月とベイプ


 ──会うたびに、秘密をひとつ明かそう

 そう約束を交わしてからの深夜25時の逢瀬は、今日で3回目になる。
 いつものように並んで座り、私が持参したお菓子を食べる前に、まずはお互いの秘密を告白するのだ。
 じゃんけんをして勝った方が先攻か後攻を選べることになっていて、今回勝ったのは私。選んだのは先攻だ。
 
「じゃあ……話すよ?」
 
 下弦の月が照らす湖上に風が凪ぎ、少女ふたりの会話をさらってしまう。
 そんな風に思ってしまうほど、私は声をひそめて隣に座るちーちゃんに語りかけた。
 蝋燭(ロウソク)を足元に置いているのは雰囲気作りのため……まるで怪談に興じているかのようだが。

「今日のリリアさん、なんだかシリアスですね。とんでもない秘密とか……?」
「ん……ちーちゃんがこれを知ったら……私……わたし……」

 蝋燭の火がゆらめき、私の白人フェイスを照らした。
 下唇を噛み、切なげにまつ毛を伏せている私の表情を。

「ちーちゃん。私のこと……気持ち悪いって……思わないでね?」
「リリアさん……」

 ちーちゃんが息を呑む。こくり。と彼女の喉が可愛らしい音を立てた。
 足元の氷が軋んでいる。それはまるで両者の間に流れる緊張を汲み取っているかのようだ。

「私ね、私………………」
 
 意を決した私はぎゅっと目を瞑って、ちーちゃんに告白した。

毛深い(・・・)の────ッ!」

 月も風も凍てついた水でさえも、全てが一斉に私を見た。そんな気がした。
 
「えっ?」
「すごく……毛深いんだ……私……」
「そ、そんなふうに見えないですけど……」
「見えないところが……毛深いの……どこだと思う?」
「え、それって……ちょっと……言いにくいんですけど……」
「じゃあ……見せてあげるね……ここなら、私たちしかいないから……」
「え、ちょ、リリアさん!?」

 私はちーちゃんに背を向けた。
 そしてガバっと髪の毛を持ち上げる。件の“秘密”を見せつけるためだ。それは──

「うなじ」

 私の体毛は頭髪と同じブロンドで、腕もスネも脇もすべてそれに倣っている。
 だが、唯一。カラダのある一部分だけは、普通の日本人のような黒い体毛が生えているのである。

 ──それが『うなじ』

 4分の3コーカソイドであるため見た目がまるっきり白人の私だが、やはり己は日本人であるとカラダが声を上げている。うなじに生えている黒い毛は、オスマン・トルコ帝国に包囲されるコンスタンティノープルのようで「ローマはまだ生きているぞ!」と西に向かって力強く叫んでいるのだ。

 おまけに、うなじだけに生えている”黒“がやたら毛深いときている。
 コンプレックスは多々あれど、これは割と上位だ。とはいえ、髪をアップにしなければ人に見られる場所でもないため隠し通すこともできるが、今は秘密を明かすシチュエーションにいる。まさに、おあつらえ向きと言っていいだろう。

 だが──

「……ぶふっ」

 ──嘲笑。あざけり。愚弄。
 背中から伝わってきた彼女からの反応は、その内のどれかひとつだ……全て同じ意味じゃないかッ!
 私は髪を持ち上げたまま振り返った。『怒髪天を衝く』とはこういうことを言うのだろう。

「ちーちゃん!いま笑ったでしょッ────!?」
「ん……ふふっ……猫の背中みたい。毛むくじゃらの……ふふふっ」
「は……?いま……なんつった?そんなに毛深くなっちゃってるの、私のうなじ……」

 この秘密を明かしたのは失敗だったようだ。もう恥ずかしいやら、絶望やらでメンタルはぐちゃぐちゃである。居ても立っても居られなくなった私は立ち上がり、しゃがれた声でサヨナラを叫んだ。

「も゛う゛か゛え゛る゛─────!」

 いつもはダンボール椅子を持って帰るところだが、それどころではない。欲しけりゃくれてやる。
 私はフルスロットルで駆け出した……と思ったのだが、碇を下ろした船のように前に進むことができない。気づけば、ちーちゃんが私の腰をガッチリとホールドしていた。そのままグイっと後方に引っ張られ、体勢を崩した私は、ちーちゃんの膝の上に尻もちをついた。

