「好きです、付き合って下さい」
高校生三年生、春のことだった。
クラス替えをして、二ヶ月が経つ、六月の頃。
僕は、人生で初めて、告白をされた。
弁当を食べていた箸を置いて、ざわめく周囲に、僕は視線を上げた。
そこには、頭を下げて、手のひらをこちらに差し出してくる、いわゆる典型的な告白ポーズをする男がいた。
僕は人にあまり興味がないけど、この男のことは知っていた。日頃から、声の大きな人間の集まるグループに属している。名前は覚えていないけど、顔には覚えがあった。
でも、僕を馬鹿にするのも大概にして欲しい。
この男が恥を描こうが知らない。はっきりと、疑問を口にする。
「まず、君の名前を教えてほしい」
すると、誰かが吹き出す声が聞こえた。小さく嘲笑する声も聞こえる。
男は頭を上げると、「なんで覚えてないんだよ」と不機嫌そうに文句をつけてきた。この男はすごい。日頃関わっていない人間の名前を全部覚えているのだろうか。
「池田優斗って言いま〜す!」
他の男子が、代わるように叫んだ。すると、教室が爆笑の渦に巻き込まれる。
男は恥ずかしくて仕方がないようだった。
「さっさと答えろよ!」
男、池田が急かしてくる。僕は頷いた。
「よろしくお願いします」
「……は?」
僕の声に、周囲の空気が白けた。
まさか、僕が頷くなんて思わなかったのだろう。池田と呼ばれた男も、呆然とこちらを見ている。
「付き合って下さいと言っただろう。僕は君に、興味ないけど。もしかしたら付き合っているうちに、君のように僕に好意を抱くかもしれない。だから、よろしくお願いします」
僕がそう言うと、また誰かが笑い出して、呆然とする池田の肩に手をまわす男子がいる。
「よ、良かったじゃねえか池田ぁ。誰か知らないけど、彼氏ゲットって訳!」
「てかマジで誰? 名前教えてくんね?」
僕は無視して弁当を食べるのに戻る。
すると適当に誰かに声をかけたらしい。騒がしい男子が僕の名前を叫ぶ。
「神崎衣織くんと、池田優斗くんがカップル成立しました〜! 拍手!」
パラパラと手を叩く音が聞こえてくる。でも、他の男子や女子は囁き合って、こちらを見ていた。僕の意趣返しに気づいているのだろうか。
「ふ、ふざけんな。振れよ!」
「君が告白して来たんだろ」
そして、僕には、僕のことなんて好きじゃない彼氏ができた。
実際のところ、僕は自分が、クラス中からおもちゃにされるような、大切な人間じゃない事実に、傷付いてはいた。
もしかしたら明日から、池田の周囲にいる人間から揶揄われるかもしれない。いや、もしかしたらではなく、確実にいじられるだろう。
でも僕は、僕の名誉を傷つけようとする人間に、少しでも復讐がしたかった。僕に意思が無いとでも、怒りの感情がないとでも言うのだろうか。そんな訳ない。
そして池田の靴箱に、メモを入れる。
【恋人と言うからには、僕をそれ相応に扱うようにして下さい】
靴箱にメモを入れると、僕は学校を出た。
次の日、僕は下足室に入ると、池田がいることに気づいた。
何をしているんだろう。目があう。
すると、池田は不満たらたら、と言う顔でこちらに歩み寄ってくる。
「おはよう」
「……はよ」
試しに僕から挨拶してみれば、返事が返ってくる。僕は瞠目した。
この男、何を考えているんだ。
「君は、こんなところで何してるの?」
「はあ? お前がそれ相応に扱えって言って来たんだろ」
僕はポカンとした。
まさか、この男、僕のメモ一枚に従おうとしているのだろうか。
「なんだよ」
「いやまさか、……ちゃんと、聞いてくれるとは思わなくて」
正直に言えば、池田は顔を歪める。
「じゃあ、別れてくれんの?」
「いや」
「なんなんだよ!」
「ちゃんと理解するまで」
「え?」
「君が、人前で、冗談で告白されて、馬鹿にされる気持ちがどう言うことなのか、僕が傷付いたってことを理解するまで、別れないよ」
そう言えば、池田は目を見開いた後、気まずそうに僕から視線を逸らした。
