壊れかけの最強軍人は、無能令嬢に執愛を捧ぐ

 綾人は部下たちによって寝室に運び込まれ、改めて怪我の手当を受けていた。その間、広間に残った鏡華は、浅川に左腕の傷へ包帯を巻いてもらっていた。
「これでいいだろう。しばらくは安静にするように」
「はい、ありがとうございます」
 浅川は鏡華の礼に頷くと、広間を見渡した。そして床の間の掛け軸と刀に目をやり、頬を緩める。
「この屋敷には、随分と物が増えたのだな」
「物置にしまいっぱなしは、もったいなくて」
 どちらも鏡華が掃除の最中に物置で見つけたものだった。放置したままでいるのは忍びなく、空いていた場所に飾ってみたのだ。他の部屋にも同じように、鏡華が見つけたものがちらほら飾られている。
「綾人さんも初めは怒っていましたが、今は気に入ってくださっているようです」
「はは、あれも鏡華さんには折れるのか」
 浅川は軽く笑った後に、鏡華へ深く頭を下げた
「四ツ辻を救ってもらい感謝する。本当なら今の彼を任務に出すべきではないのだが、こちらも戦力不足でな。加えて本人が隊に所属し続けることを望む以上、引退させるのは難しいのだ。君にも心配をかけてすまない」
「いえ、理解の上です。そもそも私たちは、実験のために婚約した関係ですから」
「それでも君は、あれの力になってくれているだろう」
 浅川は一度言葉を切り、ふっと微笑んだ。
「四ツ辻は前から、何にも希望を見いださなかった。だが君に会ったというあの夜に、あれは心の底から嬉しそうに君の血のことを話していてな。その顔を見ていて思ったよ。君になら……あれを救えるのではないかと」
「では、浅川さんは綾人さんのために、私を求めたのですか」
 浅川はわずかに思案した後、表情を引き締めて口を開いた。
「……まさか、国の為に決まっている。私は軍人なのだからな」
 そのとき三人の部下たちが綾人の手当を終えて戻ってきた。浅川は立ち上がると、襟首を正して鏡華を見下ろす。
「後のことは鏡華さんに頼もう。実は標的をまだ処理できていなくてね。君の血のことは、追って沙汰を下そう」
 彼らは鏡華に一礼して、再び夜の都へ出ていった。浅川たちを見送った鏡華は、湯を沸かして桶に入れ、拭き布と一緒に綾人の寝室へと向かう。
「綾人さん、鏡華です。入りますね」
「……どうぞ」
 無気力な返事が聞こえ、鏡華は襖を開けて中に入った。
 十五畳ほどの和室は、驚くほどに殺風景だった。箪笥さえない部屋の真ん中には布団が敷かれ、そこに綾人が仰向けに横たわっている。顔は腕で隠しており、表情はわからない。
「お湯を持って来たのです。少し体を拭きましょう」
「……いらない」
「そんなこと言わず」
 帰り際、彼の部下たちは簡単にしか手当を出来なかったと言っていた。だから念のため、もう一度綺麗にしておいた方がいい。傷に障りを出さないためにも。
 鏡華は綾人に断ってから布団を剥がし、上半身をはだけさせた。脇腹や腕には、包帯が丁寧に巻かれている。鏡華は布を桶の湯で絞ると、素肌が見えている部分を拭いていく。
「いやだ……やめてよ」
 手当を始めると、綾人は弱々しく首を横に振った。
「綺麗にしておかないと。怪我が悪化しますよ」
「別にいい……僕は今日にでも、死ぬはずだったんだ。だから、こんなの……」
「でも、私の血で症状が収まったでしょう?」
「……っ!」
 綾人は息を詰まらせ、顔を覆った手で拳を握る。そして突然、勢いよく上体を起こした。
「駄目です、起き上がっては……」
「どうして……どうして君はここまでするんだ!」
 鏡華の静止を聞かず、綾人は起き上がったまま大声で叫んだ。
「そのうち死ぬ、実験でしか繋がりのない相手に、どうして生きようとまでさせるんだよ! 僕はこんなの、望んでないのに……!」
 顔の前に垂れた長い髪の間から、綾人は鏡華をにらみつけてくる。
 だがその瞳に浮かんでいたのは怒りや不満ではなく、怯えだった。彼は苦しみを吐き出すように、言葉を絞り出す。
「軍人として命令に従って、幸せな婚約者同士の真似事をして、死ぬ直前に一人じゃなければそれでよかった。なのにこれ以上……僕を引っ張り上げないでよ」
「……私がしたことは、迷惑でしたか?」
「当たり前だよ! 食事を作られて、部屋を掃除されて、看病をされて、君の血で……治るかもって突きつけられて。こんなことされたら耐えられない。いらないと思っていたのに。もうずっと前に捨てた感情だったのに……生を、希望を――鏡華を、この手に欲しいと求めてしまうじゃないか!」
 綾人の声は震えていた。まるで光を手に入れることを恐れているかのように。
 彼はいつも、もうすぐ死ぬと言っていた。だから全てに蓋をして、諦めきっていたのだろう。無駄に希望を抱いて、なくしてしまわないように。鏡華の家事に初め怒りを滲ませていたのも、生きる希望を取り戻すことへの恐怖ゆえだったのかもしれない。
 でも、と先ほどの浅川の言葉を思い出す。鏡華の血の効果を垣間見て喜んでいたという彼は、本当に心の底から、死を望んでいたのだろうか。
 綾人はこちらに身を乗り出し、問い詰めてくる。
「教えてよ。君はどうしてこんなことをしてくれたのさ」
「私はただ……役に立ちたかっただけです。異能者の家に生まれたのに無能だった私は、家でもこの国でも役立たずでしたから」
 誰かの役に立ちたい。その思いで零番隊に協力し、綾人に血を渡すことを決意した。四ツ辻家の家事をしたのも、根底にはその思いがあったからだろう。
「だから私の血があなたを救えると知れて、嬉しいのですよ」
「……僕は望んでなかったよ」
「けれど、もう求めてくださったのでしょう?」
「……」
「それに、たとえいつか死ぬと言っても、そのいつかまでは生きていないといけないはず。ならその日までは、体は大切にした方がいいと思います。婚約者が辛い思いをしていると、私も悲しくなりますから」
 この夜で、よくわかった。自分は綾人に、死んでほしくはないのだ。不安定でも、時折恐ろしくても、自分を婚約者と呼び居場所を与えてくれる彼を、失いたくはない。そのためなら自らを切り裂き、血を分けてもいいと思えるほど、彼のことを大事に思っていた。
 綾人はしばしうつむき沈黙していた。やがて髪の間に覗く深淵の瞳から、小さな光がこぼれ落ちる。
「……鏡華」
「はい」
 綾人はおもむろに手を伸ばしてきた。その指に、鏡華は自らの指を絡める。ゆっくりと体が引き寄せられ、彼の腕の中に包まれた。耳元で、か細い声が聞こえてくる。
「死ぬのが怖くなったら、君のせいだよ」
「そうなれたなら、幸せです」
 綾人の体温を感じながら、鏡華はそっと彼の背中に腕を回した。