月とベイプ



「こんにちは。ちー……酒巻(・・)さん」
「こんばんは。……えっと、リリアさん?どうしました?お腹痛いですか?」

 深夜25時。
 お決まりの挨拶を交わす。いつもの湖上(ばしょ)で。
 しかしながら、今日はちーちゃんの頭に『?』が浮かんでいた。
 原因は間違いなく私であろう。
 ──私の、眉間にシワを寄せた顔。これのせいだろう。
 
 昨日に続き。今夜もまた、雲ひとつない寒空を月が泳いでいる。
 
 毎度のこと。セイちゃんが夢の中にいるのを確認し、スキーウェアに着替えてからこっそり家を抜け出すナイトルーティン。慣れたものだ。
 25時という深夜の出動を考慮し、学校から帰宅してすぐに仮眠を取る方式を採用している。そのため、寝不足対策もバッチリ。
 湖畔の船着場であるヨットハーバーから凍った湖へと降り立つのもお手のものである。最初こそ転倒してはお尻を氷上に打ち据えていたが、いまでは自転車を乗りこなすように平衡感覚を掴んでいる。
 背中にはリュックとブランケット。そして折り畳んだダンボール椅子を担ぎ、手には佐々さんのご実家で入手した無料の絶品スイーツ。それを収めたプラスチック容器をエコバッグに入れて後生大事に持ち歩いてはここまで来たというわけだ。
「今日のお菓子を、どんな顔でちーちゃんは喜んでくれるかな?」と想像しては、尻尾を振って喜ぶ犬のような心持ちとなり、自然と綻ぶ口元を隠すこともしないままでいた。
 すると月の光が私を揶揄(からか)うように、その光を強めたのだ。「子どもっぽいと思われたくないんじゃなかったのかい?」と。

 だから私はいま、こうして眉間にシワを寄せて“渋さ”をだしているのである。
 決してお腹が痛いわけではない。

 とにかく座ろうか。
 ということで、いつものようにダンボール椅子をセットして、ちーちゃんの膝にブランケットをかけて準備完了。真冬のお月見がスタートしたわけである。
 その間も“オトナな表情”を崩さないでいた私をキョトンとした目で見つめていたちーちゃんは、開口一番、こう問いかけてきたのであった。「何かあったんですか?」と。
 私は眉間に深くシワを刻み込んで、声を低めにして答えた。

 子供っぽく見られているのではないか。と。まずは見た目から入ろうと思う。と──
 
「そっかぁ。ふふっ。それで、梅干しみたいな顔してるんですね?」
「……むぅ」

 その結果が……いま目の前にある、ちーちゃんの笑顔であった。

「リリアさん……かわいい。ふふっ。その発想がもう子どもですって。ふふふっ」
「……むぅ」
「ほらほら。パグ(犬)みたいなブサカワ顔を元に戻してください。せっかくの美人さんが台無しですよ?」
「……あぃ」

 さぁ、お菓子食べましょう。と、笑いを堪えながら、紙のお皿を手に持つちーちゃんは言った。
 紙皿に乗っているのは、きょうのお菓子『シベリア』だ。シベリアとは、カステラで羊羹をサンドするという謎の発想のもとに生まれた和風洋菓子?洋風和菓子?である。

「このお菓子、まるで私たちみたいですよね」
「微妙ってこと?私、美少女なんだがー?」
「…………」

 急にスンっと黙りこくるちーちゃん。
 もしかして、今の冗談を間に受けた……の?
 
