月とベイプ



 ショッピングモールを出てバスに揺られること10分。私たちが降り立ったのは、まるで大正時代にタイムスリップしたかのようなエリアだった。
 銀座町と呼ばれるこの区画は、歴史保存地区として県の指定文化財に定められている。かつてはここに生糸で得た莫大な財が蓄えられていたため、さながらウォール街かのようなレンガ造の建物が立ち並んでいるのだ。
 足元を覆う石畳の絨毯も、車の侵入が禁止されているため当時の姿をそのまま残している。
 なんとなく解放感があるな。とふと思えば、電線がないことに気づく。見上げれば等間隔にガス燈が並んでいるのみ。
 私たちはその下をゆったりと歩いた。靴裏が石畳を鳴らす音が心地よい。

「お蕎麦パスタ……そばスタ……そパスタ?」
「蕎麦ゲッティ」
「えー、佐々さん。それ正解だって!一番しっくりくるよ!」

 先程、私たちは銀座町のお蕎麦屋さんで、蕎麦の麺を使ったパスタを食べた。
 お店のご主人はB級グルメとして普及させたいらしく、その名称を募集中とのことだった。そんなわけで私たちは退店してからその話題で盛り上がっていたのだ。

「別腹は?タンビスキーくん」
「ある。おおいにある」
「あははっ。じゃあどこに入ろうか」

 それほど範囲は広くない区画であるが、古い街並みを活かした観光事業が盛んであり、飲食店、特にスイーツのお店の数は迷い箸をしてしまうほどだ。
 店舗の前に立てかけられた看板を見て回る。ケーキに和菓子……昆虫スイーツなんて不穏な物もある(さすが長野県だ)
 そんな中、一棟の建物が目に留まった。蔵を改修したようなお店。近づいてみると、どうやらカフェのようだ。その看板に書かれた文字を見て、私はここにしようと決めた。
『酒蔵かふぇ・(よい)どれ』
 そう書かれていたからだ。


 *


 蔵をリノベーションしただけある。天井が高く解放感がある店内は、和の雰囲気をふんだんに漂わせつつ、近代的で快適な空間だ。
 照明は明るすぎず、蔵の薄暗いイメージをほどよく感じさせる。
 そしてピアノの生演奏と共に流れるほのかなお酒の香り。

 それはじんわりとカラダに沁みるのだろう。
 人によっては酔いが回ってしまうのかもしれない。
 だからこそなのか、向かい合って座る”少女“がこんな話を投げかけてきたのは。

「ねぇ、タンビスキーくん。女の子どうしの恋愛って……どう思う?」

 その少女とは、他ならぬ佐々さんだ。
 席について、ふたりとも同じメニューの『甘酒スイーツ御膳』を注文してから後。しばらく黙り込んでいるかと思えば、突然そう発したのである。

「え……な、え、え?いま……なんて?」
「女の子どうしが恋愛関係になること。キミはどう思う?」

 今日は目的がデートの尾行ということもあり、お互いラフな服装で繰り出している。
 せっかくならもっとマシな格好をしてくればよかった。と佐々さんは石畳を歩きながらこぼしていたけれど、シンプルなデザインの本藍染めのセーターは私にはとても上等な物に見える。
 休日はいつもそうしているのだろうか。見慣れたポニーテールはいまは解かれ、下ろした髪は彼女にしっとりとした色気を添えている。
 アクセサリーの類を一切身につけていない点は私と同じ。以前から歴史が好きな者同士ということもあり、どこか似ている部分が多いのではないかと思っていたけれど……

「ど、どうって……急に、なに?どうしたの」
「この手の話は嫌い?」
「ややっ、そんなこと……」

 どう答えるのが正解だろう。永遠に逡巡してしまいそうだ。
 イエスかノーか。その2択しかないというのに。
 私の心は今、1942年のシンガポールにいる。マレーの虎こと、日本軍の山下泰文大将に全面降伏を迫られ答えに窮するイギリス軍のシンガポール守備隊。その歴史的なワンショットに立ち会っている気分だ。

「女工さんの件。女の子どうしの恋をしていたんじゃないかって、キミがその話を持ってきてくれた時にね。タンビスキーくんはそういうのに興味があるのかもって思ったんだけれど」
「あ……それは……」

