今ごろは魔王を倒しているはずだった

 べつに、勇者になりたかったわけじゃない。

「じゃあな、龍平」
「うん、バイバイ」
 七月十七日の十八時はまだ明るい。
 入学した高校で仲良くなった友達と別れ、俺は自転車のペダルをぐっと踏み込んだ。
 市内に数件しかないカラオケ店の光があっというまに遠くなり、光源が県道を走る車のライトだけになっていく。
 ――東京は、まだぜんぜん明るいんやろな。
 中学校の修学旅行で訪れたきりの首都の夜を、俺は想像した。
 それは、まぁ、都会に生まれたかったと思うことはある。遊ぶところもいっぱいあるんだろうし、バイト先も選び放題なんだろうしって。
 とは言えだ。今の生活に大きな不満があるわけじゃない。じゃあ、なんでそんな想像をしたかというと、答えは簡単で。生まれたころからずっと一緒だった幼なじみが、今生活している場所だからだ。
 ――元気にしとるんかな、爽生(さわき)
 四ヶ月ほど前、中学校の卒業式が終わってすぐに引っ越した爽生の笑顔を思い出す。
 引っ込み思案なところもあったけど、ふたりのときはよく馬鹿笑いをしていた。なんでもわかり合える、大事な親友。
 喧嘩をしても、翌朝には仲直りをして一緒に遊ぶのが鉄板で。
「……あ」
 芋づる式に浮かんだ懐かしい記憶の最後で、俺はぽつりとした声を出した。
 最近、ぜんぜん連絡をしていなかったことに気づいたからだ。
 爽生が引っ越してすぐの春休みは、ほとんど毎日通話をしていた。でも、高校が始まって、どんどん回数が減って、それで。
 ――最後に通話したんいつやったっけ。……あ、でも、そうや。ちょっと前にかかってきとったんよな。
 タイミングが悪くて、折り返せなかったけれど。
 家に帰ったら、連絡を入れてみよう。そう決めて、こぐスピードを上げる。家の近くの(と言っても、チャリで七分はかかるんだけど)コンビニを勢いよく通り過ぎようとしたところで、俺は思わず急ブレーキをかけた。
「爽生⁉」
 俺の大声に、車止めのそばに立っていた爽生の視線が動く。中学生だったころ、よく学校終わりにたむろしていたコンビニの軒先。
 自転車を足で押して近づいて、さらに声をかける。
「めっちゃひさしぶりやん。え、っていうか、帰ってきたんや。いつ?」
 おじさんの仕事の都合で爽生たちが引っ越しただけで、爽生のおぼあちゃんの家は同じ町内にある。
 そこに帰ってきたのだろうと判断して、俺は前のめりに話を続けた。
「帰ってくるんやったら、もっと早う言うてや。そうしたら、俺ももっと早う帰ってきたのに」
「――うん」
 俺のテンションと正反対にどこかぼんやりとしていた爽生が、そこでようやくほほえんだ。
 見慣れた柔らかい表情に、じわりと懐かしさがうずく。同時に覚えた気恥ずかしさを誤魔化すように笑った直後、俺は「あれ」と首を傾げた。
「っていうか、なんで制服なん?」
 グレーのスラックスに青地のネクタイという、このあたりでは見ないちょっとおしゃれな制服。
 問いかけに、爽生が軽く肩をすくめる。
「えー? 龍にも見せたろかな思て。かっこええやろ」
「なんよ、それ。たしかに、どんな制服か知らんかったけど。あ、でも、ばあちゃんは喜んだやろ。そうや、ばあちゃん元気? 泊まんねんな」
「うん」
 曖昧な相槌を打った爽生の頬を蒸し暑い夜風がなぶっていく。
 たった四ヶ月会わなかっただけなのに、東京という都会で生活していると思うせいなのか、なんだか随分と大人びて見える気がした。
 ……まぁ、ここにおったころも、爽生は大人っぽいってよう言われとったけど。
 そうして、そのあとに、「あんたは落ち着きがない」「ちょっとは爽ちゃんを見習い」という小言が必ずついてきていたのだが。母さんは昔から優等生の爽生贔屓なのだ。
「なに?」
 視線が気になったのか、爽生が苦笑を向ける。じっと凝視していたことに気がついて、俺は慌てて否定した。
「なんも」
「それやったらええけど。なんや、龍、じっと見とるで。変なとこあったんか思たわ」
