人生返却体験

 会議室のドアが閉まる音が、やけに大きく響いた。
 結衣は一番端の席に座り、ノートパソコンを開く。手のひらが少し湿っていた。

 スクリーンが点灯する。
 白い光に浮かび上がった資料を見て、結衣は息を止めた。

 ――これ、私のだ。

 フォントの癖。
 色の使い方。
 余白の取り方。

 間違いなく、自分が作った資料だった。
 それなのに、見知らぬものを眺めている気分になる。

「じゃあ、白石さんから説明を」

 司会役の声に、体が強張る。
 立ち上がるまで、ほんの一拍遅れた。

「えっと……」

 言葉が続かない。
 画面に映る文字を追っても、意味が入ってこない。

 なぜこの企画なのか。
 なぜこの方向性なのか。
 なぜ、この案を選んだのか。

 理由が、ない。

 いや、正確には、あったはずの理由が、どこにも見当たらない。

 沈黙が、会議室に広がる。
 誰かが椅子をきしませ、誰かが咳払いをした。

「白石さん?」

 上司の声は、いつもより低かった。

「あなたが選んだんでしょ?」

 その一言が、胸に突き刺さる。

 選んだ。
 確かに、選んだはずだ。

 でも、選んだ瞬間の自分がいない。

 結衣は口を開こうとして、閉じた。
 何を言っても、嘘になる気がした。

 会議室の空気が変わる。
 視線が、結衣から資料へ、そして結衣へ戻る。

 評価が、音もなく削られていくのが分かった。

 「じゃあ、次の方」

 司会が話を進める。
 結衣は、椅子に座ったまま、手元のペンを握りしめた。

 指先に力を入れても、現実に触れている感じがしない。
 自分の存在が、会議室から薄く剥がれ落ちていく。

 スクリーンに映る企画が、他人のものに見え始める。
 名前だけが、自分のまま残っている。

 それが、いちばん残酷だった。

 会議が終わり、椅子が引かれる音がする。
 誰も結衣を見ない。

 結衣はゆっくりと立ち上がった。
 足が少し震えている。

 ――私は、何を失った?

 答えは出ない。
 ただ、確かな感覚だけが残っていた。

 選択が、消えた。

 それも、取り返しのつかない形で。