天国までの記憶列車


 ◇

 「その……悪かった」

 終灯列車に戻った俺は、車掌とクロに頭を下げた。まさか謝罪されるとは思っていなかったのだろう。車掌は目をわずかに見開いて固まった。

 「ひどい態度だっただろ、あんたたちに」

 「……いえ、構いませんよ。我々はどんな態度をとられても仕事をするだけなので」

 「だとしても、八つ当たりしていい相手ってわけじゃない」

 自分が死んだことをすぐに受け入れられる人間は、きっとごくわずかだ。彼らは慣れているのかもしれないが、冷静に考えれば容易く想像がつく。取り乱した死者の対応は、きっと俺が想像するよりもずっと大変なことだろうと。

 「あんたらが死者に寄り添おうとしてくれる存在だってのは、最初から感じてたんだけどな。でも、正直、信じてなかった。馬鹿げた話だってさ」

 それでも、こうして過去へ戻り、〝追憶行〟を体験したいま、自分がどれだけ甘えて生きていたかわかる。

 俺はなにも悪くないと言い訳して、俺の存在を大切にしてくれていた人までつっぱねて、世界のすべてを拒絶していた。生き地獄だと自分で自分を追いこんで、本当に向き合わなければならなかったことから、目を逸らし続けていた。

 希望を捨てたのは、ほかでもない自分なのに。

 「……まさか、あいつと同じ時間に戻るなんて思ってもみなかった。でも、死んだ俺があの過去を選んだから、きっとさらに過去が上書きされたんだろ?」

 「そうですね。時間というのは、人が思っている以上に曖昧なもので、複雑に交差しています。そもそも世界がひとつだとは限らないのかもしれません」

 車掌は(せい)(ひつ)な空気を纏わせながら、そっと瞼を伏せる。

 「何本にも分かれた世界のどれかひとつが、いまここにいる我々の世界だとして。隣の世界では、あなたはそもそも終灯列車に乗っていなかった、という場合も考えられます。実際、死者が終灯列車に乗れるのは一度きりですからね」

 「いまここにいる渉が戻ったことで上書きされた過去の先、命を落とすまで生きる渉は、もうこの列車には乗れないからにゃあ。あながち、まちがってないかもにゃ」

 ──未来は複雑に変わっていく。選択ひとつで、世界は何本にも分かたれる。

 「俺は……もう、取り返せないけどさ。そうならいいと思うよ」

 いまここにいる俺は人生に絶望していた。けれど、俺が戻った過去の先を生きる俺は、ほんの少し、マシな人生を送るかもしれない。たとえ死の運命は変わらないとしても、こんな俺を見ていてくれる大切なひとたちの存在には気づくかもしれない。

 浩介の存在も、家族の存在も、俺にとってはかけがえのないものなのだと──。

 どうかそうであれと願う。

 俺が振り払ってきた温もりや、優しさや、愛情を、少しでも掬いあげられる自分がどこかにいてくれたらと願う。

 「……ありがとうな。上手く言えねえけど、あんたらがいてくれてよかった」

 「いえ……私は、なにも」

 返答に(きゅう)したのか、車掌は小さく首を横に振った。数拍の間が空く。

 「──こんなことを、私が申し上げていいのかわかりませんが」

 車掌は海の底を映したような深い瞳に迷いを浮かべながら、続けた。

 「あなたは、終灯列車にやってきて、変えたい過去はあると(おっしゃ)られました。戻りたい過去が明白で、やり直したいこともわかっていた。ですがそれは、決して当たり前のことではないのです。戻りたい過去すら……心は後悔しているのに、自分がやり直すべきことすらわからない死者も、ときには存在しますから」

 はたしてそれは誰のことなのか。赤の他人のことを言っているようには思えない口調に、俺は戸惑う。

 最初は機械的なやつだと思っていた。アンドロイドだと説明されたらすんなり信じてしまいそうなほど、この車掌には人が持つ感情の色が見えなかったから。

 だが、こうして言葉を交わしてみると、その感覚がまちがいだったとわかる。

 「なんつーか……俺はただの人間だからさ、なんの力にもなれねえけど」

 どう言葉にするべきか悩み、俺は首の後ろをかきながら視線を落とした。

 「べつに、それでもいいんじゃねえか。やり直したいことがすぐに思いつかないってことは、そいつは人生で自分が後悔しない選択をしてきたってことだろ。後悔とか未練ってのは、必ずしも自分が要因で生まれるもんじゃないだろうしさ」

 「そう、でしょうか」

 「さあな。わからねえけど。ただ俺は、むしろそうありたかったよ。いっこいっこの選択を大事にして、未来に生きる自分が後悔しねえように生きたかった」

 一度口に出してしまった言葉は、もう二度と戻りはしない。取り消せない。そんな当たり前のことさえ、俺は失念していたのだ。この〝追憶行〟がなかったら、そのことにすら俺は気づかないまま死んでいただろう。

 だからこそ──。

 「なにはともあれ、自覚してんならいくらでも考えて悩めるんだ。正解があるのかはわからんが、そいつなりに納得できる答えが出るまで悩みまくるしかねえよ」

 「……はい。きっと、そうなのでしょうね」

 「まあ、ないものねだりなのかもしれねえけどな」

 人の生き方なんて千差万別。俺のなにかが参考になるとも思えない。

 だが、数え切れないほど誰かを傷つけてきたからこそ、戻りたい過去も、やり直したい過去も、本当は山ほどあるのが俺という人間だ。

 えらそうにアドバイスなんてできる立場ではないけれど、こういう人間が導き出した結論は、多少なりとも参考になるかもしれないから。

 「なあ、あんたらにひとつだけ頼みごとをしてもいいか」

 「……頼みごと、というと」

 「なにかにゃあ?」

 「いつかここに──終灯列車に俺の助けた女子高生が乗ることがあったら、伝えてほしいことがあるんだ。まあ、無理だとしても聞くだけ聞いてくれ」

 伝えた言葉に、車掌とクロが顔を見合わせる。

 「もし、俺の死因が変わらなかったら――」

 ──俺がこの場所に残していく言葉が、名前すら知らないあの女子高生に伝わる日がくるとは限らない。俺は〝追憶行〟で過去を変えた影響で、その後新たな人生を歩んだ俺が彼女を助ける未来に繋がらなくなる可能性もあるからだ。

 それでもいい。ただ、俺にできることなんてもうこれくらいだから、もしものために残しておくだけだ。

 この言葉が彼女にどう受け取られるかもわからないけれど、少なくとも同じ経験をした俺だからこそ残していける言葉でもある。

 「んじゃ、頼むわ」

 「はい。では、改めて──」

 車掌は俺に向き合い、仕切り直すように帽子を被り直した。

 「この先は、生と死のあわいから抜けた〝遺世〟です。我々はその入り口までしか共に行けません。そこから先はあなたひとりで進むことになります」

 「ああ。大丈夫だ、ひとりには慣れてるからな」

 「はい。──それでは参りましょうか、〝遺世駅〟へ」

 きっとこんなふうに浩介も〝遺世〟へと進んでいったのだろう。

 いつかまたどこかで巡り合えたらいい。お互い何度生まれ変わったとしても、巡り合った先でまたボールを蹴り合って、馬鹿みたいに笑えたらいい。

 まあ、俺の最期と浩介の最期が共有された奇蹟を考えれば、そのくらい容易く実現できるような気がしてしまうから不思議なのだが。