「変なとこって。まぁ、見慣れん制服ではあるけどな。というか、さっきも聞いたけど、爽生、今日帰ってきたん? 終業式早かってんな。うち、今日やってん」
「そうなんや」
「そう、そう。それでカラオケで打ち上げやってな」
 それでこんな時間になってん、と笑えば、爽生も、へぇ、と笑う。
「ええね、楽しそうで」
「うん。まぁ。けっこう当たりやったわ、クラス」
 一学期が終わったばかりだけど、今のところクラスラインも平和だし、今日の打ち上げもほとんど全員が参加していた。
 夏休みの終盤から文化祭の準備が始まることも決まっていて、楽しみだな、と思う。にこにこと説明した俺に、爽生はさっきと同じ相槌を打った。
「そうか。ええね」
「爽生は――」
「なに? どしたん」
「ああ、いや」
 呼びかけの途中で黙り込んだ俺に、爽生が不思議そうに問いかける。コンビニを出て車に向かっていった女の人の背中を見つめたまま、俺は答えた。
「なんや、あの人、めっちゃ不審そうにこっち見とった気がして」
「ちょっと、龍。喧嘩売らんとってや、ぜんぜん知らんおばちゃんに」
「売らんわ。なんやろな思うただけやし。っていうか、見られたら気になるやろ」
 それは、まぁ、小さかったころは喧嘩早かったかもしれないけれど。
 慌てて弁明した俺に、爽生が「それやったらええけど」とおかしそうに目を細める。そうしてからゆるく首を傾げた。
「たぶんやけど、俺の制服が珍しかったんと違う?」
「ああ」
 納得して、大きく頷く。
「せやな。このへん、高校ふたつしかないもんな」
 市内にある公立高校は北高と南高。おまけに、このあたりに住んでいる人間の大半は南高に通っている。ついでに言うと、どちらも男子の制服は白いシャツと黒のスラックスだ。
「ええなぁ、そっちは。制服もおしゃれやし、打ち上げもカラオケ以外にも遊ぶとこいくらでもあるんやろ。向こう楽しい?」
「龍こそ」
 目元を笑ませた爽生が、からかうように言う。
「楽しんでるんと違うん? おまえ、俺が引っ越す前、あんだけラインする、絶対返せ言うたくせに、ぜんぜん送らんようなったやん」
「あー……! ごめん! 忙しいて。でも、おまえもやろ?」
 言葉尻ににじんだ責める調子に、俺はぱんと両手を合わせた。最後の一言が言い訳じみた自覚はある。その俺を見て、爽生がまた笑う。
「忙しいて。新しいクラスに馴染むんに?」
「……まぁ、そう。ごめんて」
「寂しいなぁ。龍にとっての俺って、そんなもんやったんや」
「ちょお、爽生~」
 勘弁してくれという声を出した俺に、爽生はしかたないというふうに表情をゆるめた。
 昔から調子の良いところがあって、たびたびやらかすことがあった俺を、いつも許してくれたそれ。
 さっそく甘えてもうたなぁと反省した直後に、俺は「あ」と思い出した。たまたま帰り道に頭に浮かんだことを、そのまま問いかける。
「そうや、先週ごめんな。電話くれてたやんな。あとで返そう思てたんやけど、なんやバタバタしとって。なんやった?」
「ええよ、もう」
 さっきと同じしかたないという顔で、爽生が苦笑する。
「もうってなんやの。なんか話したいことあったんと違うん?」
「まぁ、せやけど。でももう会えたで」
「なに? 会いたかったってこと?」
「まぁ、せやな」
 からかい返したつもりだったのに、爽生はあっさりと首肯した。拍子抜けした気分で、でも、同時にすごくうれしい気分で、「俺も」と同意する。
 高校のクラスが当たりでも、新しい友達関係が楽しくても、爽生は爽生だ。会いたかったに決まっているし、なんなら夏休みもずっといてくれたらいいのにと思っている。まぁ、それは無理だろうけれど。
「なぁ、いつまでおるん?」
「そうやなぁ」
「なんや、決めてへんの?」
 のんびりした返答に、俺は首をひねった。
「ずっとおってくれたら、そら、うれしいけど。でも、バイトとかあるんと違うん? あと向こうの友達の予定とか」
「せや、なぁ」
 曖昧なままの態度に、なんや、ようわからんけど、言う気ないねんな、と悟る。
