琥珀色の雪解け

家に帰るとガシャンという何かが割れる音が玄関にまで響いていた。
何事かと思い、リビングへ向かうとそこには髪の乱れた母親がいた。
「・・・お母さん」
「あら、帰ってきてたの。挨拶ぐらいしなさいよ」
「ごめんなさい」
いつもよりも機嫌が悪い母親。
こういう時はいつも悪いことが起こる。
すぐに部屋まで逃げようとしたが、間に合わなかった。
「どこに行くのよ!!こっちに来なさい!!」
「いやっ」
リビングを出て、部屋に行こうとした私の腕を強く握りしめた母親により私は床に転んでしまった。
母親は床に横たわっている私の上に馬乗りしてきた。
「お、お母さん」
「アンタは楽でいいわね。苦しくないでしょ?私と違って!!」
私に向けて怒声を放ち、身動きの取れない私の身体を殴り始める。
「うっ、ぐっっ。ご、ごめんなさい!やめて、やめてください!」
「煩い!!黙っていなさいよ!!」
その時だった。
ガチャリという音が玄関から聞こえ、足音がリビングに近づく。
リビングの扉が開き、父親が現れる。
父親は私と母親の様子を見て驚いた表情をして立ち止まっていた。
助けてもらうなら今しかない。
「お父さんっ、助けてください!!」
リビングに響き渡る私の声。
しかし、
「自分でなんとかしなさい。お父さんは疲れているんだ」
そんな言葉を残して、リビングを去っていった。
その瞬間、私の中で何かが音を立てて千切れた。
今まで、何度も耐えてきた。母親からの暴力も父親からの無視も、そして同級生からの虐めも。
たくさん耐え続けてきた。いつか誰かが私の味方をしてくれる。そう、信じ続けて・・・
でも、もう耐えられないっ。誰一人と味方がいない。誰一人として私を心配してなんてくれない。
それが辛くて、苦しくて・・・悲しい。
「あんたっ、余計なことをー」
さっきよりも怒りに満ちた顔で私を見つめる母親。
そして、手を大きく振りかざした。
しかし、私の顔に当たる前に母親の腕を掴む。
母親は私の行動に驚いて言葉も出ないという様子だった。
何年も反抗してこなかった娘が、突如反抗してきたことが可笑しいと言わんばかりに。
「私はアンタのストレス発散の道具じゃない。いい加減にして!!」
一瞬の静寂。次の瞬間、私の視界は大きく歪んだ。
衝撃。頬に走る強い痛み。耳の奥がキーンと高い音が鳴り響くのを聞いた。
「誰のお陰で生きれていると思っているの!!アンタは黙って私の言う通りにすれば良いのよ!!」
その時、初めて気づいた。

ーあぁ、そうか。
この世界には私を守る人も居場所も、最初からどこにもなかったんだ。

私はよろけながらも立ち上がり、リビングを飛び出した。
背後から「どこへ行くのよ!!」という声が聞こえたがもう、関係ない。
玄関で靴を履き、扉を乱暴に開ける。
外は、予報を遥かに超える猛吹雪だった。

一歩踏み出してみると肺の奥まで凍てつくような冷気が入り込む。
リュックもお金も何も持っていかず、コート一枚だけ羽織って、家を出た。
手元にあるのは、行き場のない気持ちだけ。
「・・・はぁ、はぁっ」
白く濁った息が、激しい風により吹き消される。
街灯の光さえ届かない暗闇の中、雪は容赦なく私の肌を刺した。
どこへ行くかなんて決めていない。ただ、この家から、この学校から、できるだけ遠くへ行きたかった。

足の感覚が、数分で消えた。
雪に足が取られるたびに、体力が削り取られていく。
暗闇の向こうには誰もおらず、車も通っていない。
世界中から自分以外の人間が消えてしまったような、完璧な孤独。
私は自分がまるで雪の結晶ー「六花」のようだと思う。
雪はただ降り積もり、そして静かに消えていく。
私もこのまま真っ白な闇の中でただ立ち尽くしていれば、すべてがどうでもよくなるだろうか。
痛みも、悲しみも、孤独な日々も。

視界が白濁していく。
膝が震え、私は雪の上に崩れ落ちた。
冷たいはずの雪が、なぜか少しだけ温かく感じ始めた。
「・・・もう、どうでもいい」
誰にともなく呟き、私は重くなった瞼を閉じようとした。
その時だった。
暗闇の向こう側に、ぽつんと小さな、ピンク色の光が見えた。
それは暴力的な白い世界の中で唯一、体温を持っているかのように柔らかく灯っていた。
私は、最後の力を振り絞って、その光の方へと這い出した。
それが、私の人生を帰る「西松屋」の看板だとは、その時の私にはまだ分からなかった。