一月も最終週に差しかかった。
4限目の体育をサボっている私は、雲ひとつない寒空の下でベイプを吹かしている。
体育館の屋上は平坦な開けた場所となっていて、そこには太陽光パネルが並べられているのだが、空いているスペースに人工芝とウッドデッキが設置されているため、ちょっとした憩いの場(サボり場)として生徒たちから重宝されているのだ。
足下の体育館内から、ボールが頻繁にバウンドする音と、キュッキュッと鳴る運動靴の摩擦音が聞こえた。この音だけでわかる。今日の種目はバスケットだろう。
「佐々さん、バスケだけはサボらないって鼻息荒かったなぁ。あんなに体育嫌いなのに。なんでだろ」
「え、リリアちゃん知らないんだ?シュコー……」
今日はサボり仲間の同士がいる。毒島さんだ。もちろんガスマスクを装着している。
ちなみに、一応ふたりとも高校指定のジャージ姿である。
私達以外にも、学年もサボり科目も異なる10名程度の不良少女たちが、あっちこっちでダベっている。
「芽依のやつ、とっくに話してるかと思ったけど。シュコー……」
「ややっ!?」
「ん、なに?」
「いまのニュアンス的にさ。彼氏……とか?そういう気配がしたんだけど」
「シュコー……」
「え、そうなの?佐々さん、彼氏いるんだ?ちょ、えー!聞きたい聞きたい!」
毒島さんは返事をせず、私からベイプを奪い取ったかと思うと、ガスマスクをおでこの位置まで脱いでからベイプを咥えた。
そして慣れた手つきで吸引し始めた。
「ややぁ…………」
私は呆けていた。驚いて……それは毒島さんがベイプを吸い慣れていたことに……ではない。
はじめて見た彼女の素顔……。
ずらしたガスマスクから露わになった彼女の横顔が、まるで日本刀の切先のように美しかったのだ。
「これ。CBDの濃度高くない?頻繁に吸うならもうちょい薄めがいいよ。でも、フレーバーは好き」
ごちそうさま。と付け加えて、彼女は私にベイプを返した。
そしてガスマスクを再び装着してしまった。残念……と思いながらも、古い寺院の御厨子に隠された秘仏を覗いてしまったような。そんな罰当たりな気がした私はざわめく心を落ち着かせるべく、ベイプを咥えようとした──ところで思い止まる。つい数秒前まで目の前の美少女が咥えていたのだった。なんて恐れ多いんだ。
「リリアちゃんはさ、芽依のことどう思ってんの?」
「え、どうって。友達だけど」
「シュコー……それだけ?」
「それだけ……だけど?えっと?」
「ん。そっか。シュコー……よかった」
ほんの少し、敵意のようなゆらぎを感じたけれど気のせいだろうか。ガスマスクのせいで表情が見えないためなんとも判断できかねるが。
そこでようやく私は思い出す。
「あれ、なんか忘れて……そうだ!佐々さんの彼氏疑惑について教えてよー!」
「知らーん」
「えー、毒島さんがそれっぽいこと言ったんじゃん!」
「言ってないし。勝手にそう思っただけでしょー」
「これじゃ生殺しなのではー!?」
ちょっと、声デカすぎ!と他にも数名いるサボり仲間たちからクレームが入った。
サボっていることがバレてしまうことを恐れているのだ。
私はキュッと身を縮めて丸くなった。そんな私に毒島さんが語りかける。
「ほら。こういうのあったじゃん。古代ギリシャの青年が、蝋の翼で空を飛ぶってやつ。太陽に向かってさ」
「あー、小学校の時に音楽の授業で歌ったかも」
「それよそれ。どうなったかわかるでしょ?シュコー……」
歌の内容はたしかこんな感じだ。
自らの勇気を示すために、ギリシャ人の青年が蝋で作った翼を両腕に取り付け、鳥のように羽ばたいて空を飛ぶ。一路太陽に向かって。
だが、太陽に近づき過ぎたことで蝋の翼は熱で溶け、翼を失った青年は地上に落ちて……
「ね。だから知らない方が。近づき過ぎない方がいいこともあるってわけ」
「……そんな危ないことなんだ?」
「人の秘密っていうのはね、そういうもんでしょ。少なくとも私は……知らなければよかったな。知ったおかげで、太陽に触れたくなってさ。火傷すんのはわかってるのに……」
秘密と火傷。それはあまりにも教訓めいたものとして胸の奥に響いた。
だって私はいま、ちーちゃんの秘密に近づきたい。そればかり考えているのだから。
心のどこかではわかっている気がする。彼女の秘密を知ってしまえば、タダでは済まないだろうということに。それでも私は────
「さて。私もバスケしに行こうっと」
毒島さんが先ほどまでの思い詰めたような声のトーンとは一変して、おどけたような口調でそう言った。
そしてスッと立ち上がり、小走りで屋上の出入り口へと向かってゆく。だが途中で立ち止まって、私の方を振り帰り、思い出したように言う。
「あぁ、そうだ。例の女工さんの件。女の子同士のってやつ」
「へっ。あ、あぁ。それがどうかしたの?」
「それ。リリアちゃんのオリジナルじゃないでしょ。シュコー……」
毒島さんがビシっと私を指さして言った。
冷や汗が頬を伝ったような錯覚。ギクっとした私は、背筋を伸ばして応対する。
「正解……よくわかったね。人に聞きました」
「やっぱりね。じゃあさ、詳しく聞いておいてよ。私も興味あるし」
お願いね。と言い残し、毒島さんは去っていった。
彼女の小柄で華奢な後ろ姿が出入り口に消えたあたりで、私も立ち上がった。そしてベイプを一服。水蒸気は冬日和の空に向かって吹いた。
今日は月夜になるだろう。
せっかくだから、ちーちゃんに“昔話”のことを聞いてみよう。
「よっし。私もバスケいこうかな」
うじうじしていても仕方がない。こう言う時は運動して汗をかくのがいいかもしれない。
そう思い立ち、出入り口へ向かおうとした。その時だった。
「きゃっ!」
サボり仲間の生徒の一人が、短い悲鳴をあげたのだ。
見ると、学校支給のタブレットを落としてしまったようで、液晶がひび割れていた。
「あーあー、やっちゃったねぇ」
「うわぁ。バキバキだよぉ」
血の気が引いた。
私はさっと目を逸らし、まるで自分が下手人であるかのように、逃げるかの如く駆け出した。
────暗示している。
そんな予感がしたからだ。あのひび割れたタブレットの液晶に、私は湖の氷を重ねていたのである。
繭から糸を紡ぐように嵩を増してゆく不安……これを振り払わなければ。
体育館に戻った私は、さっそくバスケの試合に加えてもらった。大した動きも見せなかった割には、授業が終わる頃には周囲に心配されるほど大量の汗をかいていた。だが得体の知れぬ不安は拭えないまま。結局私は次の授業も屋上でサボり、ただただぼーっと空を眺めながらベイプを吹かしていた。時折、眼下に見渡せる凍りついた守矢湖を眺めながら。



