飲み会で隣に座る先輩がずるい

19 彼の呼び出し
 石は星には近づけない。
 石ころらしく、ただ星を見上げるのみでいよう。
 はじめてのちゃんとした、それでいて分不相応な恋を終わらせたはいいが、次の恋に進む気力もなくぼんやりするうち、十二月になっていた。
 授業のあと時間が空き、アパートの駐車場で愛車の手入れをする。
 後部シートをそっと撫でた。
 叶斗先輩がここに座ったのは一か月以上前。なのに温かさを錯覚する。
「!」
 ポケットのスマホが急に震えた。
 画面に表示された名は――土橋。
『心の友よ……うぅ、おれと飲もう』
「ど、どした?」
 よく聞かずともむせび泣いている。
 サークルの飲み会では別に泣き上戸じゃなかった。いったい何があったのだ。
 大学の最寄り駅近くの店で飲んでいるというので、パテッドコートを着込んで向かう。
(ここ、だよな)
 寒風に巻かれながら到着したのは、表通りに軒を連ねる、雰囲気のいいダイニングバーだ。
 土橋だって二.五軍なのに、こんな洒落た店で一人飲みするのか。僕がその場でぐるぐるする間にずいぶん先を行かれたと自嘲しつつ、友の四角い顔を探す。
「石田ぁ!」
 土橋は、キャンドルを灯したテーブル席に佇んでいた。歩み寄るなり、ひしっと抱き着いてくる。どうどう。
「いやなことあったんなら、愛季ちゃんに甘えればいいのに」
「その二文字を出すなぁ……っ」
 向かいの席に腰を下ろしながら、彼の最愛の彼女の名を挙げれば、ますます呻いた。
「もしかして」
 喧嘩でもしたか? 交際半年を越えても土橋がでれでれで、危機とは無縁そうだったが。
 土橋が、赤い鼻をぐすんと鳴らす。
「振られた」
「まじ!?」
 事態は僕の予想を遥かに超えていた。
 クリスマスを目前に、なんと残酷な仕打ちだろう。
「あk……彼女、準ミスになってすっかり有名人だもんな」
 土橋は力なく頷く。
 学祭でのミス&ミスターサークルコンテスト。叶斗先輩は無事予選落ちした一方、ミスコンにエントリーした愛季ちゃんは、準ミスに輝いてのけた。
 所属サークルに副賞をもたらすに留まらず、他サークルや他学部、果ては他大の男子まで魅了してしまった。
 その中の一人に乗り換えられたらしい。可愛い子と付き合う宿命とはいえ、憐れ友よ。
「気持ち切り替えようと思って、告白成功したバーで飲んでたんだけど」
「さすがにドM過ぎるだろ」
 いい思い出で自分を慰めようにも、実際に再訪しては逆効果だ。
 季節的に周りはカップルだらけだし。
「こんな辛いなら、恋愛なんかもうしねえ」
 土橋が、泡消えかけのビールをがぶがぶ喉に流し込む。いつもの居酒屋のジョッキと違い、細い筒形グラス入りなのもあって、あっと言う間になくなった。
「……わかる」
 ビールを二杯、注文する。
 僕も飲みたい気分になった。
 恋愛って、ぜんぜん思ったように進まず、その割に止められもせず、壁に自ら突っ込んでいくみたいになる。なんでこうもままならないんだろう。
 一人じゃできなくて、だから楽しくて、難しくて。簡単に忘れられなくて……。
「今日は飲もう、土橋」
「おん? 石田も失恋したの?」
「実はまあ、うん」
「話せ話せ」
 運ばれてきたグラスを掲げ合う。
 お互い行き場のない恋心を晒し、なだめ、またぶちまける。酒もどんどん進んだ。

「――それ()さ。聞ーてる? つちはし」
「聞ーてますよ」
 ます? 土橋のやつ、酔っ払うと敬語になるのか。
 ちょっと飲み過ぎた。そろそろ切り上げよう……と思いきや、もう店の外に出ていた。
 火照った頬に夜風が沁みる。
 眠気でぼやけ気味の視界は、普段と高さが違う。コンビニのガラス壁の赤と緑の張り紙が、規則的に揺れている。
「このT字路、どっちに曲がる?」
「まえ」
「右ね」
 足下が覚束ない陽ちゃんを、呼び出したからにはと土橋がおんぶで送ってくれているようだ。
 がっつり飲んだのでバイクには乗れない。
 バイク。1000ccのハーレーが脳裏に浮かぶ。結局一回も乗せてもらえなかった。
「あーあ。かなとせんぱいが迎えに来てくれたら、よかったのにな」
 そのせいで、とっくに下校している、いちばんあり得ない先輩の名が口をつく。
「……、なんで?」
 なんで? 
 さんざん話したじゃないか友よ。って、陽ちゃんの好きな人には言及してないんだった。
 名前を出したら驚かせるし、「二.五軍を弄んだ」って叶斗先輩を悪者にはしたくない。
 そう思うくらいには、まだ――。
「そりゃあ……きらい()から」
 未練がある。情けない。
 失恋したけど、片想いだけど、好きなんだ。好きを通り越して嫌い、って感じ?
「はは。俺、男には嫌われちゃうな」
 友が嘆く。それは初耳だ。
「そーなの? 陽ちゃんは、つちはし好きだよ」
「……それ、むかつくんよ。やっぱりこの気持ちって――」
 何やらぶつぶつ言っている。飲み足りなかったか。
「おまえは、もう恋愛なんかしない! って言ってたけど。いい思い出()け残しといたら、よいんをあじわえて、好きになってよかったって思えるんじゃない?」
 友への励まし半分、自分の奮い立たせ半分に、告げる。
 行動が遅かった後悔はあるものの、いい思い出――また歩き出すための灯火は残った。
 次こそは怖れずに「好き」って言おう。
 叶斗先輩より好きになれる人が、次いつ現れるかわからないけれど。
「そうかな」
 って、土橋は陽ちゃんのありがたい助言を聞いているんだかいないんだか。
「着いたよ、陽ちゃん」
 見覚えのある国産バイクと建物が目に入る。陽ちゃんのアパートだ。
「ん、あんがと」
 とん、と背中から降りた。「鍵は……」とあちこちのポケットに手を突っ込んでいたら、「はいどうぞ」と渡される。おまえが持ってたのか。
「気をつけてかえれよ。またいつ()も呼びな」
 ひらひら手を振って、部屋に入る。
 土橋のくせにやたら温かくて頼もしい背中だったなあ、と思った。


 十二月は、校舎を行き交う学生の人数が多くなる。
 なぜなら四年生の卒業論文提出月だからだ。
 講義後、ツーリングサークルのメンバーは部室に集まり、追い込み作業を手伝った。
「石田、文章の添削うまいな」
「教育学部なんで、いちおう」
 文系学部の卒論は、資料やインタビューをもとに考察を述べる形式が主だ。
 簡潔に、かつ字数が減り過ぎないよう(※重要)推敲する。「自分で何書いてるのかわかんなくなってきた」という四年生に拝まれた。
(恋愛も論理的に進めば優等生なのに)
 なんて自虐していたら、向かいの長テーブルでノートパソコンを開く花村先輩がつぶやく。
「人はなぜぎりぎりにならないと本気を出さないのか……」
「今は哲学より解析してください、先輩」
 理系の卒論は解析もしないといけない。
 実験データを打ち込んであげている叶斗先輩とばちっと目が合って、慌てて逸らす。
 叶斗先輩は僕以外の隣に座って、世話を焼いている。何なら栄養ドリンクの差し入れをしたのも先輩だ。
 僕には、先輩のじいちゃんのバーで話して以来、よそよそしい。
(それはそう。僕から「隣にいられない」って伝えたんだし。でも、来年もこんな感じで、卒業しちゃうのかな)
 残りの大学生活に楽しみを見出せない。
 それでいて同じサークルだからこうして同じ場所に居合わせざるを得ず、引き摺ってしまう。
 また土橋と飲むか。彼の言うとおり酒の力は偉大で、この間は不思議と癒された。
 部室に泊まり込み予定の先輩たちの寝袋を避け、友に近づく。
「土橋。今日飲みに行かない?」
「あー、飲みなあ……」
 何だか歯切れ悪い。デートの約束もなく暇だろう。突然の呼び出しに応じてやったのに、僕には付き合えないって?
