「はっー、今日も疲れた」
「お疲れ」
「紫ノくんもお疲れ様」
二人でベッドに入ると、俺たちは抱き合って、向き合う。
「紫ノくんに聞きたかったんだけどさ」
「うん」
「なんであの時、俺の背、ずっと撫でてくれたの?」
ずっと前からの疑問を、俺は聞いた。タイミングとか関係なく。気になっていたのだ、あのクールで、人に興味のない紫ノくんがどうして俺に声をかけようと思ったのか。
紫ノくんは少し、考えるような顔になった。
「なんで……か」
「だって基本紫ノくん、誰が泣いてても相手にしないでしょ」
「確かに」
薄情なのかもしれないけど、紫ノくんは昔からそうだ。境界線がはっきりしている。そして紫ノくんは少し考えた顔をした後、答えた。
「あんまりにも悲しそうだったからかな」
「あんまりにも……?」
「子供って簡単に泣き喚くでしょ?」
「う、うーん、確かに?」
「うるさくて嫌いだったんだけど、日生くんはずっと、悲しみを押し殺すために泣いてるみたいだったから。そんな子、初めて見たんだ」
紫ノくんは、俺の頬を撫でる。
俺はそれに擦り寄って甘えながら、初めて事情を話した。あの時起きていたことを。
「あの時、じいちゃんがいなくなって、一週間が経った時だったんだ。もう生存は厳しいって言われたらしくて、家に帰れなくてさ。だって家に帰ったら現実が待ってるから」
「そうなんだ」
「で、紫ノくんに背中を撫でてもらって、俺は救われたんだよ」
俺は紫ノくんの目元に触れる。いつだって冷静な瞳は、俺の前だと色を変えるのだ。それが愛おしくてたまらない。すると、紫ノくんがニヤリと笑う。
「あと、日生くんは自分は愛が重くないって言うけど、僕が女の人に声かけられてると、すっごい冷たい目してるの、自覚してる?」
「えっ、そうなの?」
「小学生の頃からそうだよ」
俺は素でびっくりした。紫ノくんが声をかけられるのは当たり前。慣れているつもりだった。でも、どうやらそうではないらしい。
紫ノくんは高学年になると、その容姿の片鱗が姿を見せて、女の子から告白されるようになった。俺も、告白されたことがある。でも、どうしても相手の女の子を好きになれる気がしなくて、断っていたのだ。
「紫ノくんはその時から、俺のことが好きなんだったっけ?」
「そうだよ」
「俺も、多分その時から紫ノくんが好きだったよ。だからお互いあんなにべったりいても、飽きなかったんだと思う」
小学六年生になっても、俺たちは暇さえあればお互いの隣にいた。最後なんで、先生にまで認識されて、何かある度二人で呼び出された。
「そうだね。学校に居る間、俺たち無理やりクラス超えて食べようとするから、廊下に机置かれてここで食えって言われたもんね」
「言われたね」
「あれも、良い思い出だ」
紫ノくんが僕の頭に触れて、撫でてくれる。優しい手つきで。
「それにしても、僕、日生くんか離れてた間の話、聞いたことあったっけ?」
「え、ないかも」
俺が首を横に振ると、紫ノくんは真顔で言う。
「僕も聞きたいんだけど」
「何」
「好きな人、何人くらいいたの」
「うっ」
紫ノくんは手のひらで俺の頬を包んで、まっすぐな視線を向けてくる。俺は痛いところを突かれて、目をそらす。
「あー、えっと、三人くらい?」
「浮気者」
「すいません……」
「どこが好きだったの」
俺は紫ノくんに促されるまま、全てを白状した。
中学二年生の時好きになったのは、吹奏楽部で部長をしていた高田先輩。
次は高校一年生の時の、生徒会の伊藤先輩。
三人目は大学一年生の時から好きだった、前田先輩。
そう考えると、俺は年上の男しか好きになっていないなと思った。
「年上ばっかりだね」
「憧れてたんだと思うよ」
「幼い頃は年上が大人に見えるもんだからね」