「じゃあ、行こっか」
僕は靴を履き替えると、黙ったままの池田と教室に向かった。
視線が纏わりつく。池田は何も言わないままだ。
僕は教室に入ると「送ってくれてありがとう」と礼を言って、椅子に座った。
「おいおい池田、早速カップルで登校かよ」
そう言って笑われている。他の人間にとっては他人事だ。少し、池田が可哀想だなと思った。まさか眼中にない三軍男子に良いように扱われて、馬鹿にされる。
一週間。
それを期限にしようと思った。
池田に我慢してもらうのは一週間。それ以降は一切近づかない。
でも。
池田は僕のメモを見て、確かに考えてくれたのだろう。自分が口にした言葉の意味を。そして、それを受け取った人間の気持ちを。
恥をかかされたのは僕だ。それをちゃんと、いや、ちゃんとじゃなくても、どこかで理解しているのかもしれない。
それなら良い。
僕は教科書とノートを用意して、授業開始のチャイムが鳴るまで、本を読み続けた。
昼の時間になった。
僕は弁当を持つと、池田に視線を向ける。
池田は朝のことなんて忘れたように、いつもの声の大きな集団と購買へ行こうとしていた。
「池田」
僕が呼ぶと、周囲の声が少し小さくなる。
池田は僕が自分に声をかけているのがわかったのだろう。面倒臭そうな顔で振り向いた。
「何」
「ご飯、一緒に食べようよ」
すると、池田の肩に手を回していた男が「彼女がお呼びだぞ」と笑って揺らす。
池田は一瞬考えるような顔になると、頷く。
「わかった」
「ヒューっ」
誰かが囃し立てる。
「黙れよ。……行くぞ」
「うん」
騒がしい周囲に言い捨てて、池田はパンと紙パックのジュースを持って歩き出す。
どこに行くんだろう。僕は自分から誘っておきながら、池田について行くだけだった。それにしてもまさか、了承するとは。
断られると思っていた。
「どうしたの?」
「何が」
「なんで頷いたの」
池田は横顔で振り返る。
「俺の勝手」
僕は、そう、と頷く。
「どっか、指定とかあんの」
「ううん。食べられるならどこでも良いよ。廊下とかは困るけど」
「んなとこで食べねえわ」
池田は呆れたように言うと、どんどん、人影のない場所へ歩いていく。
僕は不安になった。もしかしてどこかに連れ込まれて、暴力は振るわれないだろうけど……。
すると、松田は空き教室の扉を開ける。
「え、開いてるの?」
「ここ、鍵穴が馬鹿になってて閉めても入れるんだよ」
「マジか」
驚く僕に池田はさっさと中に入っていく。僕は人目を気にして、周囲を見渡すと、さっさと扉を閉めた。そして机に弁当を広げる。
池田はパックジュースのストローを咥えながら言った。
「お前、弁当作ってもらってんの」
「うん、購買高いから」
「高いって、たかだか二百円程度だろ」
「でも、サイズ小さい」
「……それはそうだな」
池田は納得したように頷いて、適当な椅子に座った。
俺は対面になるように座ると、弁当を広げる。
「いただきます」
手を合わせると、肉そぼろのかかったご飯を食べる。
「はー、豪華なことで」
「母さん、料理好きなんだ。いつも凝った料理作ってくれる」
「良かったな」
僕は目の前でメロンパンを食べてパックジュースを飲む池田に、卵焼きを差し出した。
「これ」
「は? 俺が可哀想だってか?」
「恋人は、アーン、とかするんでしょ?」
池田は僕の顔を見ると、ついで卵焼きに視線を向ける。
「……同情とかしてたら、今すぐにでも別れるからな」
「どこに同情する要素があるの?」
池田は黙ると、僕の箸から卵焼きを食べる。すると、瞳を輝かせた。
「うまい」
「でしょ。僕も、料理できるよ。今度、少し多めに持ってこようか?」
池田は、すると、迷ったように言う。
「良いのかよ。俺、材料費とか払わないぞ」
「良いんだよ。僕が勝手にするんだから。……嬉しいんだ」
「何が」
僕ははにかんだ。少し恥ずかしい。
「久しぶりに、お昼ご飯、誰かと一緒に食べるから」
