魔法使いに明日は無い


 魔法の三大原則なんて、クソ食らえだ。

『見られず、知られず、当てにせず』。この原則を破ったヤツは人の記憶から──かき消される。それこそ魔法みてェに。どれだけ一緒に過ごした相手だろうとお構いなし。……チッ、このツケ、後できっちり払ってもらうぜ?

 憶えていたら、の話だがな。


 一


「……おい、そこの。聞こえていないのか? えー、誰だったか。ぺらっ……そうだそうだ。一年一組、出席番号十九番、才賀。才賀天雄(さいがたかお)!」
「んが?」

 重い(まぶた)持ち上げると、英語教師の有原(あるはら)と目が合った。それだけじゃない。クラス中の視線を独り占めしていた。
 丸眼鏡の奥で眉根をピクリと痙攣させ、有原は黒板をコンコンと叩いた。

「『んが』じゃない。ここの問題、解いてみなさい」
「んが」
「『んが』で返事をするんじゃない」

 寝起きの怠い身体を起こして、有原の隣に並ぶ。アルファベットで埋め尽くされた黒板はまるで催眠術だ。対峙するだけで欠伸(あくび)が漏れ出す。

「ふわっ……」
「ギロッ!」
「……しゃき」

 有原から鋭く睨まれ、背筋を伸ばして擬音語で応じる。よく擬音語を口にする有原の真似事だ。
 問題の意味はわからない。だが、“答え”はわかる。
 迷いなく手を動かし、チョークを置く。俺が手についた粉を払う横で、有原は忌々しげに唸り声を上げた。

「むう……ご名答。予習は万端というワケか」
「……“昨日”も解いたからな」

 丁度その時チャイムが鳴り響いた。時計の針は午後三時半を指している。

「今日はこれまで。明日は二章から再開する。では解散。しゅばっ」

 有原はきびきびとした足取りで教室を去っていた。起立も礼も省略した有原の授業スタイルに慣れているのだろう、クラスメートは有原が言い終える前から帰り支度を始めていた。
 俺が通っている王魔高校(おうまこうこう)は公立の進学校だ。中学の頃と学習科目はほぼ変わらず、放課後になれば勉強にバイトに部活動にと、西に傾いてゆく夕日を背にして、クラスメートが続々と教室を飛び出してゆく。

 ──つまんねェ。

 一方、俺は未だ帰り支度も始めず、ぼうっと教室内を眺め回していた。誰も俺を見ていない。誰も俺を気にしていない。まるで透明人間にでもなったようだ。それでもこうして長居しているのは、心のどこかで現状を脱したいと願っているからだろう。

「……アホらし」

 (ようや)く俺が動き出す頃には、教室内の人口は半分以下に減っていた。残っているのはお喋り好きの女子くらいだろう。

「もしもーし、物憂げな少年よ。キミだよ、キミ」
「んがッ!?」

 不意に至近距離から顔を覗き込まれ、俺は反射的に椅子ごと身体を引いた。

「才賀クン? ……だよね?」
「……才賀だが?」

 俺が手短に返すと、不破はパアッと笑顔を花咲かせた。

「そうだよね! 良かった〜、人違いじゃなくて」
「クラスメートなんだが」

 ──しかも中一からの腐れ縁。
 俺の内心を知ってか知らずか、不破は「ごめんごめん」と顔の前で手を合わせた。
 不破結芽(ふわゆめ)。俺と同じ中学出身で、ゆるっとした雰囲気にふわっとした巻き髪がよく似合う、いわゆる“ゆるふわ系女子”だ。

「つうか何だよ、その体勢は?」

 依然として俺と机の間に顔を割り込ませた体勢であることを指摘すると、不破は目を丸くした。

「えっ? へりくだってるだけだよ?」
「どう見たってホラーの画角だろうが」

 真夜中であれば悲鳴を上げていたことだろう。
 体勢を戻した不破は「実はさ」と本題に入った。

紫藤(しどう)先生が才賀クンを探してたんだ」
「“鉄仮面”か」

 教育指導部の紫藤。鉄仮面に鉄仮面を重ねたような性格をしており、ヤツが笑った顔を見た者はいないと言われている。

「うん。『生徒指導室へ来るように』って」
「生徒指導室?」

 窓の外に見えるもう一つの校舎を眺める。
 王魔高校の校舎は、クラスルームがある一般棟と、特別教室がある特別棟で構成されている。一般棟一階のここ一年一組から、特別棟四階の生徒指導室への道のりは見た目以上に遠い。

