ハロー、親愛なる太陽

アルコールが回ったからか、あんなに僕らの中心を占めていた太陽の不在も、意識の端へと追いやられていた。
「あいつ、もう結婚したらしいぜ」
「それでさ、あの時、水輝がコンクールで入賞したときのお祝いさ」
「そういえば、隣のクラスのあの子、モデルになったらしいよ」
 近況報告、思い出話、噂話。僕達は、他人の人生の進み具合を確認しては、安心したり驚いたりもした。

「レオ、くっつきすぎ!自分の体格考えろ!!暑いんだよ」
 遥斗が、自分にのしかかってくる185cm超えの巨体を押し返そうと声を荒げる
「それは、はるちゃんが飲み過ぎだから!俺は寒い、冬は人肌恋しいの!」
「はるちゃんって呼ぶな、離せ!」
「まぁまぁ、落ち着けよふたりとも」
 魚崎が笑いながら、グラスを遠ざける。

 僕と水輝は、そんな喧騒を肴に、少しだけ声を落として言葉を交わす。
「隼人の新作の小説、あの犯人のモデルってさ。もしかして、あの人でしょ、数学の。」
「バレた?」
「図星なんだ、やっぱりね。嫌いな人を犯人にするなんて、趣味悪いよ」
「水輝だって、あの人のこと嫌いだったくせに」
「僕だったら、自分の作品の中にすらいれたくない。落書きに描くのも御免だよ」
 僕らの創作は、いつだって個人的な感情のゴミ捨て場であり、同時に唯一の救いでもあった。そんな暗い共通点を確認し合っていると目の前で遥斗が悲鳴を上げた。
「お前ら、ニヤニヤしてないで助けろ」
「ちゅー!」
「うわ、やめろレオ!!」

 賑やかで、馬鹿らしくて、温かい。
 僕らの二十歳は、間違いなくここにある。

ひとしきり笑い転げたあと、僕は、ここに彼がいないことを一瞬だけ忘れかけていた。

居酒屋を出ると、東京では珍しく雪がふり始めていた。アスファルトの上には、すでに薄く、けれど確かな白さが積もっていた。
 
「かえりたくなーい、まだまだ飲むぞ」
 遥斗が冷たい空気に上機嫌な声を上げ、足をもつれさせながら雪を踏みしめる。

「この近くにカラオケあるよ、そこで朝まですごすか」
 魚崎が白い息を吐きながらスマホで地図を確認する。

 大通りを少し外れたときだった。
周りのガヤガヤした音を切り裂くような、鈍い衝撃音と罵声が響いた。

「調子乗ってんじゃねぇぞ」
「殺すぞ」

 一人の男が壁にぐったりとした様子で寄りかかり、四人ほどの男たちに囲まれ容赦なく蹴り飛ばされていた。真っ白な雪の上にドロリとした赤が広がった。

「え、喧嘩?」
「警察呼んだほうがいいでしょ」
「動画でも撮っとこうぜ」
 通りがかった若者たちがスマホを向けては通り過ぎていく

「なぁ、あれ」
 遥斗が足を止め、凝視した。その声は、恐怖より戸惑いに近く感じた。
「なに?遥斗、関わらないほうがいいって、目あったら殺されるかもよ」
 水輝が不快そうに視線をそらし遥斗の袖を引く。
「はるたん、変なことに突っ込まないの、早く行こ」
 レオもいつもの調子で動くことを促す。

「いいから、見ろって」
「寒いから早く」
 魚崎が宥めるように言ったが、遥斗は頑なに動こうとしない。

「あの人見ろって」
「え?あれって」
 僕も目を細めて見る。だが、僕は目が極端に悪い。暗がりに沈むその男の姿は、不鮮明だ。
「や、山田?あの、二年のときに退学になった」
「違うわバカ、たしかに山田もよく自分から喧嘩ふっかけてはボコボコにされてたけど」

 遥斗が、確信に満ちた、けれど絶望に似た声を上げる。

「あの、騒動の中心で殴られてるの、太陽じゃないか?」

 その名前を耳にした瞬間、心臓が跳ねた。
 雪の上に座り、無慈悲に暴力を浴びている男。

 男は、こちらに気づいていないようだった。ただ、荒い呼吸を繰り返しながら、降り積もる雪を真っ赤に染めていく。額からも鼻からも、どくどくと血を流しながら、虚ろな目で壁によりかかっている。

 あの頃、僕らの中心にいて、誰よりも眩しく笑っていたはずの、大河原太陽が。