 もしかして。
 気持ち悪い。そう思われていたのだろうか。
 だとすれば、このままイエスと答えたのなら、佐々さんとはもう友達でいられなくなってしまう。
 
 私は卑怯者だな。と思う。
 佐々さんの出方を伺ってから返答をしようと策をめぐらした。

「逆にさ。佐々さんはどう思う?やっぱり……気持ち悪いって思うよね?」

 佐々さんは、きょとんとした顔を向けた。
 その表情が意味するところが分からず、私は少し狼狽えてしまう。

「ふふっ。そんなわけないだろ」

 佐々さんは頬杖をつき、目を伏せて答える。
 長くしなやかな睫毛(まつげ)が、もの憂げに彼女の瞼を引いてゆく。それはまるで夜の(とばり)が下りるようで……風景がここから変わる。そんな予感を感じさせた。

「今日、キミの従兄弟とデートしてるうちの弟を見ていたらね……ちょっと思い出したんだよ」

 お待たせしましたー。と注文していたスイーツがテーブルに置かれる。
 普段ならお礼のひとつも言うところだが、私も佐々さんもウエイトレスさんに一言も告げずにいる。そして盆を持って立ち去るのを待ってから、彼女は話を続けた。

「私にはね、女の子の恋人がいたんだ。昔……といっても、ほんの一年前だけど」

 ピアノの音が消えた。
 いや、演奏はまだ続いている。
 それでも私の耳には、穏やかな口調で話す彼女の凛々しい声だけが届いていた。そしてフォルテッシモに叩きつけられる私の心臓の鼓動も。

「ひとつ上の先輩で。バスケ部のエースだったんだよ。でも上背はなくてね。その代わり、とても……とても愛らしい人だった」

 佐々さんは、先が二股に分かれている竹串で、朝鮮唐津のお皿に乗っている和菓子の”練り切り“をつつく。

 バスケ……そうか。先日、毒島(ぶすじま)さんが言っていたこと。いままさに彼女自身の口から明かされているのは佐々さんの秘密そのものだ。てっきり男性の恋人かと思っていたけれど。

「1年生の夏休み前だ。クラスマッチがあってね。私は無駄にタッパがあるだろ?だからバスケのメンバーに選ばれちゃって……最悪だよ。運動はてんでダメだからさ」

 放課後に毎日。泣きながらひとりで練習してたんだよ。
 と、彼女は笑いながら話す。竹串になぶられているボールのような練り切りに、いま少し切れ込みが入れられた。

「そしたらね。先輩が声をかけてくれたんだ。練習を見てあげるから泣かないでって。それから本番直前まで付き合ってくれてさ。まぁ、結果はさんざんだったけどね。私も大いに足を引っ張ったよ」

 こんな顔もするんだな。と思った。
 どんなにドジを晒しても飄々(ひょうひょう)としてクールな佐々さんが、素直な感情を表に出している。恥ずかしさだったり、嬉しさだったり。時折見せる、切なげな笑みだったり。

「その時には、もう恋人になってたの?」
「たぶんね。告白なんかしてないんだ。でもお互い……気づいたらその距離にいた。女だとか、男だとか。そんなことどうでもよくなって。ただただ……ただただ、愛おしかった」

 パチパチとまばらな拍手が聞こえた。
 ピアノの演奏が一区切りついたようだ。演者が一礼して立ち去ってゆく。

「もう先輩とは恋人ではなくなって。いまは連絡も取り合ってない。でも彼女との時間が私にとっての青春だった。とても、とても素敵な……生涯忘れることはない。そう思う」

 だからね。と、佐々さんは私を見据えた。

「私にはわかる。キミのことが」
「……え?」
「好きな人。いるんでしょ?キミにも」

 気づけば、お酒の香りがしなくなっていた。
 代わりに鼻先をくすぐるのは……雨の匂いだ。

 そして視界が一瞬大きく歪み、サブリミナルのように記憶から引き出された断片的な映像が次々に脳裏に浮かんでは消えてゆく。
 雨の日のバス停……凍った湖……ゴミの詰まった下駄箱……青い麹……手のひらに乗った大量の錠剤……白い手袋……そして……白い水玉模様の手をした“あの子”

 チカチカと一瞬で切り替わっていた映像は一時停止し、あるワンシーンを私に見せてくれた。それはあの時の……月に祈っている……

「ちーちゃん……」


 *


 田舎町とはいえ、休日の駅前はそれなりに混み合う。
 私と佐々(さっさ)さんはいま、電車を待ちながら駅のホームに置かれた木製のベンチにちょこんと並んで腰掛けている。
 向かいのホームは人の波が途切れないというのに、こっちの乗り場は私たち2人しかいない。

