間もなく、二十三時を迎える。けれど、オフィスには、煌々と灯りが点いていた。
定時は十九時だというのに、三人の女性社員がフロアに残っている。静かな室内に聴こえるのは、スマホをタップする音だ。
陰鬱な静けさに耐えかねて、新卒二年目の向坂なつのは叫び上げる。
「やってらんない! なんですか! エラー起きるまでデバックしろって!」
ここは、スマートフォンアプリゲーム制作会社だ。女性向けのアバターや庭作り。
特に力を入れているのは占いアプリだ。神秘的な煌めきは、魔法さながらだった。美しい占いの演出に魅了され、なつのは就職を決めた。
それでも、叫ばずにはいられない。理由は、仕事の内容だ。一緒に残っていた女性社員は軽く笑う。
「デバッグのない開発はない。エラーの出ないプログラムはない。デバッグは永遠」
「出ないように作れっての! も~!」
今日の残業は、新規リリースするアプリゲームのデバッグだ。プレイしてエラーが発生しないか、動作チェックをする。エラーが発生したら、エンジニアが改修。そして、またデバッグだ。
「気持ちはわかるけど、落ち着いて。てか、タップ速すぎ、台数多すぎ」
なつのの操っているスマホは一台ではない。両手にスマホを構えたうえ、デスクにも三台ならべた。すべてを順にタップして、計五台を同時操作している。
「さすがにヤベーわ。会社用端末って、一人一台じゃん」
「ほんとスマホ依存症だよね。スマホ持ってない時間ないでしょ」
「否定はしません。けど、朝倉くんのほうが凄かったですよ」
「あー、あれは速かったね。退職も早かった」
「せめてデバッグしてから辞めろ。あ、アイドルの月城諒が男と失踪だって。十七歳くらいじゃないの、この子」
「月城諒ってうちのCMやってたよね」
「うーわ。スキャンダルとかふざけんな」
節電推奨のオフィスで、残業を支えるのは一つのテレビだ。深夜にポップなCMは、荒んだ心を照らしてくれる。アイドルのプライベートは、どうあれ。
「……疾走する相手もないわよ、こっちは」
「彼氏、いないんだ」
「作る余裕あります? 入社してから、ほぼ毎日残業なんですけど。どうせ戦略を練るなら、戦争じゃなくて自分の人生がいい……」
なつのは、デバッグ画面を見て肩を落とした。
デバッグのつらい理由は、作業そのものではない。アプリの内容だ。
「なんでストラテジーなんですか! 占いチームが良かった!」
「自チーム否定すんなや」
新卒の所属部署は、希望通りにはいかない。入社して担当になったのは、魔法のような占いアプリではなく、男性向けストラテジーゲームだった。
全く興味のないジャンルのデバッグなんて、やる気は出ない。しかも残業と休日出勤なんて、うんざりどころじゃない。
「あーあ……もっと夢のあるアプリ作りたい……」
「は~ん。例えばどんな? なつのちゃんディレクターなんだから、企画さえ通ればチーム立ち上がるでしょ」
「よくぞ聞いてくれました!」
待ってましたとばかりに、なつのは拳を握り立ち上がった。なつのには、かねてから作りたいアプリがある。
「魔法アプリ! 魔法陣タップで火を付けるとか、呪文で妖精召喚できちゃう!」
「リモコンで電気付けたら?」
「アレクサ呼びな」
「違います! 科学じゃなくて魔法!」
「はいはい。見る夢は、現実的に実現可能な範囲でね」
「なんでですか! 魔法なんて、ぜったい楽し――」
「向坂ァ!」
「わあ!?」
なつのの言葉を遮って、男の大声が響いた。ノートパソコンを片手に現れたのは、なつのの上司である男性社員だ。端正な顔立ちは、芸能人にも負けていない。
「……篠宮さん」
篠宮要。新卒一年目で、アバター系と庭製作系、占いアプリの三本をリリース。すべてが大ヒットし、業績と企業知名度は、一気に上がった。
話題を集めた理由は、アプリ以外にもある。篠宮の、ルックスを活かしたメディア出演と広報活動だ。立っているだけで、誰もが目を奪われる。アプリに興味のないユーザーも獲得し、名実ともに若手ナンバーワンだ。
だが、それはそれ、これはこれ。なつのは、篠宮が苦手だった。
「……どうしたんですか、篠宮さ」
「どうしたじゃねえ! お前のデバッグOKしたとこ! エラー出てるぞ!」
「げ」
「げ、じゃねえ! デバッグは丁寧にやれって言ったろ!」
「あ、あ~……」
デバッグは、エラーを見つけるための作業だ。怠れば、リリース後にクレームが出る。改修が必要となり、エンジニアは追い残業となる。
なつのは、デバッグの見逃しが多く、いつも篠宮に怒鳴られていた。全面的になつのが悪い。だが、どうしても、ストラテジーには興味を持てなかった。
口を尖らせていると、篠宮は大きなため息を吐く。
「つまらんだろうけど、大事な作業だ。五刀流すんなよ」
「すいません……」
しょんぼりと俯いて、なつのは、プライベートのスマホをポケットにしまった。
けれど、篠宮は、優しく頭を撫でてくれた。
「諦めてないのか、魔法アプリ」
アプリの企画案は、上司に渡す。認められれば企画会議に出してもらえるが、なつのは、すべて却下されている。ふん、と夏野は顔をそむける。
「……駄目ですか」
「駄目じゃないさ。俺わりと好きだし」
「え。篠宮さん魔法アプリ賛成派なんすか」