「遠過ぎだろ。……クソ、だりィ」

 悪態とは対照的に、しかし俺の心は浮き足立っていた。

 ──もしかしたら“昨日の一件”かもしれねェ。

 善は急げだ。肩に鞄を引っ提げ、俺は教室を後にする。

「才賀クン」
「んが?」

 不意に呼び止められ、間抜けな声が零れる。振り返った先では、不破が上目遣いに俺の顔を覗き込んでいた。

「実は……私もね、昼休みに紫藤先生から呼び出されたんだ」
「……へえ。何で呼び出されたんだ?」
「それがわかんないんだよね」不破は首を横に振る。「昨日は普通に授業受けて、ミーナと一緒に帰って、家でもいつもどおりで……。才賀クンは何か知ってる?」
「……さあな」

 しらを切って教室を出ると、背後から不破の話し声が聞こえてきた。『ミーナ』とか言う友人との会話だろう。

「ね、ね、結芽! 才賀クンと何喋ってたの?」
「紫藤先生に呼ばれてた件だよ」
「ふ~ん。それだけ? 結芽って才賀クンと同じ中学だし仲良いんでしょ?」
「うーん、確かに同じ学校だったけど──」

 不破の声に困惑が滲んだ。

「──喋ったことも、同じクラスにもなったことないんだよね」

 ──違う。

 俺は不破と中学で三年間同じクラスだった。隣の席になったことがあるし、何なら同じ緑化委員会でよく喋っていた。


『才賀クン、花は愛でるものだよ? 大切にすればするほど胸がいっぱいになる。そう、好きなヒトと同じように……。ううん! 何でもない!』


 このやり取り以来、俺は不破の善性に惹かれるようになった。これが記憶違いであるワケがない。
 だが、不破が嘘を吐いているワケでもない。彼女にとって、“才賀天雄”という男子生徒は王魔高校で初めて知り合った生徒の一人に過ぎない認識なのだ。

 ──不破は俺のことを忘れている。


 二


 昨日の放課後。教室でぼんやりと空を眺めていた俺の耳に男女の話し声が入ってきた。

「不破、頼む!」
「……うん、わかった。悩める青少年のためだもんね」

 ──不破のヤツ、また安請け合いしやがって。そうやって誰彼構わず助けるから勘違いされるんだ。

 見返りを求めない不破の善性は高校生になっても健在だった。中学時代は親身になった相手から気があると勘違いされることが多々あったが、高校生になっても苦労は絶えなさそうだ。
 相手の顔だけでも見てやろうと振り返ると、不破は自分よりも一回りも二回りも身体が大きい男子生徒と話していた。プロレスラーのような体型だ。

 ──あいつは……四組の大貝か。

 大貝剛(おおがいつよし)。恵まれた体躯から、入学早々多くの部活から勧誘を受けている生徒が居ると話題になっていた。最終的に柔道部に落ち着いたと聞いている。

 ──お気の毒様。フラれるまでが既定路線とも知らねェで。

 大貝は不破を引き連れて教室を出て行った。俺も帰り支度をしようと身体を戻しかけたが、視界の隅、大貝の首筋に“それ”を見つけ、思わず目を見張った。

 ──まさか、あいつ……!

 振り返った先には既に二人の姿は無かった。

「ちっ!」

 帰り支度も放り投げ、咄嗟に俺は二人の後を追いかけた。
 二人が向かった先は一般棟の裏手にある焼却炉だった。今は環境やら健康への配慮によって廃止になったため、生徒が近付くことはない。
 校舎の陰から覗くと、大貝はこちらに背を向け、不破の口を力任せに塞いでいた。それだけではない。大貝の巨躯に隠れているが、不破の制服はところどころ乱れている。
 だが、俺が注目したのはそこではなかった。大貝の首筋に浮かび上がっている“黒い紋様”だ。

 ──アレは“黒紋(こくもん)”! やっぱりあいつ、“心魔(しんま)”が取り憑いてやがる!

