朝。電車に揺られながら窓の外を眺める。
生徒会長の恋人役になって1週間。会長にはまだ慣れないが、なんとかやっている。
ただ一つ、予想外のことといえば。
「ねぇあの人って……」
「そうそう。あのイケメン生徒会長の……」
向かい側に座っている他校の女子生徒2人組がこちらをみて話している。
そう。俺たちの恋人(偽)の情報は、うちの学校だけに留まらず近隣の学校にも広がっているみたいなのだ。
広報委員会が運営している学校の公式SNSには、会長の顔写真が載っているし、その投稿のいいねは2000以上にのぼる。また、生徒会の活動で他校に行く機会も多いので自然と会長の知名度は高くなる。
ここら一帯でちょっとした有名人であるあの会長の恋人となると、注目されるのは必然だと言えるだろう。
割り切っているといえど、注目されているとなると背筋が伸びる。
若干ぎこちなくなりながら、学校の最寄駅で電車を降りた。
改札を出るとすぐに会長と目が合う。
小走りで駆け寄り、頭を軽く下げた。
「おはようございます」
「おはよう、悠」
柔らかく笑う会長は、いつも通りイケメンだ。俺だけでも注目されているのに、そんな顔したらまた見られるな、などと考えていると。
「じゃあ、行こうか」
そう言って会長は俺に手を差し伸べる。
毎日手を繋いで登下校しているはずなのに、まだドキドキしてしまうのは、俺の恋愛経験の浅さからなのだろうか。
「悠?」
「あぁ、いえ。今日って朝に生徒総会の打ち合わせですよね」
手を重ねながら話題を引っ張り出す。そうしないと、意識が全て手にいってしまいそうな気がしたから。そんなの耐えられるわけない。
「うん。今日の総会は今年の学級と部活の予算案と、校則の改正についてかな」
「予算案は会計の俺が報告する感じですよね」
「そうだね」
恋人繋ぎをしている人同士だとは思えないほど真面目な会話を進める。議長の中井が司会進行、校則の改正については副会長の佐伯先輩、書記の三浦は議事録を書き、庶務の川島は全体のサポートをするという役割分担だ。
「質疑応答については、俺が答えるよ」
「質疑応答……」
その言葉を反芻する。
俺の考えていることがわかったのか、会長が苦笑いを浮かべる。
「聞かれそうだよね、俺たちの関係」
「……まあ、そうなりますよね」
関わりがなくても本人に直接聞ける機会だ。むしろ聞かない方が無理だろう。
「できるだけ公私混同はしたくないけど、こればっかりはきちんと言ったほうが今後の活動に支障がないしね」
元々俺たちが偽恋人になったのはそういう目的だ。
だからこの機会をうまく使うしかない。
「それについては俺がなんとかするから気にしないで。悠は自分の仕事に集中ね」
「……はい。ありがとうございます」
本当に頼もしいな、この人は。
俺も一年経てばこういう風になれるだろうか。
そんな淡い羨望を抱きながら、俺は歩みを進めた。
ーーーー
学校に到着すると、会長と2人で生徒会室に向かう。
部屋のドアを開けると、1年生である書記の三浦と庶務の川島が既に作業を始めていた。
「あ、お、おはようございます…!」
「おはようございます!!」
朝から溌剌とした後輩たちにおはよう、と返していつもの定位置につくと、その隣に会長も腰を下ろした。
「なんか、他の学校でも先輩たちのうわさ広がってるみたいですよ〜!」
川島が弾んだ声で言いながら、二つのカップにお茶を淹れて俺たちの前に置く。
会長は優雅な所作でカップを手に取り、一口含んでから俺を見た。
「そうなの?」
「らしいですね」
会長の視線に短く頷く。
俺もカップに手を伸ばそうとしたが、ふわりと立ち上る熱い湯気を見て思いとどまった。あいにく俺の舌は、淹れたてのお茶を歓迎できるほど強くはない。適温になるのを待つ間、所在なげに白く揺れる湯気を眺めることにした。
「他校の友達に聞かれたんですよ。付き合ってる、って言ったんですけどよかったですか?」
「問題ないよ」
川島に微笑んでそう返す会長に一つの疑問が湧く。
「他の学校の人からも声かけられたりします?」
「あ〜、まあ、最近駅で悠のこと待ってたら色々声かけられることが多いかもね」
顎に手を当てて考えを巡らせる会長の姿に、申し訳なさがこみ上げた。
「すみません、俺のせいで。明日から一本電車早めますね」
「いや、俺が悠のこと待たせたくないだけだから。気にしないで」
それに、と会長は付け足す。
「悠のこと待ってる時間も、結構好きだよ」
