最悪の出会いが恋に変わるとき


「おはよう、律!」
「お、おはよう……」
 翌日傑が登校してきた瞬間、昇降口がざわめいた。
 登校時間の昇降口は普段も賑やかだけれど、またそれとは違った風にどよめきが起こったのだ。その生徒たちの反応が俺の胸に突き刺さる。
 昨日、せめてネックレスと指輪、それにブレスレットは外してくるように伝えておいたから、それは守ってくれているようだけれど……。
 やっぱりこの校則の厳しい学校内では、茶髪にピアスはよく目立つ。
 名前を呼ばれた僕は、穴があったら入りたいほど恥ずかしくなってしまった。
『違うんだ! 友達とかじゃなくて、先生から世話係を頼まれてて!』
 と、大声で叫びたい衝動に駆られる。
 けれど、そんなことはお構いなしに、傑は嬉しそうに僕の方に近寄ってきた。
「おはようじゃなくて、もっときちんと制服を着なきゃ駄目だよ」
 僕がだらしなく開けられたシャツのボタンをかけてやり、ネクタイを絞め直してやると「こんなん窮屈だよぉ」と子どもみたいに駄々をこねている。
 それでも、少し身なりを整えただけで、大分ましになった気がする。


 そんなやり取りを見ている他の生徒たちの反応は、茶髪にピアスの転校生の突然の登場に驚く声。その中に混じって「見て見て、超イケメン」と言う女子生徒の声も聞こえてくる。
 どちらかというと、女子生徒の「イケメン」とときめく声の方が多いかもしれない。
(イケメンって本当に得だよな)
 そう頭の片隅で思う。
 相変わらず上履きの踵を踏んでいる傑に「上履きは踵を踏まないよ!」とつい厳しく指導してしまったのだった。


「今日からお世話になります、冴木傑です。よろしくお願いしまぁす」
 朝のホームルームの時に、傑がクラスメイトの前に立って挨拶をすると、今度は教室内がざわめいた。
『え? こいつこんなんで一組なの?』
 という、みんなの心の声が聞こえてくるようだ。
 しかし女子生徒の瞳は変わらずキラキラと輝いている。
 僕たちのように校則をきちんと守っている生徒を見慣れている女子生徒から見れば、不良っぽい傑が魅力的に見えるのかもしれない。そんな気持ちもわからなくもないけれど……。
「じゃあみんな、今日から冴木をよろしく頼むな」
 と担任がにこにこしながら冴木を紹介している。
(なんで先生は傑を注意しないのだろうか?)
 僕はそれが不思議でならない。でもその理由が僕にはすぐにわかってしまった。
 つい先ほどきちんと止めてやったボタンはすでに外され、ネクタイも緩められている。上履きだって踵を踏んで歩いているし……。
 きっと傑には何を言っても無駄なのだ。
 まさに寝耳に水。暖簾に腕押し──。


 傑は校則を守ることはできないけれど、自分というものを持っていて、その信念を曲げることはない。
 例え注意したところで「ごめんね」とにっこりはにかまれれば、なんとなく許せてしまう。
 そんな不思議な存在──。
 こんなにも必死に校則を守っている自分が正しいのか、傑のように天真爛漫に自分らしく生きていった方がいいのか……。真剣に考えてしまう自分がいる。
 傑は挨拶が終わると約束通り、一番後ろの窓際の席にやってくる。それからにっこり微笑んだ。
「律、改めてよろしくね」
「あ、うん。よろしく」
 僕は愛想笑いを浮かべた。


