ふぅぅぅ~っと胸に溜めた水蒸気を吐き出した。
新校舎の屋上で、寒空の下でベイプの一服である。
フェンス越しに見下ろせば、紺色のジャンパースカートの制服を纏った生徒たちが仲良くお昼ご飯に繰り出している。彼女たちが手に提げているのは、お弁当の入ったミニトートだったり、購買のパンを入れた袋であったりと様々だ。
私はというと……食欲がない。
先ほどの”尋問室“で渡された資料を見ながら、ため息の狭間にベイプの吸引を繰り返している。
──調査の結果、いじめの事実は認められませんでした。
その一文以外は、ひたすら自己弁護に走る学校側の言い分が羅列してあるだけの怪文書だった。
特に読む価値もない。
円阿弥高校からの調査報告書とやらを受け取るのはこれで3度目。といっても私が調査を要望しているのではない。両親が納得いかないと強く声をあげているからだ。
「いじめがなかったのなら、なんでウチの娘が自殺未遂なんかしたんだ!」
私がひとりこの街に引っ越す直前になってもまだ、両親が電話越しで怒声をあげていたのを思い出す。
納得がいかないのも当然だ。
けれど……いじめなんてない。
報告書の通りだ。
『あれ』はいじめじゃない。
”彼女たち“が私にしたことも全部、他ならぬ私自身のせいなのだから。
自殺未遂の件だって、そんな意思があったわけじゃない。
ただちょっと……薬を間違えて飲み過ぎただけ。それで意識を失って……ただそれだけ。
ベイプを吸う。いつもよりも深く。そして長く、長く吐いた。
ふいに、笑い声が聞こえた。
ぼんやりと視線を向けてみる。そこには、中庭のベンチに座ってお弁当を膝の上に置いている2人の生徒がいた。
その2人は交互にオカズを「あーん」し合って、見つめあってはクスクスと笑い合っている。時折、互いに触れては戯れ合いながら。
ゆっくりとなぶるかの如く心臓に爪を立てられ、そのままキリキリと引っ掻かれたような。そんな鈍い痛みを胸の奥に感じた。
私は彼女たちから目を逸らし、またベイプを吸引する。
ぎゅっとスカートの裾を握りしめながら。
「こらこら」
背後から私に向かって声が投げかけられた。これは耳に覚えがある。
「敷地内は禁煙だぞ、タンビスキーくん」
宝塚の男役みたいな声だな。
いつも彼女の声を聞くとそう思ってしまう。とても魅力的な個性だと思うが、本人にとっては失礼かもしれないので伝えたことはないけれど。
私は振り返り、背後に立っている彼女を見て返事をした。
「ども、部長。押忍です」
「押忍はよしなさい押忍は。我々は歴研だぞ?」
この凛々しい声質の彼女は、同級生で歴史研究会部長の── 佐々 芽衣さんだ。
すらりとした高身長でとてもスタイルが良く知的なルックスの彼女は、女子校の王子様になれるポテンシャルを十二分に秘めている。
しかしながら運動神経が絶望的で超がつくほどのドジっ子だったりするのだ。ゆえに憧れる存在という訳ではないが、そんな彼女のギャップに沼る女子は少なくないという。
「お昼、まだだろう。一緒にどうかな?」
「んー。食欲ないんだよねぇ」
「奢りだよ?購買という名の戦場にて“島津の退き口”も恥いるほどの敵中突破で手に入れたパンだ。食べたくない?」
「えー。食べたい」
「あははっ。じゃあ決まりだね。おいで」
そう言うと、華麗にターンする佐々さん。ポニーテールに結った髪が、まさしく馬の尻尾のように跳ねた。
ふわりと少し浮き上がるロング丈のジャンパースカート。高身長の佐々さんはまるでオーダーメイドであるかのように着こなしている。その可憐な後ろ姿に、私の心臓は小さく脈打った。
──そして主に期待している。
転ぶのでは?(スーパードジだから)と。しかし彼女は特に何事もなく優雅に歩いていく。
「……ややっ!?」
だが私は気づいた。
穴が空いていたのだ。彼女が手に持っている袋……パンが入っているはずの袋が。それもけっこう派手にガッツリと。
「佐々さん……ねぇ、佐々さん!」
「ん~?何かな、タンビスキーくん」
「穴……穴空いてる。袋……」
「え……あっ!」
愕然とした佐々さんは破れた袋に手を差し入れてみる。貫通した。