「ちーちゃん」

 唐突に、佐々さんがそう言った。

「ちーちゃん……えっ?え、え?いま……いま、なんて……?」
「ちーちゃんって言った」

 ふふん。と鼻の頭を少し上に向けて、イタズラっぽい顔で私を見る佐々さん。

「それがキミの好きな人……そうだろ?」
「や……ややっ……」

 先ほどのカフェで。
 私が心の中でつぶやいたかと思い込んでいたのは、どうやらガッツリ脱獄を果たしていたようだ。

「あ……あぁ……あの……聞かなかったことには……?」
「んふっ。無理」

 生殺与奪の権を握られた……そんな気がする。
 当分、開明社の購買でパンを奪い合う戦場を駆け巡る日々になるかもしれないと、私は覚悟を決めた。

「ま、いつか恋バナしようね。タンビスキーくん?」
「えぇ……ややっ、というか私はそういうんじゃ……」
「そういうのって?」
「いや、だから……女性が好き。とか……そういうのじゃ……」

 ────嘘だ。
 気持ち悪い。そう思われたくなくて、この後に及んで嘘をついている。
 この人には……佐々さんには話しても大丈夫だと言うのに。

「私もね。女性が好きってわけじゃないよ?」
「……へっ?」

 その一言で、逡巡が飛んだ。遠くどこかへ。

「むしろね。気付かされたんだよ。先輩と恋人になってことで、私は女性が好きなわけじゃなかったんだなって」
「……どういうこと?」

 佐々さんが、ホームに挟まれた線路を眺めながら言う。

「いまの私たちってさ。子どもでもなければ、大人でもない……どちらでもない。その曖昧な境界の上に私たちは立っている。10代中頃から後半に至るまでのほんの数年間。友情も恋心も、混ざり合ったようで曖昧になってわからなくなって。それでも愛しい想いは確かにあって……」

 ──ね。そういうこと。
 佐々さんはそう言って微笑んだ。

「いまだからこそってこと?少女という、曖昧な存在の私たちだからこそ……」
「そう。私はそれに気づいた。きっと大人のカラダになれば、ココロも一緒についていく。私はもう曖昧ではなくなって……いずれは男の人と恋をするんだと思う。でもね、それって先輩に対してすごく失礼なことなのかもしれないと、悩んだこともあった。それこそ、死にたくなるくらいにね」

 死にたくなる。
 意外だった。佐々さんでもそんな思いがよぎることもあるなんて。
 私や……ちーちゃんと同じように。

「先輩にも打ち明けた。どうすればいいのって。いずれあなたを好きでなくなってしまうのに……って」
「……なんて答えたの?先輩は」

 佐々さんはスッと立ち上がると、傍に設置してある自販機で2つ飲み物を買った。そして一つを私に手渡してくれた。ブラックの缶コーヒーを。

「悩んでるくらいなら、その時間を私にちょうだい。彼女はそう言ったよ。泡沫(うたかた)みたいな花火で構わないからって」

 佐々さんはクイっと缶コーヒーを飲んだ。

「うわっ!これブラックだった!?」
「えぇ……ここでドジっ子炸裂しちゃうんだ……」
「はぁぁ~。せっかくキメようと思ったのになぁ」
「ふふっ。先輩はきっと、佐々さんのそういうところが好きだったんじゃないかな」
「おや?まさかタンビスキーくん、私を口説いているのかな?かまわんよ。まだまだ少女時代にいるのだから……!」
「ややっ!?」

 佐々さんは宝塚の男役のように演技がかった口調でそう言うと、ベンチに座っている私を後ろからハグした。もちろんこれは冗談でしているとわかっている。
 そうして、ひとしきり(じゃ)れあい終えた頃、ホームにアナウンスが流れた。まもなく電車が到着するという。

「さて。私はこのまま帰宅するけども。キミはどうする?」

 ────どうする?どうしたい?

 もしも。
 もしも私が、佐々さんと同じように“今だけ”なのだとしたら?
 わからない。どっちなんだろう、私は。
 でも今は────

「私……わたし……ちょっと用事思い出した」

 そうだ。今の私には行きたいところがある。
 月夜に誘われる前に。自分の意思で。