 心魔。それは思春期の不安定な心に取り憑く悪魔。取り憑かれた者は身体に黒紋が浮かび上がり、抑え込んでいた欲望を発露する。人に危害を及ぼしたり、犯罪に手を染めるケースもある。
 これを(はら)うには三つの手段がある。一つ、欲望を満たすこと。二つ、命を奪うこと。そして、三つ目。これが取り憑かれた者にとって最善の手段であり、俺にとっては最悪の手段となる。

「おい、そこで何してんだ?」

 俺が校舎の陰から姿を現すと、大貝は動きを止めて振り返った。

「ああん? 何者(なにもん)だお前?」

 大貝の注意が逸れた隙に不破は身体を捩り、喉が張り裂けんばかりに叫んだ。

「才賀クンッ! 助けてッ!」

 次の瞬間、俺は右手を振り上げ、大貝へ向かって駆け出していた。

 心魔を祓う三つ目の手段、それは──心魔を直接叩くこと。

 振りかぶった拳は大貝の頬へと叩き込まれた。しかし、大貝はびくともせず、俺の腹部目掛けて蹴りを繰り出した。

「うぐぉっ!!」

 身体がくの字に折れ曲がり、俺はその場に(ひざまず)いた。額に脂汗が滲む。痛みで呼吸もままならない。
 俺の身体に影が落ちる。頭上では大貝が苛立ちのこもった双眸で俺を睨みつけていた。

「誰にも言うなよ? これは“そういうプレイ”なんだからよ」

 小刻みに揺れ動く瞳。最早正気とは思えない。
 不破を一瞥する。怯えのあまり俺の目配せに反応できないようだ。
 発言の真偽は不明。だが、やるしかない。それが俺の使命であり、存在意義なのだ。

 ──いや……使命だとか存在意義だとか、そうじゃねェだろ。

 今にも消えてしまいそうなほど怯えた不破を見れば一目瞭然だ。

「……助けて、って言われて助けねェアホが居るかよ」

 俺はよろよろと立ち上がる。

「軽い怪我で済ませるつもりだったんだがな」
「ああ? 何だって?」

 眉間に皺を刻む大貝へ向かい、俺は挑発するように中指を立てた。

「今からテメエをぶっ倒してやるっつってんだよッ!!」
「んだと!? 死ねよッ──!!」

 大貝が拳を振り上げると同時に、不破は目をきつく(つむ)った。

「いやぁッ!!」

 不破とは対照的に、俺は二人の姿をしかとこの目に捉え、右手を正面に伸ばした。
 普通に殴るだけでは、心の奥深くに巣食う心魔を叩くことはできない。目には目を。歯には歯を。魔には──魔を。

(なんじ)泥濘(でいねい)たる流れにその身を委ねよ──」

 刹那、キンッと澄んだ音と共に周囲の風景が歪み、瞬きする間にそれは収まった。
 次に俺の視界に映ったもの、それは──彫刻の如く拳を上げたまま微動だにしない大貝と、目を瞑ったままの不破の姿だった。
 まるで時間が止まったかのよう。しかし、風の音も、カラスの鳴き声も、野球部の掛け声さえも、先ほどまでと変わらずに聞こえてくる。
 時が止まったのではない。不破と大貝の体感速度だけ(・・・・・・・・・・・・)止まっているのだ。

遅延魔法(クロックダウン)……せいぜい三十秒ってとこか。チッ、せっかくうまくやってきたのに、また“やり直し”かよ」

 俺は大貝の背後に滑り込み、腰を落とした。

「“魔法の三大原則”なんて、クソ食らえだ」

 血液を沸騰させるようなイメージで右手に熱を集中させる。手のひらからゴポゴポと音を立て、溶岩のようなエネルギーが湧き出してゆく。

「『見られず、知られず、当てにせず』。この原則を破ったヤツは人の記憶から──かき消される。それこそ魔法みてェに。どれだけ一緒に過ごした相手だろうとお構いなし。……チッ、このツケ、後できっちり払ってもらうぜ?」

 やがて溢れ出したエネルギーは、打ち鍛えられた鋼のように一つの紋様へと収束した。

破魔(はま)(いん)──」

 その紋様が煌々と輝き出すと、ゴミを漁っていたカラスが逃げるように飛び立った。強風が吹き荒れ、やがて風が凪いでゆく。

「憶えていたら、の話だがなァ!!」

 大貝の背中目掛け、俺は右の掌底を叩き込んだ。

「その身にしかと刻み込めェッ!!」

 破魔の印を中心にして大貝の制服が同心円状に波打った、次の瞬間──大貝の身体は鉄砲玉のように音を立てて吹き飛んだ。校舎の壁に顔面から衝突し、漸く静止した大貝の首筋から黒紋が砂のように霧散してゆく。

