穢れの令嬢と氷刃の軍神

 近代化の足音が帝都を揺らし、レンガ造りの建物とガス灯が夜を照らすようになっても、この国の「闇」が消えることはなかった。
 人々の営みのすぐ隣、空間の歪みから生じる「綻び」からは、今もなお凶悪な(あやかし)が這い出し災厄を撒き散らしている。

 それらを討つのが、帝国陸軍直轄の対妖部隊。
 そして、戦いの後に裂け目を封じる結界師。

 この国は彼らが守護者となり、平穏がもたらされている。

 この物語は、そんな光と闇が背中合わせの時代。
 帝都の喧騒から切り離された羽倉(はくら)の地から始まる。


 幼い頃、みづきには秘密の場所があった。
 花菱(はなびし)家の屋敷を抜け出し森を抜けた先にある、誰も足を踏み入れない静かな庭だ。

 鳥居も社もないのに空気だけが澄んでいる。
 その真ん中には、大きな大きな樹が立っていた。
 
 祖母が昔、千縁樹(せんえんじゅ)の物語をみづきにだけ話してくれた。
 運命の二人が想いを交わせば、(えにし)は千に増えて離れ難くなる――そんな言い伝えがあるのだと。

 みづきはその樹の根元に座るのが好きだった。ここだけは、誰にも言えない秘密を隠さなくていいからだ。

 みづきは妖が見える――幽識(ゆうしき)の力を持っていた。
 その力は「穢れ」として花菱家は忌み嫌う。だから黙っていた。怖くても独りでも、誰にも言わなかった。
 
 けれど、その庭だけは違った。
 ここには妖の気配が入ってこない。静かで温かくて、怖いものが何もない。
 自分の瞳が呪われたものではないように思える場所。

 何より、ここではひとりではなかった。

 濃紺の着物を着た、少し年上の少年。
 いつも彼は先にそこにいた。そして遠くから千縁樹を見つめている。
 みづきは声をかける勇気がなかった。
 けれど、少し離れた場所に座って同じ樹を見上げる。それだけで不思議と安心できた。

 過去の記憶の中で、ふいに視界が暗転する。
 黒く、禍々しく、みづきの体を引き裂こうとする気配を感じる――妖だ。
 
 初めて見る恐ろしい妖だった。
 自分に向かって襲いかかる姿に足がすくんで、動けない。そして、左目の走る衝撃と痛み――まぶしくて痛くて、そのとき耳に届いた声。

 ―――すまない。

 それきり、みづきの左目は何も映さなくなった。



 (……また、あのときの夢だ)

 みづきが目を覚ますと、そこは座敷牢の中だった。
 薄暗く、かびの匂いがする。小さな格子窓から漏れる光だけがこの部屋の明かりだった。

 この部屋には、季節がない。
 
 帝都から遠く離れた羽倉の地に建つ、花菱家の屋敷。
 その北方にある座敷牢が、花菱みづきの世界のすべてだった。冬になれば隙間風が肌を刺し、夏になれば湿った熱気が肺に張り付く。わずかな高窓から差し込む光だけが、今日という日が過ぎ去ったことを教えてくれる。

 かつては美しかった艶やかな黒髪は、今は埃にまみれ一つに束ねられているだけ。着古した単衣(ひとえ)はくすみ、その姿からは旧華族の長女という面影など微塵も感じられない。 何より彼女の容貌を異様に見せているのは、左目を覆う厚い包帯だった。

 みづきは包帯で覆われた左目を、無意識に指先でなぞった。
 唯一見える右目の視界には、どろりとした墨を零したような「影」が、部屋の隅で蠢いている。
 それは、この世界の綻びから漏れ出す妖の端くれだ。普通の人間には見えないはずの世界の境界を識る力――『幽識』。それが、みづきが穢れの忌み子として座敷牢に放り込まれた理由だった。

 五年前のあの日から、この場所がみづきの居場所になった。
 左目の視力を失った日。妖に襲われて視力を奪われたみづきは、同時に花菱家の人間に知られてしまったのだ。
 自分が、妖の見える体質だということを。
 
