黒蛇様と契りの贄姫

 狂妖の男は錯乱そのものだった。黒い毒気の靄が体中から染み出している。おそらく、許容量を超えれば内出血をして命を落とすのだろう。

「花緒、下がれ!」

 桜河が花緒を背に庇い、黒蛇の鱗を顕現させる。山吹は即座に動く。

「おれは町民を避難させる! 桜河、そちらは任せたよ!」

 山吹が羽を広げ、路地を飛び出し叫ぶ。

「皆、逃げろ! 妖の王が虚葬を執り行う!」

 桜河が花緒を振り返る。

「花緒にとっては初めての狂妖だろうが、目を逸らさずよく見ていろ。毒気に狂う妖の末路だ。なるべく苦しまずに無に還そう」

「わかりました……!」

「贄姫の血は狂妖を引きつける。絶対に動くな。すぐに終える」

 桜河の言葉に花緒は頷き、竹垣に身を隠す。桜河は女を素早く避難させ、男と対峙。

「狂妖となった魂に救いはない。妖魔の魂を無に還す虚葬をさせて貰う――許せ!」

 桜河が瞬時に間合いを詰め、手刀を一閃。妖力の奔流が掌から迸り、隻眼の男の攻撃を弾き返す。男が咆哮を上げ爪を振り上げるが、桜河は軽やかに躱し、掌底で顎を砕く。続けて指先から漆黒の水刃を放ち、毒気の靄を切り裂き洗い流す。

 桜河の動きは流れるごとく圧倒的、瞬く間に男を無力化する。

(桜河様、お強い……!)

 花緒は息を吐く暇もない。あれだけ俊敏に動きながら、桜河は表情ひとつ乱れていない。妖の王の絶対的な強さを目の当たりにした瞬間だった。

「――〝天蛇浄潮(てんじゃじょうちょう)〟!」

 桜河の声が響き、両掌を合わせると、禍々しくも澄んだ黒水の渦が男を包み込む。奔流は蛇のようにうねりながら、その身も魂も余さず洗い浄め、静かに無へと還していった。花緒は震えるが、目を逸らさず見つめる。炎が収まり、男の肉体は砂のごとく崩れ、風に散っていった。妖魔は死ねば跡形もなく消えるのだ。