 物心がつく前から家族ぐるみの付き合いで、保育園から中学校までずっと同じクラスだった相手だ。
 理由まではわからなくても、そのくらいのことはわかると自負している。その自分たちの関係性が、たった四ヶ月離れたくらいで変わるわけがないということも。
 ……なんかあったんかな、もしかして。
 爽生だったら楽しくやっていると思い込んでいたけれど。離れてからはじめて湧いた心配に、ちらりと爽生を窺う。
 外に少し出ただけで汗がだらだらと流れる日中のような暑さではないものの、それでも空気は蒸し暑い。
 それやのになぁ、と俺は少し不思議な気持ちになった。爽生が妙に涼しそうだったからだ。
 ……まぁ、でも、昔からそうやったっけ。
 どこかいつも涼しげで、誰だったかが、爽生の周囲だけ流れる空気が違うと言っていた。
「だから、なんなん。さっきから」
「え」
 ばちりと目が合った爽生に笑われ、動転した反応になる。凝視していたことを再度指摘された気まずさを、俺は笑って取り繕った。
「いや、あいかわらず涼しそうやなと思って。ぜんぜん汗も掻いてへんやん」
「ちょお、触らんとってや。龍の手熱いねん」
 過去にも言われた覚えのある台詞で伸ばした手を交わされ、「なんやねん、それ」と苦笑する。
 まぁ、体温が高い自覚はあるけれど。
 車が一台止まり、若い男の人がコンビニに吸い込まれていく。ちらりとした視線に、そんなに珍しいんかな、と爽生を見る。
 ――まぁ、珍しいか。
 本当に、なんで制服で帰ってきたのか謎すぎる。そんなことを考えていると、ぽつりとした調子で爽生が呟いた。
「魔王倒しとったはずやったのになぁ」
「ん? 魔王?」
「そういう小説。なんや、ネットの」
 聞き返した俺に、爽生がとってつけたふうにほほえむ。ひとりごとのつもりだったのかもしれない。
「ちょっと前に流行ってたやろ。事故で死んで異世界に転生するみたいなやつ。龍、好きやったやん」
「え……ああ、まぁ、好きやったけど」
「よう言うてたやん。『俺、勇者やで。いじめとか許せへんねん』って」
「いや、黒歴史すぎんねんけど、それ。いつの話よ」
「小五がピークやったな」
「爽生~」
 誰がそこで「思い出は基本共有」の幼なじみ感を出せ言うてん。
 恨みがましい俺の視線なんておかまいなしで、爽生はくすくすと笑っている。やけに楽しそうな様子だった。その態度のまま、「なぁ」と言う。
「助けてくれたやん、俺のことも。覚えとる?」
「…………あったなぁ」
 それも、たぶん、小学校五年生だったころの話だ。
 いじめというほどのことでも、きっとなかったのだろうけれど、急に女子にモテ始めた爽生を一部の男子がからかう空気があったころ。そういうのをやめろと言ったことがあった。でも、それは、べつに――。
「なぁ、爽生」
「龍」
「ん?」
「スマホ。鳴っとるよ」
「え……、あ、ほんまや」
 爽生の指摘に、慌ててスマホを取り出す。画面に表示されていた名前に、俺は「うわ」と肩を落とした。
「母さんやった。なんやろ。しかもめっちゃラインも来とる」
「早、帰ったり。どうせ、龍、なんも連絡入れてへんかったんやろ」
「ああ……。そういや、俺、七時には帰る言うたきりやわ」
 さっき見たスマホは十九時十七分の表示があった。そこまで怒られるような時間やないと思うんやけどな。不思議に思ったものの、スマホをポケットに突っ込み直す。
「ごめん、帰るわ。爽生は? ばあちゃん家やろ。途中までうしろ乗ってく?」
「ええよ」
 提案に、爽生はあっさりと首を横に振った。
「のんびり歩いて帰るで。はよ帰り」
「うん。――あ、爽生!」
 自転車のペダルを踏み出してから、ぱっと振り返る。
「しばらくおるんやろ? また明日な!」
 小さいころのようなそれに、爽生が苦笑したのがわかった。大きく手を振り、ぐんとペダルをこぎ出す。
 蒸し暑い風も走り出すとほんの少し心地がいい。自転車の速度を上げ、俺は自宅を目指した。

「ただいまー」
「龍平!」
 がらりと玄関を開けた瞬間に飛んできた声に、「え」と目を丸くする。
