黒蛇様と契りの贄姫

 座っている桜河をよく見ると、頭がこっくりこっくりと船をこいでいる。どうやら寝入ってしまっているようだった。

(こんな体勢で寝てしまって……桜河様も病み上がりなのに)

 花緒は静かに近づき、桜河の顔を覗き込んだ。そこには、普段は決して見せないあどけない寝顔があった。

 気づけば、その顔に引き寄せられるように、花緒の指先がそっと桜河の頬をなぞっていた。――その時だった。

「……花緒」

 閉じられていた桜河の瞼がゆっくりと開き、掠れた声が部屋にぽつりと落ちる。

 花緒は驚いて手を引っ込める。

「お、桜河様! 申し訳ありません。勝手にお部屋に入ってしまって……」

 一気にやましさが湧いてくる。まだ虚ろな金の瞳。今なら何とか誤魔化せるかもしれない。花緒はしどろもどろに言葉を紡ぎ、必死に繕おうとする。

「こんな所でお休みになられていたので、ご心配でお声を掛けさせていただいたのですが……! 桜河様、お疲れでしょうから、どうかお布団でゆっくりお休みになさって――」

 花緒が言葉を続けようとしたその瞬間だった。慌てて立ち上がった桜河が、花緒を逃がすまいと腕の中に抱き寄せたのだ。

「きゃっ!」

「行くな。俺のそばから、いなくなるな。ひとりにしないでくれ……」

「桜河様……」

 桜河の切実な呟きが耳もとで聞こえる。花緒の背に回された桜河の腕が僅かに震えていた。まるで花緒を失う事態を恐れるかのように。

 花緒は、震える桜河の背に、彼を安心させるようにそっと自分の手を添える。

「……そんなに恐れないでください。桜河様がおそばに置いてくださるというのなら、私はずっと、あなた様の傍らにおります」

 歴代最強の妖の王。――誰よりも気高い貴人である彼が、まるで健気な幼子のように花緒には感じられた。

 しばらくそうしていると、平静を取り戻した桜河がゆっくりと体を離した。ふたりの間にひやりとした空気が滑り込む。溶けていく熱が名残惜しかった。

「……取り乱してすまなかった」

 普段の彼からは想像つかないほど弱り切った姿。誰の幻影を見ているのだろうか。

 虚空を見つめ小さく震える彼に掛ける言葉が見つからず、花緒は黙り込む。

「……」
「……」