壊れかけの最強軍人は、無能令嬢に執愛を捧ぐ

 冷たく固い地面を感じ、鏡華はゆっくり目を覚ます。
 光のない、暗くじめじめとした場所に、鏡華は横たわっていた。腕を動かそうとして、後ろで縄に縛られているのに気がついた。
 体をよじってなんとか上体を起こし、周囲を見回す。木の床に、背中側には石の壁。それ以外の三方は木造の格子で囲まれている。その向こうには、古い壺や割れた皿、大きな箱など様々な物が置いてある。どうやら蔵を改築して作られた座敷牢らしい。
「ここ、お母様と過ごした座敷牢にそっくりだわ」
 鏡華の牢の正面にある、もう一つの牢を見て、古い記憶が蘇ってくる。昔いた座敷牢では、そこに母が入れられていた。別々に閉じ込められていた鏡華と母は、一日一度の食事の間だけしか触れあうことが許されていなかった。
 苦しい記憶に胸が詰まりそうになる。だが今は、過去に苛まれている場合ではない。おそらく自分は、攫われてきているのだから。
 不意に正面の牢でがたりと大きな物音がした。視線を動かすと、暗がりの中に赤い目が光る。鏡華と目を合わせたそれは、獣のように唸り声を上げた。
「なんで、ここに狂人化した人が……!?」
 さるぐつわをはめられ、首の鎖で壁に繋がれていたが、それは間違いなく狂人化した男だった。綾人が取り逃がした標的が見つからないと言っていたことを思い出す。ここに捕らえられているのが、彼の言っていた相手なのだろうか。
 いずれにしろ、今すぐここを出て綾人に知らせなければ。もしも牢が壊れてあれが解き放たれてしまえば、都の人たちの命が危ない。
 鏡華は格子の側に寄り、扉の金具に手を触れる。だが格子に背を向けたまま、後ろで縛られた手で鍵の状況を探るのは難しかった。四苦八苦していたとき、蔵の扉が鈍い音を立てて開く。
「あらあら。懐かしい光景ねぇ、お姉様」
 くすくすと嘲るような笑いが耳に届き、はっと鏡華は振り向いた。
「薫子……お父様、お継母様……」
 紗霧の三人が、蔵の中へ入ってきた。
 薫子は牢の中にいる鏡華を見て、歪んだ笑顔を浮かべる。
「連れて帰ってきてあげたのだから、少しは嬉しそうにしたらどう?」
「ここは……紗霧家なのね」
 薫子たちは薄笑いを浮かべたまま無言の肯定を示した。
 ではここは正真正銘、鏡華が昔母と暮らしていた座敷牢なのだ。しかし今更、紗霧が自分になんの用なのだろう。零番隊の圧力があったからとはいえ、役立たずだった鏡華を厄介払いできて喜んでいると思っていたのに。
 加えて彼らの値踏みするような視線はなんなのだろうか。得体の知れない気味悪さを感じ、鏡華は身を固くする。
「……私が消えたら、綾人さんに勘づかれるわよ」
「大丈夫よ。お父様が浅川って人に伝えたもの。四ツ辻に嫁がせることは出来ない、婚約は破棄させるって」
「そんなの……簡単にいくわけないわ」
 なにせ医療班への協力も、まだ途中なのだ。浅川や綾人が、自分を手放すとは思えない。だが薫子は、勝ち誇ったような顔で鏡華を見下ろす。
「ええ、そうだったみたいね。でも調べたら四ツ辻家の人間は、狂人病ばかり出してるみたいじゃない。それを引き合いに出して、お姉様も婚約破棄を強く望んでる話をしたら、『鏡華さんがそう言うなら』って了承したそうよ」
「う、嘘……」
 確かに浅川は最初、鏡華の意思を尊重し、実験協力の可否を聞いてきた。もし彼が婚約破棄を協力拒否と捉えたなら、了承してしまう可能性は否定できない。そして隊長の浅川が下した判断なら、部下の綾人は受け入れざるを得ないだろう。絶望する鏡華の前で、父は薫子に告げた。
「薫子、確かめなさい」
「ええ、お父様」
 薫子が鏡華の牢に歩いてくる。その右手に――小刀を携えて。彼女は鏡華の牢の扉を開くと、不気味なほどに笑みを深めた。
「さあ。出てきてください、お姉様」
「……嫌」
 本能的に危険を感じ、牢の後方に後ずさる。薫子は反抗する鏡華に舌打ちをした。
「出てこいって言ってるでしょう!」
 ぐん、と体が牢の入り口に引き寄せられる。薫子の異能だ。為す術もなく、鏡華は牢の外まで引きずり出される。
「ふふ、やっぱり地べたがお似合いね」
 薫子は横たわる鏡華の体を踏みつけにする。身をよじって逃げようとすると、さらに体重をかけられた。彼女は手にした小刀を振りかざし、動けない鏡華の腕を切りつけた。
「っ、なにを……」
「もらってるだけよ。『薬』をね」
