壊れかけの最強軍人は、無能令嬢に執愛を捧ぐ

 都の外れにある、レンガ造りの異国風の館。最上階の四階にある広い一室に、鏡華は佇んでいた。職務机を挟んで向かい合うのは黒い髭を生やした四十前半とおぼしき中年の軍人。厳格そうな表情と彼の背後に並ぶ数々の勲章から、かなり上の立場なのだろう。
 その横には、昨夜の青年が控えていた。口元に笑みを浮かべているものの、黒い深淵の瞳からはなんの感情も読み取れない。昨夜喋っている場面を見なければ、幽霊ではないかと疑っていただろう。それほどまでに、彼は異質な存在だった。
「急な話で驚かせてすまなかったね。だが君の家族が快く応じてくれてよかった」
「いえ……いいお話では、ありますから」
 鏡華を婚約者にという青年の急な申し出に、両親と薫子は混乱していた。だが黒い外套が示す意味を知り、自分たちの意見をすべて飲み込んで承諾したのだ。お陰で鏡華は紗霧の家から解放されたが、手放しで喜ぶことはできない。
「……どうして、私を連れて来たのです」
「言ったでしょ、僕の婚約者にするためさ」
 深淵の瞳の青年が口を開く。だが鏡華は首を振った。
「それだけとは思えません」
 この青年は、昨夜やけに自分に興味を示してきた。しかも真っ先に連れてこられたのが異能特別治安部隊の詰所。どう考えても普通の婚約とは思えない。
「へぇ、大人しい方かと思ったけど、意外と反論するんだねぇ」
 腹の中を見透かしたような不気味な笑みに、全身が硬直する。鏡華の怯えに気づいたのか、中年の軍人はため息をついて横の青年を見咎めた。
「四ツ辻。あまり怖がらせるな」
「はいはい、すみませぇん」
 青年は大して悪びれもせずに肩をすくめる。中年の軍人は鏡華を見据えて口を開いた。
「君の疑問はもっともだ。先にこちらの身分を示そう。私は陸軍異能特別治安部隊、零番隊の隊長、浅川(あさかわ)。こっちは副隊長で部下の四ツ辻だ」
四ツ辻(よつつじ)綾人(あやと)です。よろしくねぇ」
 黒い瞳の青年――綾人は鏡華にひらひらと手を振る。だが名前を聞いて、鏡香は一層表情を硬くした。
 四ツ辻家。最強とも呼ばれる風の異能を持ち、軍人として高い地位を持っていた名家だ。ここ数年、相次いで病で一族の者が亡くなってしまい、末の弟に家督が引き継がれたと噂になっていたが、それが綾人だったらしい。
 そんな名家の嫡男と婚約なんて。嬉しさよりも、怪しさが勝った。
「一体……なにが目的なのですか」
「そんなに警戒しないでほしい。悪いようにするつもりはないからな。ただ、これから話す内容は国の最重要機密事項だ。決して口外しないと約束してくれ」
「……わかりました」
 恐る恐る頷くと、浅川は真剣な表情で口を開いた。
「君は昨夜、狂人病の発症者に出会っただろう。あの病のことは、どこまで知っている?」
「異能者が稀に掛かる不治の病とは聞いています」
「一般の認識はそうだろう。だが実際は病そのものではなく、とある病の末期症状だ」
「なんの、病なのです?」
「異常能力発現症――通称・異能。この桜華国を支える異能は、全て病の症状だ」
「う、嘘!」
 鏡華は思わず息を呑んだ。その反応を楽しむように、綾人はくすくす笑う。
「信じられないでしょ? でも本当さぁ。異能は血と共に継がれる病の一種。少しでも異能の血が混じっていれば発症するのさ。例外なくね」
「でも……異能者を病のように感じたことは、一度もありません」
「異能は発症段階によって症状が変わり、進行も個人差がある。そのためだろう」
 鏡華の問いに、寺島が答える。
「発症すると、異能力と呼ばれる超常的な力を扱えるようになる代わり、徐々に精神と肉体を力に喰われていくようになる。初期は力を使えるようになるだけだが、中期になると精神に影響をきたし、享楽的・好戦的な言動をしたり、半狂乱になることもある」
「つまり僕みたいになるってことねぇ」
 綾人はにこにこと自分を指さした。彼が中期ということだろうか。確かに昨夜笑いながら異能力をふるっていた彼は、今聞いた特徴に当てはまる気もする。
 寺島は複雑そうな顔で綾人を見た後に、説明を続けた。
「そして末期は完全に異能に飲まれ、発狂して周囲の人間に害を与えるようになる。これがいわゆる狂人病だ。我々は狂人化と呼んでいるがね」