「はあ、はあ……消えたか」

 役目を果たした破魔の印が俺の右手から消えてゆく。
 俺は息を整え、不破を振り返る。

「いやぁッ!!」

 ジャスト三十秒。不破の悲鳴がストップウォッチ代わりとなった。
 呻き声を上げる大貝を前にして、不破は目を皿のように丸くした。

「えっ……!? な、何っ!? 急に、あっちに、えっ……!?」

 不破からすれば、突然大貝がワープしたように視えたのだ。混乱するのも仕方がない。

「才賀クン、一体何が起きたの……?」
「あー、これはだな……」
「才賀ッ!!」

 不意に背後から鬼気迫る声が聞こえた。振り返ると、そこには白衣姿の男が立っていた。さらにその奥、校舎の陰からは一人の男子生徒がこちらを見ていた。

「今のは一体、何なんだ? お前は……何者なんだ?」

 白衣姿の男がずんずんと迫ってくる。あれは生徒指導部の紫藤(しどう)だ。担当は化学。年齢は三十代前半といったところで、メタルフレームの眼鏡の奥で切れ長の目が鋭い眼光を放っている。常に淡々と語る姿からついたあだ名は“鉄仮面”。
 誤魔化すつもりは毛頭なかった。見られた時点で規則を破ったのだ。明日は大丈夫でも、明後日には忘れられていることもある。
 いつ忘れられるか怯えるくらいなら、タイミングくらい自分で選びたい。

「……俺が何者(なにもん)かって? 見りゃわかんだろ」

 二人からの視線を受け、俺は手のひらに破魔の印を作り出す。

「俺は──魔法使いだ」


 三


「──まるで魔法にかかったみたいだ」

 ブラインド越しに窓の外を覗いていた紫藤は、おもむろに白衣を翻した。

「本当に昨日、何もしていないのか?」
「さっきからそう言ってるだろ。昨日も一昨日も放課後になったらすぐ帰った。お袋に聞いても構わねェぜ?」
「そうか」

 不破の伝言を受け取った俺は、生徒指導室で紫藤から“事情聴取”を受けていた。内容は昨日のこと。なんとかしらを切ったが、紫藤の鋭い双眸には、少しでも目を泳がせれば見抜かれそうな鋭さを秘められていた。

「コーヒー飲むか?」
「要らねェ」

 そう答えたにもかかわらず、紫藤は備え付けのケトルで湯を沸かし始めた。
 生徒指導室は教室の半分ほどの広さがある。しかし、長机が二つ並べられ、周囲に赤本が入った棚やら給湯機やら置かれているせいか、実際の広さよりも窮屈に感じられる。
 ブラインドの隙間から西日が差し込むと共に、野球部の掛け声が聞こえてくる。入学して一か月。一年生も新環境に慣れてきた頃合いだ。眩しさに目を細めてしまうのは西日のせいだけではなさそうだ。

「砂糖は入れるか?」
「だから要らねェって」
「ブラックだな」

 ──コントかよ。
 最早否定する気にもならなかった。
 紫藤はインスタントコーヒーを注いだカップを目の前に差し出した。取り調べ中のカツ丼みたいだ。

「正直になれ。……故郷のお袋が泣いてるぞ?」
「カツ丼のつもりかよ」
「何だ、カツ丼が良かったのか」

 紫藤はラミネート加工されたチラシを机上に滑らせた。

【やっぱこれだよ!美味家(うまや)のカツ丼!】

「出前取るか?」
「犯人扱いかよ」

 紫藤はドラマの観過ぎのようだ。真顔でやられるとジョークなのか判断しかねる。

「心当たりは無い、か。困ったな」
「何が? ……苦っ!」

 ずずっとカップを(すす)った俺は、想像以上の苦さに顔をしかめた。妙に気恥ずかしく、カップで口元を覆い隠す。
 そんな俺の対面へと紫藤は腰を下ろし、神妙な面持ちで両手を組んだ。