「そうだね」
でもどうして、突然そんなことを聞きたがるのだろう。
「なんで、気になるの?」
「……別になんでもないよ。どんな性格の男だったの?」
「え? あー、基本的にはみんな優しくて、リーダーシップがあったり、とかかな」
「リーダーシップ……」
「そう、後イケメン」
「イケメン」
紫ノくんは鸚鵡返しして、眉を顰めた。
本当に、どうしてこんなことを突然聞いてきたのだろう。
すると紫ノくんは落ち込んだような声を出した。
「僕、何一つ持ってないけど」
「ええ、確かに紫ノくん、リーダーシップがあるかと言われれば疑問だけど、優しさはたくさんあるじゃん。後紫ノくん、顔、めちゃくちゃイケメンなの、忘れちゃダメだよ。もはや嫌味になるからね」
僕がそう言うと、紫ノくんは曖昧に頷いた。
「顔のことはいいんだよ。それに、僕が優しいのは日生くん限定ね」
「うん。でも大切な人を大切にできるだけで良いんじゃないかな?」
「……そうだね」
「やっぱり、助けてもらったりすることに弱かったね」
俺は思い出す。
高田先輩は誰にでも優しくて、俺がトランペットでうまく音を出せず、ギリギリまで練習していたら、俺にアドバイスをくれながら一緒に練習してくれたりした。俺が納得できる音を出せるまで。
そしてできたら、頭を撫でてくれたのだ。よく頑張ったな、と。
でも高田先輩には中学一年生からの彼女がいた。仲が良くて、帰り道歩いているところを見たことがあったけど、おしどり夫婦、と言った感じで、幸せそうだった。俺の声は自覚する前に散った。
そして二人目の、生徒会会計の伊藤先輩。
あの人は、悪戯な人だった。今考えれば、多分俺と同じゲイだったのだろうと思う。優しかったり、優しくなかったり。記憶を振り返って思うのは、俺で遊んでいたのだろうというところだった。でも、決して悪いだけの人じゃなくて、俺が文化祭の用意にあっちこっち行って仕事していたら、必ず飲み物を好きなものでいいと、選ばせて飲ませてくれた。その間、なんでもない話をする時間が好きだったなと思い出す。
そして前田先輩。大学生活、友達もいない俺に、初めて優しくしてくれた人。
でも、考えてもみれば、誰を好きになっても、心には紫ノくんがいたような気がした。いつか会いたいと、ずっと思っていた。
そして、再会して、俺は幸せな恋ができた。
「紫ノくんが、俺のこと諦めないでくれてよかった」
「諦めるわけないよ。言ったでしょ、日生くんは僕の全てなんだよ」
首元に顔を埋められて、紫ノくんの吐息がかかった。くすぐったくて、俺は肩を震わせる。
「重いなあ」
「僕に沈んだらいいよ、受け止めてあげる」
俺の身体を抱きしめる力が強くなる。本当に沈んでいるような気分になった。
「それにしても、紫ノくんは高校生の時、何かなかったの?」
「何にもないね。好きになった人もいなければ、友達になった人もいない」
「前もそう言ってたね」
「うん」
「紫ノくんがそれで良いんなら、なんでも良いんだけどね」
俺がそう言えば、紫ノくんは愛おしそうに唇をなぞってくるから、俺たちは一度、キスをした。
そして視線を絡ませて、微笑み合う。
「ずっと、どうやったら日生くんにもう一度会えるかだけ考えてたよ」
「電話してくれたら良かったのに」
「引っ越しと一緒に、電話番号変わってた」
俺は目を見開いた。そう言うことか、と。
「ハガキに自分の家の番号は、書けないから」
「確かにそうだ」
「だから、本当に運任せだったんだ。だから電車で見つけた時、すごく嬉しかった。日生くんは気付いてなかったみたいだけど」
「ごめん」
「良いよ別に、会えただけ嬉しかったから。その日、ちょっと良いケーキ食べた」
「え、ほんと? ねえ、来年、再会祝いのケーキ作るよ」
