それが正直なところだった。
(私、生きている……)
こうして男と言葉を交わして実感する。
自分は黒蛇に丸呑みにされたはずだった。贄として妖の王に喰われたのだから、もう生きているはずはないのに。
(それともここは、常世ではなく地獄か何かなの……?)
自分はやはり死んだのだろうか。
男が目を瞬いた。
「覚えていないのか。おまえは、俺が常世まで連れてきたんだ」
「え……?」
「わかっていないようだから名乗っておく。俺は黒蛇の桜河だ」
「……黒、蛇?」
花緒は男をまじまじと見返す。男は黒蛇と名乗ったが、どこからどう見ても人間だ。桜の香りは黒蛇のものと同じようだけれど。そうだとしても、人である彼があのとき自分を呑み込んだ妖の王であるはずが――。
男が立ち上がった。水面から抜き去った足先から水が滴り落ちる。
「知らないのか? 妖魔は現世では妖魔の姿しかとれない。だが、常世では妖魔の姿でも人の姿でもとれる。ここは常世だ。人のおまえを怖がらせないよう、俺も人の姿をとった。黒蛇の姿が良いならそうするが」
「え? あ、いいえ! そのままで、大丈夫です……」
花緒は顔の前で両手を振って断る。
男の話を整理すると、まず男の名は桜河。妖の王〝黒蛇〟が人の形をとった姿。
(現世で私を呑み込み、常世へと連れてきた。今の状況はそういうことかしら)
それを踏まえて周囲を見渡してみる。たしかに自分の面前にある大池は現世のものとそっくりだ。朽ちた鳥居も現世にあったものと似通っている。違いは、ここが仄暗い森ではなく濃霧の立ち込める雑木林であるくらいだろうか。
もしかしたらここは、常世での北の門にあたるのかもしれない。
(それにしても、このお方が黒蛇様……)
花緒は黒蛇を盗み見てから、胸もとの着物を手繰り寄せる。端正な横顔は静かだ。けれども、彼の秘めている力がとてつもなく高いのだろう、肌がぴりぴりする威圧感がある。
花緒は体中が強張る。
(私はもうすぐ、この方に喰われてしまうのね)
なぜ黒蛇が人の姿を取って自分が目を覚ますのを待っていたのかわからない。おそらく自分は現世から常世に来た際、気を失っていたのだろうから、そのときに喰らえたはず。そもそも、丸呑みしたときにそのまま噛み砕けただろうに……。
花緒は、得体の知れない黒蛇をもう一度見やる。無表情。何を考えているのかわからない。今すぐ喰われてもおかしくはないのに、黒蛇からはその意思が感じられないのだ。
(贄姫を喰らうのは、今ではないの?)
わからない。どちらにしろ、花緒に選択肢などないのだ。
自分は黒蛇の贄姫。妖の王に捧げられるためだけに生まれてきたのだから。
花緒は恐怖に打ち震えるまま、黒蛇の次の言葉を待った。
黒蛇の言葉を待つ花緒に、彼は金色の瞳をついと向けた。
「……ここにいては危険だ。下等妖魔がうろついている」
「え……」
予想していなかった黒蛇のひと言に、花緒は目を瞬く。黒蛇がふいに雑木林に目をやった。光るひとつ目が無数にこちらを見つめている。どうやら木の陰に隠れていたようだ。
花緒は怖気を震う。
「ひっ……」
「怖がる必要はない。俺がいれば襲っては来ない」
「そう、なのですか」
か細い声でそう答えるのが精一杯だった。妖の王である黒蛇がそばにいれば平気なのだろう。けれども、花緒にとっては両者とも恐ろしい存在に違いはない。自分に逃げ場などないのだと改めて気づく。心臓が縮んだ。
黒蛇は、怯えている花緒を憂うように一瞥して、視線を前方に戻した。
「……だが、長居は無用だ。おまえを安全な場所へ連れて行く」
(私、生きている……)
こうして男と言葉を交わして実感する。
自分は黒蛇に丸呑みにされたはずだった。贄として妖の王に喰われたのだから、もう生きているはずはないのに。
(それともここは、常世ではなく地獄か何かなの……?)