「だぁめ」
 口を尖らせていたら、叶斗先輩が割り込んできた。
「俺の隣以外で飲むの禁止って言ったでしょ?」
 ふつうの先輩後輩だったときの台詞を持ち出す。
 土橋もなぜか「確かに」と叶斗先輩の肩を持つ。
 なんで、遠い先輩が関わってくるんだ。よそよそしいならよそよそしいで、中途半端に親切にしないでほしい。
「だから、そういうのやめてくださいって」
 苦言を呈する。思ったより突き放すトーンになった。
「これ、世話焼きに入る?」
 先輩は口もとのほくろをむにっとさせ、言い返してくる。
「僕が苦しくなったらぜんぶそうです」
「苦しませたいわけじゃ……」
 追撃に、先輩が怯んだ。
 何とも思っていなければ、離れようが近づかれようが苦しくないんだけど。
 今はまだ、放っておいてほしい。
 間に挟まれた土橋が、「なんで険悪なの?」と言いたげにおろおろする。
「じゃあ、うちでポテトパーティーしよう」
 そんな土橋の手を取る。叶斗先輩は置いてけぼりにした。

 授業期間最終週。
 サークルの四年生は全員、卒論を提出できた。
「これでご来光&追い出しツーリング、悔いなく参加できるわ」
 長テーブルに突っ伏す先輩が、よれよれつぶやく。
 うちは毎年度、一月の全体ツーリングをもって四年生が引退する。
 夏の長距離ツーリングがついこの前だったのに、あっと言う間だ。
「卒論手伝ってくれた御礼に、いいお酒持ってくね」
 花村先輩の美味しい予告に、二・三年生が沸く。実は手伝いはほぼそれ目当てと言える。
(後期の僕は、サークルツーリングには不参加続きだったけど)
 個人的な理由で、四年生最後のツーリングまで不義理はできない。
 叶斗先輩が僕をじっと見ているのに気づいたけれど、石ころのふりをした。



20 いざ玉砕
 ご来光&四年生追い出しツーリングは、実家に帰省しているメンバーもいるため三が日は外し、冬休み明け直前に一泊二日で行われる。
 「あけおめ」と、パーキングエリアに集まった。
「みんな、一緒に走りたい四年生のグループに入れてもらえ」
 佐藤先輩の号令で、わっと四年生のもとに駆け寄る。相変わらず叶斗先輩にくっついていく女子もいるけど、僕には関係ない。
 愛車のエンジンをかける。
 行き先は、千葉にある本州最東端の岬だ。
 厳密にはご来光じゃないけど(ご来光は山から見る)、細かいことは気にせずということで。
「石田ー」
「ん?」
 冬のツーリングは、気持ちいいが、寒い。
 ネックウォーマーにうずまるような姿勢で走っていたら、同じグループの土橋が声を掛けてきた。
「正月何してた?」
「実家でごろごろ」
 平凡な答えを返す。
 こたつで温まりつつもスマホを抱えていたのは、別に何かを待っていたわけじゃない。
「おれも」
「クリスマスも正月も同じだな」
 クリスマスは土橋と過ごした。「なんでおまえと」って言い合いながらも楽しかった。
(大学一年目、いろいろあったなあ)
 海岸線を走りながら振り返る。
 まだ後期試験と春休みが残っているものの、もう終わった気分だ。
 酒が飲めるようになって、恋愛の可能性がいちばんない相手と話すようになって、まんまと好きになってしまって、始まる前に終わらせるしかなくなった。
(二.五軍男子には濃過ぎる経験だよ)
 日の出に新年の目標を誓おうと思っていたけれど、追いコンで四年生を送るとともに、恋心の残滓を胸から追い出すので精一杯かもしれない。
 夕暮れ前に、宿に着いた。
 早速、大部屋に持参の酒を並べる。
 追いコンを盛大にしたいし、明日は日の出を拝むべく六時起きだしで、忙しいのだ。
(さてと。どこに座ろう。四年生には、一年間お世話になった挨拶を一言伝えられればいい)
 とにかく叶斗先輩に隣を押さえられるのを避け、隅っこに居ついた。
「それじゃあみんな、盛り上がろう! 乾杯」
 四年生が乾杯の音頭を取る。
 僕も紙コップを掲げ、平和に飲み始めた。バイク乗りといっても陽キャばかりではなく、のんびり飲みたい人もいる。
「はい注目~」
 乾杯から少しして、運転による筋肉痛もほぐれたところで、佐藤先輩が立ち上がった。
 その横に叶斗先輩が控え、思わせぶりに両手を後ろに回している。
 四年生への記念品贈呈だ。
 ミニグラスと、サークルツーリングで回った場所での写真を収めたアルバム。下級生は四年生の卒論提出後も部室に集まり、こっそり制作した。
「四年間、お疲れ様でした」
 叶斗先輩が四年生の代表に包みを手渡す。
 拍手しながら、蛍光灯の下でも眩しい先輩を見守った。
「まあ、俺はサークル入ったの今年の春ですけど」
 先輩が付け加えた一言に、大部屋がどっと沸く。
(……え?)