「作れるの?」
「なんとかしたら」
「なんとかしたら」
俺が言えば、紫ノくんは鸚鵡返しする。
「この家、燃やさないでね」
「大丈夫、燃やさない」
俺が力強く頷けば、紫ノくんは頷く。
「ね、未来の話なんだけど」
「何」
「俺たち、就職するでしょ? 紫ノくんは、どうしたいの? 会社員するの?」
「うん。会社員すると思う」
「俺、出版社に入社しようか迷ってるんだよね」
「出版社?」
紫ノくんが首を傾げる。俺は頷いた。
「迷宮の扉、あったでしょ」
「あったね」
「ああいう、児童文庫を扱ってる会社に入りたいんだ」
「良いんじゃない?」
「応援してくれる?」
紫ノくんは当たり前だと笑ってくれた。この夢は、まだ両親にだって話していない。ちゃんと真面目に学校に通って、単位を取って、そして卒業したら、出版社に入りたい。それが俺の夢だった。
「この家、手狭だから、就職と一緒に引っ越ししないとね」
「そうだね。貯金あるから、そこから出そ」
「貯金?」
「そう、俺一年生の時だけめちゃくちゃバリバリバイトしてたの。それで、時間もないから散財することもなくて、六十万くらい、貯金あるよ」
紫ノくんはびっくりしたような顔をする。六十万、大人にとったら大した金額じゃないのかもしれないけど、これは俺の努力の結晶だ。だから、ずっと大切にしておいた。
「僕も貯金あるから、引っ越し代は二人で折半ね」
「うん。そうしよ」
「どんな部屋にしようかな……」
「日当たりのいいところがいいな」
「洗濯物がよく乾くところがいいよね」
「あと、一階は嫌」
「確かに。後エレベーター付きがいいな」
俺たちはスマホを出すと、物件探しのサイトを見ては、あれやこれやと意見を出す。
まだ先の話だけど、こうして、“二人の未来”の話ができるのが幸せだった。
「え、でも、俺が出版社に就職したら、紫ノくんと同棲、できないんじゃない?」
俺が気づくと、紫ノくんは考えるような顔になった。
「日生くんの会社の近くの会社に就職するよ」
「え、そんな適当な理由で大丈夫なの。とんでもない会社だったらどうするの」
「株でもして稼ぐよ」
他の人間が言うと現実逃避にしか聞こえないが、紫ノくんが言うと本当に聞こえるんだから、不思議なものだ。
「そう言えば紫ノくんのお父さんとお母さんってなんの仕事だっけ」
「医者」
「医者か……」
まず最初に食いっぱぐれがなさそうだなと思ってしまうのは、庶民のサガだろう。
「医者には、最初からなる気無かったの?」
「まともに帰ってこれない親なんか見て、医者になろうとは思わないでしょ」
「あー……。紫ノくん、結構放置されてたもんね」
「産まなきゃ良かったのにね」
「紫ノくん」
俺が怒ったような声を出すと、紫ノくんは首を横に振った。
「ごめん、別に親を恨んでるとか、そう言うんじゃない。でもちゃんと愛情を注げないなら、もっと考えて子供は産むべきだって思っただけだよ」
「紫ノくんが生まれてきてくれたから、俺がいるんだよ」
「うん、大好きだよ、日生くん」
「俺も大好き、生まれてきてくれてありがとう、紫ノくん」
そして俺は、そう言えば、と思い出した。
「紫ノくんそろそろ誕生日だよね?」
「うん」
「何がいい? プレゼント、奮発するよ」
「……」
俺は期待に目を輝かせた。紫ノくんは物欲がないタイプの男だ。本が欲しいとでも言うのだろうか。何冊だって買ってあげよう。
「紫ノくんが欲しい」
「……え?」
「紫ノくんが欲しい。考えておいて」
「あ、……はい」
俺は、どう噛み砕けばいいかわからなかった。
俺が欲しい。つまり、俺を……。
俺は真っ赤になって、逃げるように紫ノくんの首元にかじりついた。
「えっと、それは、前向きに検討させていただきます」
「はい。よろしくお願いします」
