役目を終えたはずの巫女でした ― 選ばれなかった時間の続き ―

リエットは、洋服の裾で涙を拭っている桜を見つめた。

それからクロトへ視線を向ける。

「クロト様。サクラ様を、少し庭園へお連れしては」

クロトは一瞬リエットを見ると、小さく頷いた。

「……いきましょうか」

その言葉に、桜は少し慌てて顔を伏せる。

「すみません、泣いてしまって」

そう言いながら、こくりと頷いた。

二人は結界修正の部屋を出ていく。

リエットはそんな二人の背中を、そっと見送った。

その表情はどこか穏やかだった。

まるで、この先に訪れる未来を、すでに感じ取っているかのように。

――――――――――

王宮の庭園は、柔らかな春の光に包まれていた。

整えられた石畳の道の両脇には低い生垣が続き、その向こうには背の高い木々が並んでいる。

遠くで小鳥の声が聞こえた。

クロトが前を歩き、桜は少し後ろを歩く。

桜はずっとクロトの背中を見ていた。

あの広い背中。

この背中を見ている時間も、あとどれくらい残っているのだろう。

そう思った瞬間、胸の奥がきゅっと痛くなる。

そのとき、ふとエリアナの言葉が頭をよぎった。

――選ばなかったことの後悔のほうが、長く残るかもしれません。

桜の足が止まった。

クロトもそれに気づき、立ち止まるとゆっくり振り返る。

「あの」

桜の声は思ったより小さかった。

クロトは桜を見つめている。

それでも、言わなければいけない気がした。

「こんなこと言われて困るって分かってるんです。でも……」

言葉がうまく出てこない。

それでも止まれなかった。

顔が熱くなるのが自分でもわかる。

「ずっと、クロトさんのことが好きだったんです」

言ってしまった。

耐えられず、すぐに視線が足元へ落ちる。

沈黙が落ちた。

やっぱり。

とうとう、言ってしまった。

絶対に困らせるのに。

沈黙がそのまま困惑だと感じる。

顔なんて見られるはずもなかった。

何を言ってしまったんだろう、私。

後悔が押し寄せた。

「あの、伝えたかっただけで、その……忘れてくれていいですから」

「……はは」

かすれた声が漏れた。

クロトは、ようやく口を開く。

「……それは、本当ですか」

クロトが一歩近づく。

距離が一気に縮まった。

「私があなたを離せなくなっても」

……え?

ちょっと待って。

それって。

私なんかのこと、好きってこと?

クロトさんが?

……一体、どの辺が?

疑問が浮かぶと同時に、顔が一気に熱くなる。

……本当に?

もし本当なら――

信じられないぐらい嬉しい。

桜は真っ赤になりながら、かろうじて小さく頷いた。

クロトは桜の手を取る。

「え?」

クロトは一瞬だけ目を伏せ、それからゆっくりと片膝をついた。

桜は思わず息を止める。

「……愛しています」

その声は低く、はっきりしていた。

「私と、結婚していただけますか」

桜の頭は真っ白だった。

け、結婚。

今のって、プロポーズ?!

顔が熱い。

すごく嬉しいのに、頭が全然追いつかない。

そのとき、母と叔母の声が浮かぶ。

――桜、自分のことだけ考えなさい。どうしたいのか。

――告白するなら、その先のことも少しは考えておかないとね。

夢を見ているみたいだけど。

クロトさんが私を望んでくれるなら、ちゃんと返事したい。

でも、本当に私なんかでいいのかな。

不安になって、思わず確認してしまう。

「でも、あの……本当に、私でいいんですか?」

思わずクロトを見る。

クロトは少しも迷わなかった。

「私には、サクラ様しかいません」

胸の奥の不安が、すっとほどけた気がした。

桜はぎこちなく息を吸う。

顔の熱はまだ全然引かない。

「はい、あの、ふつつかものですが……よろしくお願いします」

クロトは一度、ゆっくりと目を閉じた。

それから桜の手を持ち上げ、そっと手の甲に口づける。

「え?」

その瞬間、桜の思考は完全に止まった。

次の瞬間、膝の力が抜ける。

クロトはすぐに桜を抱き止め、そのまま軽々と抱き上げた。

「大丈夫ですか」

「……大丈夫じゃないです」

桜は顔を真っ赤にしたまま答える。

「絶対、重いです。私、最近ちょっと太っちゃったし……お、おろしてください」

「嫌です」

クロトは即座に言った。

「それに、立てますか」

近すぎるんだけど。

クロトさんの腕の中だし。

顔の熱と動悸がますますひどくなる。

「……まだ、無理です」

クロトは少し笑った。

桜はむっとした顔で、ほんの少しだけ睨み返す。

そのとき、クロトの視線がふと桜の胸元へ落ちた。

抱き上げられた拍子に、衣服の合わせ目から細い紐がのぞく。

その先に、小さな守り石が見えた。

淡い薄紅色の石だった。

「守り石を贈った甲斐がありました」

「え?」

桜は守り石を見つめて首をかしげる。

「本当は、あなたの誕生日に渡すつもりで買ったものです」

それから、さらに顔を赤くした。

遠くで、小鳥の声がまた聞こえた。

どうしていいのか分からないまま、桜はただ守り石を見つめていた。