興味を持ったのは、女性社員だ。身を乗り出して、目を丸くしている。篠宮は頷き、スマホを軽やかに回した。
「アプリが動くのは、コードというプログラム、スマホという媒体、スマホの動力となる電気があるからだ。魔法に置き換えると、プログラムは魔法陣や呪文、媒体は人間、動力は魔力。これらが可視化されれば、実現の可能性はある。けど、魔力は存在が確認されていない。だから不可能。逆を言えば、魔力を可視化できれば、魔法は科学で可能という仮説は立つ。魔法科学とでもいうのかな。成されれば、魔法アプリは現実的に開発可能だ」
「へぇ~ぃ」
女性社員は、興味なさそうに聞き流していた。しかし、なつのは目を輝かせる。
「そうですよね! 諦めるのはまだ早い!」
「けど、その前に、ストラテジーのリリースだ。今日はもう帰れ。最近、多いだろ。失踪のニュース」
「月島諒は男ですよ。CMどうすんですかね」
「さあな。いいから、スマホしまえ。終電、まだあるんだろうな。帰――」
そのときだった。篠宮が言い切る前に、背後に、大きな物が天井から落ちてきた。
「え?」
デスクの角に当たったようだ。物を落としながら、それは床に転がった。あまりにも唐突な出来事に、全員が息を飲む。振り向くと、いたのは人間の男だった。
思わず、なつのは篠宮のうしろに隠れる。
「え? なに? どこから出て来たんですか、この人」
上から、落ちてきたように見えた。頭上を見上げてみるけれど、あるのは天井だけだ。篠宮も目を細める。
「……天井が抜けたわけじゃ、なさそうだがな。おい、あんた」
「ちょ、し、篠宮さん!」
篠宮は、迷わず男に近づいた。
男は、ロシアの民族衣装のような服を着ている。肌には大量の傷があり、全身から血が流れていた。なにかに、嚙みつかれたようにも見える。
「なに、この人……どういう格好ですか……」
「いくら服装自由でも、出勤にはふさわしくないな」
「そういう話じゃないですよ。ちょっと、本当、なんなんですか」
恐ろしくなったのか、女性社員は一歩、二歩と後退した。
「あの、警察、呼んできます」
「わ、わたし、救急車! 薬箱、持ってきます!」
それらしいことを言って、女性社員は部屋を飛び出る。なつのも追いかけたい気持ちだったが、そのときだった。
バキン、と、骨の折れるような音がした。そして、ビチャッという音とともに、なにかが、なつのの身体を濡らす。ぬるりとしたそれは、真っ赤な血液だった。
「きゃああああああ!」
「なんだ!?」
血と同時に、わらび餅のような物が、なつのの頬に飛んできた。
驚きでひっくり返るけれど、次の瞬間、部屋中に静電気が走った。
「きゃあ!」
「痛っ! なんだよ、今度は!」
落雷したかのような音に、なつのは、思わず篠宮にしがみ付いた。きつく目を瞑り、身体を固くする。
しばらくすると、静電気は収まった。静かになったので、そっと目を開けた。けれど、見えた景色に、なつのは再び硬直した。
「……え?」
「なん、だ、ここ……」
見回すと、教会のようだった。なんの神かわからないが、白く、美しい女神像が立っている。
「……篠宮さん……福利厚生に、教会なんてありました……?」
「ないな……」
わけがわからなくて、篠宮の腕にしがみつく。すると、どこかから、足音が聞こえてくる。扉は勢いよく開かれ、数人の男女が入ってきた。
「お、いたいた! よお! 日本人だな!」
「はあ……あの、ここはどこです? 俺たち、東京のオフィスにいたんですけど」
「セリスタリアだよ。セリスタリアのルーヴェンハイト皇国」
聴いたことのない名称に、なつのは篠宮と目を見合わせた。
「デートスポットかなんかですか、篠宮さん」
「俺に聞くな。すいません。それ、テーマパークかなんかですか?」
「わははは! 違うよ! 異世界だ!」
「は?」
男は声を上げて笑った。
「ここは地球じゃない。セリスタリアっていう異世界にある、ルーヴェンハイト皇国だ」
「……異世界?」
なつのも、その単語は知っている。けれど、存在しない物だ。
「異世界って、いわゆる、異世界……?」
「そ。有難いことに、地球人にも友好的な国だよ」
「ええと……現地民が受け入れてくれてる、ってことですか? 私たちみたいな、怪しい存在を?」
「わりと、すんなりだよ。セリスタリアには、魔法が存在する。ちょっと不思議な話は許容範囲内らしい」
「魔法!? 魔法って、あの魔法!? ファンタジーな!?」
「じゃあ、俺らは、魔法で連れて来られたってことか? どうやって帰ればいい?」
「帰れねえな。ここの人間にも、異世界ってのは存在しない物らしい」
「……はい?」
「ごめんなぁ、役に立てなくて。まあ、ここで。やってくしかないんだよ」
「そう簡単に諦めないでくれよ。俺たちでも、魔法は見られるか? 調べてみたい」
「篠宮さん、順応性高いですね……」
「否定するにも、情報は必要だろ。なあ。あんたらは、使えるのか?」
「地球人は使えないよ。けど、こういうのがある」
男は、さまざまな工具のぶら下がっているベルトから、一本の棒を取り出した。先端には、青い鉱石が埋め込まれている。男が握る手に力を込めると、鉱石は紫に色を変える。そして、その場に、たくさんの光球を生み出した。
「わあ! 綺麗!」