「お疲れ」
「紫ノくんもお疲れ様」
二人でベッドに入ると、俺たちは抱き合って、向き合う。
「紫ノくんに聞きたかったんだけどさ」
「うん」
「なんであの時、俺の背、ずっと撫でてくれたの?」
ずっと前からの疑問を、俺は聞いた。タイミングとか関係なく。気になっていたのだ、あのクールで、人に興味のない紫ノくんがどうして俺に声をかけようと思ったのか。
紫ノくんは少し、考えるような顔になった。
「なんで……か」
「だって基本紫ノくん、誰が泣いてても相手にしないでしょ」
「確かに」
薄情なのかもしれないけど、紫ノくんは昔からそうだ。境界線がはっきりしている。そして紫ノくんは少し考えた顔をした後、答えた。
「あんまりにも悲しそうだったからかな」
「あんまりにも……?」
「子供って簡単に泣き喚くでしょ?」
「う、うーん、確かに?」
「うるさくて嫌いだったんだけど、日生くんはずっと、悲しみを押し殺すために泣いてるみたいだったから。そんな子、初めて見たんだ」
紫ノくんは、俺の頬を撫でる。
俺はそれに擦り寄って甘えながら、初めて事情を話した。あの時起きていたことを。
「あの時、じいちゃんがいなくなって、一週間が経った時だったんだ。もう生存は厳しいって言われたらしくて、家に帰れなくてさ。だって家に帰ったら現実が待ってるから」
「そうなんだ」
「で、紫ノくんに背中を撫でてもらって、俺は救われたんだよ」
俺は紫ノくんの目元に触れる。いつだって冷静な瞳は、俺の前だと色を変えるのだ。それが愛おしくてたまらない。すると、紫ノくんがニヤリと笑う。
「あと、日生くんは自分は愛が重くないって言うけど、僕が女の人に声かけられてると、すっごい冷たい目してるの、自覚してる?」
「えっ、そうなの?」
「小学生の頃からそうだよ」
俺は素でびっくりした。紫ノくんが声をかけられるのは当たり前。慣れているつもりだった。でも、どうやらそうではないらしい。
紫ノくんは高学年になると、その容姿の片鱗が姿を見せて、女の子から告白されるようになった。俺も、告白されたことがある。でも、どうしても相手の女の子を好きになれる気がしなくて、断っていたのだ。
「紫ノくんはその時から、俺のことが好きなんだったっけ?」
「そうだよ」
「俺も、多分その時から紫ノくんが好きだったよ。だからお互いあんなにべったりいても、飽きなかったんだと思う」
小学六年生になっても、俺たちは暇さえあればお互いの隣にいた。最後なんで、先生にまで認識されて、何かある度二人で呼び出された。
「そうだね。学校に居る間、俺たち無理やりクラス超えて食べようとするから、廊下に机置かれてここで食えって言われたもんね」
「言われたね」
「あれも、良い思い出だ」
紫ノくんが僕の頭に触れて、撫でてくれる。優しい手つきで。
「それにしても、僕、日生くんか離れてた間の話、聞いたことあったっけ?」
「え、ないかも」
俺が首を横に振ると、紫ノくんは真顔で言う。
「僕も聞きたいんだけど」
「何」
「好きな人、何人くらいいたの」
「うっ」
紫ノくんは手のひらで俺の頬を包んで、まっすぐな視線を向けてくる。俺は痛いところを突かれて、目をそらす。
「あー、えっと、三人くらい?」
「浮気者」
「すいません……」
「どこが好きだったの」
俺は紫ノくんに促されるまま、全てを白状した。
中学二年生の時好きになったのは、吹奏楽部で部長をしていた高田先輩。
次は高校一年生の時の、生徒会の伊藤先輩。
三人目は大学一年生の時から好きだった、前田先輩。
そう考えると、俺は年上の男しか好きになっていないなと思った。
「年上ばっかりだね」
「憧れてたんだと思うよ」
「幼い頃は年上が大人に見えるもんだからね」
「そうだね」