「なに、ごめん。俺、なんかした?」
 この声は、連絡の入れ忘れとか、そういうレベルやないな。ビビりながらもとりあえずで謝った俺に、母さんは眉をつり上げた。
「あんた、お母さんが送ったライン読んどらんやろ!」
「え、……いや、読んどらんけど。なに、どうしたん?」
 もう一度阿ると、今度はふぅと息を吐く。感情を抑えるようなしぐさに、俺は胸がドキリとしたことを自覚した。言葉にできない、嫌な予感。
 ……あれ、なんやろ、これ。
 自分でもよくわからない感覚に戸惑っているうちに、母さんが静かに切り出す。玄関のドアを開けたときの剣幕とはぜんぜん違うそれで。
「あんた、爽ちゃんのこと知っとる?」
「え?」
 爽ちゃん。それは、母さんが使う爽生の相性だった。
 たった今会ったばかりの相手の名前に「今、会ってきたで」と答えようとした声と、母さんの声が重なる。
「高いところから落ちたって、杏奈さん……、爽ちゃんのお母さんから連絡があって。今もまだ意識戻ってないんやて」
「高いところからって……」
 問い返す声が自分でも震えたことに気づいて、俺はぎゅっとリュックの紐を握りしめた。さっきコンビニで会ったと言えばいいはずなのに、なにかの間違いだと笑えばいいはずなのに。なぜかまったく声にならなかった。
「事故かなにかはわからんけど、あんた仲良かったやろ。なんか聞いとらんって爽ちゃんのお母さんが」
「……最近は、その、あんまり。俺も忙しかったで」
 口からこぼれた台詞があまりにも言い訳じみていて、視線が足元に落ちる。スニーカーの爪先を見つめたまま、なんで、と俺は頭の中で考えた。
 高いところから落ちたって、事故かなにかはわからないって、なにか聞いてないかって。
 ――そんなん、ぜんぶ、あいつが自分で飛び降りたって言うてるみたいやんか。
 想像に耐えきれなくなって、ぽつりと呟く。
「でも、今日、見たで。俺、あいつ」
「なに言うてんの!」
 一気に跳ね上がった声に、俺は「でも!」と顔を上げた。
「いや、でも、ほんまに。あのコンビニで。ばあちゃん家に泊まるて」
「なに言うてんの」
 先ほどと同じ台詞を、でも、ずっと呆れた――憐れむ色を伴って、母さんが繰り返す。言い聞かせるように。
「あんた、爽ちゃんのおばあちゃん、五月に施設に入らはったやろ。忘れたん? もうあそこ空き家やんか」
「え……」
 今度こそ、俺は絶句した。
 制服姿で、夜にひとりでぽつんと立っていた爽生。蒸し暑いのに汗もかかず、みんな不思議そうに爽生と喋っている俺を見て――。
 そこまで回想したところで、俺ははっとした。
 あれは、もしかして、誰もいないのにひとりで喋ている俺を見て、不審に感じたのではないのか?
 たどり着いてしまった結論に、俺は入ってきたばかりの玄関を飛び出した。
「ちょっとどこ行くん、龍平!」
 慌てた制止を無視して、そのまま走り出す。自転車に乗るという選択も思いつかなかった。
 心臓が、馬鹿みたいにどくどくと鳴り響いている。
 そうだ。聞いた。爽生のおばあちゃんが施設に入ったという話を。ふぅん、そうなんや、で、それだけで、すっかり忘れていただけで。
 ……なんで忘れてたんやろ、俺。
 高校が楽しかったから? 忙しかったから? 爽生と毎日会わなくなったから?
 身体が覚えている爽生のばあちゃんの家に必死で足を進める。小学校が終わったあとに、ふたりでよく遊びに行ったところだ。
 爽生のばあちゃんは優しくて、俺のことも爽生と同じようにかわいがってくれて、それで。――それなのに。俺はぐっと唇を噛み締めた。
 ――高いところから落ちて、今も意識戻ってないんやって。
 なんで。なんで、なんで、なんで。
 頭の中が疑問でいっぱいになっていく。
 高いところから落ちた。今も意識は戻っていない。じゃあ、自分がさっきまで会っていた爽生はなんなんだ。
 ――よう言うてたやん。『俺、勇者やで。いじめとか許せへんねん』って。
 ――助けてくれたやん、俺のことも。覚えとる?