 それは花菱家にとって、許されざる穢れだった。

 あの日を境に、すべてが変わった。

 表向きは病に伏せていることになったが、実際は穢れを隠すための幽閉だった。座敷牢に閉じ込められ、他人と接するのは一日二回食事を運んでくる使用人だけ。家族と顔を合わせることは、ほとんどなくなった。

 「お前にはもう、清潔な部屋など必要ないわ」

 母の清子(きよこ)はいつも眉をひそめた。まるで、汚らわしいものでも見るように。
 そして、妹・愛良(あいら)の目には、憐れみとどこか勝ち誇ったような光があった。

 それでも、みづきは耐えた。
 自分が穢れているのなら、せめて家族の邪魔にならないように。そう思い、言われるがまま座敷牢での日々を過ごした。

 あの庭にも行けなくなった。
 幽明(ゆうめい)の庭――千縁樹が立つあの場所だけはみづきの心の拠り所だったが、左目の視力を失ってから、もうあの場所の気配を感じることはできなくなってしまった。
 まるで、自分の存在を拒まれているかのように。

 ああ、そうか――穢れた自分は、もうあの場所にも相応しくないのだ。

 そう思うと、胸が締めつけられた。
 それでも受け入れなければならない。これが自分の運命なのだから。


 格子の向こうから足音が近づいてくる。
 まだ食事の時間に早い。扉が開くとそこに立っていたのは、母の清子だった。背筋を伸ばして、いつものように冷たい目でみづきを見下ろしている。

 「みづき。お前にふさわしい役目を与えることになったわ」

 その声には、いつもの嫌悪が滲んでいた。

 「羽倉の杜に、お前を捧げることが決まったの」

 羽倉の杜――妖が蔓延(はびこ)る禁足の地。
 帝国でさえ手を出せない、危険な場所。つまり、生贄だった。

 「お前が妖に見入られ、その目を奪われたから――その穢れた体質が花菱家とこの羽倉一帯に災いをもたらすんだわ。自分できちんと落とし前をつけなさい」

 生贄――それは文字通り命を捧げ、妖の怒りを鎮めるための供物(くもつ)。この土地の繁栄を守るために、羽倉の土地で代々行われてきた儀式だ。

 みづきに逃げ道はなかった。婿養子である父は母に頭が上がらず、母にとってみづきは一族の恥でしかないのだから。
 不思議と、涙は出なかった。
 ただ、静かな絶望だけが、胸に広がった。

 「ありがたく思いなさいな。最後に少しでも、この家の役に立てるのだから」

 清子の瞳に、毒々しい光が宿った。

 穢れた存在の自分に最後に科せられた役目。
 それでも、最後に家族の役に立てるのなら。

 みづきは汚れた畳の上で正座を整えると、ゆっくりと両手を揃え深々と頭を垂れた。

 「承知いたしました。そのお役目……慎んで、おおせつかります」

 みづきは、花菱の娘としての最後の矜持を振り絞り、微動だにせず頭を下げ続けた。
 期待していたような哀願や嘆きが返ってこなかったことに、清子の顔があからさまに歪む。そしてその姿を見下ろしながら、やがて低く吐き捨てるように言った。

 「……いまいましい!どこまでも可愛げのない娘だこと。せいぜい、杜の中で妖に貪られながら後悔しなさい」

 そう吐き捨てると、清子はもう背を向けていた。
 
 羽倉の杜に生贄として捧げられる、そこでみづきの生は終わる。

 (せめてもう一度だけ、あの庭を見たかった……)

 千縁樹の下で安らぎを感じたかった、というみづきのささやかな願いは、もう叶わないものとなってしまった。




 数日後、座敷牢の扉が開いた。
 いつもは食事を運んでくる下女が来るだけなのに、今日は家令が無表情な顔で立っていた。

 「出なさい」

 もう羽倉の杜へ行かされるのだろうか、と怯えながらあとを歩くと、みづきは違和感を覚えた。屋敷の裏手にある杜ではなく、母屋のほうへ向かってるのだ。

 「今屋敷中が準備で忙しくて人手が足りないからと、清子さまからの命だ」
 「……準備、ですか?」
 「さあ早く。お前はいつものように(かわや)の掃除を。ただし徹底的にだ」