 薫子は鏡華から流れ出た血を数滴ほど(さかずき)に受けると、狂人化した男の牢へと向かう。牢を開き、唸り声を上げる相手の口から猿ぐつわを外すと、彼女はその口に杯ごと鏡華の血を突っ込んだ。相手はしばらく唸り続けていたが、やがてからんと口から杯が落ち、牢の床にへたりこむ。その表情から狂気は消え、ごく普通の中年男性の顔に戻っていた。
 薫子は頬を上気させ、父の元へ駆け寄った。
「成功です、お父様!」
「はは、苦労して発症者を捕まえたかいがあった」
 滅多に表情を変えない父が、口元に笑みを浮かべている。心の底から喜ばしいとでも言うように。
「あなたたちは……なんのつもりで私を連れて来たの」
 二人は今、間違いなく鏡華の血の効果を確かめた。だが同じように血の力を確かめようとした零番隊と違い、彼らの喜びようは異様だった。なにかとてつもなくおぞましいことが行われている気がした。
「私たち、調べたのよ。どうして零番隊が、役立たずのお姉様に目をつけたのか」
「『紫菫の巫女』――それがお前の母の一族だ。一族の女は異能者と交わることにより、特別な血を持つ子を生むと言われていた。故に私は、あれを娶ったのだ。『特別な血を持つ子』とは強力な異能者のことだと思い込み、生まれた子を使って紗霧の権力を増すためにな」
 薫子の言葉を引き継いだ父が、冷たい目で鏡華を見下ろしてくる。
「失敗したと思っていたが……なるほど、『特別な血』が狂人病を抑える薬となる血のことだったとはな。予定とは違うが、これはこれで都合がいい。うまく使えば、この桜華国を支配することさえできる」
「うふふふ。よかったわねぇ、お姉様! 無価値どころか、黄金以上の価値があったなんて! お姉様がいれば、私たちは狂人病にならないわ。お金儲けだってなんだってし放題よ!」
 高らかに、父と薫子が笑い声をあげる。耳を塞ぎたくなるような言葉が並べられたが、腕を縛られたままではそれもできない。
「ずぅっと目障りだったの。とうの昔に切り捨てられた無能が、家族の顔をして私の家を穢しているんだもの。でも今日で許してあげるわ」
 薫子は鏡華の側に腰を落とし、襟首を掴んで顔を引き寄せた。
「お姉様は薬になるためだけに生まれたの。飼い殺しにして使ってあげるから、せいぜい役に立ちなさい」
 鏡華は愕然として言葉を失った。
 確かにずっと、誰かの役に立ちたかった。けれどそれは、あくまで人としての話。薬として物のように扱われ、血だけを搾取され続けることなど望んではいなかった。だが自分の力を考えれば、血以外のものなど他者にとっては必要ないのかもしれない。
 心が闇に塗り潰されていく。
 だが完全に閉ざされる前に――蔵の扉が勢いよく開け放たれた。
「はぁ? 馬鹿じゃないの?」
 光と共に、闇色の青年が現れた。
 ブーツを鳴らし、黒い外套を翻して、四ツ辻綾人は不敵な笑みを浮かべる。
「鏡華は薬になるために生まれたんじゃない。僕のために生まれたのさぁ」
「よ、四ツ辻様!? どうして……!」
 綾人の出現に、薫子たちはうろたえる。彼は飄々とした様子で肩をすくめた。
「ほんと阿呆だねぇ。僕が君たちの嘘を見抜けないと思った?」
「っ、阿呆はそっちよ! お姉様が自分のために生まれたとか、意味がわからないわ。冗談でも言うつもり!?」
「本気なんだけどなぁ。そうでしょ、鏡華?」
 綾人は薫子にため息をつき、鏡華の方に視線を向けてくる。
「私、は……」
 なんのために生まれたか。それは自分にももうわからない。世間的には無能の役立たずなのも真実だし、自分の血に狂人化を抑える効果があるのも既にわかってしまっている。薬のために生まれたと断定されれば、以前の自分なら受け入れていただろう。
 けれど今は、綾人がいる。彼は自分を薬扱いせず、母親以外でただ一人、鏡華を大事にしてくれた。毎回の食事に喜び、家事に感謝し、役立たずとのけ者にされて続けていた鏡華を受け入れ、居場所を与えてくれたのだ。
 ――なにを選ぶかは、あなた次第よ。
 母はそう言っていた。だから自分は選びたい。
 ただの薬として生きるのではなく、綾人の側で――綾人とともに生きる未来を。
「ええ。私が生まれたのは、綾人さんのためです……!」
 綾人はふっと微笑むと、鏡華の方に歩を進める。
「ちょっと、動かないでよ!」
 薫子が異能で辺りにある壺や皿を、綾人に投げつけてくる。しかし彼は抜き去った刀で、軽く全てを断ち切った。
 綾人は無傷のまま鏡華の横に腰を下ろすと、両腕を縛る縄を外して抱き起こした。
「かんざし、付けてくれたんだね。やっぱり似合ってるよ」
「綾人さんが直してくれましたから。すっかり、綺麗に」
 鏡華が綾人に微笑みかける。その横で、薫子が顔を真っ赤にした。
