にわか魔法少女の恋と冒険のキャンプツアー・イン・アラスカ

「ねえ、夏美、今度、ママは仕事でアメリカの西側に行くんだけど。夏休み中だから、あなたも一緒に行かない?」
 中学2年生になってすぐ、ママに訊かれた瞬間に、私は舞い上がった。
「行く、もちろん行く」
 アメリカの西海岸、見どころは目白押しだ。まずは、東京なんて名前の付かない本家のDランド、それに、ジャパンが後ろに着かない元祖Uスタジオだ。昨年ワールドシリーズを制したメジャーリーグのチームの本拠地もある。投打二刀流のO選手の豪快なホームランや、魂の力投で日本中を沸かせたY投手の投球を生で見られるかもしれない。ハリウッドに行けばスーパースターに会える可能性もある。
 ラッキーなことに、言葉や移動の心配も無い。私のママはフリーのトラベルライターだ、英語はペラペラだし、旅慣れもしている。よく、海外の高級レストランの記事なども書いているから、きっと、洒落たお店で美味しいものもたくさん食べさせてもらえるに違いない。私の期待は一気にマックスに達した。
「あなた、海外旅行は初めてだから、荷造りも、私がしておいてあげるわ」
 しかし、いつになく甘いママの言葉を聞いた時点で、私はママの陰謀に気づくべきだったのだ。

 ただ、黙ってママについてゆけば何も問題はないと、タカをくくっていた私は、周囲のことにまるで注意を払わずに飛行機に乗った。アメリカの航空会社の機内アナウンスは全部英語だったので、耳を傾ける気は欠片もなかった。
 飛行機を降り、空港の外に出た途端、八月だというのに妙に空気が冷たいのに気づいた。はて、カリフォルニア州は温暖な気候ではなかったか?あるいは、ここは中継地点で、明日、飛行機で移動するのだろうか?そんなことを考えているうちに、タクシーに乗せられた。
 窓の外、初めて見る異国の街並み。店や通りの名前、当然、全て英語で書かれてい
る訳で、読めないものばかりだ。実は、私は英語が得意じゃない。ママの遺伝子は薄いようで、私は専ら、ママが愛想を尽かして離婚したぐうたらパパの血が濃いようだ。
 英語が達者なママは、当然のように私を小学生の頃から英会話教室に通わせた。しかし、全く上達せず、イライラが増すばかりだった。中学に入ると、通うことを拒否した。中学の英語の成績も、3をとるのがやっとで、通知表をもらう度にママとは喧嘩になった。
「英語なんて嫌いよ。日本人なんだから、英語なんてできなくても生きていけるわよ」
 私は、その度にそう言い張った。しかし、それは強がりでしかなかった。本当は、私も英語がペラペラで、海外を飛び回って仕事をしているママのようなカッコ良い女性になりたかった。おまけに、ママは綺麗で、バツイチの子持ちにも関わらず男性にもてた。年相応に恋への憧れはあるものの、クラスの男子に見向きもされない私とは大違いだ。要するに、私は母親に嫉妬する反抗期の中二女子なのだ。
 しばらくして、私たちは小さなホテルの前でタクシーを降りた。安宿という匂いがプンプンした。日本で旅行する時は、いつも、それなりに高級感のあるホテルに泊まっているのに、何なのよ。宿泊費なんて経費で落ちるんじゃないの?ママがチェックインの手続きをしているうちに、私の不満はじりじりとレベルを上げていった。
 さすがに部屋のシーツは綺麗だったけれども、壁にはシミがついていた。私の分の宿泊費は経費で落ちないにしても、お金がない訳でもないんだから、こんな所に泊まらなくたっていいじゃない!とママに文句を言う直前だった。
「夏美、じゃあ、夕食を食べに行こうか」
 夕食と聞いて、私は言いかけた文句を飲み込んだ。ママが予約しいているであろうレストランの美味しい料理への期待に、私の心が瞬時にシフトしたからだ。生まれて初めての海外でのディナー。馬鹿な私は、美女が野獣の城でもてなされる様なイメージを描いた。
