黒蛇様と契りの贄姫

 梅に手を取られて自室に戻ってきた花緒。箪笥を開け、あれこれと着物を見比べている梅の背中を花緒は見守る。梅がくるりと振り向いた。

「うふふ。張り切ってしまってごめんなさいね。桜河様があのように女性を誘われるのは、この約二百年のうち初めてのことなのです。老婆心ながら、つい嬉しくなってしまって」

 花緒は驚きに息をのむ。

「……二百年のうち、初めて?」

「あの御方は長く〝王〟であらせられた。情の心を持たぬまま、世界の均を護ってこられたのです。どれほど美しい春を見ても、どれほど多くの妖魔の願いを受けても——ひとりと情を交わすことだけは、禁じとしてこられた」

 箪笥から取り出した薄桃の着物を、梅はそっと花緒の腕にかける。

「けれど、花緒様に向けたあのひとことは、その禁を破る響きをしておりました。この梅は、それが嬉しくて仕方がないのです」

 その声音には、不思議な温かさがあった。長い歳月を越えて、ようやく訪れた春を見届ける者の、それは穏やかな喜びだった。

 花緒は言葉を失ったまま視線を落とし、指先で着物の袖を撫でる。

 そこには、桜河の触れた一瞬の温度が、まだ残っている気がした。