壊れかけの最強軍人は、無能令嬢に執愛を捧ぐ

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「ふふ、あったかい」
 詰所に帰る道のりで、綾人は上機嫌に微笑んだ。
 胸の中には、かんざしの箱を抱きしめた鏡華の顔が残っている。
「……こんな思いをする日が、来るなんて」
 ずっと、生きることを諦めて過ごしてきた。頭も体も徐々に異能に侵されていく中で、希望の光なんて探さずに。そうでもしなければ、狂った末に仲間に殺される未来を受け入れることなどできなかった。
 それでも鏡華と初めて会った夜、彼女の血の力を垣間見た時は、思わず惹かれてしまった。湧き上がったのは禁忌の書物を垣間見てしまったような、恐怖と好奇心が混じり合った高揚感。彼女が逃げ去った後で正気に戻り、どうせ偶然だと全てを見なかったことにしようとしても、心に生まれたものはすぐに消えてくれなかった。
 だから詰所に帰って、つい浅川に報告してしまったのだ。軽い雑談のような報告だったのに、話を聞いた彼は治安部隊の力を駆使して即座に鏡華を見つけた。そして綾人に婚約者という建前で関係を結び、彼女の血を摂取する実験を行うよう命令してきたのだ。軍に所属する以上、受けた命令は絶対。故に翌日鏡華の元へ行ったが、その頃にはいつもの諦観が心を満たしており、彼女の血の力に対する期待や感情は消え去っていた。
 ただせっかく婚約できたなら、死ぬ前に婚約者と共に過ごす普通の喜びというのを感じてみたい。
 そんな思いで迎えた鏡華は、か弱い小動物のようでいて、奥底に力強いなにかを持っていた。その強さを以て、彼女は綾人の生活を整え、血を与えることで死の淵から引き戻したのだ。自分にとっては強引とも呼べる手段だったが、最終的に綾人は鏡華の救いを受け入れた。
 彼女と一緒に食事をし、買い物をして、少しずつ生きるための行為を思い出していく。その度に、胸の奥に温かなものが生まれていた。きっとこれが、生きる幸せというやつなのだろう。
 自分は鏡華の存在に生かされている。彼女がいなくなれば、生きていけない。だから彼女には自分と一緒にいてもらい、自分を生かした責任を取ってもらわねば。
「こういうのを、愛っていうのかなぁ」
 愛や恋といった感情は、綾人にはよくわからない。けれど鏡華が近くにいれば安堵し、他人に触れられれば怒りが生まれ、そしていなくなると思えば焼けるような痛みに苛まれる。この激情の正体が、愛でなければ一体何だというのか。
 愛していると伝えれば、鏡華はどんな反応をするだろう。
 その想像さえ幸せで、綾人は顔をほころばせる。
 そんなことを考えているうちに、治安部隊の詰所まで戻ってきていた。帰ったことを報告しに浅川の部屋へ向かうと、丁度、中年男性が出てきたところだった。彼はあごひげに触れながら、綾人をちらりと一瞥して立ち去って行く。
 入れ替わりで部屋へと入った綾人は、執務机に座る浅川に問う。
「今の、誰でしたっけ? なんか見たことある気がするんですけど」
「紗霧の当主……鏡華さんの父親だ」
 浅川は、やけに深刻そうな顔で答える。
「ああ、なら鏡華を迎えに行ったときに見たのか。でもその人がなんの用です?」
 首をかしげる綾人を、浅川は神妙な面持ちで見上げてきた。
「……冷静に、聞いてほしいのだが」
「はぁ」
「鏡華さんが、紗霧の家に戻ったらしい。呪われた四ツ辻家に嫁ぐことはできないからと」
 青天の霹靂とは、こういうことを言うのかもしれない。

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