「全然、気づきませんでした……」
 この国で尊いものとされている異能が病だなんて。異能者全員が昨夜見た獣のような上体になる可能性があると考えただけで、目眩がしてきた。
「異能の進行には個人差が大きく、多くの者は初期のまま一生を終える。狂人化するのはほんの一握りだ。異能力の強力さと使用頻度の高さが進行に関係しているとされているが、詳細は不明。もちろん治療することもできない。だから国は、この事実を隠している。危険性が低い中、真実をみだりに話して混乱を招くわけにはいかないからな。ゆえに君も他言しないように」
 鏡華は頷いた。本当のことが世間に広まれば、人々は大混乱に陥り、この国はたちまち成立しなくなることくらい、想像できる。
 頷く鏡香を、綾人はしげしげと眺めて笑った。
「君は運がいいねぇ。異能の家に生まれたのに、異能を発症しないなんてさ。検査でも異能なしって出たんでしょう?」
「そう……ですね」
 桜華国の人間は全員、十までに異能を持つかどうかを検査される。そこで鏡華は、異能を持つ証が出なかった。鏡華と母が虐げられるようになったのは、そこからだ。
 役立たずの烙印を押されたあの時を思い出し、唇を噛む。過去の苦しさが胸を襲ったが、聞くべきことはまだあった。鏡華は拳を握りながら顔をあげた。
「ですが、異能の話が私となんの関係が?」
「四ツ辻の報告によると、昨夜君の血を啜った末期症状の発症者が、一瞬正気に戻ったという話じゃないか」
 その反応は覚えている。そして、綾人がやけに興味を示していたことも。だが昨夜綾人にも言ったとおり、鏡華にはどうしてああなったのかがわからなかった。
「どうやったのかはわかりません。今の話通り、私に異能などありませんし……」
「異能ではないかもしれない。だが君の母方は謎多き巫女の一族の出だ。たとえば君の血自体に、異能の症状を鎮める効果があってもおかしくはない」
 自分の血が異能の症状を鎮める。そう考えれば、昨夜の出来事は説明がつく。
 でも。だとしたら。
「あなたたちが求めているのは、私の血……?」
「ああ。異能に治る手立てがあるのなら、追求するのが国のためだ」
 浅川は至極当然のように言い放つ。
「だが君の血に効果があると判明した訳ではない。ゆえに、確かめておきたくてな」
「いわゆる実験だねぇ。この零番隊で一番異能の症状が進行している僕に、君の血を与えてどうなるかっていう」
 楽しげに恐ろしい内容を話す綾人に、鏡華は警戒の目を向ける。
「……婚約というのは、その隠れ蓑ですか」
「そうそう。でもどちらかと言うと、君を守るためさぁ。君の血が狂人病の特効薬です、なぁんて世間にばれたら大変だからね」
「ですが私のような者と婚約なんて、四ツ辻家にご迷惑では」
 名家である四ツ辻が、役立たずの無能と婚約なんて、世間体が悪くなるではなかろうか。だが綾人はにこにこ笑みを浮かべたままだ。
「ぜーんぜん。僕は婚約者なんて作れないと思ってたから、むしろ幸運だよ。隊的にも別に問題ないんだよね、浅川隊長?」
「……その通りだ。まったくお前は……せっかく私が言葉を選んだのに」
 浅川は頭を抱えて深いため息をついた後、鏡華に視線を戻す。
「君の安全が関わることだ。無理にとはいわない。だが……国の為にも、協力してくれると助かる」
「…………」
 ずっと自分は役立たずだった。無能と呼ばれ、異能の家の者としての役割を果たせず、紗霧家の下働きでさえも満足にできない無価値な存在。そんな自分に、国の為に役立てる力があるなんて。
 ――なにを選ぶかは、あなた次第よ。
 母の言葉を思い出す。実験なんて、本当は怖い。綾人と一緒になったとして、安全に過ごせるのかもわからない。
 ――けれど。
「協力すれば、たくさんの人の役に立てますか」
 震える声で問い掛けた鏡華に、浅川は強く頷いた。
「もちろんだ。この国の異能者すべてを救える」
「なら……やります」
 誰かの役に立ちたい。ずっと抱いていたこの思いを、止めることは出来なかった。
「あは、なら決まりだねぇ」
 鏡華の返答を聞いた綾人は、笑みを深めて鏡華の前にやってきた。黒い外套を翻し、鏡華の右手の甲に口付ける。
「短く儚い残りの人生、どうぞよろしく」
 どこまでも昏く深い彼の瞳に、吸い込まれてしまいそうだった。