黒蛇様と契りの贄姫

 どこか気まずい沈黙の中、やがて桜河が静かに口を開いた。

「……ちょうど、この時間なのだ。俺の両親が亡くなったのが」

「え……」

「それからというもの、夜中にこうして目が醒めると、時々どうしようもなく喪失感に駆られる時がある」

「桜河様の、ご両親が……」

 花緒は息を呑む。彼の口から初めて聞く、桜河の身の上話。

 彼の苦しみが伝わってきたのか、花緒の指先はじわりと冷たさを帯びていく。

 桜河は少しだけ間を置くと、遠い記憶を呼び起こすように口を開く。

「花緒。もし許してもらえるのなら、ひとりの……どうしようもなく弱い男の話を、聞いてもらえないだろうか」

 桜河の声がかすかに震えている。その背中にそっと手を当て、花緒は返事の代わりに桜河に寄り添った。

 自分はここにいる。ずっとずっと離れないと、その想いが届くように。

(今宵は、桜河様が話し終えるまで、少しでも彼の心が軽くなるまでそばにいよう)

 真夜中の静まり返った屋敷の中、白銀に輝く月だけがふたりを見守っていた。

***

 ……これは今から百十年以上も前の話。

 常世に、妖魔としては年若きひとりの少年がいた。

 父親は当時の妖の王。その贄姫だった母親と共に、少年は黒姫国を守っていたのだ。

 そして彼の父親もまた、強大な力をもった王だった。暗黒期が続いていた黒姫国をたった一代で人々が豊かに暮らせる土地へと復興させたのだ。

 人々はそんな王と贄姫を崇め称えた。少年もまた、国を守る二人の両親が誇らしかった。いつか自分も、あの背中のように自分の選んだ贄と共に国を守っていきたいと心に決めるほどに。

 ……けれどもある日、現世から何らかの理由で強い毒気が大量に流れ込んで来た。

 妖の王と贄姫のふたりは蛇門に赴いた。そこでは、周囲に満ちた毒気に侵され、次々と狂妖に堕ちていた。妖魔たちの喘ぎ苦しむ姿が溢れていたのだ。

 そして王もまた……かつてないほどの強い毒気にあてられ、体内に溜め込める毒気の限界を超えた。王が倒れても必死に浄化にあたっていた贄姫もまた、自分の死が迫っているのを感じていた。

 贄姫は、人間の体とはいえ妖の血をわけ与えられた半妖に近い状態。あまりにも強い毒気に中てられ続ければ、どうなるか。

 恐らくもう、自分も助からない。それを悟った贄姫は、自らの生命力を犠牲にして限界まで妖力を高めた。

 そうして最期の命と引き換えに、最大限の浄化の力を放ったのだ。