 こんな奴の世話係なんて本当に最悪だ──。
 でも、なぜだろう?
 心の底から嫌なわけじゃない。

◇◆◇◆

 一時間目の現代文が始まる前、
「律、俺まだ教科書がないんだ。一緒に見せて」
「え?」
 僕が「いいよ」と承諾する前に、傑は僕の席に自分の席をくっつけてしまう。
 その瞬間、クラスメイトの視線が一斉に僕と傑に向けられる。
『あの二人、いやに仲がいいけど知り合いなの?』
 そう言いたそうな顔をしている。
 僕からしたら、こんな不良と知人だと思われることは、不名誉なこと以外のなんでもない。同じ穴の貉なんて思われたくない。
『僕は彼のお世話係を、先生から頼まれています』という看板を持ち歩きたいくらいだ。
 でもそんなことはお構いなしに、傑はとても楽しそうだ。僕の机に自分の机をつけて満足そうにしている。


 その時ふわりと甘い香りが僕の鼻腔をくすぐる。傑がつけている香水だろうか? 優しくて甘い香りに、俺は意味もなくドキドキしてしまう。
 茶色に染められた髪が朝日に照らされ、キラキラと光りとても綺麗だ。
 ボタンをかけていないせいで、チラチラと見える鎖骨が妙に艶めかしい。
 傑は僕が持っていないものを持っている。こんな風に男性を艶っぽいと思う日がくるなんて……。
(ハッ! 僕は今一体何を考えていたんだ)
 我に返った僕は冷静になるために深呼吸を繰り返す。頭を横に振って邪魔な思考を追い出そうとしていると、傑が楽しそうに笑っている。
「なんだよ?」
 あまりにも楽しそうだから一応文句を言ってみる。こんな風になっているのも誰のせいか考えてほしい。
「いや、律って可愛いなと思って」
「は?」
「見てて飽きないよ」
「可愛い? 僕が?」
「うん。凄く可愛い」
(こいつは何を言ってるんだ……)
 傑に言われたことが理解できなくて、頭の中でビービーッとエラー音が鳴っている。
 

 同性のことを艶っぽいと思ってしまった僕も、同性のことを可愛いと言っている傑も間違っている。
 でも同じ穴の狢なんかじゃない。
「教科書見にくいよ」と文句を言いながら僕の教科書を覗き込んでくる傑。その時、ふわりとシャンプーの香りがした。
 そんなことに、いちいち反応してしまう自分が恨めしい。


 僕は、(こいつ)が大嫌いなんだ、と自分に言い聞かせて、授業に集中する。
 一時間目の現代文、二時間目の生物の授業は少しウトウトする程度で、傑は頑張って授業を受けていた。しかし、三時間目の数学あたりから集中力が切れたのだろう。
 ノートに落書きを始めてしまう。どうやら猫の絵を描いたようだが、その絵があまりにも下手くそで可笑しくなってしまう。
 それにも飽きたのだろう。今度は外の様子をボーッと眺めている。
 普段授業に集中している僕は、外の景色を眺めることなんてなかった。だから、この窓から見える景色ってこんな感じなんだ……、と新鮮な思いが湧き上がってくる。
 目の前の道を行きかう人々に、空を自由に飛ぶ鳥。


 傑はぼんやりと窓の外を見つめている。
 授業中のざわめきなんてどこ吹く風。ただひたすらに遠くの空を眺める横顔は彫刻のように綺麗だった。
 初夏の風が吹き抜け、彼の柔らかそうな茶髪がサラサラと揺れる。その光景があまりにも絵になりすぎて、僕は少しの間彼に見惚れてしまう。
(あぁ、なんて綺麗なんだろう)
 一瞬世界が彼と僕だけのものになったような気がした。
 教壇に立ち、何かを話している数学教師の声が、どんどん遠くに聞こえていく。
 だけど、ハッと我に返った瞬間、全身に電流が走ったような嫌悪感が襲った。


 何やってるんだ、僕──。


 授業中にこんなくだらないことを考えているなんて。
 授業に集中すべきだ。もっと建設的なことに意識を向けるべきだろう。
 今は授業中。授業に集中して今回も学年トップを死守しなければならないのだ。
 そう自分に言い聞かせる。
 でも、隣にいる傑が気になって仕方がない。
(あぁ、もう本当に最悪だ)
 胸の奥から込み上げてくる、ドロドロとした自己嫌悪が、僕の心を容赦なく蝕んでいく。
 いつの間にか二人で外の景色を眺めていることに気が付き、「傑、授業に集中しなよ」と注意するタイミングが遅れてしまった。

