黒蛇が立ち上がる。その長い指先をついと前に向けると、青く揺らめく光が二列、奥へ向かって順々に点灯した。何もなかった真っ暗闇に道を成していく。提灯の灯りかと感じたけれど、光は揺らめきながら様々に形を変えている。あれは狐火だ。
花緒は恐怖も忘れてその幻想的な光景に目を奪われる。
なんて美しいところなのだろう。こうして足を踏み入れるまでは、魑魅魍魎が跋扈する地獄のような光景を想像していた。けれども実際は恐ろしくも美しい所なのだ。
花緒は、少し前方に佇んでいる黒蛇の大きな背中を盗み見る。
(この美しい場所でこの方に喰われて死ねるのなら、それでもいいのかもしれない)
花緒は、絶望的な気持ちから、諦めに似た気持ちに変わっていく。自分ではあがけない。今は、彼に従ってついていくしかないのだ。そのとき――。
カラ、カラ、カラ、カラ……。
耳慣れない金属音が、狐火の道の先から響く。車輪が回る音だろうか。
(何の音?)
花緒は無意識に黒蛇を見上げる。黒蛇は花緒の不安そうな視線に気がつくと、こちらを見下ろして僅かに口角を持ち上げた。花緒はたじろぐ。
(見間違い? 今、微笑んでくださったような)
まるで安心させようとしてくれたかのよう。けれど、錯覚だと花緒は考えを改める。
不気味な車輪の音はだんだんとこちらに近づいてくる。暗がりからその全容が目視できるようになった。それは頭巾を被った人型の妖魔の引く人力車だった。
頭巾の妖魔は花緒と黒蛇の所まで来ると、足を止め、舵棒を下ろす。そして、赤いビロードの布を地面に敷いた。そのまま黒い車体の目に無言で佇む。花緒と桜河が乗り込むまで待っているのかもしれない。
振り返った桜河が、花緒に片手を差し出す。
「――乗れ」
「……っ!」
花緒は、桜河の差し出された手と顔を交互に見やる。桜河は相変わらず無表情で何を考えているのかわからない。
(……なぜこんなに親切にしてくださるの?)
贄姫として、傷一つない状態で喰らう予定だからなのだろうか。そうとはいえ、こんなにも手厚く迎えられるとは考えもしなかった。黒蛇に惨たらしく喰われて終わるものと覚悟していたからだ。
しかし、容易く桜河の手を取れるような身分ではない。花緒は逡巡してから己の手を引っ込める。人力車の高さならば、よじ登れば自分だけでも何とか乗れるだろう。
一向に手を取らない花緒に、桜河は怪訝そうに眉をしかめる。
「……ああ。配慮が足りなかったな」
そうぼやくと、何を勘違いしたのか桜河は花緒の背中と膝の裏に腕を差し入れ、そのまま軽々と抱き上げた。
花緒は急激に持ち上がった目線の高さに混乱する。
「きゃ! な、何を――」
「…………」
桜河は無言で手元の花緒を見下ろす。花緒は、近づいた桜河の端正な顔立ちに息が止まりそうになる。まるで金の光が散りばめられたかのような瞳。密着したせいでより強く感じる甘美な桜の香り。
(本当に、なんて美しい人なんだろう)
見惚れている花緒の身体を、桜河は難なく人力車の座面に座らせた。そうして自分も花緒の隣に身軽に飛び乗る。
「出せ」
桜河が一言告げると、頭巾の妖魔は舵棒を持ち上げる。
状況が呑み込めずに混乱している花緒と、無表情の桜河を乗せて、人力車は狐火の路を駆け始めた。
花緒は恐怖も忘れてその幻想的な光景に目を奪われる。
なんて美しいところなのだろう。こうして足を踏み入れるまでは、魑魅魍魎が跋扈する地獄のような光景を想像していた。けれども実際は恐ろしくも美しい所なのだ。
花緒は、少し前方に佇んでいる黒蛇の大きな背中を盗み見る。
(この美しい場所でこの方に喰われて死ねるのなら、それでもいいのかもしれない)
花緒は、絶望的な気持ちから、諦めに似た気持ちに変わっていく。自分ではあがけない。今は、彼に従ってついていくしかないのだ。そのとき――。
カラ、カラ、カラ、カラ……。
耳慣れない金属音が、狐火の道の先から響く。車輪が回る音だろうか。
(何の音?)
花緒は無意識に黒蛇を見上げる。黒蛇は花緒の不安そうな視線に気がつくと、こちらを見下ろして僅かに口角を持ち上げた。花緒はたじろぐ。
(見間違い? 今、微笑んでくださったような)
まるで安心させようとしてくれたかのよう。けれど、錯覚だと花緒は考えを改める。
不気味な車輪の音はだんだんとこちらに近づいてくる。暗がりからその全容が目視できるようになった。それは頭巾を被った人型の妖魔の引く人力車だった。
頭巾の妖魔は花緒と黒蛇の所まで来ると、足を止め、舵棒を下ろす。そして、赤いビロードの布を地面に敷いた。そのまま黒い車体の目に無言で佇む。花緒と桜河が乗り込むまで待っているのかもしれない。
振り返った桜河が、花緒に片手を差し出す。
「――乗れ」
「……っ!」
花緒は、桜河の差し出された手と顔を交互に見やる。桜河は相変わらず無表情で何を考えているのかわからない。
(……なぜこんなに親切にしてくださるの?)
贄姫として、傷一つない状態で喰らう予定だからなのだろうか。そうとはいえ、こんなにも手厚く迎えられるとは考えもしなかった。黒蛇に惨たらしく喰われて終わるものと覚悟していたからだ。
しかし、容易く桜河の手を取れるような身分ではない。花緒は逡巡してから己の手を引っ込める。人力車の高さならば、よじ登れば自分だけでも何とか乗れるだろう。
一向に手を取らない花緒に、桜河は怪訝そうに眉をしかめる。
「……ああ。配慮が足りなかったな」
そうぼやくと、何を勘違いしたのか桜河は花緒の背中と膝の裏に腕を差し入れ、そのまま軽々と抱き上げた。
花緒は急激に持ち上がった目線の高さに混乱する。
「きゃ! な、何を――」
「…………」
桜河は無言で手元の花緒を見下ろす。花緒は、近づいた桜河の端正な顔立ちに息が止まりそうになる。まるで金の光が散りばめられたかのような瞳。密着したせいでより強く感じる甘美な桜の香り。
(本当に、なんて美しい人なんだろう)
見惚れている花緒の身体を、桜河は難なく人力車の座面に座らせた。そうして自分も花緒の隣に身軽に飛び乗る。
「出せ」
桜河が一言告げると、頭巾の妖魔は舵棒を持ち上げる。
状況が呑み込めずに混乱している花緒と、無表情の桜河を乗せて、人力車は狐火の路を駆け始めた。
