返却期限のある人生

 母・律子の葬儀が終わり、結衣は黒い喪服のまま駅のホームに立っていた。冬の風がコートの隙間を抜けていく。寒いはずなのに、体の感覚がどこか遠い。
 周囲には同じように黒い服を着た親族や知人がいて、誰かが鼻をすする音が聞こえる。泣いている人もいる。結衣はその輪の中に立ちながら、どうして自分の目が乾いたままなのかを不思議に思っていた。

 悲しくないわけではない。母が死んだという事実は、頭では理解している。けれど胸の奥が動かない。まるで感情だけが、葬儀場の外に置き去りにされてきたようだった。

 ちゃんとした娘だったはずなのに。
 そう思うたび、胸の中に薄い膜が張る。母の言葉を守り、迷惑をかけず、期待を裏切らず、正しい道を選んできた。泣くべきときに泣くことも、きっとその中に含まれていたはずなのに、涙は出てこない。

 ホームに電車が滑り込む音がして、空気が揺れた。結衣は反射的に一歩下がる。その動きさえ、誰かに教えられた通りのように感じられた。
 私は、いま何を感じているんだろう。
 問いは浮かぶのに、答えがない。悲しみの形が分からない。分からないことが、いちばん怖かった。

 電車の扉が開く。結衣は流れに押されるように乗り込む。黒いガラスに映った自分の顔は、驚くほど静かだった。泣いていないことよりも、その静けさに、結衣は小さく息を詰める。

 ――この感情は、本当に私のものだろうか。

 そんな考えがよぎった瞬間、胸の奥で何かがわずかにずれた。気のせいだと打ち消そうとしても、違和感だけが、薄く、確かに残り続けていた。