役目を終えたはずの巫女でした ― 選ばれなかった時間の続き ―

■持ち込みのソース

日曜日の昼。

結界の光が収まり、部屋の空気が落ち着く。

足元に置いた包みを見下ろし、桜は少しだけ息をついた。

今日は、明らかに荷物が多い。

布で包んだ瓶がいくつも重なっている。

「……随分と大荷物ですね」

リエットが穏やかに言った。

桜は照れたように笑う。

「ちょっと持ち込みすぎました」

「その布包みは、何でしょうか」

「これ、私の世界の料理のソースです」

クロトの視線が、布包みに向く。

桜はそちらへ目を向けた。

「クロトさんには、前に少し話しましたよね? お好み焼きのソースなんです」

「ええ」

短い肯定。

リエットは小さく首を傾げる。

「お好み焼き、ですか」

「粉と野菜とお肉を混ぜて焼く料理です。最後にこのソースをかけます。好きな人が多い料理なので、こちらの世界の人たちにも合う味かなと思って」

瓶をひとつ持ち上げると、ずしりと重みが伝わる。

「料理人の方々に何度か教えてほしいと言われていて。なかなか時間が合わなかったんですけど、今度の水曜日に、やっと」

「王宮食堂の調理場で、ですね」

クロトが言う。

「はい」

桜はうなずいた。

「煮物や味噌汁が食堂で出るようになって、他の料理も試してみたいと言ってくれて」

リエットは興味深そうに瓶を見る。

「煮物も味噌汁も、優しい味わいで時折いただいております。お好み焼きも楽しみにしています」

その言葉に、桜は少しだけ嬉しそうに続けた。

「もし時間があれば……お二人も」

視線が自然に向く。

「試食に来てください」

クロトはわずかにうなずく。

「時間が合えば」

リエットも微笑む。

「私も、なるべく伺えるようにいたしますね」

桜はほっとしたように息をついた。

重い瓶を抱え直そうとしたところで、クロトが何気ない動作で布袋を桜から受け取る。

「あ、ありがとうございます」

「いえ。では、行きましょう」

水曜日、皆の口に合えばいいなと、桜は思いながら廊下へ足を踏み出した。

――――――――――

■鉄板の音

水曜日の昼前。

王宮食堂の調理場は、いつもより少しだけ賑やかだった。

広い鉄板が用意され、大きな器に刻んだ野菜と粉が並ぶ。

調理場に入る前、桜はリーゼに小さく声をかけていた。

「リエットさんかクロトさんが来られたら、教えてください」

「承知しました」

リーゼは桜を視界に入れつつ、食堂全体も見渡せる位置に立つ。

「今日はよろしくお願いします」

料理人の一人が言う。

「こちらこそ。うまくいくといいんですけど」

桜はわずかに胸の奥の不安を感じながら、袖を軽くまくった。

小麦粉に刻んだ野菜と肉を加え、水を少しずつ注ぎながら木べらで混ぜる。

「混ぜすぎないほうが、ふんわりします」

「このくらいですか」

「はい、それくらいで」

生地を鉄板に落とすと、じゅっと勢いのある音が立った。

湯気が立ちのぼり、野菜と肉の焼ける匂いが広がる。

片面に焼き色がついたところで、へらを差し込む。

「押さえつけないほうがいいです」

料理人が慎重に返す。

きれいに裏返り、表面がこんがりと色づいた。

桜は持ち込んだソースの瓶を開ける。

とろりとした濃い色のソースを刷毛で塗ると、甘辛い香りが一気に立ちのぼった。

熱を含んだ匂いが調理場を満たし、そのまま食堂へ流れ込む。

「……これは強いですね」

「匂いだけで腹が減ります」

最初の数枚を切り分ける。

料理人たちが全員で味を見る。

しばしの沈黙。

料理長がゆっくりと噛み、飲み込む。

「甘いが、野菜で重くならない。肉の旨味もある」

もう一口。

周囲が静かに待つ。

「これは、出せるな」

調理場の空気がふっと緩んだ。

桜は小さく息をつく。

「良かったです。皆さんにも提供できそうですか?」

料理長がうなずく。

「試食じゃなくて大丈夫そうだ。本日の昼食の選択肢の一つとして出そう」

別の料理人が動き出す。

「異世界の新しい料理だと声をかけてきます」

鉄板に次の生地が広げられる。

甘辛い香りはさらに強まり、食堂のあちこちで足が止まる。

「何の匂いだ?」

「異世界の新しい料理らしい」

最初の皿を桜が手渡す。

「どうぞ」

一口食べた職員が、思わず頷く。

「うまいな、これ」

その一言で流れが決まった。

次々と皿が出ていく。

桜は料理人と並び、焼きと配膳の両方を手伝う。

鉄板の上で生地が焼ける音が続く。

しばらくして、リーゼが静かに近づいた。

「リエット様がお見えです」

桜はちょうど焼き上がった一枚を皿に乗せる。

「ありがとうございます。こちら、どうぞ」

リエットは穏やかに受け取る。

「甘辛い香りがいたしますね」

「口に合えばいいのですが」

リエットは小さくうなずき、席へ向かった。

桜はすぐに鉄板へ戻る。

「次、お願いします」

さらに何枚か焼き上げたころ。

リーゼが再びそっと告げる。

「副師団長がお見えです」

桜は焼き上がった一枚を確認する。

皿を持ち、クロトの方へ近づく。

「間に合いました」

「ええ」

短い返答。

「ちょうど焼き上がったところです」

皿を手渡す。

それ以上は言わない。

クロトは軽くうなずき、そのまま席へ向かった。

桜は鉄板へ戻る。

自分で渡せて、少しだけほっとした。

甘辛い香りが、昼の喧騒にゆっくりと溶け込んでいった。

――――――――――

■馴染んでいく味

席に着き、料理に視線を落とす。

甘辛い香りが立ちのぼる。

一口。

濃い味付けの奥に、野菜の甘みが残る。

思っていたよりも軽い。

ふと顔を上げる。

皿を手渡す桜の姿が、時折視界に入る。

自然なやり取り。

特別な立場の人間ではなく、ただそこにいる一人として立っている。

――馴染んでいる。

そう思う。

この世界に。

料理へ視線を戻す。

甘辛い味が、やけに落ち着いた。