やけに甘い顔から放たれた言葉は、俺を動けなくさせるには十分だった。
顔に熱が集まるのを誤魔化すように、机の上に置いてあるカップを手に取って一気に口に含んだ。
「熱っ……!」
忘れていた。それが淹れたてだったことも、自分が猫舌だったことも。
熱さと痛み、そしてお茶が変なところに入ったせいで、猛烈に咳き込む。
「悠?大丈夫?」
「ごふっ、げほっ……だ、大丈夫、です……」
涙目になりながら咳き込む俺の背中を、会長が心配そうにさする。
最悪だ。これじゃあ会長の言葉に激しく動揺したのが、火を見るより明らかだ。
「お、お水どうぞ…!」
三浦がペットボトルの水を差し出してきたので、ありがたく受け取り一気に流し込む。
会長、三浦、川島の三人がかりでワタワタと介抱されている最中──
最悪なことに、生徒会室の扉が勢いよく弾け飛んだ。
今、この瞬間に一番来てほしくなかった二人。
副会長の佐伯先輩と議長の中井だ。
佐伯先輩はひらひらと手を振りながら教室に入ってくる。
「おはよ〜、ってなに?どしたの、この騒ぎ」
「成瀬先輩が会長に口説かれて動揺しすぎて自爆しました」
おい川島。余計なことこと言うな。
喉の奥がヒリついて、そうツッコミを入れることもできない。
もう一度水を流し込んで、大きく息を吐いた。
「おいおい大丈夫かよ成瀬〜」
中井が揶揄うように俺の背中をさすろうとしてくるので、その手を叩いた。
「痛!成瀬クンひど〜い」
「うるさい」
ようやく声が出るようになった。
俺は間髪入れずに、隣でまだ心配そうにこちらを見ている会長に向き直る。
「……全員揃ったんで、今日の生徒総会の打ち合わせ始めましょう」
「そうだね」
会長がすぐに頷いてくれたのは、彼なりの慈悲だろうか。あと一秒でも遅れていたら、あの悪魔二人組から再起不能になるまで弄り倒されていたに違いない。
「ちぇ〜。もっと悠の話聞きたかったのに〜」
「はいはい。中井、早く始めて」
佐伯先輩が口を尖らせるが、さらっと流して中井を催促する。
「わかってるよ。──それじゃ、今日の生徒総会の打ち合わせを始めます」
中井は一息つくと、議長としての仕事を始めた。
ーーーー
6限目。
生徒総会のため、体育館に移動する。
「今日の生徒総会って、成瀬も出んの?」
隣を歩く友達の山名に聞かれて頷く。
「うん。会計だから、予算案とかを報告するって感じ」
「そっか。頑張れよ」
山名はそう言うと俺の頭をポンと撫でた。子供扱いされているような気がして少し面食らうが、その手のひらの温度は不思議と落ち着く。
ありがとう、と返していると体育館の入り口で中井が手招きしているのが見えた。
「俺呼ばれてるわ。行ってくる」
「はーい」
山名に一言断り、小走りで中井の元へ向かう。
体育館の中は既に熱気と騒がしさに満ちていた。
「ごめん、お待たせ」
「おー、早く行こーぜ。みんな待ってる」
中井と一緒に体育館に入り、体育館の前の舞台袖に向かう。生徒会役員はここで待機なのだ。
「緊張してる?」
「え?なにが?」
「多分質疑応答で聞かれるだろ。会長と成瀬のこと」
「あ〜」
今日の朝の会長との会話を思い出す。
「その辺は会長がなんとかしてくれるって。なんかあったら俺がカバーするし」
「そ。まあ、俺らも公認を後押しする準備はできてるからさ。あんまり気にすんなよ」
中井は俺の背中を力強く叩いた。
なんだかんだ言って、中井や佐伯先輩もなにかあったら助けてくれるだろう。
だから、あまり心配はしていなかった。
舞台袖に着く。ここは厚い暗幕に仕切られ、外の喧騒が遠く聞こえる。生徒会のメンバーは全員揃っていた。
「おつかれ〜」
「お疲れ様です」
伸びやかに言う佐伯先輩に軽く頭を下げ、舞台袖で待機する。
佐伯先輩、中井、三浦、川島が談笑している隣で、会長だけが少し硬い表情をしていた。
「涼介先輩、緊張してます?」
「……あぁ、いや。そんなことは」
「なんかあったら、俺がカバーするんで気にしないでください」
「……うん。ありがとう」
この一週間、隣にいて気づいたことがある。
真宮涼介という男は、すべてを一人で背負い込んでしまうのだ。学校の顔というレッテルを背負い、期待に応え、常に完璧を演じ続ける。それがどれほどの重圧か、俺には想像もつかない。
それに、今回の偽装工作だって、元を正せば会長が俺を巻き込んでしまったという自責の念があるはずだ。
そんなこと、気にしなくていいのに。
