ていったんですよ。夏だったから、外は明るかったけれど、どこに行くのか気になって聞いたんです。そしたら、蓉子ちゃんは言いました。友達と会う約束をしているって。何だかとっても嬉しそうな顔をしていましたっけ。 

いつもはツンとして愛想の悪い暗い雰囲気の子なんだけど、その日は照れ臭そうに笑ってました。だから、その日の事を、やけに鮮明に覚えているんです。 

 蓉子ちゃんは、夕刻になると、あちこち散歩していました。刑事さん、蓉子ちゃんは、どこかに出かけようとして途中で事件巻き込まれたんだと思います。

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 土曜の夕刻、どこかに出かける蓉子ちゃんの姿を見たと証言した千島清子は三十二歳のふっくらとした体型の主婦だった。七歳と三歳の娘を連れて公園にでかける事が日課となっている。公園で、蓉子ちゃんが風変わりな老人と親しそうに喋っている様子を何度か見たことがあると告げた。

 平凡な生活を、おだやかにゆっくりと暮らしているやさしい雰囲気の千島清子は真剣に心を痛めていた。

 これは蓉子ちゃんがいなくなってから一ヵ月後の千島清の証言である。

『お母様がお気の毒ですよ。色々と陰口を言う人もいましたよ。でも、あの人、うちの子が転んで泣いていたら、すぐに駆けつけて抱き起こしてくれるような優しい人です。あたしは、うちの真上にいる相沢さんという人が怪しいと思うんですよ。アリバイがあるみたいですけどね、相沢さん、こないだ、うちの娘を妙な目で見ていたんです。すごく邪悪な感じの人なんです。あいつの友達も怪しいわ。警部さん、あいつの友人を調べてくださいせんか』

 千島清子は怯えたように切々と語った。