触れると、ほんのり温かい。そっと触れると、パチンとはじけて消えてしまう。
「すごーい! これ、なんですか!?」
「温かくなるペンだな。魔法と、道具を掛け合わせた物があるんだ」
「魔法道具!? え~! 私、こういうの作りたかったの! 魔法アプリ!」
「向坂。お前、順応性高いな」
「う……」
「けど発想は悪くない」
「え?」
篠宮は、床に置き去りにしていた物を持ちあげる。篠宮のノートパソコンだ。この状況でも仕事道具を手放さないのは、さすがと言っていいのだろうか。
しかし、ノートパソコンを見て、なつのも思い出す。ポケットには、デバッグに使っていたスマホが入っている。
「開発用ノートパソコン。開発済みのアプリ。どっちもオフライン用だ」
「あ! ネット環境なくても動く!」
オフィスで、篠宮の言っていた言葉を思い出す。魔法アプリは、ある条件を満たせば実現可能だ。
「魔力を可視化できれば、魔法は科学になる。この世界は、既に実装されていた」
冷静な表情で、篠宮は、魔法道具のペンを手に持つ。クルクルと回し、ニヤリと笑う。
「頭使えよ、ディレクター」
「バグのない開発お願いしますね、エンジニア」
オフラインで使えるノートパソコンとスマホ。
魔法を道具にした魔法科学。
そして、企画を立てるディレクターと、開発するエンジニア。
「リリースするぞ、魔法アプリ」
「はいっ!」
*
教会のような部屋を出てると、太陽の輝く昼間だった。
「あれっ。時間もズレてるのね、この世界って」
不思議に思いながら振り返ると、出てきた建物は、思いのほか大きかった。
水色の壁に白い柱という、まるで、童話に出てきそうな可愛い作りだ。けれど、篠宮は不思議そうに首を傾げた。
「どうしたんですか?」
「デザイン、スモーリヌイ聖堂みたいだなと思って」
「どこですそれ」
「ロシアにある聖堂だよ。似てる」
篠宮は建物に興味を持ったようだったが、なつのは敷地の広大さに驚いた。
出てきた聖堂よりも、さらに大きな建物が両側に建っている。オフィスのワンフロアよりも、はるかに広い。他にも複数の塔が建っていて、いかにも、なにか特別な式典をやる場所に見えた。
異世界で特別とくれば、なつのに思いつくのは一つだ。
「あ! もしかしてあれですかね! 聖女召喚みたいな!」
「お前、聖女だったの?」
「聖女は、選ばれるものなんですよ。生まれつきじゃないんです」
わはは、と声を上げて笑ったのは、この世界に馴染み切った日本人の男たちだ。
「残念ながら、聖女が必要な事件はねえな~」
「えー。瘴気とかモンスターとか、そういうのないんですか」
「ないない。平和な国だよ」
「な~んだ。つまんない」
「なんでだよ。平和がいいじゃないか。漫画の読みすぎだぞ」
「こんな、漫画みたいな状況で、そんなこと言われても。あ、ほら。篠宮さん、勇者かもしれないですよ」
「嫌だよ。普通に仕事して、給料もらえりゃそれでいい」
「なんですか、それ。夢ないですね」
「あんたら順応性高いなあ。普通は、もっと青ざめるもんだ」
男たちは楽しそうに笑った。たしかに、そうかもしれない。けれど、魔法という存在は、なつのの胸を躍らせた。
なにもないと言われても、やはり、なにかに期待する。しばらく歩くと、新たに、水色の建物が見えてきた。黄金の装飾もついていて、迎賓館のような印象がある。
篠宮は、へえ、と驚いた顔をした。
「おもしろいな。エカテリーナ宮殿そっくりだ」
「どこですそれ」
「ロシアだよ。ロシア帝国の宮殿」
「ロシアなんですかここ」
「建物は、ぽいな。オフィスに落ちてきた男も、ロシアっぽかったし」
なつのは、ロシアに行ったことも、興味も無いのでわからない。わかるのは、宮殿の名にふさわしく、一般人が入ることは許されない雰囲気であることくらいだ。
けれど、男たちは、躊躇せずに中へ入って行く。
「あ、あの、いいんですか入って」
「いいんだよ。ここが俺らの家だからな」
「家?」
男は、腰に下げた鞄から、小さな球体を取りだす。壁のランタンに放り込むと、フロア一面にぱあっと灯りが灯った。輝く光球がたくさん浮いて、とても美しい。
「なにこれ!」
「火の魔法を、道具にしたもんだ。電気だな」
「凄いな。他には、どんな魔法があるんです?」
「さあね。ルーヴェンハイトには魔法が無い」
「え? でも、これは?」
「ここの皇子の作った道具だよ。厳密には魔法じゃないらしい。けど、便利だろ」
「皇子!? 皇子さまが、いるんですか!?」
皇子とは、またも夢のある存在だ。地球にもいるが、異世界ともなれば、華やかな衣装にきらめく金髪、宝石のような瞳――そんな容姿を想像してしまう。
「彼が、この城を使わせてくれてるんだよ。地球人に好意的でね。有難いこった」
「はいっ! 会いたい! 皇子さま、会いたいです!」
「じゃあ、先に挨拶に行くか。この時間なら、あそこ(・・・)にいるだろ」
向かった先は、皇子の住まう美しき宮廷――ではなかった。
「ここって……」
「居酒屋」
「あ……やっぱり……」
辿り着いたのは、狭い一軒家だった。昼間にも関わらず、酒を酌み交わす人で埋め尽くされている。見慣れた風景は、まるで日本だ。
「ぜんっぜん、異世界に見えないんですが」
「そりょあ、そうだよ。ここにいるのは、全員、日本人だ」