生真面目すぎるこの人の隣にいる今だけは、少しでも荷物を分かち合いたい。力不足かもしれないが、俺は俺なりに、この人を支えるためにここにいるのだから。
「俺がいるんで、大丈夫です」
気がつけば、会長の手を握ってそう言っていた。
見上げると驚いた表情をした会長がこちらを見つめている。
大丈夫、の意を込めて軽く微笑んで手を離した。
「では、生徒会の皆さん。舞台に上がってください」
スピーカーから指示が聞こえ、順番に舞台袖から出る。
庶務の川島、書記の三浦、俺、副会長の佐伯先輩、会長、議長の中井の順番だ。
3人ずつで分かれて座るため、俺と三浦と川島、会長と佐伯先輩と中井で座る。
一番端に座った中井がマイクを手に取った。
「えー、只今より生徒総会を始めます。全員起立」
「気をつけ。礼。着席してください」
「それでは、まず、生徒会長から開会の言葉です。真宮会長、よろしくお願いします」
中井の進行は、普段の悪ガキのような軽薄さが嘘のように落ち着いていた。仕事となると精神年齢がプラス二十歳くらい跳ね上がるこのギャップには、何度見ても感心させられる。
中井の呼びかけに応じ、会長が悠然とした足取りで中央の演台に立った。
「皆さんこんにちは。生徒会長の真宮涼介です。新学期が始まって早2ヶ月が経ち……」
会長はカンペも見ずにスラスラと話す。
こんなに大勢の前で台本を飛ばさずに言えるのは、天性の才か、それとも前会長が言っていた「慣れ」という名の血の滲むような積み重ねの結果なのだろうか。
会長の挨拶の後、予定通り会計の俺が今年の予算案について報告し、副会長の佐伯先輩の校則改正についても大きな問題もなく終了した。
だが、本番はここからだ。
「では最後に、質疑応答を行います」
中井のその言葉で、体育館が少しざわめいた。
会長が再び演台に立ったのを確認し、中井が続ける。
「質問のある人は挙手をしてください」
生徒会のメンバーに緊張が走る。
背筋に冷や汗が伝っていくのを感じた。
1人の生徒が手を挙げる。
中井が「どうぞ」と発言を促すと、その子は立ち上がった。どうやら女子生徒だ。
「この総会と直接関係はないのですが、どうしても気になっているので聞きます。……真宮会長と成瀬会計はお付き合いされているんですか?」
きた。想像通りだ。
その質問に、体育館がどよめき、皆が会長の言葉を待ち侘びていた。
「本来公の場なので、そういう質問は控えさせて頂きたいですが、あえて言います」
「僕と会計、成瀬悠は付き合っています」
所々から「キャーーー」という悲鳴が聞こえてくる。
俺は心臓がドキドキと音を立てているのを感じながらその様子を見ていた。
「もちろん、生徒会の業務については私情を持ちこまず、しっかりと行っていくつもりなので、温かく見守ってくれると嬉しいです」
そう言うと、会長は柔らかい笑みを浮かべた。
さっきよりも、悲鳴の量が増えた気がする。
なんとか切り抜けてくれた。そうホッとして胸を撫で下ろした瞬間だった。
「じゃあ、成瀬会計からも一言お願いします!!」
質問をした女子からそんな言葉が飛んでくる。
「……え?」
状況が飲み込めない俺は、俺は反射的に他の生徒会のメンバーへ助けを求めた。
しかし、佐伯先輩も中井も「行け」と言わんばかりに深く頷いている。
え?俺もなにか言わないといけない流れ?
会長にも視線を送ると小さく手招きをされた。
……これは、言わないといけないのか。
俺は椅子から立ち上がり、会長の隣に立つ。
それだけで悲鳴が上がる。
「……えー、成瀬です。会長とは…お付き合いさせてもらってます」
想定外のキラーパスに、必死で頭を回転させながら言葉を紡ぐ。
他に言っておいた方がいいことは……
「あ、意見箱についてなんですが……意見書以外のものは入れないでください。会長へのラブレターとか」
現に今こんなことになってるからな。
でも、これだとただ注意しただけになる。
ただの注意だと、あまり効果がないという話だったはずた。
じゃあどうするべきか……
もし本当の恋人同士だったとしたら、恋人がラブレターをもらうのは嫌だろう、多分。
恋愛経験皆無の浅い考察からそう結論づけて、俺はまた口を開く。
「恋人が、ラブレターもらってるのは……やっぱり、嫌なんで。もし俺たちを応援してくれるなら、なにもせず見守っていてください。それが、1番嬉しいです」
よろしくお願いします、という俺の言葉がスピーカーから消えた後、体育館には一瞬の沈黙が訪れた。
冷静になってみると、明らかに公私混同した言葉だったな。
流石に無理か……?