そして凛々しい声で悲しげにこうつぶやいた。
「パン……落っことしちゃったぁ……」
ひゅうぅぅ~っと北風小僧が口笛を吹いた。
ドジっ子が過ぎる……私は何処かに消息を絶ったであろうパンたちの無事を祈った。ガクッと膝から崩れ落ちた佐々さんの分まで。
*
「そういえば、佐々さん。聞きたいことがあるんだけど」
「ん?スリーサイズ?」
「知りたくない!絶対負けてるし!」
結局、パンは完全に行方不明となったため、購買で売れ残っていたコッペパンとおにぎりを買ってお昼にしている。佐々さんは消失したパンの代金でお小遣いが底をついたとのことで、私が奢るハメになったのだが……。
炭水化物で炭水化物を流し込む。実に贅沢なランチだ(皮肉)
「さっき尋問室でチラっと話題に登ったんだけど」
コッペパンがオカズなのか、おにぎりがオカズなのか……と見比べては頭を抱えている佐々さんを横目に、私は話しを続ける。
「文連週間……?ってなに?」
「おや、ちょうど私も話そうと思っていたところだよ」
全館空調の新校舎だ。お洒落ではあるけれど隙間風が吹いてくる旧校舎と違って、どこにいても基本的に快適である。
だからといって、廊下に立ってランチしているのは私たちくらいだが……。
「文連週間というのはだね……」
文連週間。
毎年2回、夏休み明けの9月と、春休み明けの4月に行われる催し。
簡単に言ってしまえば、文化系の部活が一週間の間まるっと、活動の成果を大いに発表する場なのだという。
音楽系ならコンサート。美術系なら創作の展示。といった具合に。
「歴研もなにかやるの?今年はやりがいが~とか先生が言ってたけど」
「うん。そうなんだよ。市役所の協賛のもと、地元の歴史をPRする作品を作ることになってる」
「えー、すごい!……すごいけど、歴研て私たち2人だけだよね……無理くない?」
そうなのだ。3年生が引退、というか卒業間近なので、残った部員は佐々さんと私の2人だけ。私が編入してきて入部しなければどうなっていたのか……。
「もちろん無理さ。でも安心して。映像研やら演劇部やら色々な連中と共同で行うことになってる。さながら、対フランス大同盟といった感じだね」
対フランス大同盟かぁ。何回かナポレオンに打ち破られていた気がするけれど……。
船頭が多すぎてバラバラになったりとか。
「えと。作品てことは、映画を撮影するってこと?」
「んー、惜しい。ちょっぴり違うけども~」
これを見て。と、佐々さんが10インチほどのタブレットの画面を見せてくれた。
開明社高校は、校内への携帯の持ち込みは禁止されている。理由としては生徒たちを盗撮被害から守るためであったり、いじめ問題への対応といったことが挙げられる。
だが、デジタル媒体を活用した教育は行われており、生徒一人ひとりにタブレット端末が貸し出されているのだ。
そんな支給品のタブレット。そこに映っていたのは、何かのアニメ作品のようだった。
おそらく舞台は戦国時代だろう。着物姿に垂髪の女性が馬に跨って山野を駆けている。
「半年前の文連週間に発表したのがこれね。映像研とコラボして作ったんだよ」
「へぇ~。すごい……アニメじゃん」
「でしょ?まあアニメといっても、いわゆるライトアニメってやつだ。動く紙芝居だよ」
佐々さんが動画のスクロールバーを動かし、次々とシーンを映し変えていく。
湖に浮かぶ城……禍々しい騎馬武者の大軍勢……たなびく『風林火山』の馬印……
「これって、武田信玄の?」
「正解。この作品では武田軍は敵役だけどね。主人公は……守矢のお姫様だ。戦国の世にその名を知られた美少女ヒロインだよ」
そう言ってスクロールバーを移動させたシーンに映し出されたのは、城内に乱入してきた侍を相手に切り結ぶ、鎧姿のお姫様だ。
「今年もこういうのを作る。ってわけさ」
「えー、面白そう!」
「ふふっ。気に入った?」
「うん!お気にが過ぎる!」
「ちなみに歴研が担当するのは、歴史考証だ。大河ドラマとかでよくあるだろ?脚本や演出のオリジナリティは遵守しつつ、事実と照らし合わせて、できる限り矛盾を無くしていくこと」
佐々さんがコッペパンを一口かじる。