 座敷牢に入れられてからも、不浄とされる場所の掃除だけはみづきの役目だった。家令に急かされながら井戸で水を汲み、冷たい水で雑巾を絞って厠の床に跪いて磨く。

 「あら、お姉さま」

 振り返ると、やや離れた場所に愛良が立っていた。美しい着物を着て髪を結い上げた彼女は、厠の床に這いつくばるように佇むみづきを、憐れむように見下ろしている。

 「外でお会いするときはいつもこの場所ね?まあ、穢れたお姉さまにはこれ以上ないほどお似合いですけど」
 
 その目にはっきりとした優越と蔑みの色が浮かべながら、愛良はゆっくりとみづきに近づいてくる。

 「お姉さまにも、お知らせしておこうと思って。わたくし、一条(いちじょう)家の浩正(ひろまさ)様と祝言(しゅうげん)を挙げることになりましたの」

 一条浩正。その名前を聞いた瞬間、みづきの胸に鋭い痛みが走る。みづきは動揺を隠すようにぎゅっと袖を握りしめた。
 幼い頃からみづきの許嫁だった人。優しくて穏やかで、みづきにとっては数少ない心を許せる相手だったが、みづきが左目の視力と「清浄な令嬢」としての価値を失った瞬間、ふたりの婚約は破棄された。

 穢れた自分などと婚姻など結びたくないだろうと、それも仕方のないことだとみづきは理解していた。

 (でもまさか、愛良と浩正様が……)

 「浩正様、とても優しい方ですのよ。お姉様も昔は仲良くしていらっしゃいましたわね」

 その言葉が胸に突き刺さったが、みづきは表情を変えなかった。

 「……おめでとうございます」
 「心にもないことを。でもお姉様のこんな惨めな姿、浩正様に見せて差し上げたかったわ」

 愛良は心底おかしそうにくすくすと笑った。

 「そういえばお母様から聞きましたわ。祝言の翌日に、羽倉の杜に捧げられるとか。この土地の綻びを鎮める生贄。穢れたお姉様にしかできない尊いお役目ですわね」

 愛良の声はあくまで優しく、けれどその言葉の一つ一つがみづきの心を切り裂いた。

 「最後のお別れに私の花嫁姿を見ていただけるなんて、こんなに嬉しいことはないですわ」

 愛良が去っていく後ろ姿を見送りながら、震える手で雑巾を握りしめると、涙が一粒、床に落ちた。

 

 帝都の外れ、対妖部隊の詰所(つめしょ)
 帝都・帝国陸軍直轄、対妖部隊本部の一室は、夜が更けても明かりは消えていなかった。

 帝国陸軍少佐、五百森(いおもり)朔哉(さくや)。史上最年少で少佐に上り詰めた男。
 返り血を浴びても表情ひとつ変えず、妖を慈悲なく屠るその姿から、部隊内では「氷刃(ひょうじん)の軍神」と恐れられていた。
 だが同時に、部下たちからは絶大な信頼を寄せられてもいる。彼の指揮の下で対妖部隊の戦死者は激減し、帝都の治安は飛躍的に向上したからだ。

 執務室で朔哉が書類に目を通していると、軽く扉がノックされてガチャリと開いた。

 「朔哉。少しいいか」

 扉を開けて入ってきたのは、帝国陸軍直轄の結界師である久我(くが)暁斗(あきと)だった。

 「……許可なく入るなといつも言っているはずだが」
 「固いこと言うなって」

 渋い表情の朔哉に、暁斗は苦笑しながら懐から一通の招待状を取り出した。上質な和紙に金泥(きんでい)で縁取られたものだ。

 「花菱家と一条家の祝言の招待状が届いてな」
 「祝言?」
 「ああ、どちらも羽倉の辺り一帯に代々続いてる旧華族の家だ。古臭い旧家同士の結びつきだよ。俺はどっちも面識はないし、羽倉なんて帝都から離れた田舎だしな」
 「それがどうした。わざわざ自慢しに来たのか?」