自分はやはり死んだのだろうか。
男が目を瞬いた。
「覚えていないのか。おまえは、俺が常世まで連れてきたんだ」
「え……?」
「わかっていないようだから名乗っておく。俺は黒蛇の桜河だ」
「……黒、蛇?」
花緒は男をまじまじと見返す。男は黒蛇と名乗ったが、どこからどう見ても人間だ。桜の香りは黒蛇のものと同じようだけれど。そうだとしても、人である彼があのとき自分を呑み込んだ妖の王であるはずが――。
男が立ち上がった。水面から抜き去った足先から水が滴り落ちる。
「知らないのか? 妖魔は現世では妖魔の姿しかとれない。だが、常世では妖魔の姿でも人の姿でもとれる。ここは常世だ。人のおまえを怖がらせないよう、俺も人の姿をとった。黒蛇の姿が良いならそうするが」
「え? あ、いいえ! そのままで、大丈夫です……」
花緒は顔の前で両手を振って断る。
男の話を整理すると、まず男の名は桜河。妖の王〝黒蛇〟が人の形をとった姿。
(現世で私を呑み込み、常世へと連れてきた。今の状況はそういうことかしら)
それを踏まえて周囲を見渡してみる。たしかに自分の面前にある大池は現世のものとそっくりだ。朽ちた鳥居も現世にあったものと似通っている。違いは、ここが仄暗い森ではなく濃霧の立ち込める雑木林であるくらいだろうか。
もしかしたらここは、常世での北の門にあたるのかもしれない。
(それにしても、このお方が黒蛇様……)
花緒は黒蛇を盗み見てから、胸もとの着物を手繰り寄せる。端正な横顔は静かだ。けれども、彼の秘めている力がとてつもなく高いのだろう、肌がぴりぴりする威圧感がある。
花緒は体中が強張る。
(私はもうすぐ、この方に喰われてしまうのね)
なぜ黒蛇が人の姿を取って自分が目を覚ますのを待っていたのかわからない。おそらく自分は現世から常世に来た際、気を失っていたのだろうから、そのときに喰らえたはず。そもそも、丸呑みしたときにそのまま噛み砕けただろうに……。
花緒は、得体の知れない黒蛇をもう一度見やる。無表情。何を考えているのかわからない。今すぐ喰われてもおかしくはないのに、黒蛇からはその意思が感じられないのだ。
(贄姫を喰らうのは、今ではないの?)
わからない。どちらにしろ、花緒に選択肢などないのだ。
自分は黒蛇の贄姫。妖の王に捧げられるためだけに生まれてきたのだから。
花緒は恐怖に打ち震えるまま、黒蛇の次の言葉を待った。
黒蛇の言葉を待つ花緒に、彼は金色の瞳をついと向けた。
「……ここにいては危険だ。下等妖魔がうろついている」
「え……」
予想していなかった黒蛇のひと言に、花緒は目を瞬く。黒蛇がふいに雑木林に目をやった。光るひとつ目が無数にこちらを見つめている。どうやら木の陰に隠れていたようだ。
花緒は怖気を震う。
「ひっ……」
「怖がる必要はない。俺がいれば襲っては来ない」
「そう、なのですか」
か細い声でそう答えるのが精一杯だった。妖の王である黒蛇がそばにいれば平気なのだろう。けれども、花緒にとっては両者とも恐ろしい存在に違いはない。自分に逃げ場などないのだと改めて気づく。心臓が縮んだ。
黒蛇は、怯えている花緒を憂うように一瞥して、視線を前方に戻した。
「……だが、長居は無用だ。おまえを安全な場所へ連れて行く」