「なんなのよ。あなたたち二人とも、頭がおかしいんじゃないの!?」
「鏡華はともかく、確かに僕は狂ってるかもねぇ。でもまだ人間をやめたつもりはないよ。君たちや……その後ろにいる彼みたいに」
 がきん、と激しい音が蔵に響く。鏡華の血を摂取して元に戻ったと思われた男が、再び狂人化して拘束を破壊したのだ。数滴しか鏡華の血を飲んでいなかった彼は、完全に元に戻るまでには至らなかったのだろう。
「ひっ……!」
 薫子をはじめ紗霧の三人は、早々に蔵の外へ逃げていく。綾人は舌打ちをしながら、とびかかってきた男に刀で切りつけた。剣圧で男の体は後方に吹き飛び、胸元から血が吹き上がる。だがむくりと起き上がってきた男の胸に、あるはずの傷はなくなっていた。
「なんで、戻って……」
「狂人化した人間は、異能によって付けられた傷以外は直しちゃうんだ。彼らが異能でしか止められないって言われてるのはそう言う理由。もちろん刀でも時間稼ぎにはなるんだけど……ほんと、化け物みたいだよねぇ」
 綾人は鏡華をかばいながらため息をついた後、男に鋭い視線を向けた。
「でもこんなところに囚われていたなんて、どれだけ探しても見つからないはずだよ」
 その口ぶりから察するに、やはり彼が探していた標的なのだろう。
 後ろからばらばらと足音が聞こえる。黒い外套を纏った軍人が三人、息を切らせながら蔵に駆け込んできた。以前家にやって来た、零番隊の隊員たちだ。綾人は彼らの方を振り返り、顔をしかめる。
「遅いよ、君たち」
「申し訳ありません。ですが、副隊長が早すぎるんですよ!」
「当たり前じゃない。婚約者の危機なんだしさ」
 そして綾人は男の方に視線を戻し、冷たい声で言い放つ。
「君は既に三人を喰い殺してる。残念ながら、死んでその罪、贖ってもらうしかない」
 男が綾人に飛びかかる。彼は鏡華の体を抱き寄せたまま、蔵から庭へと駆けだした。
「僕の後ろから出ないで。下手をすると君が危ない」
 鏡華が頷くと、綾人は部下たちに命令を飛ばしていく。
「相模と一条は攻め続けろ。宮前は周りに攻撃が飛ばないよう援護。僕は全体を見て攻撃を補佐する。行動開始!」
「承知!」
 綾人の指示で、部下たちは男を攻めていく。綾人自身も、時に刀で、時に風の異能力で応戦していった。その姿を見て、鏡華は改めて思い知る。彼は陸軍異能特別治安部隊、零番隊の副隊長。最強と呼ばれる異能を持つ、軍人なのだと。
 四人の異能力による攻撃を浴び、男はやがてうめき声をあげながら地面に倒れ込む。それでもまだ人を喰おうと伸ばした手を、綾人は異能で切り落とした。
「ほんとは僕も、君みたいになる予定だったんだけど。どうやらまだ、狂人化しちゃいけないみたいだからさぁ。ごめんけど、先に地獄へ送ってしまうね」
 強風と共に、断末魔の声が響き渡る。狂人化した男は、ようやく狂気を手放した。
「綾人さん! 助けてくださって、ありがとうございます!」
 鏡華は感謝を告げながら、綾人の側へ駆け寄る。
 だが彼は、昏い瞳で紗霧の邸宅を睨んだ。
「いや、まだ終わってないよ」
 彼はブーツを履いたまま早足で紗霧の邸宅に押し入ると、最奥の部屋に隠れていた薫子と両親を見つけ出す。
「な、なんなのよ! こっちに来ないで!」
 後ずさる薫子に深淵の瞳を向けながら、彼は怪しい笑みを浮かべる。
「よくも僕から鏡華を奪ってくれたねぇ。切り刻まれて、ぐちゃぐちゃになりたいの?」
 周囲の空気が震え出し、綾人を中心に鋭い陣風が巻き起こった。櫻子はがたがたと歯を鳴らしながら涙を浮かべる。
「嫌っ、来ないで! 死にたくない……っ!」
「綾人さん、止めてください!」
 なんとか追いついた鏡華は、急いで綾人の腕に触れる。止められた彼は、不機嫌そうな目を鏡華に向けた。
「なんで。こいつら、君を傷付けようとしたのに」
「あなたがこの人たちに、異能力を使う価値はありません」
 異能力を無駄に使い、綾人が自分の命を削る危険を負ってまで、彼らを処理する必要はない。鏡華を誘拐した罪で、法の下に罰すればいいだけだ。
「……確かに、それもそうだねぇ」
 鏡華の意図を理解した綾人はにんまり笑って、自分を追ってきた部下たちに紗霧の三人を捕らえるように指示を出す。
 綾人の部下たちに縄をかけられながら、薫子は鏡華をにらみつけた。
「逃げられたと思わないことね。お姉様はどうあっても、血にしか価値がないのよ。どうせどこに行ったとしても、搾取されて終わりだわ!」
「そうはならないわ」
 呪いを吐く妹に、鏡華は毅然として口を開いた。
「私は自分で選ぶもの。薬ではない、誰かの役に立てる人間としての道を」