「ちーちゃん?」
「…………」
「あの……ちーちゃん?ねぇ、ツッコんでいいのよ?美少女ってのは、ボケたんだからさ。ねぇ」
「………………」
「ちーちゃん?ねぇ、なんか言ってよ!?ねぇ!」
「……………………」

 私は必死にちーちゃんの肩にしがみつき、その身を揺らした。
 当の彼女はというと、虚無の表情を浮かべたまま黙々とシベリアを食べ続けている。

「応えてよ、ちーちゃん!?ちーちゃぁぁぁん!?」

 氷点下の夜半過ぎ。
 凍てつく湖上には、ただひとり私の猿叫だけが木霊していた。

 
 *


「……美味しくない」
「えー、美味しいですよ。シベリア」
「ちーちゃんにいじめられたから美味しくない!」
「じゃあ最後の一個もらお…………やっぱり半分こ」

 はい、リリアさん。と言って、ちーちゃんは半分こにしたシベリアを私に差し出した。
 彼女は白い手袋を履いたままで2つに割ったので、羊羹が付着して汚れてしまっている。
 いじけた素ぶりに終始していた私も、それを見て申し訳なさを抱いたのだろう。気がつけば拒否するつもりでいたシベリアの片割れを受け取っていた。

「このお菓子って。洋菓子でも和菓子でもない。どっちつかずで、なんだか曖昧ですよね」
「ん。そういえばさっき、私たちみたいだって言ってたよね?」
「はい。そう思いませんか?いまの私たちって、大人ではないし。かと言って子どもでもない……なんだか曖昧で、形が定まらなくて、すごく不安定で」
「……ちょっとしたことで、こぼれ落ちそうになる」
「ほらね。一緒です。私と」

 そう言って、ちーちゃんは私に微笑んで見せた。

「ちーちゃんも?私に合わせて言ってるんじゃなくて?」
「えー、なんでそう思うんですか?」
「だって……ちーちゃんは仕事に誇りっていうか、使命感みたいな?なんていうか、はっきりと芯を持って生きてるって感じがするから」
「あははっ。買い被りですよ」

 ちーちゃんが月を見つめ、語りかけるように続ける。

「私には、将来の夢とか、どう生きようとか。そういった悩みはもうありません。自分が生まれてきた理由も、やるべきこともわかってます……わかりすぎるくらいに」

 ちーちゃんが視線を落とし、そっと顔を横に向けて私を見つめた。
 その瞳に浮かぶ切ない色味は、月の雫がこぼれ落ちたかのように、私には見えた。

「なのに……だからかな……死んじゃいたいなって。ふと、思ったりすることもあるんです」
「死んじゃいたい……?」

 ちーちゃんが、はっとしてあからさまに慌てて答えた。

「あ、ごめんなさい……えと、冗談。冗談ってことで。いまのはさすがに嘘でしたっ」

 ──嘘じゃない。彼女の言葉に嘘はない。
 私には、はっきりとわかった。
 知っているからだ。かつて私も、ひとり薄暗い部屋でポツリと呟いていたから……同じ言葉を。同じ“ゆらぎ”で。

「ちーちゃん。私もあるよ……あったよ。そういう時。だからわかる。嘘じゃないって」

 言葉が途切れた。お互いに。
 口から漏れるのはただ白い息だけ。

 ちーちゃんは、傷を抱えている。大きさの程度はわからないけれど、それは私のものと似ている……そんな気がした。
 だからなのかもしれない。私がこんなにも、彼女に惹かれてしまうのは。
 
 知りたい。彼女の“痛み”に触れたい。
 (いばら)に身を投げるような危うい気配がした。きっとただでは済まないだろう。それでも私は──

「知りたいですか?……私のこと」

 丸い水槽を泳ぐ金魚になった気分だった。突然、人間に覗き込まれて、驚いた私の尾びれはピタリと動きを止めたのだ。
 ──心の中を、言い当てられたのだから。
 彼女のことを知りたいという飢えにも似た欲求を。

「私は……知りたいな。リリアさんのこと」

 なにを……?どこまで……?
 声が出せずにいる。
 いまだに金魚のままなのか。陸に上がってしまい息ができないようだ。
 そんな私の“溺れた”姿を見かねたのだろう。ちーちゃんはそっと(金魚)のカラダを掬い上げて、水に戻してくれた。

「ねぇ、リリアさん。こうしませんか?」

 ちーちゃんが小首をかしげて語りかける。
 まるで水槽の前で頬杖をついて、金魚に悩みを打ち明けるかのように。
 
「今日から。ここで会うたびに、お互いの秘密をひとつ明かしていく……ね、どうですか?」