黒蛇様と契りの贄姫

 一本道をひたすら進んでいくと、だんだんと靄の白から大池が姿を現す。周囲に色濃く漂う線香の臭い。

 この独特の臭気には覚えがある。山吹と町で狂妖を目撃したあの日、その正体を知ったのだ。常世の死の臭い。目がしみるほどの煙たさが、ここが常世で最も死に近い場所なのだと知らしめる。

 そして、眼前に広がるこの大池。忘れもしない、自分が常世に連れられた際に最初に見た場所だ。

 初めて来たときには闇夜に紛れて気づかなかったが、大池の真ん中には中島が浮かんでいた。蛇門を構えるこの池は、まさしく蛇の目に似た円い島が浮かぶ様にちなんで蛇目池と呼ぶのだと瓢坊から教わっていた。

(戻って来た……)

 あの時は見知らぬ場所に連れて来られて恐ろしいだけだった。けれども今は違う。この世界は自分の居場所。自分が守るべき場所なのだ。恐ろしさは完全にはなくならない。けれども以前とは違い、花緒はしっかりと地に足を付けて立てていた。

 大池の縁には、朱塗りの鳥居がひっそりとある。北の妖門――蛇門だ。鳥居の上部に掲げられている神額が朽ちた桜の木で出来ている。神額の表面に妖術らしい文字で〝蛇門〟と刻まれており、妖しい光を放ちながら蠢いていた。

 自分はあの大鳥居を通って常世へやって来たのかと、花緒は改めた。つい数カ月前であるはずなのに、それからいろいろな物事を経験したからか、懐かしくさえ感じる。

 ふと足もとに視線を落とすと見慣れぬ花が咲いていた。花の群を辿ると池の縁全体に咲いているのに気づく。

(ここには、あのようにキレイな花が咲いていたのね)

 やはり初めてここに来た時には気がつかなかった。大池を囲うように、青白い光を称えた花々が揺れている。どこか清らかを感じる光沢を放っている。妖力を宿しているのだろうか。花緒が見つめていると、花々がさわさわと揺れ、光に縁どられた花びらを空へと舞いあげた。まるで花緒の訪れを歓迎するかのように。花弁は風に乗り、大池の水面に落ちる。大池に緩やかな波紋が生まれた。

 桜河が目を見張る。

「……どうやらおまえは、花々に愛されているようだな。このような現象は初めてだ」

「どういうわけか、昔から動植物に好かれやすいようなのです。泉水家の出生が関係しているのでしょうか」

「……どうだろうな」

 桜河は少し間を置いて答える。何か知っているふうにも感じる。けれども、今は話す気はないのか、それとも彼の中で確証を得られていないのか。それ以上、桜河が何かを言及しなかった。