「は!? 全員ですか!?」
言われて見ると、誰も彼もが日本語を使っているし、顔立ちも日本人だ。
選ばれた聖女だなんて、本気で思ったわけじゃない。しかし、まさか、ここまでの人数がいるとは思っていなかった。
「篠宮さん、どう思います? 全員が、勇者と聖女なんですかね」
「……かもな」
「んえっ? どうしたんですか。急に信じたんですか?」
「無意味じゃない、って気がしただけだ。この人数、自然現象とは思えない」
「そうですか? 日本でも多いじゃないですか。失踪とか、突然消える人。似たようなものでは?」
「馬鹿言うなよ。異世界に失踪なんてどう――……ん?」
「ん?」
「……失踪……」
ふいに、篠宮は眉間にしわを寄せ、難しい顔をした。あまりにも真剣で、なつのは不思議に感じて、肩をすくめる。
「なんですか? どうしたんですか?」
篠宮は答えてくれない。けれど、違う男の声が聞こえてくる。どこかで聞いた覚えのある声だ。
「篠宮さん!? 向坂さん!?」
「え?」
異世界であるはずの土地で、急に名前を呼ばれる。振り返ると、声の主を見て、なつのは声を上げた。
「朝倉くん!?」
「朝倉って……律じゃないか」
「うわ! 本当に篠宮さん!?」
駆け寄って来たのは、なつのの同期で、退職したばかりの朝倉律だった。
「朝倉くん、辞めたのって、もしかして……」
「……あーあ。やっと、篠宮さんのチームに入れたとこだったのにな」
深く肩を落とし、朝倉は苦笑いを浮かべる。
なつのにとっての篠宮は、たんなる上司だ。エンジニアとして一流なのだろうけれど、開発に携わらない身では、凄さに理解は及ばない。だが、篠宮に憧れて入社したという話は、少なからず聞く。
朝倉も、念願叶ったところだったのだろう。落ち込みぶりは、ストラテジーに配属された自分に重なった。
けれど、朝倉は顔を上げ、前のめりに声を上げる。
「大丈夫! 篠宮さんがいるなら、きっと帰れる!」
「え? やっぱり勇者?」
「ある意味、勇者だよ。セリスタリアには、エンジニアがいないんだ」
「エンジニア? 開発者?」
「やっぱり、魔法は科学に変換できるか」
「はい。見て下さい」
「へ?」
急に、篠宮と朝倉は通じ合った。朝倉は、酒瓶の並ぶカウンターに入ると、鞄を持ってくる。取り出されたのは、ノートパソコンとスマホだった。
「……私は、ここが異世界であることを、疑い始めている」
「これ見たら、もっと疑うよ」
朝倉は小さな木箱を取り出した。中から、現代日本人には馴染み深い、microUSBケーブルが伸びている。
「電気のない世界じゃ、なんの役にも立たないでしょ」
「僕も、最初はそう思った。けど、凄いんだよ」
朝倉は、鞄から小さな袋を取り出す。袋に手を差し入れると、さっきも見た、魔法道具を動かした球体を取りだした。木箱へ放り込むと、ケーブルを自分のスマートフォンに繋ぐ。すると――
「あ! 充電してる!」
「おもしろいでしょ。ちゃんと使えるんだ」
「どういうことだ。その珠は、なんなんだ?」
「魔力珠っていう、魔力の塊です。なにかしらの影響を与えると、魔法にるんです」
「電池とスマホみたいなことだね」
「なるほどな。地球に帰る魔法はあるのか?」
「ルーヴェンハイトじゃ、誰に聞いてもノーです。なにしろ、ルーヴェンハイトの人は、魔法を使えないんです」
「国の人? 地球人じゃなくて?」
「はい。万人の使える技術じゃ、ないみたいだよ。でも、そんな重要じゃないと思う。だって、魔力で動いたスマホは、魔法が使えるんです」
「え!?」
朝倉は、魔力で充電したスマホを起動し、一つのアプリゲームを立ち上げた。オフラインで動くアプリだ。何回かタップしたあとに、それは起こった。
モニターの上に、ぽうっと、なにかが浮き上がる。それは、なつのの大好きな物だ。
「タロットカード!」
「なんか、見覚えあるんだが……」
「当然。篠宮さんの作った、占いアプリですよ」
「あ、そうだ。あれだ」
興味なさそうに、篠宮は声をこぼした。しかし、なつのには重要なアプリだ。
この占いアプリは、いまの会社に『入社したい』と思ったきっかけだ。占いの的中率も高かったけれど、なにより、美しく可愛らしいビジュアルに心をつかまれた。
やり込むほど、さまざまな柄のカードが手に入る。カードは有名人や人気キャラクターとコラボすることもあり、多種のユーザーを獲得していた。なつのも、その一人だった。
「そっか。これ、ダウンロードの使い切りか」
「アップデートはできませんけどね」
「そんなの、どうでもいいわよ! わ~! 魔法だ! 魔法!」
大好きなタロットカードが、スマホの中から飛び出てきた。まさに、なつのの夢見る魔法アプリそのものだ。篠宮も、これには強い興味を示している。
「スマホは、プログラムを魔法に変換できる。つまり、プログラムさえあれば、どんな魔法も実行できるんだ」
「てことは、地球に帰る魔法さえあれば!」
なつのと朝倉は。同時に篠宮を振り向いた。
魔法を使えるアプリを作りたい――そんなのは、夢物語だとわかっていた。
けれど、魔力のあるこの世界では違う。パソコンとスマホ、天才エンジニアと名高い篠宮がいれば、もはや夢ではない。
篠宮は不敵な笑みを浮かべ、データの詰まったパソコンを掲げた。