 でも僕は笑えない。
 叶斗先輩と同じサークルに入ろうと思って、ツーリングサークルの扉を叩いたんですが。
『や、隣の座敷でやってたツーリングサークルの新歓に顔出してたんよ』
 出会った日の先輩の言葉を思い返す。
 もしかして、単に飲みに来ていただけなのか? サクラみたいな感じで
『あ、石田くん。サークル入ったんだ。よろしくね』
 それが、なんで、三年生にして新しくサークルに入ったんだろう。
(って、また先輩のこと考えちゃってる)
 年が明けても進歩がない。
 長距離ツーリングで玉砕していた三年女子はと言えば、今は別の男子の先輩と屈託なく笑い合っているというのに。
(それに引きかえ、僕は……一浪して上京までしたのに変われてないし、未練たらしいし)
 なんでの答えを突き止めたところで、もう終わっている。
 飲もう、酒を。
「土橋」
 友の隣に陣取り、肩を組む。「うおっ」と叫ばれたけれど、逃がさない。
 紙コップにビールを注ぐ。もくもくと喉に流し込む。土橋はちらちら僕の肩の向こうを気にしている。
「まだ新しい彼女探すな、陽ちゃんと同じところにいろ」
「うん、探してないけどな」
 じゃあ誰を見てるんだろう?
 振り返ると、四年生が部屋の中央に集まっていた。空にした酒瓶をマイク代わりに口もとに当てる。
 四年生の一言スピーチか。ちゃんと聞かないと、と身体の向きを変える。
(ふぁ)
 ちょっと、うとうとしてきた。
 最後に全員で集合写真を撮る段取りだ。それまで、頑張ら、ないと――。
 一瞬、目を瞑る。
(え)
 一瞬だったのに、再び開けると、大部屋は無人になっていた。
 みんなどこへ、と不安いっぱいできょろきょろする。
「陽ちゃん、こっち来れる?」
 目の前に、頼もしい背中が現れた。
 叶斗先輩だ。そうか、もう日の出の時間か。急いで移動しないと、と手を伸ばす。
 でも、届かない。先輩はだんだん遠ざかる。
 待って。ひとりで行ってしまわないで。陽ちゃんはまだ……。
「間に合うよな?」
 自分の声にびっくりして飛び起きる。
 ――あれ?
 大部屋も、窓の外も、真っ暗だ。夜中らしい。
 いつのまにか布団が敷かれ、僕の身体には毛布がぎゅっと巻きつけられ、雪だるまみたいになっている。
(このせいで悪夢見たのかも)
 それも追いコンの途中で寝落ちてしまったようだ。
 はああ、と息を吐く。
 周りを見れば、現実の叶斗先輩がちゃっかり隣に横たわっている。
 無防備な寝顔に、胸がきゅっとした。
 ずるい先輩への恋心を、いつまでも追い出せない。
(僕がすっきり諦められないの、女の子たちと違って玉砕してないからじゃないか?)
 久しぶりに近くで眺めるうち、たまらなくなってきた。
 石にも似た恋心が粉々に砕ければ、酒で流すなり、ツーリングの風に飛ばすなりしやすくなるはず。
(叶斗先輩に、はっきり「好き」って言おう)
 そのために、ふがいないが酒の力を借りたい。
 六月の誕生日、酒によってそのときの素直な気持ちを口にできたらしいから。
 畳に散らばる酒缶のうち、中身の残っているものを探す。まとめて紙コップに注ぐ。どれも果物系のサワーだから構わない。
 ぐいっと呷った。酒力が全身に染み渡る。
「ぷはぁ。星川、叶斗」
 まるで宣戦布告のごとく、フルネームで呼んだ。
 芸名みたいで、きらきらした先輩に似合う……じゃなくて。
「よくも、純情な二.五軍男子の世話を焼きまくってくれましたね」
 最初はひたすら戸惑った。なんで星が石を、って。
「まあ、利用半分でしたけど。恋愛対象じゃない僕にも親切ってことは、打算抜きの純粋な優しさだって伝わりますよ。望む反応が返ってこなくても優しくできる先輩は、すごいです」
 うん? 先輩を褒めたたえている場合ではない。
 脱線気味なのは、酒の力が足りないからだ。紙コップの残りを喉に流し込む。
 フルーツウォーターみたいな香りと味。
「それに比べて僕は、あなたの思うような後輩じゃないんです。世話焼かれるのが満更じゃなくて、好きになっちゃって。それがばれてないってわかったら、近くにいるためにふつうの先輩後輩でいようとかずるいことして」
 そう。ずるいのは僕のほうだ。憧れの裏返しじゃなく、弱いという意味で。
「今まで、自分が傷つきたくなくて、はじめから手の届かない人を好きになって、行動しないできました。でも先輩は手が届かないから好きなんじゃなくて。届かないのが苦しくて……」
 苦しいのは先輩のせいじゃない。僕の問題。
 それに、先輩と過ごしたぜんぶが苦しくて辛かったわけじゃない。
「あーもう。先輩より嫌いな人なんか、いません。大学でも、卒業しても、出会えっこない」
 素直とはほど遠い言い回しになった。
 つくづく、憧れを「ずるくて嫌い」と表現した、六月の自分と変わっていない。
 とはいえ、気持ちを吐き出したら少し吹っ切れた。ようやく次に進めそうだ。
「それ、『好き』って意味に聞こえるんだけど」
「ふえぇ!?」
 叶斗先輩がふつうに目を開けてしゃべり出し、僕はもこもこ後ずさった。「ハムスターみたい」と、叶斗先輩はにやつく。
(「好き」って聞こえる、って)
 憧れの裏返しだった「嫌い」が、今度は大好きの裏返しだと?
「い、いつから起きてたんですか」
「星川叶斗! って呼ばれたときからかな」
「最初の最初かよっ……!」
「うん」
 先輩は、僕のひねくれた告白を噛み締めるような顔つきだ。この人ってば……!
 いや、でも、いいんだ。
 本人に伝えてこそ玉砕だ。
 半ば自棄で毛布から手を抜き出し、イケメンフェイスに突きつけてやる。
「そもそも、六月の『嫌い』だって、憧れの裏返しだったんですよ」
「え?」
「僕にないものを持ってて、僕のしたいことを簡単にできそうで。それを……『嫌いでいて』って、何なんですか。眩しく見上げ続けてろって意味になるでしょうが。おかげで、ずるいことやめた後も先輩の親切に気づいちゃうし、ぜんぜん次の恋に進めないし」
 言いながら息が上がった。目の奥も熱い。
 「大好き」があふれるまま振る舞うのは、楽しくて、ふんわり優しいものだと思っていた。
 でも今、胸がひりついて、重く苦しくて。
 それでも、手放したくなくて。
「陽くん、俺ね、」
 叶斗先輩が、突きつけた僕の手を握り込む。冬の夜中なのに熱い。
 ああ、玉砕のときがきた。
 未知の痛みに備えて、身構えた。



21 先輩に激突
 叶斗先輩が僕の顔を覗き込んでくる。相も変わらず、物語が始まりそうな眼差しだ。
 でも恋が終わるんだよな、と他人事みたいに思う。
「俺こそ、陽くんの思うような男じゃないよ。『嫌いでいて』って頼んだのは、君を失いたくなかったからで」
「え?」
 さっきの叶斗先輩と同じリアクションをしてしまった。
 そんなの知らなかった。
 ていうか、何の話?