 朔哉は面倒くさそうに息をついた。

 久我家は皇統分家で、この帝都の守護に関わる由緒正き名家だ。
 一方の五百森家は、代々妖を殲滅する力を持つ家系として仕えてきたが、旧華族系からは「穢れの家」として忌避されている。当然、旧華族から婚礼の招待状が届くことはない。

 「そんなつもりじゃないさ。そもそも五百森家の妖に対する力に護られながら、その力を忌み嫌うっていうのがバカバカしいと、常々俺は思ってるけどな」
 「今に始まったことではないから別にいい。それより本題はなんだ」

 朔哉に急かされて、暁斗は少し声をひそめる。

 「あそこ、なぜか昔から『綻び』が生じやすいだろ? 俺も何度か呼びつけられて結界を張りに行ったけど、あの土地の淀んだ空気は苦手なんだよ」

 暁斗は椅子に腰を下ろし、肩を竦めた。

 「で、思い出したんだ。朔哉も昔あの辺りで修行してなかったか?確か、一度大ケガして帰ってきたのもその時期だった気がするけど」

 その言葉に、朔哉のペンが止まる。

 「……花菱家と言ったか」
 「そう。花菱家の次女・愛良と、一条家の次男・浩正との婚姻だと。ただ、元は花菱家の長女が浩正の許嫁だったらしい。ちょっと気になって調べたら、花菱家の長女は数年前に重病を患って廃嫡。以来ずっと療養中なんだとさ」

 その言葉に、朔哉は目を見開いた。

 「暁斗。お前は花菱の家系図を詳細に調べろ、すぐにだ」
 
 それだけを告げると、勢いよく立ち上がって軍帽を掴んだ。

 「いいけど、朔哉はどこ行くんだよ」

 朔哉の瞳には普段と変わらぬ冷徹さながら、かすかな炎が揺らいでいる。

 「――対妖部隊第一小隊を招集する」




 そして、祝言の日が訪れた。
 花菱家の屋敷は、朝から慌ただしかった。客を迎える準備や祝宴の支度にと使用人たちが忙しく動き回る音が、座敷牢にまで届いてくる。
 今頃は家中が祝福で賑わっているのだろう。招待された客人たちの声、運ばれる料理の匂い――それらすべてが、みづきの世界からは遠く隔てられている。

 みづきは、薄暗い部屋の中で膝を抱えていた。
 今日、愛良は浩正と結ばれる。そして明日、自分は羽倉の杜に生贄として妖に捧げられる。
 その事実を受け入れようと、みづきは何度も自分に言い聞かせた。それでも、胸の奥に渦巻く恐怖は消えない。

 その時、外からただならぬ騒ぎ声が聞こえてきた。

 「何事だ!」
 「帝国陸軍の……少佐殿が!」
 「止めろ、止めるのだ!」

 怒号と悲鳴、何かが壊れる音。
 みづきは反射的に体を震わせた身を縮める。

 (何が起きているの……?)
 