「ふふっ、逃しませんよリリアさん。まだお菓子食べてないんだから」

 ちーちゃんの声が耳元から聞こえた。
 オセロの盤面に置かれた黒が白に変わってゆくように、氷点下の空気をかき分けて、私の首筋を撫でてゆく感触が伝った。血の通った温度……それは彼女の吐息だ。

 ────私はいま、ちーちゃんに後ろからハグされている。

 そう気づいた時、電気を帯びた蛇が背筋を這い上がってゆくのを感じた。それも物凄い速度で。もちろん嫌悪感ではない……はじめて感じた“痺れ”の正体。言葉にすることは容易だけれど、認知してしまえば当然のように触れたくなってしまう。だから私は必死に振り払った。抑えが効かなくなってしまうことを恐れたからだ。

「ち、ちーちゃん、離してよ。今日はお菓子抜き──わわァっ!?」

 突如、ガクッとバランスが崩れた。
 そういえば、この守矢湖(もりやこ)は太古の昔に起きた巨大地震によって誕生したと言われているらしい。
 ということは、今こうしてひっくり返っているのは地震の────せいではない。ダンボール椅子が破損したのである。細身の少女ふたりの重さに耐えきれないなんて……耐荷重200kgなどという謳い文句はアテにならないなと私は思い知った。

 ひんやりとした冷感が、氷上に大の字になったカラダから伝わってくる。
 私は顔を右に向けた。視線の先には写し鏡のようにちーちゃんが横たわったまま、顔だけでこちらを見ていた。

「ちーちゃん……実はおデブ?」
「リリアさんでしょ。さっき膝に乗られた時、骨折れるかと思いました」

 ムッとして、私たちは顔を突き合わせる。
 そして……同じタイミングで口元が綻んだ。
 まるで小学生の女児みたいだ。何かイタズラでもして親にこっぴどく叱られた後で、2人して草むらの上に寝転んで空を見上げて。
 そんな風にして、私たちは笑い合った。

「ねぇ、リリアさん。月がキレイですよ」
「ん。キレイ……あ、私は月が嫌いだったんだ。いかんいかん」
「え?なんでですか?」
「んっとねぇ。おっと、そうか……これも秘密になるかな?じゃー、次回ってことで!」
「えー、気になります!」
「だめ~。ってか、ちーちゃん番だよ?早く秘密教えなさい」

 秘密を明かしてゆこう。そう言われたあの時、私は正直にいうとかなり身構えた。
 私の考える秘密といえば“これ”しかないからだ。
 ────女の子が好きだということ。
 それを、ちーちゃんに明かさねばならないのかと思うと……心胆が震えた。

 だが、当のちーちゃんが思う“秘密のやりとり”は、そこまで深刻な代物ではなかったようで。ちょっとした変わった趣味だったり、小さなコンプレックスだったりを告白しようというものだった。それを通してお互いを知り合う意図があるらしい。
 ゆえに、最初にちーちゃんが告白した秘密は『お風呂で髪を洗う時、シャンプーハットを被らないと怖くて洗えない』という可愛らしいものだった。
 社会人との差に負い目を感じていると明かした私を慮って、ちーちゃんはあえて子供っぽい悩みを打ち明けてくれたのだろう。

 それから、今日で3回目。過去に明かした秘密はいずれも些細なものばかりで、私の抱える本当の“秘密”にまで、危険は遠く及ばない。
 けれど、思うのだ。
 こうして一つずつ花弁がめくれていくように秘密が剥がされてゆけば、いずれは辿り着いてしまうのではないかと。
 その時、私は明かすことができるだろうか。いや、心のどこかで明かしたいと思っているのかもしれない。彼女なら……ちーちゃんなら……受け入れてくれるかもしれない。そんなぼんやりとした希望を、私は抱き始めていた。氷上に映る月のように、朧げな。

 長野県の冬は長い。氷もまだまだ厚い。
 だから、ちーちゃんと会える。きっと明日も。

 だが、亀裂というものは、思いもかけずに走るものだ。いかに氷の層が厚く見えていようとも。
 
 ────私はそれを、身をもって知ることになるのだった。