人力車が大通りを抜けると、やがて立派な門構えの屋敷が前方に見え始めた。靄に覆われていて全容は目視できない。
人力車は石壁に囲われた表門をくぐる。すると、黒い屋根瓦に白塗りの漆喰の壁を持つ、美しい武家屋敷が花緒を出迎えた。屋敷の手前には見事な日本庭園が広がっている。その一角に大きな池があり、朱塗りの弓型の橋が掛けられていた。
花緒は唖然とする。
(なんて広いの……! 泉水家のお屋敷とは比べ物にならないくらいだわ)
ここが桜河の住居なのだろうか。帝都の帝が住む屋敷であってもおかしくはない。ここで自分は桜河に喰われて死ぬのだろうか。
(自分の時間は、もう僅かも残されていないのかもしれない)
諦めに似た心地になる。元より自分は黒蛇の贄となるためにやって来たのだ。ここまで丁重に扱われていた時間が、うたかたの夢のようなものだったのだ。
広く美しい日本庭園が、花緒の目には死後の天の園のように思えた。
人力車を降りた花緒は、屋敷の玄関に差し掛かったところで幾人かの使用人に出迎えられた。最初に声をかけたのは、白髪で皺だらけの鬼の老婆だった。穏やかな笑みを浮かべている。銀色の髪の間からは小さな角がのぞいていた。
「まあまあ、遠いところをようこそお越しくださいました。贄姫様」
「使用人の梅だ。おまえの身の回りの世話を任せてある。よろしく頼む」
桜河が言葉少なに紹介する。梅と呼ばれた老婆は、目もとに皺を刻んで花緒に優しく微笑んだ。おっとりとして、上品な所作だ。長く桜河に仕えているのだろうと察せられた。
梅と挨拶を済ませて間もなく、屋敷内から小さな丸く白いものが飛び出した。
「桜河! 無事に帰って来たナ!」
「梵天丸」
勢いのままに桜河の腕の中に飛び込んだのは、真っ白な毛玉に似た狛犬だった。桜河の腕にすっぽりと収まるくらいの大きさで、純白の毛並みはふわふわして手触りが良さそうだ。金色の釣り目がちの瞳に、ピンと天を向いた立ち耳は先端部が黒い。背中には紅白の飾り縄を背負い、首元には首輪よろしく大きな鈍色の鈴を付けている。所々に渦を巻いたもこもこの尻尾をご機嫌に振っていた。桜河が大好きなようだ。
(か、可愛い……!)
愛らしい外見に、花緒は抱っこしたい衝動に駆られて悶える。それを知ってか知らずか、桜河が歩み寄ってきて花緒の腕の中に狛犬を渡した。
「これは梵天丸。俺の使役妖魔だ。見た目は小動物の様だが、もとは稲荷神の眷属だ」
「稲荷神様の……」
花緒は目を丸くする。この腕の中の可愛らしい生き物が、元々は神に遣える者であったのだ。おそらく愛らしい外見にそぐわぬ凄まじい力を秘めているのだろう。
狛犬は花緒の手もとで鼻を鳴らす。
「おまえが噂の贄姫だな? オイラ、梵天丸! 仲良くしてやらんでもないゾ」
偉そうな口調ではあるが、小さな体で威張っている様は可愛らしい。
花緒は手もとの梵天丸を見下ろす。
「よろしくお願いいたします。梵天丸さん」
「桜河の客人じゃ仕方ない。特別だからナ!」
黒蛇を桜河と名で呼び捨てる梵天丸。主人と使役妖魔という間柄とはいえ、ふたりは気心の知れた仲なのだろうと花緒には思えた。
人力車は石壁に囲われた表門をくぐる。すると、黒い屋根瓦に白塗りの漆喰の壁を持つ、美しい武家屋敷が花緒を出迎えた。屋敷の手前には見事な日本庭園が広がっている。その一角に大きな池があり、朱塗りの弓型の橋が掛けられていた。
花緒は唖然とする。
(なんて広いの……! 泉水家のお屋敷とは比べ物にならないくらいだわ)
ここが桜河の住居なのだろうか。帝都の帝が住む屋敷であってもおかしくはない。ここで自分は桜河に喰われて死ぬのだろうか。
(自分の時間は、もう僅かも残されていないのかもしれない)
諦めに似た心地になる。元より自分は黒蛇の贄となるためにやって来たのだ。ここまで丁重に扱われていた時間が、うたかたの夢のようなものだったのだ。
広く美しい日本庭園が、花緒の目には死後の天の園のように思えた。
人力車を降りた花緒は、屋敷の玄関に差し掛かったところで幾人かの使用人に出迎えられた。最初に声をかけたのは、白髪で皺だらけの鬼の老婆だった。穏やかな笑みを浮かべている。銀色の髪の間からは小さな角がのぞいていた。
「まあまあ、遠いところをようこそお越しくださいました。贄姫様」
「使用人の梅だ。おまえの身の回りの世話を任せてある。よろしく頼む」
桜河が言葉少なに紹介する。梅と呼ばれた老婆は、目もとに皺を刻んで花緒に優しく微笑んだ。おっとりとして、上品な所作だ。長く桜河に仕えているのだろうと察せられた。
梅と挨拶を済ませて間もなく、屋敷内から小さな丸く白いものが飛び出した。
「桜河! 無事に帰って来たナ!」
「梵天丸」
勢いのままに桜河の腕の中に飛び込んだのは、真っ白な毛玉に似た狛犬だった。桜河の腕にすっぽりと収まるくらいの大きさで、純白の毛並みはふわふわして手触りが良さそうだ。金色の釣り目がちの瞳に、ピンと天を向いた立ち耳は先端部が黒い。背中には紅白の飾り縄を背負い、首元には首輪よろしく大きな鈍色の鈴を付けている。所々に渦を巻いたもこもこの尻尾をご機嫌に振っていた。桜河が大好きなようだ。
(か、可愛い……!)
愛らしい外見に、花緒は抱っこしたい衝動に駆られて悶える。それを知ってか知らずか、桜河が歩み寄ってきて花緒の腕の中に狛犬を渡した。
「これは梵天丸。俺の使役妖魔だ。見た目は小動物の様だが、もとは稲荷神の眷属だ」
「稲荷神様の……」
花緒は目を丸くする。この腕の中の可愛らしい生き物が、元々は神に遣える者であったのだ。おそらく愛らしい外見にそぐわぬ凄まじい力を秘めているのだろう。
狛犬は花緒の手もとで鼻を鳴らす。
「おまえが噂の贄姫だな? オイラ、梵天丸! 仲良くしてやらんでもないゾ」
偉そうな口調ではあるが、小さな体で威張っている様は可愛らしい。
花緒は手もとの梵天丸を見下ろす。
「よろしくお願いいたします。梵天丸さん」
「桜河の客人じゃ仕方ない。特別だからナ!」
黒蛇を桜河と名で呼び捨てる梵天丸。主人と使役妖魔という間柄とはいえ、ふたりは気心の知れた仲なのだろうと花緒には思えた。