「私にも心当たりが──無い」

 紫藤は胸ポケットから取り出したスケジュール帳を机の上で開いた。覗き込んでみると、五月十二日、つまり今日の予定に書き込みがあった。

【1-1不破】
【○1-1才賀】
【1-4大貝】

「何だよ、これ?」
「『一年一組才賀天雄を呼び出す』という意味だ」
「この丸印は?」
「“重要参考人”という意味だ」

 ──ほぼ“黒”じゃねェか。
 あながち間違っていないのが悔しい。

「私の筆跡に違いないのだが、自分自身記憶に無くてな」
「記憶違いなんじゃねェの? それか書き間違い」
「私は失敗などしない」
「『ドクター何とか』かよ」

 確かに白衣は着ているが。
 紫藤は不意にスケジュール帳をパタンと閉じ、まじまじと俺の双眸を凝視した。俺の態度が気に入らなかったワケではなさそうだ。
 これは相手の心中を探っている目だ。

「『昨日何かあったのか?』とは訊かんのだな」

 不破の台詞が蘇る。本当に心当たりが無ければ、わざわざ呼び出された“昨日の一件”とやらが気にかかるのは当然か。

「別に。興味ねェし」

 腕を組んで唸る紫藤をよそ目に俺は逃げるように腰を上げた。

「つまんねェ勘違いで呼び出しやがって。帰るぜ、俺は」
「待て、才賀。これは勘違いではない。お前と話せばわかる。“昨日の私”がそう言っているんだ」
「『昨日の私』……か」

 脳裏に過るのは“昨日”の紫藤の台詞。


『才賀、約束だ。私は決してお前を忘れない。だから明日、必ず私のもとへと来るんだ。そこで教えてくれ。何故、忘れられるリスクを冒してまで魔法を使ったのか、その理由を──』


「……言ったってわかんねェよ」
「何?」

 感情をグッと呑み込んで、俺は紫藤から身体ごと逸らした。背中に当たる西日が生温い。

「リスクを冒してでも俺たちは心魔を祓わなきゃなんねェ。害がねェからってみすみす見逃せば記憶じゃ済まねェ──存在ごと消し去られる。そういう役割なんだよ、俺たちは」

 この世界に産み落とされた存在意義。魔法使いにとってのそれは、青少年を惑わせる心魔を祓うこと。使命を果たせない者に価値は無い。人の記憶だけでなく、この世界の記憶からも抹消される。
 全部──無になる。
 俺の話についていけないのか、紫藤は眉根を寄せた。それでも席を立ち、俺への理解の姿勢を見せた。

「才賀? 一体何の話をしているんだ? やはり昨日、何かあったのか? 才賀──」

 俺は奥歯を噛み締めた。
 どれだけ紫藤が俺を理解しようとしても、俺にとっては苦でしかない。親身になればなるほど傷が深くなると知っているからだ。

「……あんたみたいなヤツは大嫌いだ」

 かつて味わった苦い経験がぽつりぽつりと溢れ出す。

「俺の話に真剣で、疑いもせずに信用して……だがよ、そのせいで全部忘れちまってどうすんだよ。話半分で聞き流せよ。ガキの妄想だって笑い飛ばせよ。何回同じ話すりゃ気が済むんだよ。……大人のクセに、馬鹿じゃねェの」

 しんと静まり返る室内。紫藤はかける言葉を探すように室内を見回していた。俺の真意を測り損ねているのかもしれない。
 わかるワケない。わからなくていい。理解者ができたって、明日には赤の他人。初対面のガキから馴れ馴れしく話しかけられ、鬱陶しそうにこちらを見るあの目を、俺はもう見たくない。
 居た堪れなくなり足早に入り口へ向かう。そんな俺の腕を掴んで、紫藤は剥がれかけの鉄仮面で言う。

「才賀、明日の放課後、もう一度ここへ来るんだ。今度はカツ丼を用意する。特盛りだ。だから──」
「いい加減放っとけよッ!!」俺は紫藤の手を力任せに振り解いた。「俺に“明日”なんて来ねェんだよッ!!」
「『明日』? 一体どういう──」

 言葉を遮るように、俺は紫藤へと銃の形にした右手を向けた。

「──灼熱線(プロミネンス)

 次の瞬間、右手の銃口から勢い良く熱線が放たれた。それは紫藤の顔を通過し、備え付けのケトルを真っ赤に焼け焦がした。ふしゅう、と音を立て、残骸から黒い煙が立ち上る。
 ドロドロに溶けたケトルを見て、紫藤は息を呑んだ。

