夜。校舎は、ようやく自分の骨の音まで聞こえそうな静けさに沈んでいた。
昼間あれだけ騒がしかった廊下も、今は非常灯の青白い光だけが床をなめる。靴底に踏まれるはずだったホコリが、宙に浮く理由を失って、ゆっくりと落ちていく。
三階、二年C組。
扉はきちんと閉まっている。札は「施錠」。当たり前だ。誰もいない時間の教室に用がある生徒なんて――本来は、いない。
けれど、教室の中では小さな赤い点が生きていた。
教室後方、掃除用具入れの横。
三脚の上に据えられたビデオカメラが、黒板をまっすぐに捉えている。液晶モニターは薄暗い室内で、そこだけ別の昼を抱え込んだみたいに光っていた。
画面の中の教室も、誰もいない。
机は整列し、椅子は机に押し込まれ、黒板は消されている。
ただ、窓際のカーテンだけが、風に押されてほんの少し揺れた。
――サッ。
布が擦れる音。
それだけで、空気が「何か」を含み始める。
カメラのマイクが拾うのは、夜の学校の微かな雑音だ。遠くの換気扇。廊下の蛍光灯が鳴くような電気の音。
そして、教卓の上で、紙が一枚、勝手にめくれる気配。
教卓の端には文庫本が一冊置かれていた。表紙は色褪せ、角が丸い。ページの途中に、穴の開いた紙片が挟まっている。栞にしては不格好で、けれど「鍵」みたいな形をしていた。
カメラはそれを映さない。
映さないまま、しかし確かに、そこに焦点が合っているように見える。
時間が、十秒ほど流れた。
そのとき。
教室のどこからか、声がした。
最初は息のように薄い。
マイクのノイズと区別がつかないほど、かすれている。
それでも、はっきり言葉の輪郭を持っていた。
「この映像の続きは、誰が撮る?」
声は、誰かを責めるようでも、呼びかけるようでもない。
ただ、問いだけを置いていく。夜の黒板にチョークで一行だけ書くみたいに。
質問のあと、わずかな沈黙。
カメラの画面が、ほんの一瞬だけ揺れた。誰かが触れたわけでもないのに、ピントが迷ったみたいに、教室の輪郭がぼやける。
そして――
ぷつり、と音が途切れる。
タイムコードが止まる。
映像は黒に落ちる。
けれど、赤い点だけは消えない。
RECのランプは、まだ、点いたままだった。
昼間あれだけ騒がしかった廊下も、今は非常灯の青白い光だけが床をなめる。靴底に踏まれるはずだったホコリが、宙に浮く理由を失って、ゆっくりと落ちていく。
三階、二年C組。
扉はきちんと閉まっている。札は「施錠」。当たり前だ。誰もいない時間の教室に用がある生徒なんて――本来は、いない。
けれど、教室の中では小さな赤い点が生きていた。
教室後方、掃除用具入れの横。
三脚の上に据えられたビデオカメラが、黒板をまっすぐに捉えている。液晶モニターは薄暗い室内で、そこだけ別の昼を抱え込んだみたいに光っていた。
画面の中の教室も、誰もいない。
机は整列し、椅子は机に押し込まれ、黒板は消されている。
ただ、窓際のカーテンだけが、風に押されてほんの少し揺れた。
――サッ。
布が擦れる音。
それだけで、空気が「何か」を含み始める。
カメラのマイクが拾うのは、夜の学校の微かな雑音だ。遠くの換気扇。廊下の蛍光灯が鳴くような電気の音。
そして、教卓の上で、紙が一枚、勝手にめくれる気配。
教卓の端には文庫本が一冊置かれていた。表紙は色褪せ、角が丸い。ページの途中に、穴の開いた紙片が挟まっている。栞にしては不格好で、けれど「鍵」みたいな形をしていた。
カメラはそれを映さない。
映さないまま、しかし確かに、そこに焦点が合っているように見える。
時間が、十秒ほど流れた。
そのとき。
教室のどこからか、声がした。
最初は息のように薄い。
マイクのノイズと区別がつかないほど、かすれている。
それでも、はっきり言葉の輪郭を持っていた。
「この映像の続きは、誰が撮る?」
声は、誰かを責めるようでも、呼びかけるようでもない。
ただ、問いだけを置いていく。夜の黒板にチョークで一行だけ書くみたいに。
質問のあと、わずかな沈黙。
カメラの画面が、ほんの一瞬だけ揺れた。誰かが触れたわけでもないのに、ピントが迷ったみたいに、教室の輪郭がぼやける。
そして――
ぷつり、と音が途切れる。
タイムコードが止まる。
映像は黒に落ちる。
けれど、赤い点だけは消えない。
RECのランプは、まだ、点いたままだった。