「探すぞ、世界間移動魔法」
「「はいっ!」」
定時は十九時だというのに、三人の女性社員がフロアに残っている。静かな室内に聴こえるのは、スマホをタップする音だ。
陰鬱な静けさに耐えかねて、新卒二年目の向坂なつのは叫び上げる。
「やってらんない! なんですか! エラー起きるまでデバックしろって!」
ここは、スマートフォンアプリゲーム制作会社だ。女性向けのアバターや庭作り。
特に力を入れているのは占いアプリだ。神秘的な煌めきは、魔法さながらだった。美しい占いの演出に魅了され、なつのは就職を決めた。
それでも、叫ばずにはいられない。理由は、仕事の内容だ。一緒に残っていた女性社員は軽く笑う。
「デバッグのない開発はない。エラーの出ないプログラムはない。デバッグは永遠」
「出ないように作れっての! も~!」
今日の残業は、新規リリースするアプリゲームのデバッグだ。プレイしてエラーが発生しないか、動作チェックをする。エラーが発生したら、エンジニアが改修。そして、またデバッグだ。
「気持ちはわかるけど、落ち着いて。てか、タップ速すぎ、台数多すぎ」
なつのの操っているスマホは一台ではない。両手にスマホを構えたうえ、デスクにも三台ならべた。すべてを順にタップして、計五台を同時操作している。
「さすがにヤベーわ。会社用端末って、一人一台じゃん」
「ほんとスマホ依存症だよね。スマホ持ってない時間ないでしょ」
「否定はしません。けど、朝倉くんのほうが凄かったですよ」
「あー、あれは速かったね。退職も早かった」
「せめてデバッグしてから辞めろ。あ、アイドルの月城諒が男と失踪だって。十七歳くらいじゃないの、この子」
「月城諒ってうちのCMやってたよね」
「うーわ。スキャンダルとかふざけんな」
節電推奨のオフィスで、残業を支えるのは一つのテレビだ。深夜にポップなCMは、荒んだ心を照らしてくれる。アイドルのプライベートは、どうあれ。
「……疾走する相手もないわよ、こっちは」
「彼氏、いないんだ」
「作る余裕あります? 入社してから、ほぼ毎日残業なんですけど。どうせ戦略を練るなら、戦争じゃなくて自分の人生がいい……」
なつのは、デバッグ画面を見て肩を落とした。
デバッグのつらい理由は、作業そのものではない。アプリの内容だ。
「なんでストラテジーなんですか! 占いチームが良かった!」
「自チーム否定すんなや」
新卒の所属部署は、希望通りにはいかない。入社して担当になったのは、魔法のような占いアプリではなく、男性向けストラテジーゲームだった。
全く興味のないジャンルのデバッグなんて、やる気は出ない。しかも残業と休日出勤なんて、うんざりどころじゃない。
「あーあ……もっと夢のあるアプリ作りたい……」
「は~ん。例えばどんな? なつのちゃんディレクターなんだから、企画さえ通ればチーム立ち上がるでしょ」
「よくぞ聞いてくれました!」
待ってましたとばかりに、なつのは拳を握り立ち上がった。なつのには、かねてから作りたいアプリがある。
「魔法アプリ! 魔法陣タップで火を付けるとか、呪文で妖精召喚できちゃう!」
「リモコンで電気付けたら?」
「アレクサ呼びな」
「違います! 科学じゃなくて魔法!」
「はいはい。見る夢は、現実的に実現可能な範囲でね」
「なんでですか! 魔法なんて、ぜったい楽し――」
「向坂ァ!」
「わあ!?」
なつのの言葉を遮って、男の大声が響いた。ノートパソコンを片手に現れたのは、なつのの上司である男性社員だ。端正な顔立ちは、芸能人にも負けていない。
「……篠宮さん」
篠宮要。新卒一年目で、アバター系と庭製作系、占いアプリの三本をリリース。すべてが大ヒットし、業績と企業知名度は、一気に上がった。
話題を集めた理由は、アプリ以外にもある。篠宮の、ルックスを活かしたメディア出演と広報活動だ。立っているだけで、誰もが目を奪われる。アプリに興味のないユーザーも獲得し、名実ともに若手ナンバーワンだ。
だが、それはそれ、これはこれ。なつのは、篠宮が苦手だった。
「……どうしたんですか、篠宮さ」
「どうしたじゃねえ! お前のデバッグOKしたとこ! エラー出てるぞ!」
「げ」
「げ、じゃねえ! デバッグは丁寧にやれって言ったろ!」
「あ、あ~……」
デバッグは、エラーを見つけるための作業だ。怠れば、リリース後にクレームが出る。改修が必要となり、エンジニアは追い残業となる。
なつのは、デバッグの見逃しが多く、いつも篠宮に怒鳴られていた。全面的になつのが悪い。だが、どうしても、ストラテジーには興味を持てなかった。
口を尖らせていると、篠宮は大きなため息を吐く。
「つまらんだろうけど、大事な作業だ。五刀流すんなよ」
「すいません……」
しょんぼりと俯いて、なつのは、プライベートのスマホをポケットにしまった。
けれど、篠宮は、優しく頭を撫でてくれた。
「諦めてないのか、魔法アプリ」
アプリの企画案は、上司に渡す。認められれば企画会議に出してもらえるが、なつのは、すべて却下されている。ふん、と夏野は顔をそむける。
「……駄目ですか」
「駄目じゃないさ。俺わりと好きだし」
「え。篠宮さん魔法アプリ賛成派なんすか」
興味を持ったのは、女性社員だ。身を乗り出して、目を丸くしている。篠宮は頷き、スマホを軽やかに回した。