「最初は『嫌い』って言われて、安心したんだ。世話焼きまくれるって。同じサークルに入って見ててあげないとって思うくらい、田舎者でほっとけない感じだったし」
「はぁ゙?」
「あはは。可愛い、その鳴き声」
 おっさん声さえ愛でられる。何が何だかわからない。
 ほっとけない。それだけでわざわざ同じサークルに入って、連絡先交換したり、バイクの後ろに乗ってきたり、ペアツーリングに誘ったのか?
「『好きにならない』とも言ってくれたね。でも、そのうち隣で見てるのが楽しくなってきて。夏の長距離ツーリングとか、人生でいちばん楽しかったくらいで」
 ……好きになってましたよ。僕自身見て見ぬふりしていただけで。
 それでも先輩も楽しく感じていてくれたなら、抑えた甲斐があった。なんて場違いにもほっとする。
「それで、陽くんに好かれたいって思うようになった」
「……。……? 先輩、勘違いで好きになられちゃうの悩みだって」
「好きになられちゃうのも困るけど、嫌われるのも寂しいじゃん」
「……それはずるくないですか?」
「そう、ずるい男なんよ」
 先輩は悪びれない。ずっと話したかったってばかりに、前のめってくる。
 もしかして、僕が憶えていない通話でこの話を出したりしたのだろうか。
「でも、陽くんは僕を好きじゃないから隣にいてくれてる。だから何とか現状維持できないかって」
 いやそれはむしろ、こっちの選択だ。
 あれ? 叶斗先輩も僕と同じだった? 好きになられちゃう彼と、好きになってもらえない僕は、正反対のはずが。
「二回目の『嫌い』は、堪えたな。俺の自業自得だけど」
 叶斗先輩が寂しげに笑う。
 もともと寂しがりで、同性の友達とは長続きしない彼には、効く一言だろう。
 思わず「ごめんなさい、それも好きの裏返しです」と謝りかけて、手で口を覆う。
 裏返すことなく「好き」と言えなかったのは。僕と叶斗先輩が同性だからだ。
 既に何回か、「好き」と口走った。
 時間差で頭が真っ白になる。
 先輩後輩としてとか、友達としてとか、今さらごまかせまい。
 僕の異変に気づいた叶斗先輩が、「ん?」と僕に発言権を譲ってくれる。
(ここで逃げたら、一生逃げっぱなしだ)
 二度と自分を好きになれまい。
 そっと息を吐く。
 叶斗先輩にだけは傷つけられたくない。同じくらい、叶斗先輩になら傷つけられてもいい。
 僕にいちばん大きな傷をつけられる相手だから、怖かった。
 でもその傷さえ、叶斗先輩がくれるなら、欲しいと思う。
 保育園の男の子を見習って勇気を振り絞り、尋ねる。
「恋愛として同性が好きなの、何とも思わないんですか?」
 僕の恋愛を阻む、ハードルのひとつ。
 酒の勢いで下をくぐるみたいになっただけで、乗り越えられてはいない。
「うん、別に。そういうこともあるよね」
 一方の叶斗先輩は、軽々と飛び越えた。
「それが近くにいて、その……自分のことを好きってなったら別じゃないです?」
 逆に信じられず、畳み掛ける。
 うーん、と叶斗先輩が親指で口もとのほくろをなぞる。考えごとの仕草が無駄に色っぽいの、やめてほしい。
「恋愛として俺のことが好きな陽くんは、可愛いと思うよ」
 静かな声だが、力があった。
 その強い光で、僕の怖れを溶かしてのける。
 戸惑わずに、もしくは多少戸惑おうと受け止めてくれる人ももちろんいる。
 目の前に、いた。
「特に、酔って無邪気になった陽くんは可愛過ぎて、佐藤たちにも狙われてたし」
「それはないです」
「ある。土橋も怪しい」
「ほんとにないですって!」
「だから俺の隣以外で飲むの禁止って言っても、聞いてくれないし」
「だ、え?」
 叶斗先輩は僕と違って酒の力も借りずとも、どんどん明らかにする。
 先輩が飲み会で隣に座るのは、彼の平和でなく僕の保護のためだったらしい。
「ただまあ、どれが正解かわかりにくいってのはあるよね。探り探りになるし。俺も嫌いでいてもらったら隣にい続けられると思ったのに、距離取られちゃって、後悔した。自分から追いかけるのははじめてで、なかなか追いつけないし」
 拗ね声で続けられる。
 ……叶斗先輩が、後悔?
「親切にされてやれないって言われたとき、今までは去るもの追わずだったけど、どうしても諦められなかった。陽くんと、同じ」
「僕と先輩が同じなわけ……」
「同じだよ。同じだった。陽くんの隣が和むの、無意識に本心を抑えてる共感があったんだと思う」
 「好き」のまま振る舞いたい、でも傷つきたくなくて行動しないでいた僕。
 誤解されたくない、でも人が離れてしまいそうで流されてきた叶斗先輩。
 僕は下心抜きで、先輩の望みを叶えていたようだ。途中で放り出しちゃったのはさておき。
 叶斗先輩は一緒に「勇気の要る世界」ってハードルを飛び越え、僕に「好き」って言わせてくれた。
 さらにはもうひとつ、「僕自身」のかっこ悪さも可愛いと受け取って、好きになってくれた……流れな気がする。
 恋愛経験0の僕の勘違いかもしれないが。
「なんで、こんな話してくれるんですか?」
 何度も繰り返した問いを発する。
 先輩は、優しく微笑んだ。
「陽くんは、俺をわかろうとしてくれたから」
「……一気にわかんなくなったんですけど」
 弱々しく首を振る。買い被られて儲けものとは思えない。
 だって、単に「大変だなあ」って言っただけ。親切にされてあげただけだ。
「自分のために行動してる冷たい俺のこと、『あったかい』って言ってくれた」
 ……口に出して、伝えたっけ?
「俺のために俺を嫌いになってくれたのは、君がはじめてだよ」
「そ、んな大層なもんじゃないです。僕はしょせん二.五軍の石ころですよ」
 自虐がどんどん出てくる。
「陽くん、その『自分なんか』って考えやめて。『先輩は彼女つくるんだ』って決めつけもやめて。俺の好きを、狭めないで」
 でもそう制されたら、何も言えない。
(ほんとに、叶斗先輩が、僕を?)
