壊れかけの最強軍人は、無能令嬢に執愛を捧ぐ

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「ふふ、あったかい」
 詰所に帰る道のりで、綾人は上機嫌に微笑んだ。
 胸の中には、かんざしの箱を抱きしめた鏡華の顔が残っている。
「……こんな思いをする日が、来るなんて」
 ずっと、生きることを諦めて過ごしてきた。頭も体も徐々に異能に侵されていく中で、希望の光なんて探さずに。そうでもしなければ、狂った末に仲間に殺される未来を受け入れることなどできなかった。
 けれど鏡華は綾人の生活を整え、血を与えることで死の淵から引き戻した。自分にとっては強引とも呼べる手段だったが、それでも最終的に、綾人は鏡華の救いを受け入れた。
 彼女と一緒に食事をし、買い物をして、少しずつ生きるための行為を思い出していく。その度に、胸の奥に温かなものが生まれていた。きっとこれが、幸せというやつなのだろう。
 自分は鏡華の存在に生かされている。彼女がいなくなれば、生きていけない。だから彼女には自分と一緒にいてもらい、自分を生かした責任を取ってもらわねば。
「こういうのを、愛っていうのかなぁ」
 愛や恋といった感情は、綾人にはよくわからない。けれど鏡華が近くにいれば安堵し、他人に触れられれば怒りが生まれ、そしていなくなると思えば焼けるような痛みに苛まれる。この激情の正体が、愛でなければ一体何だというのか。
 愛していると伝えれば、鏡華はどんな反応をするだろう。
 その想像さえ幸せで、綾人は顔をほころばせる。
 そんなことを考えているうちに、異能特別治安部隊の詰所まで戻ってきていた。帰ったことを報告しに浅川の部屋へ向かうと、丁度、中年男性が出てきたところだった。彼はあごひげに触れながら、綾人をちらりと一瞥して立ち去って行く。
 入れ替わりで部屋へと入った綾人は、執務机に座る浅川に問う。
「今の、誰でしたっけ? なーんか見たことある気がするんですけど」
「紗霧の当主……鏡華さんの父親だ」
 浅川は、やけに深刻そうな顔で答える。
「ああ、なら鏡華を迎えに行ったときに見たのか。でもその人がなんの用です?」
 首をかしげる綾人を、浅川は神妙な面持ちで見上げてきた。
「……冷静に、聞いてほしいのだが」
「はぁ」
「鏡華さんが、紗霧の家に戻ったらしい。呪われた四ツ辻家に嫁ぐことはできないからと」
 青天の霹靂とは、こういうことを言うのかもしれない。

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