「アプリが動くのは、コードというプログラム、スマホという媒体、スマホの動力となる電気があるからだ。魔法に置き換えると、プログラムは魔法陣や呪文、媒体は人間、動力は魔力。これらが可視化されれば、実現の可能性はある。けど、魔力は存在が確認されていない。だから不可能。逆を言えば、魔力を可視化できれば、魔法は科学で可能という仮説は立つ。魔法科学とでもいうのかな。成されれば、魔法アプリは現実的に開発可能だ」
「へぇ~ぃ」
女性社員は、興味なさそうに聞き流していた。しかし、なつのは目を輝かせる。
「そうですよね! 諦めるのはまだ早い!」
「けど、その前に、ストラテジーのリリースだ。今日はもう帰れ。最近、多いだろ。失踪のニュース」
「月島諒は男ですよ。CMどうすんですかね」
「さあな。いいから、スマホしまえ。終電、まだあるんだろうな。帰――」
そのときだった。篠宮が言い切る前に、背後に、大きな物が天井から落ちてきた。
「え?」
デスクの角に当たったようだ。物を落としながら、それは床に転がった。あまりにも唐突な出来事に、全員が息を飲む。振り向くと、いたのは人間の男だった。
思わず、なつのは篠宮のうしろに隠れる。
「え? なに? どこから出て来たんですか、この人」
上から、落ちてきたように見えた。頭上を見上げてみるけれど、あるのは天井だけだ。篠宮も目を細める。
「……天井が抜けたわけじゃ、なさそうだがな。おい、あんた」
「ちょ、し、篠宮さん!」
篠宮は、迷わず男に近づいた。
男は、ロシアの民族衣装のような服を着ている。肌には大量の傷があり、全身から血が流れていた。なにかに、嚙みつかれたようにも見える。
「なに、この人……どういう格好ですか……」
「いくら服装自由でも、出勤にはふさわしくないな」
「そういう話じゃないですよ。ちょっと、本当、なんなんですか」
恐ろしくなったのか、女性社員は一歩、二歩と後退した。
「あの、警察、呼んできます」
「わ、わたし、救急車! 薬箱、持ってきます!」
それらしいことを言って、女性社員は部屋を飛び出る。なつのも追いかけたい気持ちだったが、そのときだった。
バキン、と、骨の折れるような音がした。そして、ビチャッという音とともに、なにかが、なつのの身体を濡らす。ぬるりとしたそれは、真っ赤な血液だった。
「きゃああああああ!」
「なんだ!?」
血と同時に、わらび餅のような物が、なつのの頬に飛んできた。
驚きでひっくり返るけれど、次の瞬間、部屋中に静電気が走った。
「きゃあ!」
「痛っ! なんだよ、今度は!」
落雷したかのような音に、なつのは、思わず篠宮にしがみ付いた。きつく目を瞑り、身体を固くする。
しばらくすると、静電気は収まった。静かになったので、そっと目を開けた。けれど、見えた景色に、なつのは再び硬直した。
「……え?」
「なん、だ、ここ……」
見回すと、教会のようだった。なんの神かわからないが、白く、美しい女神像が立っている。
「……篠宮さん……福利厚生に、教会なんてありました……?」
「ないな……」
わけがわからなくて、篠宮の腕にしがみつく。すると、どこかから、足音が聞こえてくる。扉は勢いよく開かれ、数人の男女が入ってきた。
「お、いたいた! よお! 日本人だな!」
「はあ……あの、ここはどこです? 俺たち、東京のオフィスにいたんですけど」
「セリスタリアだよ。セリスタリアのルーヴェンハイト皇国」
聴いたことのない名称に、なつのは篠宮と目を見合わせた。
「デートスポットかなんかですか、篠宮さん」
「俺に聞くな。すいません。それ、テーマパークかなんかですか?」
「わははは! 違うよ! 異世界だ!」
「は?」
男は声を上げて笑った。
「ここは地球じゃない。セリスタリアっていう異世界にある、ルーヴェンハイト皇国だ」
「……異世界?」
なつのも、その単語は知っている。けれど、存在しない物だ。
「異世界って、いわゆる、異世界……?」
「そ。有難いことに、地球人にも友好的な国だよ」
「ええと……現地民が受け入れてくれてる、ってことですか? 私たちみたいな、怪しい存在を?」
「わりと、すんなりだよ。セリスタリアには、魔法が存在する。ちょっと不思議な話は許容範囲内らしい」
「魔法!? 魔法って、あの魔法!? ファンタジーな!?」
「じゃあ、俺らは、魔法で連れて来られたってことか? どうやって帰ればいい?」
「帰れねえな。ここの人間にも、異世界ってのは存在しない物らしい」
「……はい?」
「ごめんなぁ、役に立てなくて。まあ、ここで。やってくしかないんだよ」
「そう簡単に諦めないでくれよ。俺たちでも、魔法は見られるか? 調べてみたい」
「篠宮さん、順応性高いですね……」
「否定するにも、情報は必要だろ。なあ。あんたらは、使えるのか?」
「地球人は使えないよ。けど、こういうのがある」
男は、さまざまな工具のぶら下がっているベルトから、一本の棒を取り出した。先端には、青い鉱石が埋め込まれている。男が握る手に力を込めると、鉱石は紫に色を変える。そして、その場に、たくさんの光球を生み出した。
「わあ! 綺麗!」
触れると、ほんのり温かい。そっと触れると、パチンとはじけて消えてしまう。