 帝国陸軍、という声がかすかに聞こえた。まさか妖が屋敷に入り込んだのだろうか。確実にこの座敷牢へと近づいてくる重い足音に、みづきがぎゅっと格子を握った時。

 「……こんなところにいたのか」

 聞こえてきた声に、みづきはおそるおそる顔を上げた。
 視界に入ってきたのは、逆光の中でも圧倒的な存在感を放つ帝国陸軍の軍服と、胸元に輝く数々の勲章。

 「離れていろ」

 その声と研ぎ澄まされた殺気にみづきが後ずさると、座敷牢の扉が軍刀で一閃される。
 砕け散った木片と埃が舞い上がる中、ひとりの男がみづきの前に跪いた。
 
 その男――五百森朔哉は、みづきを見つめた。
 その瞳には安堵の他に、強い揺るぎない感情が宿っていた。

 「やっと――見つけた」

 低くけれど確かな声に、みづきは息をのんだ。

 「あなたは……?」

 朔哉はその問いに答えなかった。
 ただ、みづきの左目に巻かれた包帯を見やると、眉をひそめてから触れようと手を伸ばす。

 「お待ちください!その娘は穢れております!触れてはなりませぬ!!」

 後ろから、母の清子が必死に叫んでいる。父の成久(なるひさ)も親族たちも、廊下に集まって騒いでいた。
 しかし、朔哉は一瞥もくれなかった。

 「穢れだと?この娘を穢したのは貴様らだろう」

 その鋭い眼光とただならぬ殺気に気圧されて、皆一様に押し黙るしかなかった。

 朔哉は躊躇うことなくみづきの左目を覆う包帯を解いていく。
 五年間、決して人に見せることを許されなかった左目が、光の中に晒される。深い蒼色の瞳――幽冥の境を映すかのような色は、暗く沈んだまま何も映さない。

 朔哉は己の手を、みづきの左目に優しく重ねた。
 その瞬間、淡い光が溢れた。
 
 (……え?)

 視界が戻ってくる。
 五年間失われていた左目の視力が、一瞬だけよみがえった。
 両目で世界を見る――その感覚を忘れていた。

 そして、初めて両目ではっきりと朔哉の顔を見た。
 鋭い眼差しは氷のように冷たいのに、その奥に確かに宿る温かさを宿している。

 五年ぶりに両眼で見る世界。
 もう叶うことはないと思っていたのに、みづきは涙があふれるの止められなかった。

 「どうして……?」

 朔哉はみづきの表情を見て、少しだけ表情を緩めた。

 「花菱みづき。君を迎えに来た」

 朔哉ははっきりとそう告げると、みづきを確かな手つきで抱き上げた。

 「お、おやめください!その娘は妖に目を奪われた、忌まわしき……っ」
 「違う」

 朔哉は冷たい声で一蹴すると、腕の中のみづきだけを見つめる。

 「君の左目を奪ったのは妖ではない――俺だ」

 その言葉にみづきは目を見開いた。

 「どういうことですか……?五年前のあのときに何が……っ」
 「今は詳しく話している時間がない」

 みづきは混乱していた。
 何を言っているのか理解できない。何かの間違いではないかと。

 「この娘は帝国陸軍対妖殲滅部隊少佐、五百森朔哉がもらい受ける」

 朔哉の宣言とその名前を聞いた瞬間、花菱家の者たちは凍りつきざわめきが起きた。
 
 五百森家――妖を殲滅する一族。
 そして、氷刃の軍神と恐れられる五百森朔哉。

 「帝国陸軍とはいえ、このような狼藉は許されませんぞ!」
 「文句があるなら帝国に言え」

 朔哉はみづきをまるで壊れ物を扱うように抱きかかえたまま、座敷牢を出て廊下を進む。もう周囲の人間は何も言うことはできず、ただ道を開けて呆然とするしかなかった。

 「あ、あの……」

 みづきは戸惑いながらも、朔哉の胸に身を預けた。彼の体温が、確かに感じられる。

 「もう大丈夫だ」

 朔哉の声は、今までとは違って優しかった。

 「俺が、お前を守る」

 そして、朔哉はみづきを抱いたまま、花菱家の屋敷を後にした。
 混乱する親族たちの声も、母の叫び声も、すべてが遠ざかっていく。
 みづきは、朔哉の胸の中で、ただ茫然としていた。

 朔哉が触れたときに一瞬だけ戻った左目の視力。
 そしてその左目を奪ったのは妖ではなく、朔哉自身だという言葉。

 これから、自分はどうなるのだろうか。
 そして五年前のあのとき、いったい何が起きたのか。

 すべての謎が、まだみづきの胸の中で渦巻いている。
 それでも――朔哉の腕の中は不思議と温かかった。五年間、誰からも触れられることも感じることもなかった温もり。

 みづきは、朔哉の胸に顔を埋めたまま、ただ静かに目を閉じた。