僕は、他人との交流が苦手だ。中学生の時、友人だと思っていた人間に、喋っていてつまらないと言われているのを聞いてから、一人でいる方が楽だと思うようになった。
僕は一口、タコさんウィンナーを食べる。
池田は黙っていたけど、僕がもそもそと昼食を食べる様子を眺めていた。
そしてパンを食べ終えると、空の袋を丸くして、遊んでいる。
「なあ」
「何」
池田は机に頬杖をついて、黒板の方を見ている。僕は首を傾げた。
「昼ご飯、毎日は食えないけど、たまに誘ってやるよ。週二くらいなら、付き合ってやる」
「! いいの?」
「その代わり、うまい弁当作ってこいよ」
「わかった」
「ん」
僕は思った。
多分池田は、優しい男だ。
最初、面倒な人の心慮れない人間だと思っていたが、どうやらそうではないらしい。
僕が一人で食べるのが哀れに思えたのだろうでもそれで良かった。弁当を作らせる。自分はタダ飯が食える。そのために一緒に食べている、と言う言い訳が欲しかったのだろう。
「池田は、中学生の時、何してたの」
「はあ? ……別に、バスケットボール部入ってくるくらいだったよ」
「へえ、強かったの?」
「別に」
「ふーん」
僕はどうでも良さそうに返事をする池田に、いろんな質問をしてみる。
「食べ物は何が好き? 弁当に入れれそうなら入れていく」
「あー、……豚カツ」
「わかった」
「いや入れれねえだろ。一枚のために油使うなよ」
「君、料理するの?」
一枚のために油を使うのは勿体無い。それは、料理をする人間の感覚だ。
池田は僕の質問に、頷いた。
「するよ」
「家族のため?」
「そうだよ。両親共々救急外来の人間だから、帰ってこないんだよ、なかなか」
「帰ってきた時のために、ご飯作ってるの? 優しいね」
池田は僕の言葉に、当たり前のように言葉にする。
「当然だろ、養ってもらってるんだから」
「……君、そんなまともな感性してるくせに、僕に告白したんだ。唆されても、もう二度としちゃダメだよ」
僕が諭すように言えば、池田は気まずそうな顔をする。
「悪かったよ」
「うん。大丈夫、自分がやったなりに、自分でどうにかしないといけないとは思ってるんでしょ?」
「うん」
「馬鹿にされるのが、どれだけ恥ずかしくて、嫌な気持ちになるか、わかった?」
「わかってるよ。ごめん」
池田は本当に反省しているみたいで、何度も謝ってくる。僕は許すことにした。この男にもこの男の人生がある。これ以上僕と付き合っているなんて噂がついたら、これからの学校生活にも影響するだろう。
「一週間我慢してくれたらいい」
「え?」
「一週間、それでこの罰ゲームは終わりだ」
「……まじ?」
池田がほっとしたような顔をする。僕はそれに少し傷ついたけど、当然のことだと思った。いつも居るグループに一日でも早く戻って、学校内での名誉を回復する。池田のこれからの生活にとって、一番重要なことだろう。
「僕と付き合いがあるとか、関わりがあるとか、全部否定しておくといい」
僕は小エビの天ぷらを食べる。きっと今日の夕食にも出てくるだろう。構わない、美味しいから。
「……お前、自分のことなんだと思ってんの?」
池田が、不機嫌そうな声をあげた。
僕は何を怒っているのかと、首を傾げる。
「どうしたの、急に怒って」
「お前、俺に堂々と付き合えっていう割に、自己肯定感低すぎるだろ」
「どこが?」
「別に、別れたって友達じゃなくなるなんて、考えなくていいだろ」
僕はびっくりして、思わず箸を落としそうになる。
どういうことだ。
「君、僕と友達でいたいの?」
僕と君の世界は。北極と南極くらい遠いものだと思っていたのだけど。
僕は箸を取り直すと、またご飯を食べる。
池田は気まずそうな顔で、目を逸らした。
「今更他人ってか?」
「君、僕と話してたら多分、本当に誤解されるよ。池田は神崎とデキる、とか」
「噂するやつは今だって噂してるよ」
「君がいつもつるんでる子たち、僕のこと好きじゃなさそうだけど」
「良いんだよ。ノリでつるんでるだけなんだから」