 自信って、内から湧くものと、外から――自分にとって特別な人から与えてもらうものがあるらしい。
 つないだままの手を通して、心臓の暴走ぶりが伝わってしまいそうだ。
「じゃあ、叶斗先輩は、」
「うん。陽くんが好き。俺のほうが好きになってた。俺以外の男と飲んでほしくなくて『あ、これ嫉妬だ』って。誰の隣でもなく、陽くんの隣にいたい。陽くんのいちばん近くにいたい。離れるほど触れたくて。陽くん可愛いかr……ぐわ」
 好きな人からの「好き」は破壊力がすご過ぎて、途中でイケメンフェイスを押し退けざるを得なかった。
 嫉妬って。誰が誰にですか。
(しかも同性への恋愛感情だって認めるの、躊躇いなくて、自信に満ちてて……かっこいい。ずるい)
 叶斗先輩は気分を害する様子もなく、対抗してこちらの熱々の顔を覗き込もうとしてくる。
「やっと、言えた」
「彼女要らないって言ってたくせに」
「陽くんは彼『女』ではないでしょ?」
 ……敵わない。このずるくて眩しい先輩には、ほんとうに。
 はじめて恋が叶った。
 実感は、まだ湧かない。
 胸が熱くて石焼き芋になりそうだけど、毛布から出られない。
 好きな人に「好き」って言ってもらったときって、どうすればいい?
「んー、小便」
「!?」
 キャパオーバーに陥っていたら、部屋の真ん中で、佐藤先輩がむくりと起き上がった。
 心臓が止まりかける。
 幸い、先輩はこちらに気づかず、熊のごとくのそのそ廊下へ出ていく。
「……ふふっ」
「あはは」
 叶斗先輩と目を見合わせ、吹き出した。
「はー。正直、話すの邪魔されまくって、なんでだよって思ってたんよ。出方伺ううちに陽くんのこと苦しめちゃって、もう間に合わないかもって。今日も危なかったみたいだね」
「え、そうなんですか?」
 もう少し早く、同じ気持ちだって判明したかもしれなかったのか。
 ただ、先輩の口ぶり的に、自分の気持ちにすぐ自信を持てたわけじゃないらしい。
 お互い必要な一時停止だったと、今は思える。
(苦しくても諦められない、手放したくないのが恋だってわかった)
 傷ついてでもという覚悟で、ハードルを乗り越えることができた。
 いつの間にか空が白んでいる。
「ふわ~あ。スマホのアラーム鳴ったよな」
 今度は土橋が大げさに伸びをした。他にも何人か身じろぐ。
 話に夢中で、アラーム音を聞き逃したようだ。
 日の出を見に行くには、ぼちぼち起きないといけない。これ以上内緒話はできない。
「陽くん、今の話を、――」
 叶斗先輩は、僕が周りにバリケードのように置いていた空き缶を拾って潰した。
 なぜかくすりと笑う。かと思うと、僕の毛布をするする解く。
「でっかい陽くん見に行こ」
「僕は『陽』だけど『はる』ですよ?」
 ひとまず身支度に取り掛かった。

 宿から砂浜へ、バイクを走らせる。
 僕は出発直前に酒を飲んだので運転できない。
「はいどうぞ」
 叶斗先輩のハーレーの後部シートに乗せてもらう。念願だけど、気恥ずかしい。
「先輩の後ろに乗るの、はじめてですよね」
「はじめてじゃないよ?」
「いやはじめてでしょ」
 誰と間違えてるんだ、と頬をふくらませる。
「ハーレーでタンデムしたとき、俺の気持ち変わったんだけどな」
「はい?」
「陽くん(・・)としては、はじめてかもね」
 叶斗先輩はほくろのあるほうの口角を上げた。
 どういう意味ですか? と問い詰める間もなくエンジンがかかり、しぶしぶ背中につかまる。
 先輩の背中につかまらせてもらうと、安心した。
 夜と朝の間の仄青い道をまっすぐ進む。
「着いたー! けど、寒うぅう」
 日の出直前の海岸は、風が吹きすさぶ。
 みんな防風保温ウェアを着ているものの、だんごになってまばゆい瞬間を待った。
「お」
「おおー……」
 ほどなく、地平線から光が射す。
 感嘆の声がいくつか上がった後は、静まり返り、おごそかな空気になる。
 僕と叶斗先輩は、宿から拝借した毛布に一緒に(くる)まり、ゆっくり昇る朝陽を見つめた。
 まだ手に先輩の背中の温もりが残っていて、こそりと見上げれば。
 先輩は朝陽じゃなく、僕を見ていた。
「陽くん。今は俺のことどう思ってる?」
 え。ここで話の続き? 風の音でサークルメンバーには聞こえないとはいえ。
「さっき、言いました」
「嫌いなんだ……」
 悲しげにつぶやかれる。違う、違いますって。わたわたと背伸びする。
「大好き」
 あふれるままに告げるやいなや――頬にキスされた。
「うん。俺もこういう意味の好きだってこと、ぐえ。これって陽くんの照れ隠しだったんだ」
 考えるより先に出た拳さえ先輩は受け止め、さわやかに笑ってみせる。
(無駄にきゅんとさすな。いや、恋人をきゅんとさせるのは無駄ではないか?)
 ていうか、居間の「うん」は相槌じゃなかった。何を確かめたんだ何を。
「憶えててね、いい思い出として」
 先輩はなおもささやいてくる。
 そうだ僕、最初の頃は酒の力を借りると記憶を失いがちだったから……。
「大丈夫です。先輩のじいちゃんさんのバーでのこと、全部憶えてますし。酒に慣れてきたと思います」
「バーで出したの、ノンアルだよ?」
「えっ?」
「あはは。大好きって言ってくれたのも、俺のハーレーでタンデムしたのも、忘れちゃわないね。さっき陽くんの周りにあった缶、ぜんぶノンアルだった」
「え゙ぁ゙?」
「よく見ると0%って書いてあるよ」
 ノンアルだと?
