琥珀色の雪解け

学校という場所は、私にとって「家」という牢獄から逃げ出すための避難所にはならなかった。
むしろ、別の冷気が支配する、もう一つの檻だった。

朝、昇降口で靴を履き変えようとする。自分の下駄箱を開ける瞬間、心臓が嫌な跳ね方をする。
今日は何が入っているだろうか。画鋲か、ごみか、あるいはー。
前は上履きの中に土を入れられていたっけ。
でも、何も入っていない日は逆に怖かった。周囲の視線が自分の背中に突き刺さる。
誰も私を見ていないようでいて、全員が私の「不幸」を観察しているようなねっとりとした視線を感じる。

「おはよう」
そんな日常的に当たり前の言葉をかけてくれる相手なんて、もう何年もいない。
教室に入り、自分の席に座る。机の角にマジックで小さく「消えろ」と書かれている文字を見つけた。
私は無言で筆箱から消しゴムを取り出して、その文字をこする。
完全に消えることはなく、黒い汚れが広がっていく。まるで、私みたい。
私の心も、こうして毎日少しずつ汚されて、磨り減っていく。
授業中、先生声は遠い場所で鳴る雑音のようにも聞こえた。
窓の外を見れば、冬の空は暗く重たい、今にも雪が降り出しそうな雰囲気だった。
ふと、隣の席の女子たちのひそひそと笑い合う声が聞こえた。
「ねぇ、見てよ。あの子。今日も同じ服」
「なんか、気持ち悪っ!それに臭くない?」
わざと聞こえるように発せられた言葉に、私は教科書を握りしめる手に力を込める。
確かに私はお風呂に入らない日がある。一日が疲れ、気力すらわかなくなるからだ。
それ以外にも家では服を洗濯させてもらえなかったり、お風呂に入れてもらえない日もある。
そんな事情を、温かい家庭で育った「普通」の人たちに分かってもらえるはずもなかった。
私にとっての恐怖は虐めや言葉の暴力よりも「自分という存在が透明になって消えていく感覚」だった。
教科書を忘れても誰も見せてくれない。グループ活動で一人になっても誰も気に留めてくれない。
私が今日、ここで消えてしまったとしても、明日の朝には誰かが笑いながら私の机を片付けるだけだろう。

昼休み。私は逃げるように屋上へ続く階段の踊り場へ向かった。そこだけは唯一、誰の視線も届かない場所だった。
冷たい階段に座りこみ、膝を抱える。
「六花」
ふと、自分の名前を呟いてみた。
雪の結晶。空から舞い降りて、誰にも気づかれず溶けて消えていく、儚い水の破片。
母親はどうして私にこの名前を名付けたのだろうか。
名付けた瞬間の母親は、わずかに私に愛情があったのだろうか。
それとも単に冬の季節に生まれたからというだけの無機質な印だったのだろうか。
今、頬を打つ風は痛いほど冷たい。
けれど、家に帰ればもっと冷たい言葉が待っている。学校にいればもっと冷たい視線が待っている。
どこに行っても、私は一人。私の世界は世界中が氷でできているみたいに何処にも触れ合える体温がない。

私は窓の外に降り始めた一粒の雪を見つめた。
それは地面に落ちる前に、風に煽られてどこかへ消えていった。
私もあんなふうにいなくなれたらいいのに。
そう願っても神様が叶えてくれるはずもなく、予鈴が鳴って重い腰を無理やり上げて教室へ戻る。


放課後のチャイムが鳴る。私は重たいランドセルを背負い、誰にも気づかれないように静かに扉を開き教室を出る。
この時の私はまだ、知らなかった。
数時間後、自分が「死」を求めて大吹雪の中を彷徨うことも。
そして、人生で一番温かい「午後」に出会うことになることも。