でもどうして、突然そんなことを聞きたがるのだろう。
「なんで、気になるの?」
「……別になんでもないよ。どんな性格の男だったの?」
「え? あー、基本的にはみんな優しくて、リーダーシップがあったり、とかかな」
「リーダーシップ……」
「そう、後イケメン」
「イケメン」
紫ノくんは鸚鵡返しして、眉を顰めた。
本当に、どうしてこんなことを突然聞いてきたのだろう。
すると紫ノくんは落ち込んだような声を出した。
「僕、何一つ持ってないけど」
「ええ、確かに紫ノくん、リーダーシップがあるかと言われれば疑問だけど、優しさはたくさんあるじゃん。後紫ノくん、顔、めちゃくちゃイケメンなの、忘れちゃダメだよ。もはや嫌味になるからね」
僕がそう言うと、紫ノくんは曖昧に頷いた。
「顔のことはいいんだよ。それに、僕が優しいのは日生くん限定ね」
「うん。でも大切な人を大切にできるだけで良いんじゃないかな?」
「……そうだね」
「やっぱり、助けてもらったりすることに弱かったね」
俺は思い出す。
高田先輩は誰にでも優しくて、俺がトランペットでうまく音を出せず、ギリギリまで練習していたら、俺にアドバイスをくれながら一緒に練習してくれたりした。俺が納得できる音を出せるまで。
そしてできたら、頭を撫でてくれたのだ。よく頑張ったな、と。
でも高田先輩には中学一年生からの彼女がいた。仲が良くて、帰り道歩いているところを見たことがあったけど、おしどり夫婦、と言った感じで、幸せそうだった。俺の声は自覚する前に散った。
そして二人目の、生徒会会計の伊藤先輩。
あの人は、悪戯な人だった。今考えれば、多分俺と同じゲイだったのだろうと思う。優しかったり、優しくなかったり。記憶を振り返って思うのは、俺で遊んでいたのだろうというところだった。でも、決して悪いだけの人じゃなくて、俺が文化祭の用意にあっちこっち行って仕事していたら、必ず飲み物を好きなものでいいと、選ばせて飲ませてくれた。その間、なんでもない話をする時間が好きだったなと思い出す。
そして前田先輩。大学生活、友達もいない俺に、初めて優しくしてくれた人。
でも、考えてもみれば、誰を好きになっても、心には紫ノくんがいたような気がした。いつか会いたいと、ずっと思っていた。
そして、再会して、俺は幸せな恋ができた。
「紫ノくんが、俺のこと諦めないでくれてよかった」
「諦めるわけないよ。言ったでしょ、日生くんは僕の全てなんだよ」
首元に顔を埋められて、紫ノくんの吐息がかかった。くすぐったくて、俺は肩を震わせる。
「重いなあ」
「僕に沈んだらいいよ、受け止めてあげる」
俺の身体を抱きしめる力が強くなる。本当に沈んでいるような気分になった。
「それにしても、紫ノくんは高校生の時、何かなかったの?」
「何にもないね。好きになった人もいなければ、友達になった人もいない」
「前もそう言ってたね」
「うん」
「紫ノくんがそれで良いんなら、なんでも良いんだけどね」
俺がそう言えば、紫ノくんは愛おしそうに唇をなぞってくるから、俺たちは一度、キスをした。
そして視線を絡ませて、微笑み合う。
「ずっと、どうやったら日生くんにもう一度会えるかだけ考えてたよ」
「電話してくれたら良かったのに」
「引っ越しと一緒に、電話番号変わってた」
俺は目を見開いた。そう言うことか、と。
「ハガキに自分の家の番号は、書けないから」
「確かにそうだ」
「だから、本当に運任せだったんだ。だから電車で見つけた時、すごく嬉しかった。日生くんは気付いてなかったみたいだけど」
「ごめん」
「良いよ別に、会えただけ嬉しかったから。その日、ちょっと良いケーキ食べた」
「え、ほんと? ねえ、来年、再会祝いのケーキ作るよ」
「作れるの?」