「そしてもう一つ。こっちが歴研としては本命かな……ずばり、題材を探すこと」
「題材かぁ。美少女ヒロイン……ってこと?でも、そういうタイプの歴史上の人物ってあんまりいなくない?しかも守矢市限定でしょ?」
「あぁー、それは去年だけだよ。映像研が戦闘シーンをやりたいっていうから、それに合わせて戦国時代の人物を選んだんだ」
芽衣~、宿題見せて~。と生徒がひとり、佐々さんの元へ駆け寄ってきた。
私たちと同じ赤紫のボウタイをしている。2年生だ。
佐々さんは、はいはい。と軽返事をしてノートを渡した。受け取った生徒は佐々さんに礼を言うと、じっと私を見つめてから、2、3回瞬きし、ふむふむ。と小さな声でつぶやきながら去っていった。
え、なにいまの……。と小走りで教室へと入っていく先ほどの生徒の背を見ながら、私は首をかしげた。
その横で佐々さんは話の続きを再開する。
「ただ、去年と同じなのはヒロインを主人公に据えるってこと。それが市役所からの要望でもあるからね」
「そっか。題材になるような女性か……」
歴史に名を残すような女性となると、それこそパッと思いつくのがお姫様くらいだ。
東京や大阪なら女流の浮世絵師だったり、芸者だったり。なんて線もあるだろうけど、山に囲まれた長野県の湖の街にどの程度選択肢があるのだろう。
「こんな田舎にいるわけねぇーって顔してる」
「えっ、ややっ、そんなことないよ……ちょっと思ったけど……」
「ははっ。そうだよね。私もそう思う。実際いなかったからね」
「ややっ!?ダメじゃんそれー」
「だから探すの。教科書やネットで検索すれば出てくるような人物じゃなくて──」
ゾロゾロと生徒たちが移動をはじめた。そろそろ昼休みが終わろうとしているようだ。
「その時代に、私たちみたいに当たり前に生きていたヒロインをね」
「あぁ、なるほど。大河ドラマってよりは、朝にやってるドラマみたいな感じの?」
「そうそう。それに近いね」
どうも私は陰キャのくせに派手好きなようで、興味のある歴史にしたって戦争やら偉人やらにばかり目が行きがちだ。
けれど歴史とは日常の中で小さいながらも積み重ねられていくものでもあるはずだ。
そんな私たちに近しい、等身大のヒロインを探す。ということなのだろう。
「タンビスキーくん、扱いたい題材はある?」
「題材?背景の時代とか?」
「うん。特にこれをやりたいっていうのがあれば、従うよ」
「ややっ、そんな恐れ多い。私はそれこそ、佐々さんが決めてくれればそれがいいよ」
「ん。わかった。それなら、これがいいかなっていうのがひとつあるんだ」
「それは?」
「それはね」
──── 女工さん
キーンコーンカーンコーン。
予鈴が鳴った。
……けれど私の耳には届かない。
ただ一つの言葉が、打ち鳴らした時計台の鐘の音ように頭の中で反響している。
『女工さん』
昨夜。あの女の子が私にいった言葉だ。
月に祈るように立っていた、白い着物を纏った少女……。
夢なのか現実なのかもわからないけれど。
「タンビスキーくん?ぼーっとしてるけど。授業はじまっちゃうよ?」
「へ……あ、あぁ……授業。あ、授業。そうだ、授業いく。いくよ」
「大丈夫?具合悪い?」
「ややっ、大丈夫。ありがとう。大丈夫だよ」
「ん。そっか。じゃあ、続きは放課後にね。部室で待ってるよ」
そう言うと、佐々さんはポニーテールを揺らしながら、廊下を歩く生徒たちをスルスルとすり抜けて、階段を軽やかに登っていった。
私は、そんな彼女の背を眺めつつも、目の焦点も合わず、心は違う場所にいた。
──あの凍った湖の上に
心臓が高鳴っている。屋上に行ってベイプを吸ってからでないと、授業中おとなしく座っていることができないかもしれない。
けれど、このけたたましい鼓動は、ストレスのせいじゃない。私にはわかる。
この後、私は屋上で呼吸が落ち着くまでベイプを吹かしていたのだが。結局、授業には15分ほど遅刻してしまった。罰として、授業終わりに黒板の掃除を命じられてしまい、紺色の制服を白いチョークの粉で飾りながら黙々とこれをこなした。
黒板消しの擦れる音が、まるで心のざわめきのようだと、私はひとり……思った。