おそるおそる顔を上げると。
なぜか拍手喝采が巻き起こった。
困惑して会長に視線を送ると、少し照れたように笑った。
一体なんなんだ。
「では、他に質問はないですか?」
俺が席に戻る間に中井がそう問いかけたが、他に質問は上がってこなかった。
「それでは、これをもちまして生徒総会を閉会します」
「全員起立。気をつけ。礼」
ーーーー
生徒総会の後。
生徒会室に戻ると、佐伯先輩にガッと肩を組まれた。
「いいじゃん、悠〜!いつあんな技身につけたの〜?」
「……技って、なんのことですか」
「え、このコもしかしてあれ無意識なの?」
佐伯先輩は信じられないものを見るような目で、隣の中井と顔を見合わせた。中井は自分の定位置にどかっと深く腰を下ろすと、隠しきれないニヤけ顔でこちらを見ている。
「あれは完全に惚気だろ」
「の、惚気?」
聞き捨てならない単語に、思わず眉を顰めていると、川島が楽しげに指を立て、解説するように身を乗り出してきた。
「『恋人が、ラブレターもらってるの嫌なんで』って、全校生徒の前で、会長にアプローチしてくる人たち全員にマウント取ったようなものですよ!ねぇ、三浦くん」
「は、はい…!」
三浦も首を縦にぶんぶんと振っている。
これはどっちなんだ。いいのか悪いのか。
「え……ダメでした?」
「いや、むしろ100点だよ」
会長がそう言って微笑む。
どうやら俺の選択は間違っていなかったらしい。
「よし、じゃあ今日はお疲れ様でしたってことで解散しますか!」
中井がパンと手を叩いて勢いよく立ち上がる。
賑やかだった生徒会室に終わりの空気が流れた。各々が荷物をまとめ、満足げな表情で順番に部屋を後にしていく。
戦場のような一日が、ようやく終わろうとしていた。
ーーーー
今日もいつも通り、会長と一緒に帰る予定だ。
学年ごとに場所が分かれているため、俺たちは一旦、昇降口の靴箱の前で別れる。
上履きを脱ぎ、自分の靴に履き替えようとしたその時だった。
「成瀬」
「あ、山名。おつかれ」
「……おつかれ」
隣に立った山名は、いつも通り無表情だが、その瞳の奥がどこか揺れている気がした。
俺が靴を履き終えるのを待っていたかのように、山名が静かに口を開く。
「あ、あのさ。成瀬──」
「悠?」
山名が何か言いかけたところで、背後から声がかかる。
振り返ると、靴を履き替えた会長がこちらへ歩いてくるところだった。
「あ、今行きま……」
会長の方へ一歩踏み出そうとした、その矢先。
ガシッ
「……山名?」
山名に腕を掴まれた。
山名は顔を伏せていて、表情は見えない。だが、掴まれた腕から、指先の微かな震えが伝わってきた。
「山名、どした?」
返事がないので、少し山名に近づいて顔を覗こうとすると。
「……あ、いや。なんでもない」
我に返ったかのように俺の腕から手を離し、パッと顔を上げた。
「……じゃ、また明日」
「あぁ、うん」
山名は短くそう挨拶すると、俺の脇をすり抜けて昇降口から出て行った。
「今の誰?」
小さくなっていく山名の背中を呆然と見つめていると、会長もそちらに目線を移す。
「……あ、友達です。同じクラスの、山名」
「へぇ、友達……」
会長は抑揚のない声でそう呟くと、ゆっくりと俺の方へ向き直った。その瞳には、一瞬だけ鋭い光が宿ったような気がしたが、すぐにいつもの柔らかな微笑みに塗り替えられる。
「じゃあ、俺たちも帰ろう」
「はい」
頷いて、会長の隣に並ぶ。
校門から出ると、会長の指が俺の手に絡む。
気のせいか、それはいつもよりも強い気がした。
会長とたわいのない話をしながら歩く。
でも、山名のあの複雑な表情は頭から離れなかった。