淡々とそう言う池田に、孤独を感じてしまうのはどうしてなのだろう。
僕も孤独だけど、この男も孤独なのかもしれない。
教室の騒ぎを思い出す。
池田はきっと、この罰ゲームをするにも、多分乗り気じゃなかった。でも、逆らえなかったのだろう。その空気に。池田のような、校内カーストの高い人間は、ノリという、同調圧力に弱い。そして、池田で遊びたかったのだ。馬鹿にできる人間が増えるのは面白いから。
でも僕は、告白を受けた。真面目な顔をして、仕返しをしたのだ。
少しは池田を守るだろうか。僕は動物を観察するような気持ちで見ていた。
でも、池田の周りの人間は面白がって、醜聞を大声で広げる。そんな人間の集まりだった。
そんなところに居て、楽しいのか。
僕は聞きたかったけど、黙っておくことにした。
「本当の友達はいるの。中学の時代の、バスケ部の友達とか」
「居ねえよ。適当にしてたって言っただろ」
「……、じゃあ、僕と本当の友達になる?」
僕は、手を差し出した。
震えている。目に見えていた。
池田はこちらに視線を戻して、僕の差し出した手を見る。
「……お前、マジ? 死ぬほど馬鹿にされといて?」
「うん。だって、君は僕を見てくれる」
僕の送った紙切れに、誠実にいてくれた君。
お昼ご飯に誘っても、結局は着いてきてくれて、僕の母さんの作った卵焼きを食べてくれて、美味しいと喜んでくれた。
僕と、一緒に居たくないんだろうけど。でもその割には、僕を友達として扱ってくれる。
「……」
池田は黙っていた。
断りたいのだろう。
僕は手を下ろそうとした。
その時、手のひらを温かいものが包む。
僕は目を見開いた。
震える手が、ぎゅっと握られた。
池田の手だ。
「豚カツ、作ってこいよ」
「……油回って美味しくなくなるよ」
「工夫しろよ」
「簡単に言うなよ」
僕は笑った。すると、池田も仕方がなさそうに笑う。
僕たちは恋人ではない。
友達でもなかった。
でも今、名前のつけられない、二人だけの形ができた。
高校生三年生、春のことだった。
クラス替えをして、二ヶ月が経つ、六月の頃。
僕は、人生で初めて、告白をされた。
弁当を食べていた箸を置いて、ざわめく周囲に、僕は視線を上げた。
そこには、頭を下げて、手のひらをこちらに差し出してくる、いわゆる典型的な告白ポーズをする男がいた。
僕は人にあまり興味がないけど、この男のことは知っていた。日頃から、声の大きな人間の集まるグループに属している。名前は覚えていないけど、顔には覚えがあった。
でも、僕を馬鹿にするのも大概にして欲しい。
この男が恥を描こうが知らない。はっきりと、疑問を口にする。
「まず、君の名前を教えてほしい」
すると、誰かが吹き出す声が聞こえた。小さく嘲笑する声も聞こえる。
男は頭を上げると、「なんで覚えてないんだよ」と不機嫌そうに文句をつけてきた。この男はすごい。日頃関わっていない人間の名前を全部覚えているのだろうか。
「池田優斗って言いま〜す!」
他の男子が、代わるように叫んだ。すると、教室が爆笑の渦に巻き込まれる。
男は恥ずかしくて仕方がないようだった。
「さっさと答えろよ!」
男、池田が急かしてくる。僕は頷いた。
「よろしくお願いします」
「……は?」
僕の声に、周囲の空気が白けた。
まさか、僕が頷くなんて思わなかったのだろう。池田と呼ばれた男も、呆然とこちらを見ている。
「付き合って下さいと言っただろう。僕は君に、興味ないけど。もしかしたら付き合っているうちに、君のように僕に好意を抱くかもしれない。だから、よろしくお願いします」
僕がそう言うと、また誰かが笑い出して、呆然とする池田の肩に手をまわす男子がいる。
「よ、良かったじゃねえか池田ぁ。誰か知らないけど、彼氏ゲットって訳!」
「てかマジで誰? 名前教えてくんね?」
僕は無視して弁当を食べるのに戻る。
すると適当に誰かに声をかけたらしい。騒がしい男子が僕の名前を叫ぶ。
「神崎衣織くんと、池田優斗くんがカップル成立しました〜! 拍手!」
