黒蛇様と契りの贄姫

(それに、桜河様がご自身を責められたら大変だわ。ご自分が贄姫に選んだために、私が不当な目に遭ったなどと勘違いされてしまったら……)

 桜河には何の責任もない――はずだった。
 常世の資料がほとんど現世に残っていないことなど、桜河は恐らく知らないのだろうから。

(それに、先日の説明で初めて知ったけれど、常世での〝贄〟の認識と、現世で語り継がれてきた〝贄〟のそれは、決定的にずれていたのだわ)

 桜河をはじめ、常世の者たちは、現世で贄がどう歪んで伝えられてきたのか、知る由もないはずだ。だからこそ、彼は花緒がこの十年、不当に虐げられてきた事実を知らないに違いない。
 そう思うと、桜河を責める気にはなれなかった。

(私が現世で味わった苦しみは、彼のせいでも、現世の人間のせいでもない。ただ、誰もどうすることもできなかっただけなのだから……)

 それを桜河に告げたところで、彼に決定的な落ち度がない以上、責め立てることはできなかった。

(桜河様に余計な心配をかけてはいけないわ。なるべく悟られないようにしないと)

 ふと、そんな自分を見つめていた山吹と目が合った。こちらを気にかけているような表情をしている。まるで自分の心中を見透かされているようで、花緒はその視線から逃れるように顔を伏せた。
 桜河は花緒が控えめな性格と知っているからか、それ以上何かを問わず、穏やかに花緒に食事を勧める。

「花緒が楽しい時間を送れるよう、屋敷の料理人が心尽くしで作った料理だ。遠慮せずに食べてくれ」

 自分を屋敷の皆が迎えてくれている――その気遣いがありがたかった。今まではどこへ行っても虐げられていた自分。自分はここにいてもよいと許されている気がして、瞳が涙で滲んでくる。
 このような温かい空間で、誰かと一緒に食事を摂る。それがかけがえのないものだと花緒は感じていた。
 おずおずと箸を進める花緒を、桜河たちが優しく見守る。
 しばらく談笑しながら食事を進め、膳の最後の一品を口に運び終えた。食事が終わり、花緒はそっと桜河の様子を窺っていた。
 桜河は自然に立ち上がり、花緒に一言声を掛ける。

「花緒、よかったら部屋まで送ろう」

「は、はい。ありがとうございます」

 皆に見送られながら、二人は静かな廊下を並んで歩き始めた。木の床が小さく軋む音と、遠くに残る宴の笑い声が、二人だけの空間を際立たせる。
 月明かりが障子を通して柔らかく差し込む中、花緒は意を決して口を開いた。二人きりの今だからこそ、聞かねばならない――「贄の契り」について。

「桜河様。ひとつお伺いしてもよろしいでしょうか?」

「構わない」

「以前お話でおっしゃられていた贄の契りは、どのようなものなのでしょう? 桜河様と私はもう済んでいるものなのでしょうか?」

「……いや、まだだ」

「まだ……」