黒蛇様と契りの贄姫

 梵天丸が軽く尻尾を振る。

「特に現世で悪行を働いた者や、負の感情をもったまま亡くなった人間の魂は、一際強い毒気を発生させる。今までは桜河がひとりで体内に毒気を溜め込んでやり過ごしていた。けれど、遂に贄姫が選ばれたのダ。これでひとまず安心だナ」

 梵天丸が声音に期待を込める。花緒は胸の中が疼くのを感じた。

(……私は今まで、痣のせいで全部壊れたと思っていた)

 家族からも、周囲の人たちからも忌まわしいと疎まれてきた。

(それなのに、贄に選ばれたのが罰ではなく、意味のあることだったなんて……)

 贄の本当の使命は理解した。けれど、素直に喜ぶことはできなかった。現世で常世の記録が失われた今となっては、どうしようもないとわかっていても――もっと早く知りたかった。正しく伝わっていれば、あんな理不尽な十年を過ごさずに済んだはず。

(それに……母も、自ら命を絶つ必要はなかったかもしれない)

 そう考えると胸の奥が痛んだ。それでも、ここにいる人たちは花緒を排斥しない。痣のある自分を贄姫として受け入れ、役目を果たす者として見てくれている。
 その事実だけが、沈んだ心の中でわずかに温かかった。
 ふと、目尻が熱くなる。涙が頬を伝い落ちると、顔の上で梵天丸が目をぱちくりと瞬かせた。

「贄姫、泣いているのカ? 毒気の浄化が嫌なのカ?」

「……いいえ。嫌じゃないんです。ただ、少し――安心しただけです」

 桜河が気遣うような視線を向ける。

「贄姫の浄化は唯一無二だ。俺は、おまえにここにいてもらわなければ困る」

「……っ!」

 桜河の真っ直ぐな言葉に、花緒は心臓が跳ねる。自分自身ではなく、自分の贄姫としての力が桜河に必要とされているのは理解している。けれども、彼にそばにいても良いと言われて、たまらなく嬉しかった。無意識に顔が綻んでしまう。
 そんな花緒を、桜河が驚いたふうに見つめていた。

「……おまえはそのように笑うのだな」

「え?」

「今まで辛そうな表情ばかりで知らなかった。なんと言えばいいのか……とても、愛らしい。これからもそのように笑っていてくれ」

 桜河のどことなく気恥ずかしそうな、不器用な言葉選び。それがあまりにも真っ直ぐに花緒の心に届いて、花緒は真っ赤に染まった顔を伏せた。顔から火が出そうだ。
 膝の上にいる梵天丸が花緒の顔を覗き込んだ。

「贄姫。顔赤いゾ……?」

「っ! み、み、見ないでくださいぃいい!」

「うぎゃ!」

 花緒はとっさに梵天丸を抱き上げると、そのまま彼の白いもふもふの体を顔に押し付ける。赤くなっている顔を少しでも隠そうとして。梵天丸の悲鳴が聞こえる。

「苦しいのダ!」

「あ、あああ、ごめんなさい、梵天丸さん!」

 慌てて梵天丸の小さな体を離す。毛を逆立てる梵天丸に花緒が平謝りしていると、くくく、と控えめな笑い声が聴こえてきた。はっとして顔を上げると、桜河が口もとに手の甲を寄せて控えめに笑っていた。
 今まで見せなかった、少年のようにあどけない表情――。
 花緒は彼の着飾っていない素の姿に目を奪われる。