パラパラと手を叩く音が聞こえてくる。でも、他の男子や女子は囁き合って、こちらを見ていた。僕の意趣返しに気づいているのだろうか。
「ふ、ふざけんな。振れよ!」
「君が告白して来たんだろ」
そして、僕には、僕のことなんて好きじゃない彼氏ができた。
実際のところ、僕は自分が、クラス中からおもちゃにされるような、大切な人間じゃない事実に、傷付いてはいた。
もしかしたら明日から、池田の周囲にいる人間から揶揄われるかもしれない。いや、もしかしたらではなく、確実にいじられるだろう。
でも僕は、僕の名誉を傷つけようとする人間に、少しでも復讐がしたかった。僕に意思が無いとでも、怒りの感情がないとでも言うのだろうか。そんな訳ない。
そして池田の靴箱に、メモを入れる。
【恋人と言うからには、僕をそれ相応に扱うようにして下さい】
靴箱にメモを入れると、僕は学校を出た。
次の日、僕は下足室に入ると、池田がいることに気づいた。
何をしているんだろう。目があう。
すると、池田は不満たらたら、と言う顔でこちらに歩み寄ってくる。
「おはよう」
「……はよ」
試しに僕から挨拶してみれば、返事が返ってくる。僕は瞠目した。
この男、何を考えているんだ。
「君は、こんなところで何してるの?」
「はあ? お前がそれ相応に扱えって言って来たんだろ」
僕はポカンとした。
まさか、この男、僕のメモ一枚に従おうとしているのだろうか。
「なんだよ」
「いやまさか、……ちゃんと、聞いてくれるとは思わなくて」
正直に言えば、池田は顔を歪める。
「じゃあ、別れてくれんの?」
「いや」
「なんなんだよ!」
「ちゃんと理解するまで」
「え?」
「君が、人前で、冗談で告白されて、馬鹿にされる気持ちがどう言うことなのか、僕が傷付いたってことを理解するまで、別れないよ」
そう言えば、池田は目を見開いた後、気まずそうに僕から視線を逸らした。
「じゃあ、行こっか」
僕は靴を履き替えると、黙ったままの池田と教室に向かった。
視線が纏わりつく。池田は何も言わないままだ。
僕は教室に入ると「送ってくれてありがとう」と礼を言って、椅子に座った。
「おいおい池田、早速カップルで登校かよ」
そう言って笑われている。他の人間にとっては他人事だ。少し、池田が可哀想だなと思った。まさか眼中にない三軍男子に良いように扱われて、馬鹿にされる。
一週間。
それを期限にしようと思った。
池田に我慢してもらうのは一週間。それ以降は一切近づかない。
でも。
池田は僕のメモを見て、確かに考えてくれたのだろう。自分が口にした言葉の意味を。そして、それを受け取った人間の気持ちを。
恥をかかされたのは僕だ。それをちゃんと、いや、ちゃんとじゃなくても、どこかで理解しているのかもしれない。
それなら良い。
僕は教科書とノートを用意して、授業開始のチャイムが鳴るまで、本を読み続けた。
昼の時間になった。
僕は弁当を持つと、池田に視線を向ける。
池田は朝のことなんて忘れたように、いつもの声の大きな集団と購買へ行こうとしていた。
「池田」
僕が呼ぶと、周囲の声が少し小さくなる。
池田は僕が自分に声をかけているのがわかったのだろう。面倒臭そうな顔で振り向いた。
「何」
「ご飯、一緒に食べようよ」
すると、池田の肩に手を回していた男が「彼女がお呼びだぞ」と笑って揺らす。
池田は一瞬考えるような顔になると、頷く。
「わかった」
「ヒューっ」
誰かが囃し立てる。
「黙れよ。……行くぞ」
「うん」
騒がしい周囲に言い捨てて、池田はパンと紙パックのジュースを持って歩き出す。
どこに行くんだろう。僕は自分から誘っておきながら、池田について行くだけだった。それにしてもまさか、了承するとは。
断られると思っていた。
「どうしたの?」
「何が」
「なんで頷いたの」
池田は横顔で振り返る。
「俺の勝手」
僕は、そう、と頷く。
「どっか、指定とかあんの」