「すごーい! これ、なんですか!?」
「温かくなるペンだな。魔法と、道具を掛け合わせた物があるんだ」
「魔法道具!? え~! 私、こういうの作りたかったの! 魔法アプリ!」
「向坂。お前、順応性高いな」
「う……」
「けど発想は悪くない」
「え?」
篠宮は、床に置き去りにしていた物を持ちあげる。篠宮のノートパソコンだ。この状況でも仕事道具を手放さないのは、さすがと言っていいのだろうか。
しかし、ノートパソコンを見て、なつのも思い出す。ポケットには、デバッグに使っていたスマホが入っている。
「開発用ノートパソコン。開発済みのアプリ。どっちもオフライン用だ」
「あ! ネット環境なくても動く!」
オフィスで、篠宮の言っていた言葉を思い出す。魔法アプリは、ある条件を満たせば実現可能だ。
「魔力を可視化できれば、魔法は科学になる。この世界は、既に実装されていた」
冷静な表情で、篠宮は、魔法道具のペンを手に持つ。クルクルと回し、ニヤリと笑う。
「頭使えよ、ディレクター」
「バグのない開発お願いしますね、エンジニア」
オフラインで使えるノートパソコンとスマホ。
魔法を道具にした魔法科学。
そして、企画を立てるディレクターと、開発するエンジニア。
「リリースするぞ、魔法アプリ」
「はいっ!」
*
教会のような部屋を出てると、太陽の輝く昼間だった。
「あれっ。時間もズレてるのね、この世界って」
不思議に思いながら振り返ると、出てきた建物は、思いのほか大きかった。
水色の壁に白い柱という、まるで、童話に出てきそうな可愛い作りだ。けれど、篠宮は不思議そうに首を傾げた。
「どうしたんですか?」
「デザイン、スモーリヌイ聖堂みたいだなと思って」
「どこですそれ」
「ロシアにある聖堂だよ。似てる」
篠宮は建物に興味を持ったようだったが、なつのは敷地の広大さに驚いた。
出てきた聖堂よりも、さらに大きな建物が両側に建っている。オフィスのワンフロアよりも、はるかに広い。他にも複数の塔が建っていて、いかにも、なにか特別な式典をやる場所に見えた。
異世界で特別とくれば、なつのに思いつくのは一つだ。
「あ! もしかしてあれですかね! 聖女召喚みたいな!」
「お前、聖女だったの?」
「聖女は、選ばれるものなんですよ。生まれつきじゃないんです」
わはは、と声を上げて笑ったのは、この世界に馴染み切った日本人の男たちだ。
「残念ながら、聖女が必要な事件はねえな~」
「えー。瘴気とかモンスターとか、そういうのないんですか」
「ないない。平和な国だよ」
「な~んだ。つまんない」
「なんでだよ。平和がいいじゃないか。漫画の読みすぎだぞ」
「こんな、漫画みたいな状況で、そんなこと言われても。あ、ほら。篠宮さん、勇者かもしれないですよ」
「嫌だよ。普通に仕事して、給料もらえりゃそれでいい」
「なんですか、それ。夢ないですね」
「あんたら順応性高いなあ。普通は、もっと青ざめるもんだ」
男たちは楽しそうに笑った。たしかに、そうかもしれない。けれど、魔法という存在は、なつのの胸を躍らせた。
なにもないと言われても、やはり、なにかに期待する。しばらく歩くと、新たに、水色の建物が見えてきた。黄金の装飾もついていて、迎賓館のような印象がある。
篠宮は、へえ、と驚いた顔をした。
「おもしろいな。エカテリーナ宮殿そっくりだ」
「どこですそれ」
「ロシアだよ。ロシア帝国の宮殿」
「ロシアなんですかここ」
「建物は、ぽいな。オフィスに落ちてきた男も、ロシアっぽかったし」
なつのは、ロシアに行ったことも、興味も無いのでわからない。わかるのは、宮殿の名にふさわしく、一般人が入ることは許されない雰囲気であることくらいだ。
けれど、男たちは、躊躇せずに中へ入って行く。
「あ、あの、いいんですか入って」
「いいんだよ。ここが俺らの家だからな」
「家?」
男は、腰に下げた鞄から、小さな球体を取りだす。壁のランタンに放り込むと、フロア一面にぱあっと灯りが灯った。輝く光球がたくさん浮いて、とても美しい。
「なにこれ!」
「火の魔法を、道具にしたもんだ。電気だな」
「凄いな。他には、どんな魔法があるんです?」
「さあね。ルーヴェンハイトには魔法が無い」
「え? でも、これは?」
「ここの皇子の作った道具だよ。厳密には魔法じゃないらしい。けど、便利だろ」
「皇子!? 皇子さまが、いるんですか!?」
皇子とは、またも夢のある存在だ。地球にもいるが、異世界ともなれば、華やかな衣装にきらめく金髪、宝石のような瞳――そんな容姿を想像してしまう。
「彼が、この城を使わせてくれてるんだよ。地球人に好意的でね。有難いこった」
「はいっ! 会いたい! 皇子さま、会いたいです!」
「じゃあ、先に挨拶に行くか。この時間なら、あそこ(・・・)にいるだろ」
向かった先は、皇子の住まう美しき宮廷――ではなかった。
「ここって……」
「居酒屋」
「あ……やっぱり……」
辿り着いたのは、狭い一軒家だった。昼間にも関わらず、酒を酌み交わす人で埋め尽くされている。見慣れた風景は、まるで日本だ。
「ぜんっぜん、異世界に見えないんですが」
「そりょあ、そうだよ。ここにいるのは、全員、日本人だ」
「は!? 全員ですか!?」
