月とベイプ

 
 満月の夜には、夢を見やすい。
 これは実際にエビデンスがあるらしい。そうと知っていたのなら、私は今宵眠ることなどなかったろうに。
 わかりきっているから。私の見る夢はいつも同じ。
 
 ────悪夢だ。

 
「ねぇ、リーコ。いつまで黙ってるの?話があるって言ってたくせに」

 ほら。やっぱりだ。私の名前を呼ぶ声。また同じ夢を見ている。
 同じ女の子。同じセーラー服。同じ……雨と彼女の香りが混ざり合った匂い。
 
 ────私のことを『リーコ』と呼ぶ。この世でただ一人の女の子。
 
 雨の中、バスを待つ2人。午後4時45分。
 私は腕時計の文字盤を見てから切り出すんだ。ここで思いとどまればよかったのに。

「私ね。ほんとはバス乗ると遠回りなんだよ、家までの距離さ。知ってた?」
「そーいえば、リーコん家にお泊まりする時はいつも電車だったなぁ」

 私はいつも視線を落とし、あの子の“手”を見る。
 両の手の甲には、白い水玉模様が描かれていて、顔を見ずともあの子だとわかるから。
 “白斑症”だ。
 尋常性白斑という、皮膚が白くなってしまう病気である。
 あの子はコンプレックスだと言っていたけれど、私にとっては彼女を形作る愛らしい個性のひとつだった。
 
「ん。じゃあ、なんでいつもバスを待ってるか知ってる?」
「なにそれ。唐突なクイズ……あ、わかった」
「えっ」
「私と一緒にいたいんでしょー?できるだけ一緒にいたいやつ?重いやっちゃなぁ~」

 今しかない。
 この時はただ、そう思った。
 
「……そう……そうだよ」

 雨が急に強まった。まるで私を引き止めるかのようだ。

「私……あのね、私……」

 
 雨音にかき消して欲しかった。伝えた言葉も、想いも……そうであればよかったのに。
 
 翌日、バス停にあの子の姿はもうない。
 既読のつかないメッセージ。電話にも出ない。その代わりに、あの子からの返事は同級生たちからの“嫌がらせ”という形で私に帰ってきた。
 
 彼女たちはSNSやメッセージアプリ上ではあえて悪口を言わない。デジタルの証拠を残すほどバカじゃないからだ。
 置き勉はもうできない。紙の教材を学校に置いておけば、翌日には私への中傷のラクガキと、見知らぬ“男子”の連絡先で埋め尽くされるから。
 お昼に食堂にも通えなくなった。私が席についた途端、サっと皆が周囲から居なくなる。少し離れた席で、クスクスと笑う声が聞こえた。
 放課後。下駄箱を開けてみれば、ぎゅうぎゅうに詰め込まれていたのは、大量の避妊具とアダルトグッズだった。置いておくわけにもいかず、学校で処分はできない。仕方がないから持って帰って、親に隠れてこっそり捨てた。
 
 ──あの子は悪くない。全部私が悪いんだ。私が告白なんかして怖がらせたから。
 
 月の明るい夜のこと。
 ゴミを押し込めたビニール袋の口を縛っている時、ポタポタと水滴が落ちてきて。月が出ているのに、雨が降るなんて……と、空を見上げてみたが、違う。
 それは私の涙だった。

 
 ここで夢から醒める。
 いつもと同じ。面白くもない、私の昔話だ。


 *


「ん……」

 無意識に目をこすった。乾いた涙が目元に張り付いたようで不快だ。

 まだ空が暗い。
 私は遮光カーテンの類を使わないからわかる。おそらくは5時をちょっと過ぎたあたりだろう。

「ベイプ……どこぉ?」

 私はベッドに備え付けられたヘッドボードに手を泳がせる。
 そこには、ナポレオンの生涯を綴ったシリーズものの文庫本が10冊ほど立てかけられている。まだ読み始めたばかり。昨日はナポレオンが砲兵の士官学校を卒業し、軍人としてのキャリアの一歩を踏み出したあたりで止めたのだ。
 続きが気になるが、いま探しているのは文庫本ではなく、ベイプである。
 布団からカラダを起こすと、寒さで完全に目が覚めてしまう気がするので、ただ腕だけを出してベイプを探しているのだ。ゆらゆらと手を彷徨わせていると、やがて目的のブツが指に当たった。ちょっぴり太めのボールペンのような感触。愛用のベイプだ。逃すことなく、私はベイプをしっかりと掴んだ。

「はぁ……せっかくいい気分だったのにな……ちーちゃんにまた会えるって……」

 なのに……夢のせいで台無しだ。
 
 私はため息まじりにベイプを咥えた。そして水蒸気を吸い上げる。
 ゆっくり……ゆっくりと肺を満たす。
 じんわりとぬくもりが胸から血管を通って、眉間へと渦を巻くように収束してゆく。
 くすぐられているような、ピリピリと微弱な電流を帯びたような、不思議な感覚を覚える。

 ふぅぅ~~っと煙を吐き、ゆっくりと目を開けた。

「今日は月が出るのかな……出たら……25時に……行っていいのかな……」

 私の“秘密”が彼女に知れたら。
 きっと怖がらせてしまう。いや、間違いなく。疑う余地もなく。
 それだけは避けないと。もう二度と。二度と……

 私はベイプを枕元に置き、もう一度目を閉じた。
 布団を頭まで被り、悪夢を見ることがないように祈りながら朝寝をする。
 カラダを丸めてみれば、白い羽毛布団に包まれたその姿は、まるで(かいこ)の繭のように見えるかもしれないなと、私はふと思った。

 (蚕……生糸……女工さん……)
 
 眠りへと誘われ、薄れゆく意識の中。ちーちゃんがポツリと言った女工さんの昔話のことが、(あぶく)のように浮いては消えていく。
 女の子どうしの恋を綴った物語だというその昔話の結末が、どうか幸せなものであって欲しい。そう願いながら、守矢の(うみ)の底に引き込まれるようにして、私は微睡(まどろ)みへと落ちていった。