転生探偵・おまめ


 目を開けると、そこは赤の世界。
 自由に動き回れる身体で、このヒモを使って遊ぶのが大好きなんだ。あんまり引っ張ると、動けなくなって、壁に頭をぶつけてしまうんだけど。でも、何も知らないぼくには十分すぎる「自由」だった。

 ーーおまめー、今日も、元気?

 声がするほうに足を出してみる。

 ーーあ、蹴った、蹴った! 見た、見た?

 この声の主は「ちーちゃん」と呼ばれている。この主、自分でも「ちーちゃん」と呼んでいる。それが「子どもっぽいこと」だと知るのはもっとずっとあとの話。このちーちゃんに会うのがすごくすごく楽しみだ。

 ーー先生、赤ちゃんいるの?

 ーーそう。だから、来週からお休みするんだー。

 ーー赤ちゃんいいなー! お腹触らせて!

 子どもの声もよく聞こえる。そして子どもたちはちーちゃんのことを「先生」と呼ぶ。彼らの力は強くはないが遠慮もないので、フワフワした感触が細かく動く。くすぐったいのでそういうときはあまり壁に近づかないようにしている。

 ーーあれ? 動いてないよー。

 ーーじゃあお昼寝してるのかもね。先生も職員室でお休みしてくるね。

 身体を取り巻く「水」がたぷんと揺れて、ちーちゃんが歩き出すのを感じた。歩き始めたら少しでも前に進む出しになるように、壁を蹴るのがぼくのルーティン。

 ーーおお、今日も元気だね。ちーちゃん、おまめに会えるの楽しみだよー! フフフ。

 蹴っていると疲れて眠くなってきた。だんだんまぶたが重くなる。
 ひとつ、ふたつ、みっつ。まぶたを閉じる時間が長くなってきた。

 ーーどうしたの? …くん。

 ーー…って言ったじゃん!

 意識が遠ざかる中で、低いのにキンキン響く怒鳴り声が聞こえてきた。

 ーーごめんね。でも、わたし、赤ちゃん産まなくちゃ。

 ーー赤ちゃんなんて、要らないよ!

 ドスンという衝撃を感じた。

 ーーち…先生、大丈夫!? 救急車、救急車!!

 誰かわからないおじさんの声が、赤の世界で聞いた、最後の声になった。

 *

 目を開けると、そこは白の世界。
 赤の世界に行く前に過ごしていた世界だ。

 「おまめや。気が付いたか?」

 ぼくはフワフワ雲の布団に入っていて、気づくと白いヒゲを床まで生やした仙人様が話しかけてきた。

 「ねえ、ちーちゃんは? ぼく会えるよね?」

 仙人様は口を真一文字に結んで、首を横に振ります。

 「残念じゃが、もうちーちゃんのところには行けない。」

 仙人様がゴツゴツした木の杖で雲をかき分けると、お医者さんの前で泣き崩れているちーちゃんが見えました。

 「ちーちゃん、ぼくだよ。おまめだよー!」

 ちーちゃんはずっと肩を上げて泣いています。隣に立つのは、パパな気がするんだけど、弱虫じゃないはずなのに大泣きしています。

 ーーちーちゃん! ちーちゃん!!

 すっかりお腹がペッタンこのちーちゃんは、パパに支えられて病院を後にしました。おまめの目には涙があふれてきました。

 「ちーちゃん、あんなにぼくを楽しみにしていてくれたのに…。」

 「残念だが、出産というのは最後までわからないもので…。」

 「違う。ぼくは殺されたんだ!」

 ぼくは一生懸命、赤の世界で最後に聴いたことをお話ししました。

 「ふーん。あり得ない話ではないが、決めつけるのもよくない話じゃのぉ。」

 「いや、絶対、絶対! 殺されたんだ!」

 「ほー。」

 仙人様がゴツゴツの木の杖をポンと叩くと、雲の隙間は見えなくなってしまいました。

 「じゃあ、いつ?」

 「そりゃ、寝てたからわからないや。第一、赤の世界に時間の概念はないし。」

 仙人様がフワフワの王様イスに座ったので、ぼくもその辺の雲を丸く固めて、イスにして座りました。

 「じゃあ、どこで?」

 「ちーちゃんの学校! 子どもたちと遊んで職員室に行く途中だった!」

 「残念だが、あの校舎は職員室への行き方が3通りあるのじゃ。遊んでいた場所も教室とは限らんしのぉ。」

 ぼくはぐうの音も出ません。仙人様はヒゲをフサフサ、手櫛でとかしています。

 「でも、絶対、絶対、殺されたんだ!」

 「じゃあ、じゃあ聞くが、誰が殺したんじゃ?」

 「それは…。」

 答えられずモジモジしていると、仙人様が立ち上がって近づいてきました。

 「わからないのに『殺された』など、適当なことを言うでない。」

 仙人様はそのまま背中を向けてお部屋に戻ろうと一歩二歩と歩みを進めています。

 「待って! …ください。」

 勢いよく呼び止めたものの、自分のすることに自信がなく、弱腰になってしまいました。

 「どうした、おまめ。しばらく休みなさい。」

 「いいや、ぼく、すぐに産まれたいです。ちーちゃんを悲しませたやつが許せません。早くヒトの世界に行って、真相を確かめたいんです!」

 仙人様は頭を抱えて考え込んでいます。

 「ダメですか?」

 「ダメではない、ダメでは。ただ、このことは知っておきなさい。」

 仙人様によると、産まれる列の最後に並ばず、横入りして産まれることも可能ではあるそうなのです。でも、横入りに違いありません。それなりの「リスク」というのがあるそうなのです。その「リスク」というのが…。