言われて見ると、誰も彼もが日本語を使っているし、顔立ちも日本人だ。
選ばれた聖女だなんて、本気で思ったわけじゃない。しかし、まさか、ここまでの人数がいるとは思っていなかった。
「篠宮さん、どう思います? 全員が、勇者と聖女なんですかね」
「……かもな」
「んえっ? どうしたんですか。急に信じたんですか?」
「無意味じゃない、って気がしただけだ。この人数、自然現象とは思えない」
「そうですか? 日本でも多いじゃないですか。失踪とか、突然消える人。似たようなものでは?」
「馬鹿言うなよ。異世界に失踪なんてどう――……ん?」
「ん?」
「……失踪……」
ふいに、篠宮は眉間にしわを寄せ、難しい顔をした。あまりにも真剣で、なつのは不思議に感じて、肩をすくめる。
「なんですか? どうしたんですか?」
篠宮は答えてくれない。けれど、違う男の声が聞こえてくる。どこかで聞いた覚えのある声だ。
「篠宮さん!? 向坂さん!?」
「え?」
異世界であるはずの土地で、急に名前を呼ばれる。振り返ると、声の主を見て、なつのは声を上げた。
「朝倉くん!?」
「朝倉って……律じゃないか」
「うわ! 本当に篠宮さん!?」
駆け寄って来たのは、なつのの同期で、退職したばかりの朝倉律だった。
「朝倉くん、辞めたのって、もしかして……」
「……あーあ。やっと、篠宮さんのチームに入れたとこだったのにな」
深く肩を落とし、朝倉は苦笑いを浮かべる。
なつのにとっての篠宮は、たんなる上司だ。エンジニアとして一流なのだろうけれど、開発に携わらない身では、凄さに理解は及ばない。だが、篠宮に憧れて入社したという話は、少なからず聞く。
朝倉も、念願叶ったところだったのだろう。落ち込みぶりは、ストラテジーに配属された自分に重なった。
けれど、朝倉は顔を上げ、前のめりに声を上げる。
「大丈夫! 篠宮さんがいるなら、きっと帰れる!」
「え? やっぱり勇者?」
「ある意味、勇者だよ。セリスタリアには、エンジニアがいないんだ」
「エンジニア? 開発者?」
「やっぱり、魔法は科学に変換できるか」
「はい。見て下さい」
「へ?」
急に、篠宮と朝倉は通じ合った。朝倉は、酒瓶の並ぶカウンターに入ると、鞄を持ってくる。取り出されたのは、ノートパソコンとスマホだった。
「……私は、ここが異世界であることを、疑い始めている」
「これ見たら、もっと疑うよ」
朝倉は小さな木箱を取り出した。中から、現代日本人には馴染み深い、microUSBケーブルが伸びている。
「電気のない世界じゃ、なんの役にも立たないでしょ」
「僕も、最初はそう思った。けど、凄いんだよ」
朝倉は、鞄から小さな袋を取り出す。袋に手を差し入れると、さっきも見た、魔法道具を動かした球体を取りだした。木箱へ放り込むと、ケーブルを自分のスマートフォンに繋ぐ。すると――
「あ! 充電してる!」
「おもしろいでしょ。ちゃんと使えるんだ」
「どういうことだ。その珠は、なんなんだ?」
「魔力珠っていう、魔力の塊です。なにかしらの影響を与えると、魔法にるんです」
「電池とスマホみたいなことだね」
「なるほどな。地球に帰る魔法はあるのか?」
「ルーヴェンハイトじゃ、誰に聞いてもノーです。なにしろ、ルーヴェンハイトの人は、魔法を使えないんです」
「国の人? 地球人じゃなくて?」
「はい。万人の使える技術じゃ、ないみたいだよ。でも、そんな重要じゃないと思う。だって、魔力で動いたスマホは、魔法が使えるんです」
「え!?」
朝倉は、魔力で充電したスマホを起動し、一つのアプリゲームを立ち上げた。オフラインで動くアプリだ。何回かタップしたあとに、それは起こった。
モニターの上に、ぽうっと、なにかが浮き上がる。それは、なつのの大好きな物だ。
「タロットカード!」
「なんか、見覚えあるんだが……」
「当然。篠宮さんの作った、占いアプリですよ」
「あ、そうだ。あれだ」
興味なさそうに、篠宮は声をこぼした。しかし、なつのには重要なアプリだ。
この占いアプリは、いまの会社に『入社したい』と思ったきっかけだ。占いの的中率も高かったけれど、なにより、美しく可愛らしいビジュアルに心をつかまれた。
やり込むほど、さまざまな柄のカードが手に入る。カードは有名人や人気キャラクターとコラボすることもあり、多種のユーザーを獲得していた。なつのも、その一人だった。
「そっか。これ、ダウンロードの使い切りか」
「アップデートはできませんけどね」
「そんなの、どうでもいいわよ! わ~! 魔法だ! 魔法!」
大好きなタロットカードが、スマホの中から飛び出てきた。まさに、なつのの夢見る魔法アプリそのものだ。篠宮も、これには強い興味を示している。
「スマホは、プログラムを魔法に変換できる。つまり、プログラムさえあれば、どんな魔法も実行できるんだ」
「てことは、地球に帰る魔法さえあれば!」
なつのと朝倉は。同時に篠宮を振り向いた。
魔法を使えるアプリを作りたい――そんなのは、夢物語だとわかっていた。
けれど、魔力のあるこの世界では違う。パソコンとスマホ、天才エンジニアと名高い篠宮がいれば、もはや夢ではない。
篠宮は不敵な笑みを浮かべ、データの詰まったパソコンを掲げた。
「探すぞ、世界間移動魔法」
「「はいっ!」」