「なんとかしたら」
「なんとかしたら」
俺が言えば、紫ノくんは鸚鵡返しする。
「この家、燃やさないでね」
「大丈夫、燃やさない」
俺が力強く頷けば、紫ノくんは頷く。
「ね、未来の話なんだけど」
「何」
「俺たち、就職するでしょ? 紫ノくんは、どうしたいの? 会社員するの?」
「うん。会社員すると思う」
「俺、出版社に入社しようか迷ってるんだよね」
「出版社?」
紫ノくんが首を傾げる。俺は頷いた。
「迷宮の扉、あったでしょ」
「あったね」
「ああいう、児童文庫を扱ってる会社に入りたいんだ」
「良いんじゃない?」
「応援してくれる?」
紫ノくんは当たり前だと笑ってくれた。この夢は、まだ両親にだって話していない。ちゃんと真面目に学校に通って、単位を取って、そして卒業したら、出版社に入りたい。それが俺の夢だった。
「この家、手狭だから、就職と一緒に引っ越ししないとね」
「そうだね。貯金あるから、そこから出そ」
「貯金?」
「そう、俺一年生の時だけめちゃくちゃバリバリバイトしてたの。それで、時間もないから散財することもなくて、六十万くらい、貯金あるよ」
紫ノくんはびっくりしたような顔をする。六十万、大人にとったら大した金額じゃないのかもしれないけど、これは俺の努力の結晶だ。だから、ずっと大切にしておいた。
「僕も貯金あるから、引っ越し代は二人で折半ね」
「うん。そうしよ」
「どんな部屋にしようかな……」
「日当たりのいいところがいいな」
「洗濯物がよく乾くところがいいよね」
「あと、一階は嫌」
「確かに。後エレベーター付きがいいな」
俺たちはスマホを出すと、物件探しのサイトを見ては、あれやこれやと意見を出す。
まだ先の話だけど、こうして、“二人の未来”の話ができるのが幸せだった。
「え、でも、俺が出版社に就職したら、紫ノくんと同棲、できないんじゃない?」
俺が気づくと、紫ノくんは考えるような顔になった。
「日生くんの会社の近くの会社に就職するよ」
「え、そんな適当な理由で大丈夫なの。とんでもない会社だったらどうするの」
「株でもして稼ぐよ」
他の人間が言うと現実逃避にしか聞こえないが、紫ノくんが言うと本当に聞こえるんだから、不思議なものだ。
「そう言えば紫ノくんのお父さんとお母さんってなんの仕事だっけ」
「医者」
「医者か……」
まず最初に食いっぱぐれがなさそうだなと思ってしまうのは、庶民のサガだろう。
「医者には、最初からなる気無かったの?」
「まともに帰ってこれない親なんか見て、医者になろうとは思わないでしょ」
「あー……。紫ノくん、結構放置されてたもんね」
「産まなきゃ良かったのにね」
「紫ノくん」
俺が怒ったような声を出すと、紫ノくんは首を横に振った。
「ごめん、別に親を恨んでるとか、そう言うんじゃない。でもちゃんと愛情を注げないなら、もっと考えて子供は産むべきだって思っただけだよ」
「紫ノくんが生まれてきてくれたから、俺がいるんだよ」
「うん、大好きだよ、日生くん」
「俺も大好き、生まれてきてくれてありがとう、紫ノくん」
そして俺は、そう言えば、と思い出した。
「紫ノくんそろそろ誕生日だよね?」
「うん」
「何がいい? プレゼント、奮発するよ」
「……」
俺は期待に目を輝かせた。紫ノくんは物欲がないタイプの男だ。本が欲しいとでも言うのだろうか。何冊だって買ってあげよう。
「紫ノくんが欲しい」
「……え?」
「紫ノくんが欲しい。考えておいて」
「あ、……はい」
俺は、どう噛み砕けばいいかわからなかった。
俺が欲しい。つまり、俺を……。
俺は真っ赤になって、逃げるように紫ノくんの首元にかじりついた。
「えっと、それは、前向きに検討させていただきます」
「はい。よろしくお願いします」