「ううん。食べられるならどこでも良いよ。廊下とかは困るけど」
「んなとこで食べねえわ」
池田は呆れたように言うと、どんどん、人影のない場所へ歩いていく。
僕は不安になった。もしかしてどこかに連れ込まれて、暴力は振るわれないだろうけど……。
すると、松田は空き教室の扉を開ける。
「え、開いてるの?」
「ここ、鍵穴が馬鹿になってて閉めても入れるんだよ」
「マジか」
驚く僕に池田はさっさと中に入っていく。僕は人目を気にして、周囲を見渡すと、さっさと扉を閉めた。そして机に弁当を広げる。
池田はパックジュースのストローを咥えながら言った。
「お前、弁当作ってもらってんの」
「うん、購買高いから」
「高いって、たかだか二百円程度だろ」
「でも、サイズ小さい」
「……それはそうだな」
池田は納得したように頷いて、適当な椅子に座った。
俺は対面になるように座ると、弁当を広げる。
「いただきます」
手を合わせると、肉そぼろのかかったご飯を食べる。
「はー、豪華なことで」
「母さん、料理好きなんだ。いつも凝った料理作ってくれる」
「良かったな」
僕は目の前でメロンパンを食べてパックジュースを飲む池田に、卵焼きを差し出した。
「これ」
「は? 俺が可哀想だってか?」
「恋人は、アーン、とかするんでしょ?」
池田は僕の顔を見ると、ついで卵焼きに視線を向ける。
「……同情とかしてたら、今すぐにでも別れるからな」
「どこに同情する要素があるの?」
池田は黙ると、僕の箸から卵焼きを食べる。すると、瞳を輝かせた。
「うまい」
「でしょ。僕も、料理できるよ。今度、少し多めに持ってこようか?」
池田は、すると、迷ったように言う。
「良いのかよ。俺、材料費とか払わないぞ」
「良いんだよ。僕が勝手にするんだから。……嬉しいんだ」
「何が」
僕ははにかんだ。少し恥ずかしい。
「久しぶりに、お昼ご飯、誰かと一緒に食べるから」
僕は、他人との交流が苦手だ。中学生の時、友人だと思っていた人間に、喋っていてつまらないと言われているのを聞いてから、一人でいる方が楽だと思うようになった。
僕は一口、タコさんウィンナーを食べる。
池田は黙っていたけど、僕がもそもそと昼食を食べる様子を眺めていた。
そしてパンを食べ終えると、空の袋を丸くして、遊んでいる。
「なあ」
「何」
池田は机に頬杖をついて、黒板の方を見ている。僕は首を傾げた。
「昼ご飯、毎日は食えないけど、たまに誘ってやるよ。週二くらいなら、付き合ってやる」
「! いいの?」
「その代わり、うまい弁当作ってこいよ」
「わかった」
「ん」
僕は思った。
多分池田は、優しい男だ。
最初、面倒な人の心慮れない人間だと思っていたが、どうやらそうではないらしい。
僕が一人で食べるのが哀れに思えたのだろうでもそれで良かった。弁当を作らせる。自分はタダ飯が食える。そのために一緒に食べている、と言う言い訳が欲しかったのだろう。
「池田は、中学生の時、何してたの」
「はあ? ……別に、バスケットボール部入ってくるくらいだったよ」
「へえ、強かったの?」
「別に」
「ふーん」
僕はどうでも良さそうに返事をする池田に、いろんな質問をしてみる。
「食べ物は何が好き? 弁当に入れれそうなら入れていく」
「あー、……豚カツ」
「わかった」
「いや入れれねえだろ。一枚のために油使うなよ」
「君、料理するの?」
一枚のために油を使うのは勿体無い。それは、料理をする人間の感覚だ。
池田は僕の質問に、頷いた。
「するよ」
「家族のため?」
「そうだよ。両親共々救急外来の人間だから、帰ってこないんだよ、なかなか」
「帰ってきた時のために、ご飯作ってるの? 優しいね」
池田は僕の言葉に、当たり前のように言葉にする。
「当然だろ、養ってもらってるんだから」
「……君、そんなまともな感性してるくせに、僕に告白したんだ。唆されても、もう二度としちゃダメだよ」
僕が諭すように言えば、池田は気まずそうな顔をする。
「悪かったよ」
