黒蛇様と契りの贄姫

 桜河は花緒の動揺には気が付いていないようだった。むしろ、己が花緒を感情のままに抱きしめていた状況に気づいたらしい。はっと我に返り、花緒の体を離す。

「か、花緒、すまない……! 許可もなく、触れてしまった……」

「あ、い、いいえ! 大丈夫です……。私のほうこそ、ご心配をかけてしまって申し訳ございません」

(聞けない……)

 桜河には、自分の他にも贄がいたのだろうか。その者はどのような人物だったのか。男性だったのか、それとも女性だったのか……。桜河にとってその人は、どのような関係だったのか――。

 聞けないのではない。聞きたくなかったのかもしれない。

 その贄が、もしも女性だったら。桜河にとってその女性が大切な人だったとしたら。

 〝二度と失いたくない〟と自責の念に駆られてしまうくらいに――。

 自分が新たに贄姫に選ばれたとしたら、その人はおそらく何らかの理由でいなくなってしまったのだろう。深い事情はわからない。

 けれどももし、その人が桜河にとっての想い人だとしたら……。

(……っ)

 ずきん、と胸が痛んで花緒は困惑する。何なのだろう、この気持ちは。桜河にとっての贄は自分だけではなかった。自分ではないその人が彼の想い人であったのかもしれない。そうだとしたら、自分は彼にとってただのふたり目の贄にしか過ぎない。

(……桜河様は、私が贄だから大切にしてくださっていただけ。それ以上の理由などない。そんなの、わかりきっていたはずなのに――)

 なぜこんなにも悲しい気持ちになってしまうのだろう。