「母ちゃん、ちょっと美容院行ってくる」
「え? こんな時間に?」
「うん」
俺は制服から私服に着替え、靴を履きながら母親に話しかける。今日母親は仕事が休みだったようで、夕食の支度に忙しそうだ。
「なんで今頃美容院に行くの?」
「うーん、ちょっと色々あって……」
「もしかして、そんな髪色してるから先生に怒られたの? 白陵高校って、校則が厳しいらしいじゃない?」
「別に、そんなんじゃないけど……」
「じゃあ何があったの?」
俺が美容院に行くことがどうしても気になるらしく、唐揚げを揚げていた手を止めて俺の方へ近づいてきた。
ふわりと香る香ばしい匂いに、腹の虫がグーッと鳴いた。
「俺が茶髪なのが許せない奴がいるんだよ。俺、そいつに嫌われたくないから黒く染めて、髪を切ってくるだけ」
「へぇ、傑が他人の言うことに左右されるなんて珍しいね?」
「そうかな……」
「そうだよ。もしかして、その子に恋してるとか?」
「はぁ?」
母親の意外な言葉に、俺は思わず言葉を失ってしまう。まさか、母親がそんなことを言うなんて、想像もしていなかったのだ。
「恋か……恋ねぇ」
「だって、あんた、転校してからいい顔してるもん」
母親が嬉しそうに俺の顔を見上げる。
顔には出さなかったけれど、この人なりに俺のことを心配してくれていたんだろう。
「あと、これもいらないから捨てといて」
「ピアスもいらないの?」
「うん。ピアスとか装飾品ももういらない」
俺はそう言うと、母親が差し出してくれた掌に、ピアスとブレスレットを載せた。
もうこんな物は必要ない。
俺はもう、あいつが悲しむ顔なんて見たくないから……。
「じゃあ行ってくる」
「うん。行ってらっしゃい」
母親が無邪気な笑みを浮かべて、俺を見送ってくれる。玄関のドアを開けようとした時、「あ、傑」と突然呼び止められる。今度は何だよ……と、眉を顰めながら母親の方を振り向くと、目を潤ませながら笑う母親がいた。
ここまで、女手一つで俺たちを育ててくれた母親の顔をよく見ると、小さな皺がある。髪の毛にも白髪が混じって見えた。
「いい恋をするんだよ」
茶髪にピアスに、そして喧嘩……。
俺はずっと母親に心配をかけて生きてきたんだということに、今更ながら気付かされる。
「大丈夫だよ。すごくいい奴だから」
「そっか、よかった!」
嬉しそうに笑う母親に背を向ける。
もし明日俺が黒髪、短髪で登校をしたら、律はどんな反応をするだろう。きっとただでさえ大きな目を更に見開いて、開いた口が塞がらないに違いない。
想像しただけで可笑しくなってくる。
今まで他人の意見に左右されることが嫌で、反発ばかりしてきた。でも、それも今日で終わりだ。
「律、これで許してくれるかな……」
これからは律と同じ目線に立って生きてみたい。
律が望むのであれば、こんな茶髪も長髪も、ピアスだって失うことに抵抗なんてない。
『もうこれ以上、傑の傍にはいられない』
律の言葉を思い出すだけで胸が痛くなる。
俺は変わるんだ──。
もう律に『住んでいる世界が違う』なんて言われないように。
そう心に誓いながら、美容院に向かった。