 覚えているに決まっている。蒸し暑い夜を駆けながら、不自然なほど涼しそうだった爽生を思い返す。
 ――なぁ、爽生。もしかして、困っとることある?
 そう呼びかけようとした声を、爽生は遮った。いまさらと思ったのかもしれない。
 ……でも、俺、べつに、勇者になりたかったわけやないねん、あのころも。
 言い訳でしかないことを、俺は心中で呟いた。
 爽生のことが大事で、爽生はなにも悪くないのにからかって嫌な空気に持っていこうとする同級生が許せなくて。
 でも、はっきり理由を伝えることは恥ずかしくて、「勇者やから」と笑った。爽生に言われるまで忘れていた、昔の記憶。
 ――ばあちゃん元気? 泊まんねんな。
 爽生のばあちゃんが施設に入ったこともぜんぶ忘れて、無邪気に問いかけた俺に、爽生は「うん」としか言わなかった。
 ――龍こそ、楽しんどるんと違うん。あんだけラインする言うとったのに、ぜんぜん連絡くれんようなったやん。
 そうだ。連絡しなかった。忙しいし、爽生もそうだろう。それに、連絡をマメにしなくたって、自分たちの関係が変わるわけがない。
 そんな響きばかりが良い言い訳を並べて、だんだん連絡をしなくなって、着信に気づいても、「まぁ、次でええか」で後回しにした。
 ――ええよ、もう。
 なぁ、爽生。
 大好きで一番大切だったはずの幼なじみの名前を口の中で紡ぐ。そうでもしないと、罪悪感と焦燥でどうにかなってしまいそうだった。
 なぁ、爽生。その電話くれたとき、俺になに言おうと思ってたん?
 ええよ、もうって笑ったんは、会えたからやなくて、もう遅かったからなん?
「爽生!」
 ガシャンと爽生のばあちゃんの家の門扉を揺らす。高く感じていた門扉は、今は俺の胸の高さまでしかなかった。
 ……最後に来たん、いつやったっけ。
 家から徒歩十分も離れていない場所なのに。自分の薄情さが苦しくて、俺ははぁと熱い息を吐いた。そうして、ゆっくりと顔を上げる。
 母さんが空き家と言ったとおりで、ひとつの明かりもついていない。最後の希望を打ち砕かれた気分で呆然としていると、ふいに爽生の声が響いた。
「せやで言うたやろ」
「爽生……」
 門扉を挟んで向こう、玄関の軒下に爽生が立っている。外灯もついていないのに、不思議なほどはっきりと姿を捉えることができた。その事実に、ああ、と息を呑む。
 コンビニで会ったときと同じ、見慣れない制服姿。
 ほら、やっぱりおったやんか。そうほっとしたいのに、できなかった。これは、爽生だけど、爽生じゃない。
 手のひらの下で掴んだままだった門扉が小さな音を立てる。聞きたいことはいくらでもあったはずなのに、なにも言葉にならなかった。
 その俺を見て、爽生がふっとほほえむ。
 しゃあないなぁ、と。俺を許容してくれていたそれ。
「ほんまやったら今ごろ魔王倒しとるはずやったって」
「…………爽生」
 どうにか名前を絞り出す。その必死さと正反対の柔らかな苦笑を浮かべ、爽生は軽く肩をすくめてみせた。ゆらりと輪郭が夜に溶ける。
「死に損なってもうたわ」
 突発的な事故かなにかで死んで、異世界に転生するファンタジー。小さいころ夢中になって、爽生にこの話がおもしろい、あれがおもしろい、と俺が勧めた。
 日常が忙しくなるにつれ、いつしか読まなくなっていたけれど。
 高いところから落ちたという爽生は、落ちる瞬間、その世界を望んでいたのだろうか。
 わからない。わかりたくない。
 相反したぐちゃぐちゃの心で、俺はただただ爽生を見つめることしかできなかった。
 なんでも知っているつもりだった、幼なじみの透き通った笑顔を。