 しかし、私が連れて行かれたのはマックだった。何が悲しくて、アメリカまで来て、日ごろから見慣れたハンバーガーを食べなければならないの?叫びだしそうになった時、ママに言われた。
「明日からは、こんな食事じゃないからね」
 そうか、マックは今日だけか。明日からは、もっと美味しものを食べさせてもらえるんだ。ならば、今日のところは我慢しよう。そう、思った私を、今は平手打ちにしたい気分だ。
 ホテルに戻る途中、変だと思った。現地時間では、夜9時を過ぎているというのに、空は、まだ薄紅の色を残しているのだ。不思議な街だ。でも、まさか、自分の好きなファンタジー小説みたいに、異世界に来たわけではあるまい。そう思ったものの、自分自身の感覚もおかしい。飛行機の中で随分と寝たはずなのに、やけに眠い。腕時計を見たら日本時間は?時、しかし、とっくに夜のはずなのにここは暗くない。時差ぼけというのがあるにしても、あまりにも強烈な時間感覚の混乱だ。お陰で、ホテルのベッドにもぐりこんだ後も、私は眠いのに寝つけなかった。

 翌朝、チェックアウトの手続きをしているママを、ロビーのソファに腰下ろして待っている時だった。ホテルのバーの方から、感じ悪そうなお爺さんが私の方に歩いてきた。私の前に立ったそのお爺さんは、かなり酒臭かった。
「?????」
 お爺さんが、何か言った。私にはさっぱり分からなかったが、お爺さんが腹を立てていることだけは感じ取れた。お爺さんは更にまくしたてた。
「?????、ジャップ」
 最後の「ジャップ」だけが聞き取れた。日本人に対する差別用語だ。私は怖くなって身動きも取れなかった。
「?????、ジャップ」
 お爺さんはとうとう、私の肩に掴みかかってきた。悲鳴を上げようとしたその時、バーテンダーの格好をした人が、バーの方から走って来た。その人は、何やらお爺さんに声を掛けた後、抱えるようにしてお爺さんをバーの方に連れ戻してくれた。
 私は、すぐさま、ママの方に駆けよろうとしたものの、恐怖で足が震えて、立ち上がることができなかった。アメリカは怖い。英語も怖い。来るんじゃなかった。そう、思った。
 どうして、変なお爺さんが朝から酒を飲んでいるような安宿をママが予約したのか?私の疑問が一気にぶり返した。チェックアウトを終え、私の所にやってきたママに、私はその疑問を投げつけた。
「ねえ、ママ、どうしてこんなホテルに泊まったの」
「ああ、ここがツアーの集合場所だったからよ」
「ツアーって、私たち、個人旅行じゃなかったの?」
「まあ、ここまではね。でも、ここからはツアーに参加するの」
「ええ、私、ママと二人で気楽にDランドとか行けると思っていたのに、他の人も一緒なの?」
「Dランド、そんな何万キロも先に行くわけがないじゃない」
「ええ、何万キロも先ってどういうこと。ここは一体どこなの?」
「アンカレッジよ」
「アンカレッジ!それって何処の国?ママは嘘をついたの?アメリカの西の方に行くって言ったよね」
「嘘なんてついてないわ、アンカレッジのあるアラスカ州は、ロシアとカナダに挟まれた飛び地だけど、正真正銘のアメリカ最西端の州よ。まあ、Dランドより北極圏の方が近いけどね」
「北極圏?!」
 叫んだきり、後の言葉が続かなかった。罠にはまったとようやく分かった。確かにママは、アメリカの西の方とうは言ったが、ロサンゼルスとか、西海岸とは言っていなかった。ママの目論見に気づかず、自分が勝手に舞い上がっただけだった。反抗は無意味だと悟った。仕方なく、私は次の質問に移った。
「それで、アラスカなんてところで、これから私たちは何をするの?」
「今日から7日間のキャンプツアーに参加するの」
 7日間のキャンプ生活!目まいがしそうだった。私は日本でさえキャンプなどしたことがない。スポーツが苦手で、インドア派の私は、遠足にハイキングが含まれているだけで気が滅入るくらいだ。
 しかし、キャンプツアー参加は、まだ話の序の口だった。