 言われてみれば、酒の味はあまりしなかった。
 そうと知らず、ずいぶんかっこ悪くてくすぐったい話をしてしまった。
「酒の力借りたはずが……」
「ぜんぶ陽くん自身の力だよ」
 甘い先輩に肯定される。僕なりに自分と向き合い、自分を変えようと走り続けた道のりを。
 思いがけず一軍イケメンの手を借りる形になったのは、何ともしょっぱい。でも、しょっぱい芋と甘いシェイクみたいに相性がいいとも言える。
「一緒に、いい思い出いっぱいの一年にしましょう」
「うん。絶対傷つけないから」
 この澄み渡った朝の冷気も、先輩の体温も、ふわふわとした感覚も、日の出の色も、先輩の水分量の多い目のきらめきも、毛布のかすかな宿の匂いも、排気音も、先輩の想いのこもった声も、恋が叶った多幸感も、すべて忘れない。
 石ころだけど、太陽でもある僕は。
 いちばんあったかくてきれいな星と、光を届け合えた。



22 二十一歳の誕生日
 行動できないできた僕が、回り道の末に玉砕覚悟で恋心を言葉にした結果、いちばん遠かった相手とはじめての恋愛が始まった。
(さすが大型のハーレー、障害物(ハードル)に正面から突っ込んでも揺らがない)
 その数日後。
「叶斗先輩、一月十一日生まれなんですか」
()ん」
 暖房の効いた学食で、人気ナンバー1メニュー・ふわとろオムライスを頬張る叶斗先輩が、得意げに人差し指を立てた。「1」って数字がよくお似合いで。
「二十一歳の誕生日は、恋人にお祝いしてもらいたいなー」
 口の中のものを呑み込むや、ねだってくる。
 恋愛にそれほどのめり込むタイプじゃありません、という顔をして、いざ付き合い始めたら先輩のほうが要求が多い。
 昼ごはんふたりで食べたいとか。おやすみLINEしてとか。
(まあ、もとが寂しがりだもんな)
 それで僕なんかを失いたくないって……訂正、悩みを理解してくれる可愛い後輩を逃したくないって、遠回りしたらしい。
 そんな恋人のご所望を叶えてやるべく、「いいですよ。何したいですか?」と尋ねた。
「何でも言ってください」
「何でも」
「やっぱものによります」
 先輩の食いつき方に圧され、身構える。二.五軍として生きてきた僕には限界があります。
「ふふ。おうちデートしたいな。陽くんのアパートで」
 出てきた案は、意外に控えめだった。
 てっきりツーリングとかテーマパークとかを予想していた。
 一月限定・冬の新じゃがグラタンをごくんと飲み込む。
「それくらい構わないですけど。むしろいいんですか?」
「うん。外は寒いし、陽くんといるのが大事だし」
 そう言われると、掃除や料理のみならず、飾りつけも頑張ってやらないといけない気がしてくる。
 授業終わりにバラエティショップで材料を買い込み、当日に備えた。

 一月十一日。
 ちょうど週末なので、朝から準備に勤しむ。
(よし! 「2」「1」の風船も、レターバナーもペーパークラフトもうまくいった。保育バイトで磨いたスキルが活きたな)
 ふふん、と腰に手を当てて自画自賛する。
 壁の飾りつけは、赤を基調に仕上げた。私物はまとめて隅に追いやってスプレッドで覆った。
(僕の部屋じゃないみたい)
 正午前、近所のコンビニへショートケーキを買いに行く。
 手づくりは練習期間が短過ぎる。有名パティシエの洋菓子店と迷ったものの、僕たちの思い出のケーキを選んだ。
 会計するおばさま店員は、買ったのがイケメンじゃなく二.五軍でちょっと残念そうだ。食べるのはイケメンなので許してほしい。
(星っぽいアラザンで少しだけアレンジして……ん?)
 アパートに戻ると、駐輪場に男がしゃがみ込んでいた。
 ふつうなら不審者だけど、イケメン――叶斗先輩なら雑誌の一ページに錯覚する。
 僕に気づくや、眩しいほどの笑顔になった。
「早く着いちゃった」
 よほど楽しみだったようで、駅まで迎えに行くと言ったのに、自ら出向いてきた。
 僕の愛車を風よけにしていたらしい。
「寒いでしょう、中入ってください」
 家の鍵を取り出しかけて、ふと止まる。
「先輩、なんで僕の家の場所知ってるんですか」
「なんでだろうね」
 教えていないはずだが、するりとかわされた。
 しかも、僕が手を突っ込んだのと逆側のポケットから鍵を持ち出され、扉を開けられる。
「お邪魔しまーす。わ、壁に『HAPPY BIRTHDAY』って!」
「……はい」
 一軍イケメンは歴代の恋人や一軍友達に豪華に祝ってもらってきただろうに、親切にも目を輝かせた。
(ていうか僕、歴代の彼女たちより可愛い自信、一ミリもないな)
 アパートの場所を知られていた疑惑より、付き合い始めてから生まれた不安がもたげる。
 夏の長距離ツーリングでの男子部屋恋バナ会を鑑みるに、叶斗先輩は経験豊富だ。それらを超えるいい思い出、なかなかつくれないんじゃないか。
「元カノの祝い方のほうがよかったんじゃとか思ってる?」
「な゙ん!?」
 正確に言い当てられ、提げていたケーキを落っことしかけた。危ない。
「まあ、その、思わなくもなくもなかったり」
「俺、恋人に祝ってもらうのはじめてだよ」
「う」
 佇むだけで六畳の部屋を撮影スタジオみたいにするイケメン先輩を、じろじろ見る。
「っっっそだあ」
「あはは、すごい溜め。ほんとだって。大げさになりがちでめんどうで。一緒にいてくれたら充分なのに」
「一年に一回ってなったら気合も入るでしょうよ」
 こればかりは元カノたちに同情した。
 見分けがつかないかもしれないけれど、僕だって新しい服を着ている。見分けがつかないかもしれないけれど。
「でもなぁんか、面映ゆいんだよ」
 先輩が口もとのほくろをぽりぽり掻く。
 親切もただ受け取ってほしがる性質なのを考えると、褒められたり祝われたときどう振る舞えばいいのかわからないとみた。
 僕はそれでも、見返りを求めず祝い尽くさせていただきますが。
 さっきつくっておいた、今日の主役用三角帽子を取り出し、背後から被せようともくろむ。
 でも、僕を安心させるための先輩の自白はまだ終わっていなかった。
「てか元カノ自体、両手に収まるくらいしかいないよ」
「いや多いわ!」
 こちとら、疑似片想い相手だって先生と俳優の二人のみですが。
 僕だって嫉妬しないわけじゃない。
「それも俺の知らんところで他の女の子と争って疲れて身を引いてった。陽くんは疲れきる前に俺に頼ってくれるって、誕生日プレゼントの代わりに約束して」
 先輩は僕の気も知らず、早口で求めてきた。
 経験といっても、苦い経験が多いらしい。顔がいいと大変だな。
「は、はい。誕プレは別にありますけどね」
 こくこく頷いてあげる。
 気持ちを通じ合わせた後、今後も本心を呑み込まないで伝えようって約束した。その延長とも言える。
 ともあれ、恋人として叶斗先輩の誕生日を祝うのは僕がはじめてってことで。気を取り直し、三角帽子を被せた。きらきらの星がついている。
「何これ、可愛い」
「主役ですから」
 ローテーブルの前に座らせ、畳んだ布団をカバーに詰めたソファでくつろいでもらう。
 おとなしく膝を抱えた叶斗先輩は、飾りつけた部屋を見回し、「陽くんち、可愛い」とつぶやいた。
「そうですか?」
「うん。まず住んでる陽くんが可愛いんで。ぐわ」
 過剰な「可愛い」攻撃は、容赦なくパーで返り討ちさせてもらい、皿を並べていく。
 ホワイトシチューと、星形のチキンライス、同じく星の型抜きサラダ。
 母さんが畑で獲れた芋や野菜にレシピメモを添えて送ってくれたのが、役立った。
「お芋がいっぱい」
「うち、誕生日といえばこれでして。先輩の口に合うかわかりませんが」
「陽くんと食べたら美味しいよ」
「それも味は二の次って感じじゃないですか?」
 最後に、ショートケーキを紺色の皿に盛りつけ、アラザンを散らす。「2」「1」のロウソクを立て、先輩の前に置いた。
「改めて、誕生日おめでとうございます、叶斗先輩」
「ありがと。……このケーキ」
 先輩は、僕が先輩の優しさに気づいたことに、気づいた。
 はにかむように、ロウソクの火を吹き消す。部屋が薄暗くなった隙に――頬に齧りつかれた。
 一瞬で解放された、とはいえ。
「……」
 一軍イケメンって、距離縮めるの早くないですか? 速度違反じゃ?
