天国までの記憶列車


 ◇
 
 ――生と死のあわい。多くの祈りが眠り咲く境界に、()()を伴った朝がきていた。

 「起きたかにゃあ。珍しく長いこと寝てたにゃあね」

 オッドアイの黒い猫又が話しかけてくる。最初は声を聞くたびにぎょっとしていたものだが、いまではすっかり慣れてしまった。おれがどれだけ冷淡な態度でも気にするふうもないため、そこは正直、気が楽ではある。

 まあ、相手は猫なようで猫ではない、摩訶不思議な生き物なのだが。

 「……少し、昔の夢を見ていた」

 「昔? まーたあかりへの恋わずらいかにゃ。ほんと一途な男にゃあ」

 「しょうがないだろう。おれは、あかりしか愛せなかった人間なんだから。いまだに過去を変える勇気も出ない、誰よりも臆病な死者なんだ。自覚はある」

 手のなかには一輪のスターチスがあった。

 スターチスの花言葉は、おれの鎖でもある。

 永遠に変わらない、なんて、誰かには夢物語だと鼻で笑われるかもしれない。

 でも、仕方がないのだ。どれだけ周りが馬鹿にしようとも、どれだけほかの人間に理解されなくても、おれの心はあかりと繋がっていたいと望んでしまうのだから。

 「(らい)(らい)()()というからな。いつかまた、生まれ変わったあかりがくるかもしれない」

 「待ってるつもりかにゃ? 憶えていないと思うけどにゃあ」

 「いいんだ、それでも」

 過去を(つい)()するとき、そこには必ずあかりの存在があった。悔いを抱えながらも変化を拒絶するのは、記憶のなかにしかない宝物を壊してしまうのが、ひどく恐ろしいからだ。おれにとって、あかりと過ごした日々以上に、大切にしたいものはない。

 だからおれは、〝追憶行〟で過去に戻らない選択をした。

 『銀ちゃん。この世界は、生きてきた人たちの想いが残る場所なの。外の水面の下に咲く花たちは、その想いや祈りが宿って、あんなに美しく咲いてるんだよ』

 『あかりはね、ここで死者たちを見届けながら考えてたんだ。あかりの想いも、いつかここに宿るのかなって。でも、たったひとり――銀ちゃんへの想いなのに、ここに紛れたら寂しいなって気もして』

 『だから、車掌特権。このスターチスに、あかりの想いをたくさんこめておくね』

 『いつか〝追憶行〟で過去へ戻る決意ができたら、スターチスを見て思い出して。あかりが銀ちゃんを大好きだったこと。あかりたちの時間が幸せだったこと。もし過去を変えたとしても、そのことだけはどうか忘れないで。お願い、銀ちゃん』

 ――あかりの言葉を巡らせながら、ゆっくりと立ち上がる。

 (れい)(ろう)な世界に差し込む、幾多の(こう)(ぼう)。銀糸が重なり、花満ちるなかで(こう)(ぜん)と輝くあわいの世界は、たとえ代り映えしなくても美しい。

 最近、この景色を好ましいと思うようになった。

 最初はなにも感じなかったのに、おれも長く車掌をするうちに心が感化されてきたのだろうか。それとも、この場に残るあかりの想いを継いでいるだけか。

 「まったく……。ほら〝銀〟、そろそろ次の死者がくるにゃあよ」

 「ああ」

 なんにせよ、おれはまだ、この終灯列車の車掌から卒業できそうにない。

 いつか、あかりの言っていたことを理解できる日がくるかもわからない。

 だが、少なくとも次を託したいと思う死者がくるまでは、あかりから引き継いだこの帽子を被り続けるしかないのだろう。

 それでも、案外向いていると思うのだ。

 生きることを選べなかった自分だからこそ、ここで〝誰かのはじまり〟を見守るには適している。

 もとより死者の〝追憶行〟は奇蹟の積み重ねだ。

 こちらがなにもできなくても、きっとそれでいいのだろう。

 想いは時と共に形を変えて、やがてまた、どこかの誰かの胸で芽吹いていくものなのだから。

 終灯列車は走り続ける。この先も、ずっと。

 人がこの世に存在する限り、想いが交錯する過去と未来を結ぶため。

 目には見えない、触れることすら叶わない、心を運んで。

 願わくは、届かなかった死者の想いを、もう一度だけ繋げるようにと――。

 了