「ああ、たぶん私たち以外は全部外国人だと思うわ。私たちだけ日本語で話すのは他の人に失礼だから、ツアーが始まったら日本語は禁止ね」
 ママの仕打ちは英会話教室を拒否した自分への報復だとおもった。日本語禁止のキャンプ生活。周到に用意された蟻地獄に、私は突き落とされたのだ。遠い異国に連れてこられた中学生には逃げ場などない。打ちのめされた私には、叫ぶ気力もなかった。
「さあ、じゃあ行くわよ。日本では決して見られないものと沢山お目に掛かれるわ。氷河にフィヨルド、奇麗なお花に、野生動物。ああ、コディアック島には、コディアックベアーっていう、白熊よりも大きな熊もいるのよ」
 去年、日本では熊の被害が相次いだというのに、なんでそれよりも大きな熊のいる島に行かなければならないの?襲われたらどうするのよ?そう思ったもののそれを口にする気力もなかった。
 私とは裏腹にママは上機嫌で続けた。
「ハイキングや、カヌーなんかも予定されているから、きっと楽しいツアーになるわよ」
 楽しくなんかない!私はインドア派だ!そんな冒険旅行みたいなキャンプツアーなど、ゲームや小説、漫画の中だけで十分だ!美し景色も野生の動植物も、快適なソファに腰を降ろしてテレビで見ている方がよっぽど良い!
「さあ、いつまで座っているの、集合時間に遅れるじゃない」
 そうママに声を掛けられた私は、どうにか腰を上げ、荷物を持ってママの後に続き、ホテルの玄関を出た。
「ああ、あそこだわ」
 ママの声は相変わらず楽しげだった。ママの視線の先には、ツアー名と、参加者の名前が書いてあるらしいボードを抱えた人が立っていた。キャップを被り、サングラスを掛けた青年は、日本人の添乗員とはおよそかけ離れたイメージの持ち主だった。彼の近くにはツアーのメンバーらしき人たちが十数名立っていた。いかにも欧米人ばかりのその中に、私は同年代の少年を見つけた。日本人に見えるその少年は、かなりのイケメンだった。私の学校の男子の誰よりも上だ。更に、その少年は手に私の好きな漫画を抱えていた。神様は地獄に落ちた私に、クモの糸を垂らしてくれたのだと思った。いや、それどころか、素敵な恋のチャンスまでくれたのかもしれないと思った。地獄に仏とは正にこのことだ!私は、すぐさま、クモの糸に縋りつこうと彼の元に駆け寄った。
「ねえ、私も、その漫画大好きなんだ」
「?????」
 返ってきた言葉は意味不明の英語だった。少年が困惑しているのも分かった。
「ごめんね、お嬢ちゃん。息子は日本語が話せないんだ」
 少し離れた所から近づいてきた男性がそう言った。年齢はパパと同じくらいに見えた。
「あのう・・・」
 父親の方に掛けた言葉を遮って、ママが口を挟んできた。
「すみません。この子の母親です。実は、教育のために、このツアー中は日本語禁止というルールを作ったんです。申し訳ありませんが、ご協力いただけませんでしょうか」
「?????」
 男性の答えが了承を伝えたことくらいは見当がついた。
「?????」
 ママは丁寧にお礼を言ったようだった。
 火の七日間!そんな古いアニメの台詞が浮かんだ。これから七日間、私は正に地獄の業火に焼かれるような日々を過ごすのだと思った。
 もし私に、ゲームに出てくるような魔法が使えたなら、このダンジョンから抜け出して日本に帰りたい!まじでそう思った。せめて、英語が話せたら、この少年と仲良くなれたかも?しかし、それも無理だ。
 昔、ママに訊いたことがあった。
「ねえ、ママ、誰でも短期間で簡単に英語ができるようになる教材とかないの?」
「役に立たない教材は無いけど、それ以上に、夏美がいうような魔法の教材なんて無いわよ」
 魔法の教材なんて無い!ママは強い口調で言い切った。
 私も、専門家であるママの言うことに間違いは無いのだろうと思った。そうだよね、魔法なんて無いよね!
 その時の私は、まだ、そう思っていた。