 狭い空間にふたりきりなのを、意識してしまう。ぎこちなく電気を点けにいく。
 隣に戻ると、先輩はいつもの調子でケーキのイチゴをフォークに刺していた。
 好物は最初に食べるタイプか。んん?
「はいどうぞ」
 なぜか僕にあーんしてくる。
「いや先輩のでしょ。半年前の先輩がそう言いましたよ」
「今日の主役の俺が、俺の手から陽くんにイチゴ食べてほしい」
「うう」
 わかったわかった。先輩のくせにうるうる上目遣いすな。
 ぱくりと、イチゴを口に迎え入れる。
 僕の誕生日のときのイチゴより、甘く感じた。
 その後もランチを一緒に食べる間中、甲斐甲斐しく世話を焼かれる。主役のご所望ならされるがままにもなってやるが、これが誕生日にわざわざしたいことなのか?
(離れるほど触れたい、とか言ってたっけ)
 もしや、長距離ツーリングから追い出しツーリングまでの間にできなかったぶん、世話を焼かれスキンシップされるのか。いろいろ油断ならない。
 ――と、イケメン速度違反を警戒した矢先。
 秋はひとりで何してた? って話になって、保育補助バイトについて教えたら、
「俺も猫さんごっこやりたい。俺が撫でる側で」
 と駄々をこねた。三歳児か。
「先輩ネズミ派でしょ」
「猫も好き」
 そう言えばこの先輩、顔に似合わずもふもふをこよなく愛している。ってのは理不尽な偏見か。
「はあ……」
「溜め息」
「出ますよ」
 仕方ない。ただ成人男子が膝に乗るのは憚られ、ソファの座面で手脚を折り畳んだ。
 先輩が嬉々と手を伸ばしてくる。
「……。先輩、撫でるの下手ですか?」
 大きくて温かい手なのに、こちらの緊張を差し引いても、心地よくない。
 夏に牧場のふれ合いコーナーでモルモットに避けられてたの、野生の勘で扱いの下手さを察知されたとしか思えない。
「そうなんだよね。なんでだろ」
 単なるごっこ遊びにもかかわらず、先輩は深刻な表情になる。今までももふもふにそっぽを向かれてきたに違いない。
 ここは誕生日特典で教えてあげよう。
 役を交替し、先輩の長身をコンパクトに畳ませた。
「お手本、いきますよ」
 ゆっくり背筋を辿る。ミニバイクがペアツーリングするみたいに両手を使って。
 たまにくるくる円を描いたり、項をくすぐったりもする。
「陽くん……撫で撫でのプロじゃんか」
 先輩が目を瞑ったまま、僕の膝先に頬を摺り寄せてきた。うわわ、イケメンに懐かれた。
「撫で撫でやめないで」
「猫役忠実過ぎ」
 ぱっと離した手をつかんで戻される。
 まあ、今日の主役がご満悦ならよしとしよう。

 そうこうするうちに陽が暮れ、家飲みタイムになる。
 先輩が鞄から、じいちゃんが持たせてくれたという自家製リキュールを取り出した。



23 先輩が超ずるい
「今日は俺がいるから陽くんにも飲ませてあげる」
 叶斗先輩はナチュラルに台所に立つ。
 主役は座っててください、と促してもかわす。
(素が世話焼きなんだよな)
 そんなに親切したいならと、グラスをふたつ並べた。
「ほんとは俺以外の男がいる場所で飲むの自体禁止したいけどね」
「心配し過ぎですって。僕が可愛く見えるの、叶斗先輩くらいですよ」
「陽ちゃんは酔った自分を見たことないから危機感ないんよ」
「じゃあ今日動画撮ってみます?」
「もうある」
「はい?」
 先輩はカクテルをつくりつつ、あ。って顔をした。
 今の一言は聞き流せない。
「星川先輩」
「その呼び方、距離感じてやだ……」
「だったらスマホ出しましょうね」
 秒でスマホの押収に成功した。
 「これデス」と、動画の特定までさせる。
 お気に入りらしいもふもふショート動画と同じフォルダに入れられているのは、さておき。
 再生ボタンを押す。ざわめきが聞こえる。
 雰囲気のいいダイニングバー。大学最寄り駅前の店だ。
 クリスマス前に土橋の傷心飲みに付き合ったが、動画を撮ったっけ?
 撮ったとして、なんで叶斗先輩が持っている?
 いぶかしむ間に、頬が上気し、とろんとゆるんだ表情の僕が映った。
(うわ、酔ってるな)
 顔に出ているだけでなく、『帰んない』と話し方も舌足らずだ。
『かなとせんぱいが来てくれなきゃ、陽ちゃん帰んない!』
 ――は?
『この一点張りで。悪いんですが迎え来れませんか?』
 脳みそが理解を拒否する間に、土橋が映り込む。
 彼も首まで真っ赤だが、口調は確かだ。
 ビデオ通話の画録だ。ということは、あの夜おんぶでアパートまで送ってくれたのって……。
 スマホと、にやけている叶斗先輩の顔とを、交互に見る。
「せっ、先輩だったんです?」
「うん」
 含みたっぷりの相槌が返ってきた。
 あああ。僕って、酔っ払うとこうなるのか……。
(陽ちゃんとか陽ちゃんとか……っ!)
