月とベイプ



「最近よぉ、なんか夜中に物音する気がしてんだわ。ドアが閉まるような音がしてよぉ」
「ふへぇ~い」
「おい、リリア。お前まさか、夜遊びとかしてんじゃねえだろうな?俺が寝てる間にこっそり出かけたりとかよぉ」
「ほへぇ~いぃぃ」
「こいつ……ナメてやがんな……」

 日曜の朝8時だ。
 私はテーブルに右のほっぺたを押し付けて、両手をだらりとぶら下げ、力なく突っ伏している。
 パジャマ姿でちゃんちゃんこを羽織っているが、今日は天突き体操をする元気すらなく、カラダもココロも溶けてしまって動くのも億劫である。
 そんな“やさぐれスタイル”で、先ほどから、眉間にシワを寄せた険しい顔でも美少女顔なセイちゃんに詰められているわけだ。
 
 彼は私が深夜にこっそり出かけているのに勘付いている。
 普通なら絶体絶命のピンチなのは間違いない。というのも、私は嘘が半端じゃなく下手なタイプなので、咄嗟に苦し紛れの嘘をついたところで秒でバレてしまうからだ。
 ……のはずなのだが、私が溶けているため、適当な返事に終始していることが幸いしているようだ。
 セイちゃんの追求をのらりくらりとかわし、もう出口も見えている。

「夜遊びしてない。ってことでいいんだな?」
「へぁ~いぃぃ」
「……まあそうだよな。こんなデカいケツで、隠密行動ができるわけもねえか」
「でぇぇ~かぁ~~?」

 もう3日になる。あの日から……月の出ない夜を数えて。
 当然、あれ以来ちーちゃんには会っていない。
 会えるはずもない。

 
 ────やめてッ!

 
 あれは、拒絶そのものだった。あまりにも明確な。
 彼女に触れようとしたこと……ただそれだけ。いや、それこそが問題なのだろう。
 もしかしたら、あの時。見つめあった時。私の秘密が勘づかれてしまったのかもしれない。

 気持ち悪い。
 
 そう思われたのかもしれない。いや、絶対にそうだ。

「うぅぅ……ぁうぁ……ぶるるぅぅぅ……けほっ」

 突っ伏したまま、ベイプを吸った。
 心はまるで和みやしない。全然ダメだ……もっと強いヤツをくれ……。

 その時、ピーンポーン。
 とインターホンが鳴った。私のカラダがビクっと反応する。

「おーい、リリア。出てくれ。俺着替えてっから」

 リビングではなく、セイちゃんの部屋から彼の声がした。
 そういえば、今日はセイちゃんが友達とお出かけすると言ってたっけ。
 私は落武者のようにゆらりと立ち上がると、ベイプを吹かしながら玄関へと向かい、ドアを開けた。

「お、おはようございます!」

 そこに立っていたのは、ダウンジャケットを着たひとりの少年。とても利発そうな顔つきをした子だ。恐らく中学生くらいの年だろう。
 ずいぶん緊張しているようで、その様はまるで鬼軍曹を前にした新兵のようだ。
 だが、この子。見覚えがある。

「あなた……佐々(さっさ)さんの弟くんだよね?」
「はい。いつも姉がお世話になってます!」

 このマンションはオートロックだから、エントランスのゲートはセイちゃんが解錠したのだろう。
 ということは、お出かけの相手は弟くんだったわけか。

「ややっ。どうぞどうぞ。寒かったよね」

 弟くんの鼻の頭が赤くなっている。きっと寒空の下、歩いてきたのだろう。
 私は彼を家の中に招いた。

「ココア飲む?ハチミツたっぷり、あったまるよ~」
「どうぞお構いなく。えっと……清十郎くんは……」
「セイちゃんね、いま着替えてるの。なんか時間かかってるけど、なんだろね」
「そうだ。これ、姉が持たせてくれました。ウチの店のお菓子ですが、よければ」
「ややっ。これはどうも。あっ、これ……」

 弟くんが渡してくれた箱の中身は、ザッハトルテだった。
 ちーちゃんと一緒に食べたチョコレートケーキだ。
 つい先日のこと。仲良く笑い合って舌鼓を打ったのは……それがいまでは……ダメだ。感情が溢れてきそうだ。瞼を閉じるまでもない。ちーちゃんのあどけない笑顔がありありと浮かび上がってくる。
 涙が……こぼれ……

「わりぃ。待たせたな」

 こぼれ落ちそうになった私の涙をピタリと止めたのは……セイちゃんだった。
 そして涙の代わりに目から落ちたのは(うろこ)だった。
 それほどに、彼の“いまの姿”には魔力があったのである。

「セイちゃん……それ……女の子の服……」

 そう。セイちゃんが女の子の服を纏っていたのである。

 トップスに柔らかなオフホワイトのウールニットセーター。タートルネックで、ゆったりめのシルエットが優しげだ。
 そこに合わせるのはミディ丈のグレーのプリーツスカート。落ち着いた色味が大人っぽく、動くたびに軽やかに揺れるデザインだ。おまけに黒いストッキングを履いており抜け目がない。
 そしてアウターにはキャメルのロングチェスターコート。シンプルなデザインが素材の良さを引き立てる。ひざ下丈がエレガントだ。

 紛れもない。今のセイちゃんは完全無欠の美少女である!

 おかっぱ頭をささっと手櫛で整えて、セイちゃんはくるりと一回転してみせた。
 ふんわりと鼻先をくすぐる”すもも“の香り。
 なんだろう……幻覚かな?花びらが舞っているのだが?ベイプの吸いすぎで脳がヤられたのかも。
 
「セイちゃん……過ぎるよ……美少女が過ぎる……」
「おう、リリア。今日一日、この服借りるから。文句ねえよな?」
「なんだ。私のだったのそれ?」
「ったりめーだろ。女の服なんて持ってたらおかしいだろうが」
「えー、絶対はじめてじゃないでしょ女装すんのさぁ……って、そうだよ!」

 そうだ。あまりにも似合いすぎているから。
 というより、セイちゃんに女装して欲しくてたまらなくて。どうすれば誘導できるかと常日頃頭を悩ませ、悶々としていた私である。だからこそ、まずツッコむべき事案が飛んでしまっていた。

「セイちゃん。なんで女の子の格好してるの?」

 いや待て……今日はお出かけするって言ってたけれど……まさか……!

「デートするから。こいつと」

 そう言って弟くんのダウンジャケットの裾をつまんで引っ張るセイちゃん。
 ムーヴまで美少女である。

「清十郎くん……そんな言い方したら……」
「あん?なんだよ事実じゃねーのかよ?」

 顔を赤らめて焦る弟くんをからかうように、ニヤニヤしながら上目遣いで肘をグリグリするセイちゃん。

「あ……あぁ……セイちゃん……こんなの……こんなの不健全が過ぎる……」

 なんてことだ。
 セイちゃんが私の預かり知らぬところで、こうして女装しては(私の服を勝手に着て)、その暴力的な美貌で無垢な男子をたぶらかしていたなんて。
 これは全て保護者代行である私の監督不行届……まずは先方に謝罪せねば……。
 
 私は携帯を取り出し、震える指でなんとかタップして電話をかけた。
 その相手は──

「もしもし……佐々さん……」