◇◆◇◆

 昼食は「購買でパンを買いたい」と傑が騒いだので、買い物に付き合ってあげた。
 僕はあのパンのバーゲンセールのような購買の雰囲気が苦手で、いつも弁当を持参している。
 身長も高いし、茶髪ということもあり、購買に行っても傑は良く目立つ。おまけになかなか手に入れることができないという、人気の焼きそばパンをゲットしていたことに、僕は驚いてしまった。
「よく焼きそばパン買えたね? それ人気でなかなかゲットできないんだよ?」
「あ、そうなの? よくわかんないけど三年四組の女の子からもらった」
「そうなんだ。よかったね」
 やっぱりイケメンって得なんだな、と卑屈になってしまいそうだ。
「美味い!」
 傑は焼きそばパンに嬉しそうにかぶりついている。見ていて気持ちがいいくらいだ。
 午前中の授業は途中で飽きていたけれど、なんとか頑張ってノートを取っている姿も見受けられた。
(授業中に隣で寝られたら、気分が悪いだろうなぁ)
 と、今後起こりうることを想像して、憂鬱になってしまう。
 傑は五個買った大きなパンを、ペロッと平らげてしまった。その食欲に驚かされてしまう。
 本当に大きな犬みたいだ。
 

 傑は悪い奴ではない。これは確かだ。
 見た目は不良みたいだけれど、一緒にいて怖い思いをしたことはないし、むしろ明るくていい子だな、という印象だ。
 眠ければ寝るし。お腹が空けばたくさん食べる。
「嫌なものは嫌」という主義だけれど、ルールが守れないだけで、別に他人に迷惑をかけているわけではない。
(傑って案外いい奴なのかも……)
 そう思う自分もいる。
 だからこれからは、あまり細かいことを気にせず、大らかな気持ちで接してみよう……。僕は傑を見た目だけで判断してしまった自分に、心の中で反省をする。
 その時、傑が発した言葉に俺は耳を疑ってしまった。
 え? 今なんて言った?


「お腹もいっぱいになったから、午後の授業はお昼寝タイムだね」
 前言撤回!
 やっぱり傑には少し厳しく指導してやらなくてはならない──。
 僕は心の中でそう誓う。
「授業中はお昼寝タイムじゃなくて、勉強する時間だからね!」
 僕が真剣に怒った顔をすると、傑がクスクス笑った後「はぁい」とやる気のない返事をする。
(もう本当に最悪だ)
 またこの言葉を心の中で叫んでしまう。
 

 傑が言った通り、五、六時間目はずっと寝ていた。本当に有言実行したことに、僕は正直びっくりしてしまう。
 更に、時々気持ちよさそうな寝息が聞こえてくることが、僕をイライラさせた。
 転校初日に授業中居眠りなんて、一体どんな神経をしているのだろうか? 僕には理解ができなかった。普通は転校初日なんて、緊張して一日が過ぎていくのではないだろうか?
 でも、傑は違う。だって、傑は傑だから──。
 午後の優しい日差しに包まれ、時折吹く風に茶色の髪がサラサラと揺れる。
 あまりに気持ちよさそうに寝ているものだから、起こすのさえ可哀そうになってしまうくらいだ。
「おい、起きろよ」
「うーん、起きてるよぉ」
 時々体を揺らして起こしてみるが、すぐにまだ眠ってしまう。その繰り返し。
(もう放っておこう) 
 僕が諦めようとした時、傑の瞳がそっと開かれ、口元がふっと緩む。その表情がとても綺麗で、僕は傑に見惚れてしまう。
「なんだか、こういうやり取り楽しいね」
「そ、そうか?」
「うん。律、ありがとう」

 ただもう一度、「なぁ、起きろってば」と体を揺らしたのだった。