 駄々こね動画がループ再生されかけ、慌てて止めた。
「なんで消さないんですか。ていうか、なんで画録してるの」
「陽ちゃん可愛かったから」
「可愛いって言えば何でも許されると思うな!」
 憤死ものの証拠動画を削除しようと試みるも、抜群の反射神経でスマホを奪還され、頭の上に持っていかれた。身長ハラスメントだ。
 六月に先輩が「陽ちゃん」って急なちゃん付けしだしたのも、酔った僕が原因か。
(酒の力、そっちに暴走すな)
 年明け、学食で土橋に「石田には貸しがふたつある」って奢らされたのは、この先輩召喚のことを言っていたようだ。
 もうひとつは何だ? 僕と先輩が付き合い始めたのをいつの間にか知っていたが。
 とにかく。
「消してください!」
「でも、俺の記憶からは消せないし」
 ぴょんぴょん跳ねても、先輩も同じタイミングでジャンプするのでスマホに手が届かない。ふえん。
「じゃ、じゃあ責任取って!」
「よろこんで」
「……っ」
 と思いきや、急に背を屈めてくる。
 おかげで、僕から先輩の頬に唇をぶつける破目になった。むちゅ、って音までしてしまう大事故。
「あはは。ほんとハムスターみたい」
 羞恥でうずくまる僕を尻目に、先輩がカクテルをつくり終えた。
「はいどうぞ。これはちゃんと、お酒に漬け込んだ金木犀ですよ」
 甘くやさしい薫り。――桂花陳酒だ。
 また「Starry Bar」に飲みに行きたい。ただ。
「じいちゃんさん、僕が先輩の同性の友達じゃなく恋人なんです、って言ったらびっくりしますかね」
 別にお付き合いをすぐ報告する必要はない。僕も母さんに何も言っていない。
 でも、目の前でただの友達のふりをするのも、気が進まない。
 先輩は自分のグラスに口をつけつつ、微笑む。
「びっくりしないと思う。じいちゃんの教え、性別限定してなかったし。あと、じいちゃんも同性から告白されたことあるって言ってたし」
「イケおじいゆえの包容力よ……」
 むしろ友達と恋人がいっぺんにできたって、鷹揚に喜んでくれるかもしれない。
 て、いうか。
 ソファに這い寄る。ちゃっかりストックボックスから芋の菓子を並べてポテトパーティーを開催し始めている、先輩を見上げる。
「それでも、『同性の子が好き』って順応するの、早過ぎじゃないですか?」
 彼の「好き」を疑っているわけでは断じてない。
 僕が、一軍イケメンのいちばん近くにいることにどうしても慣れないのだ。
「そう? 可愛くて好きだ、他の男に見せたくないって思ったのが陽くんだっただけだよ」
 先輩は事もなげに言う。
 この自信が好きだ、と再確認する。
「……ずるかっこ良」
「あはは。でも陽くんはどうかなっていうのはわからなくて、何回もすごすご引き返した」
「なんかすみません」
「こちらこそ」
 迷走終了の労い代わりにコツンとグラスをぶつけ、再び口に運んだ。
 先輩に酔った僕を知られるきっかけになった、桂花陳酒を。夏と同じソーダ割りでなく、お湯割りだ。
 金木犀のふくよかな薫りと甘みが、お湯で割ったことにより引き立つ。ほう、と息が漏れた。
「美味っしい。スパイスも入ってます?」
「うん。陽くんってほんと美味しそうに飲み食いするよね」
 しみじみ味わうのを見て、先輩まで顔をほころばせる。
 今は家だし、隣で存分に見ていていいですよ。
 なんて呑気に飲み進めていたら。
「お酒飲むと忘れちゃうなら、いいことしてもらおうかなー」
 などとのたまう先輩が、二杯目をつくりに立つ。
「……。はぁ゙?」
 一瞬耳を疑ったが、聞き間違いじゃない。
 いやいやいやいや。「はいどうぞ」と言われても、ひと口も飲めなくなったでしょうが。
「先輩、僕には意地悪じゃないですか?」
「陽ちゃん怒っちゃった?」
「そりゃ怒りますよ! 帰ってください!」
 厳密には照れただが、大差ない。下心ありまくり彼氏のスピード感には、ついていけない。
「えー、まだプレゼントもらってない。用意してくれたんだよね」
「あっ。……はい」
 部屋から締め出そうとするも、やすやす阻まれた。
 恋愛経験0だったんだから、段取りが悪いのは大目に見てほしい。
「お座りしててください」
「わん」
 ちゃっかりした面もある叶斗先輩を牽制し、ごそごそと包みを取り出す。
 手のひらサイズの、ささやかなラッピング。
 先輩は両手で受け取った。
「ありがと」
「気に入るかわかんないですけど」
「気に入った。開けていい?」
「開けたのか開けてないのかどっちなんですか」
 先輩ははやる手つきでシールを剥がす。別にプレゼントは逃げないのに。
「ミニチュアバイクのキーホルダーだ。可愛い」
 ぱっと立ち上がり、ハンガーにかけていた革ジャンのポケットから、ハーレーのキーを抜き出した。早速取り付ける。
 かすかに嫉妬の感情が湧くくらい、愛おしげに眺めている。
「陽くんとお揃い?」
「にはしてないです、まだ」
「しよ」
「……はい」
 僕だけ浮かれるのもなと思って踏みとどまったものの、先輩もだいぶベタだ。
 プラスチック製のミニチュアバイクを、ソファから僕の膝へと走らせる。
「ねえ陽くん。春休み、海外ツーリング行かない?」
「ああ、ウユニ塩湖ですか」
「とか、たくさん」
 叶斗先輩とのツーリングはいっとう楽しい。
 一緒にいろいろな場所をめぐって、寄り道もして、映画より鮮やかな瞬間を胸に刻んでいきたい。
 ただし、当たり前に泊まりだよな……と逡巡していたら、先輩が悪戯っぽく声を低める。
「何もしないよ、まだ。ぐえ」
 違反しがちな腕に、拳をお見舞いした。
 まあ、前向きに考えなくもない。
「てか、明日ちょっと走らない? 俺バイクで来てて、大学に停めてるから」
「それならいいですよ」
 いったん走って、あふれ過ぎそうな「好き」を発散しよう。
 発散してもあとからあとから湧いてくるし、先輩は長い腕でひとつ残らずつかまえてのけそうだが。
 正反対で同じ僕と叶斗先輩は、ふつうじゃなくふつうな恋路を走っていく。



24 後輩が可愛い
「陽ちゃんはなぁ、ほしかわせんぱいのことが、嫌いだ!」
 居酒屋に、いとけない声が響いた。
 まっすぐ「嫌い」と言われたのははじめてかもしれない。
 俺は女子にはどんどん好きになられて、男には次々嫌われていく。
 嫌われるときは、付き合いが悪くなったり一緒にいても楽しくなさそうだったりで察する。直接のリアクションは、無理解な目で見られるくらいだ。
 平和な存在だと感じた石田くんも、俺のことが嫌いだった。
(でも、なんでだろう。あんまり寂しくないな。それはそれで何も気にせず世話焼けるからか?)
 サークルメンバーが、「石田どうした?」って爆笑してる。彼らには任せられない。
 俺は咄嗟に石田くんをおぶった。
「家まで送ったげる」
 なんでだろう。そんなこと言い出したの。
「せんぱい! どこ行くの。おいしーものあるとこ?」
「石田くん家だよ」
「だれ」
「陽ちゃん家、だよ。大学の近くだったよね? 案内して」
「やだ」
「ええ」
 そう言う割に、俺の背中にしっかりつかまってる。ちょっと可愛い。
 コンビニに行ったりしてみるも、頑として家の場所を教えてくれない。
「だって、帰っちゃったらひとりだもん……」
 ああ。寂しいよね。
 それも誕生日なのに。
 洋菓子コーナーへ移動する。
「陽ちゃん、ケーキどれが好き?」
「イチゴ」
「イチゴのね、はいはい」
「イチゴ、好きー」
 陽くんが、俺の背中でむふふと笑う。
 なんでだろう。この無邪気でまっすぐな「好き」を、俺にも言ってくれないかな、と一瞬思った。(了)