 「そう、人じゃない可能性。あとは人生の途中からになる可能性。」

 「人生の途中ってどういうことですか?」

 「記憶喪失とか、気を失うとか。身近なところだと、眠った後とか。そういうところに突然おまめの意識が産まれるのじゃ。そういう場合、前の意識の持ち主と身体を共有することになる。」

 仙人様は残念そうに首を横に振りながら説明してくれますが、ぼくにはそんなの関係ありません。

 「いいよ、そんなの。人生の途中だっ…。」

 「本当にか?」

 被せるように仙人様が言いました。

 「人生の途中であれば、生きていられる時間が短い。自分が望まぬ人生が始まっていることだってある。それに、赤ん坊から産まれられたとしても、ちーちゃんに近い存在に産まれられる可能性は限りなく低いのだよ。それでも良いのか?」

 仙人様のゴツゴツの木の杖がおまめのアゴまで伸びてきました。仙人様が何と言おうとぼくの心は決まっています。

 「良いよ。どんな人生だって、産まれられるだけマシさ! どこからだって真相を明らかにしてみせます!」

 仙人様は大きくため息をつきながらうなずきました。

 「よかろう。私は忠告したからの。何が起きても自分の決断に責任を持つのじゃ。」

 今度はぼくが大きくうなずきました。仙人様は長いズボンの裾を持ち上げながら足早にぼくを案内してくれました。しばらく進むと座ると入れそうな土管くらいの入口の前に着きました。すでに何人も並んでいます。

 「すまんな、お急ぎじゃ。」

 「えー! さっきも居たんすけどー!」

 キャップを斜めに被った係員がため息をついています。

 「事前説明はわしからしてある。じゃ、あとは頼んだぞい。」

 「え? 仙人様は?」

 「ここから先は分業なのじゃ。」

 そう言うと仙人様は雲のように消えてしまいました。

 「ったく、クソジジイめ。お前、話聞いてんだよな。後悔しても知らねーぜ。」

 「はい。」

 「じゃ、行くぞ。それ!」

 係員に背中を押されると、入口からスロープを降りて行きました。クルクル、クルクル何度もカーブして、その途中でまた眠くなってしまいました。

 *

 目を開けると、そこは光の世界。
 今まで見たこともないくらいの光がオレの目に飛び込んできた。

 「ひーくん、ひーくん!! あーよかった!!!」

 腕には色々な管がついていて自由に動かすことはできない。世界は赤くもないし、目の前に紐もない、水で満たされてもいない。どうやらオレは「産まれる」ことに成功したようだ。

 「お医者さま、呼んできて!」

 「ああ、わかった!」

 新しい「オレ」の母親と思われる女性が、父親と思われる男性に指図していた。

 「うん。もう大丈夫ですね。明日には退院できるでしょう。」

 「ああ、お医者さま、本当にありがとうございます。」

 「いいえ、佐田(さだ)さん。私は何も。日向(ひなた)くんが頑張ったんですよ。」

 そう言い残すと、お医者さまは部屋から出て行きました。

 ーー新しいオレは、佐田日向か。

 翌日、退院するときに洗面台の鏡で、新しいオレの姿を見た。
 背の高さは、母親の方くらいだから130cmくらい。髪は短めでツンツンしていて、眉毛が太い。太ってはいないが筋肉があるわけでもなく、痩せているわけでもなかった。

 「ひーくんおかえり。学校は明日からでいいから、今日はゆっくりおやすみなさい。」

 「うん。センキュな。」

 自然と口から言葉が出てきた。母親も特に変な様子はない。「人生がすでに始まっている」とはこういうことなのか。

 にゃー、にゃー。

 部屋に入ると、黒猫が足元にすり寄ってきた。

 「おう、ただいま。ミーちゃん。」

 猫の名前がスッと出てきた。自然と手の甲を猫の背にあて、エサが入っているクローゼットを明けに立ち上がった。

 「ぼく、猫なんて飼ったことないのに、自然と世話できるなんて、本物の日向くんはよっぽど世話好きだったんだろうなぁ。」

 「キミもウムレカワリ?」

 突然の声に注意がおろそかになり、エサが器を飛び出して床にこぼれた。

 「誰?」

 「ココ、ココ!」

 声の主は目の前にいる黒猫だった。