「こういうことだよ」

 俺の捨て台詞を前に、紫藤の鉄仮面は完全に剥がれ落ちた。


 四


「ははっ! なに呼び出されてんだよ、大貝!」

 その名を耳にして、俺の心臓は跳ね上がった。生徒指導室を出て、階段に差し掛かった時のことだ。

「やましいことはしてないんだがな」

 曲がり角から現れたのは大貝とその友人だった。顎に手を添え、首を捻る大貝へ向かって、友人はその顔を指を差して茶化している。

「ははっ、校舎裏でエロいことでもしてたんじゃねえの? 猿みたいによ!」

 お前なあ、と呆れた様子で笑いながら、大貝は俺の横を──素通りした。

「……そりゃそうだろ」

 気付けば俺は階段を駆け下りていた。
 どれだけ(いさか)いを起こそうと、どれだけ爪痕を残そうと、波打ち際に書かれたメッセージが翌日にはかき消されるように、“昨日”の俺は誰の頭からも消されてしまう。

「俺に居場所なんて、ねェ……!」

 空虚な胸の内が満たされることはない。誰かの記憶から消えるということは、俺の欠片がこの世から失われるということだ。
 今はまだ学校という閉鎖的なコミュニティが俺の記憶を留めてくれる。だが、皆の記憶から消え失せた時、果たして俺はこの世に存在できるのだろうか。

「ん?」

 ふと三階に降り立つと、左手にある教室から何か音がした。爆発音のような破裂音のような“トラブル”の音。
 何となく気になって教室の前に立つ。ネームプレートには【科学実験室】へと書かれている。

 ──実験でもやってんのか?

 科学実験室の扉をそろそろと開ける。すると、中から黒煙が溢れ出してきた。

「何だッ……けほっ!」

 口元を腕で覆い、扉を力任せに全開にする。黒煙が薄れ、教室内の全貌があらわになってゆく。
 科学実験室は一般的な教室の二倍があった。実験台が等間隔に並び、正面には黒板と科学準備室への扉がある。
 その一角に人影があった。それは来訪者に気付くなり、煙の中を突っ切ってきた。
 現れたのは──フルフェイスのヘルメットを被った男子生徒だった。

「マジかッ!!」

 くぐもった声を上げ、ヘルメットの男子は俺の手を掴み上げた。勢いに押され、俺は訊きたいことすら頭から吹き飛んでいた。

「その髪、その顔、その動き……間違いない! お前、一組の才賀だろ? 昨日の“アレ”凄かったな! 俺、感動しちまったよ!」
「『昨日のアレ』? 何のこと──んがっ!」

 ヘルメットの男子は興奮した様子で俺に顔を近付けた。ぐいぐいっと近付く度にヘルメットが顔面に押し潰されてゆく。

「んがっ! やめ……がっ!」
「そっちから来てくれるなんて嬉しいよ! ここに来てくれたってことは入部希望だろ?」

 ヘルメットの男子を押しのけ、頬を擦る。何のことかと訊ねる前に、男子生徒はヘルメットを脱いだ。
 精悍な顔つきに健康的に焼けた肌。体格は俺よりも良いが、大貝ほどではない。運動部で言うならバスケ部といったところだろう。ヘルメットで蒸れた前髪が額に貼り付き、その目は知的好奇心に満ち満ちていた。
 男子生徒は喜色を浮かばせ、俺に向かって右手を差し出した。

「俺は部長の平地広(たいらちひろ)。科学部へようこそ!」
「……は?」

 何が何だかわからず、俺は素っ頓狂な声を上げた。頭を掻きむしり、漸く言葉を捻り出す。

「あー、俺は入部希望じゃねェ。あんたは俺のこと知ってるみてェだが、俺はあんたのこと一ミリも知らねェんだ。悪ィな」

 平は信じられないといった様子で目を見開いた。

「おいおい、薄情だなあ。昨日の放課後、会ったじゃねえか」
「『昨日の放課後』──ッ!?」

 そこで俺は雷に打たれたかのような衝撃を受けた。大貝に取り憑いた心魔を祓った時、紫藤が迫るその奥にこちらを窺う男子生徒の影があった。

「思い出してくれたか! そうだよ、俺はずっとお前の“アレ”を見ていたんだ。いやあ、あのアプローチには度肝を抜かれたよ! 断言しよう。お前には“科学の才能”がある!」

 鼓動が跳ねる。目の前で堂々と胸を張っているこの男に、俺の人生が丸ごとひっくり返される予感がした。

 俺は恐る恐るその問いを口にした。

「何であんた、俺のこと憶えてんだよ……!?」