「うん。大丈夫、自分がやったなりに、自分でどうにかしないといけないとは思ってるんでしょ?」
「うん」
「馬鹿にされるのが、どれだけ恥ずかしくて、嫌な気持ちになるか、わかった?」
「わかってるよ。ごめん」
池田は本当に反省しているみたいで、何度も謝ってくる。僕は許すことにした。この男にもこの男の人生がある。これ以上僕と付き合っているなんて噂がついたら、これからの学校生活にも影響するだろう。
「一週間我慢してくれたらいい」
「え?」
「一週間、それでこの罰ゲームは終わりだ」
「……まじ?」
池田がほっとしたような顔をする。僕はそれに少し傷ついたけど、当然のことだと思った。いつも居るグループに一日でも早く戻って、学校内での名誉を回復する。池田のこれからの生活にとって、一番重要なことだろう。
「僕と付き合いがあるとか、関わりがあるとか、全部否定しておくといい」
僕は小エビの天ぷらを食べる。きっと今日の夕食にも出てくるだろう。構わない、美味しいから。
「……お前、自分のことなんだと思ってんの?」
池田が、不機嫌そうな声をあげた。
僕は何を怒っているのかと、首を傾げる。
「どうしたの、急に怒って」
「お前、俺に堂々と付き合えっていう割に、自己肯定感低すぎるだろ」
「どこが?」
「別に、別れたって友達じゃなくなるなんて、考えなくていいだろ」
僕はびっくりして、思わず箸を落としそうになる。
どういうことだ。
「君、僕と友達でいたいの?」
僕と君の世界は。北極と南極くらい遠いものだと思っていたのだけど。
僕は箸を取り直すと、またご飯を食べる。
池田は気まずそうな顔で、目を逸らした。
「今更他人ってか?」
「君、僕と話してたら多分、本当に誤解されるよ。池田は神崎とデキる、とか」
「噂するやつは今だって噂してるよ」
「君がいつもつるんでる子たち、僕のこと好きじゃなさそうだけど」
「良いんだよ。ノリでつるんでるだけなんだから」
淡々とそう言う池田に、孤独を感じてしまうのはどうしてなのだろう。
僕も孤独だけど、この男も孤独なのかもしれない。
教室の騒ぎを思い出す。
池田はきっと、この罰ゲームをするにも、多分乗り気じゃなかった。でも、逆らえなかったのだろう。その空気に。池田のような、校内カーストの高い人間は、ノリという、同調圧力に弱い。そして、池田で遊びたかったのだ。馬鹿にできる人間が増えるのは面白いから。
でも僕は、告白を受けた。真面目な顔をして、仕返しをしたのだ。
少しは池田を守るだろうか。僕は動物を観察するような気持ちで見ていた。
でも、池田の周りの人間は面白がって、醜聞を大声で広げる。そんな人間の集まりだった。
そんなところに居て、楽しいのか。
僕は聞きたかったけど、黙っておくことにした。
「本当の友達はいるの。中学の時代の、バスケ部の友達とか」
「居ねえよ。適当にしてたって言っただろ」
「……、じゃあ、僕と本当の友達になる?」
僕は、手を差し出した。
震えている。目に見えていた。
池田はこちらに視線を戻して、僕の差し出した手を見る。
「……お前、マジ? 死ぬほど馬鹿にされといて?」
「うん。だって、君は僕を見てくれる」
僕の送った紙切れに、誠実にいてくれた君。
お昼ご飯に誘っても、結局は着いてきてくれて、僕の母さんの作った卵焼きを食べてくれて、美味しいと喜んでくれた。
僕と、一緒に居たくないんだろうけど。でもその割には、僕を友達として扱ってくれる。
「……」
池田は黙っていた。
断りたいのだろう。
僕は手を下ろそうとした。
その時、手のひらを温かいものが包む。
僕は目を見開いた。
震える手が、ぎゅっと握られた。
池田の手だ。
「豚カツ、作ってこいよ」
「……油回って美味しくなくなるよ」
「工夫しろよ」
「簡単に言うなよ」
僕は笑った。すると、池田も仕方がなさそうに笑う。
僕たちは恋人ではない。
友達でもなかった。
でも今、名前のつけられない、二人だけの形ができた。



