琥珀色の雪解け

2025年、4月
金沢の街を彩っていた白い雪は、今では柔らかな桜色へと塗り替えられていた。
私は、鏡の前で新しい制服の裾を整えた。紺色のブレザーに、まだ折り目の新しいチェックスカート。
中学を卒業し、今日から私は高校生になる。
かつて私が見れば、信じられない光景だろう。鏡の中にいる少女は、相変わらず少し線が細いけれどその瞳にはしっかりと前を見据える
力が宿っていた。

「六花ちゃん、準備できた?出発前に写真を撮りましょう」
リビングから同じ施設で暮らす年下の女の子、澪の声が響く。
あの後、私は警察署で聞き取りがあったり、一時保護所と呼ばれる場所へ行き、そして児童養護施設に移ってきた。
最初は怖くて、あまり口も聞かなかったけれど皆の優しさが私の心の氷の壁を溶かしてくれた。
それからというもの、施設の人たちとも子供たちとも仲良くなった。
「今行くよ」
私は机の片隅に今も置かれているあの空のペットボトルに指先で触れた。
ラベルはすっかり色褪せてしまったけれど、これを見るたびに私はあの日吹雪の中で立ち止まった自分を誇らしく思うことができる。

高校生活は驚くほど平和に始まった。
誰も私の過去を知らない。誰も私を「透明人間」として扱わない。
私は意識して、自分から「おはよう」と口にするように務めた。
最初は喉が震えて、声が裏返ってしまったけれどクラスメイトが「あ、おはよう」と当たり前に返してくれた時、胸の奥が熱くなった。

ある日の放課後。私は美術部の部室にいた。
中学の頃、唯一の心の支えだった「絵を描くこと」を、もう一度始めてみようと思ったのだ。
真っ白なキャンバスを前にして、私は迷わず筆を取った。

描きたかったのは、あの夜の景色だ。
けれど、ただの暗い吹雪ではない。
激しく舞い散る雪の結晶ー六花の合間にぽつんと灯る琥珀色の光。そして、その光を包み込むような大きな二つの影。

「素敵な色だね」
背後から顧問の先生が声をかけた。
「冷たい景色なのに、どこか温かい。この琥珀色は、何?」
「これは、私の命を繋いでくれた、一番温かい紅茶の色です」
私は微笑んで答えた。

虐待と虐めの後遺症は、今でも時折私を苦しめる。
大人の怒鳴り声が聞こえれば身体がすくむし、ひそひそとした声が聞こえれば胸が冷えそうだった。
夜、ふとした瞬間にあの家の冷たい床の感覚を思い出しては眠れなくなることもある。
けれど、今の私にはそれを打ち消すだけの「温かな記憶」が積み重なっていた。
施設の人たちがくれた朝の温かなスープ。澪と一緒に笑い転けた夜。
そして、あの西松屋で受け取った、名もなき優しさ。

放課後、私は学校の近くのコンビニに立ち寄った。
店に並ぶ、温かな「午後の紅茶」。
もう、誰かに買ってもらう必要はない。
私は自分の小銭を出し、そのボトルを受け取った。

拳に広がる熱。
それは今の私が「自分の意志でここに生きている」という確かな証拠だった。

六花の名のように、私は雪の結晶みたいに、自分の形を持って咲き始めていた。
あの時、凍りついて死んでしまわなくて本当に良かった。
空に向かって深く息を吸い込むと春の陽光が私の陰を優しく、長く引き延ばしていた。